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モノクローム・サガ~彩色の御子~  作者: 鮎川 渓
序章 色付きの赤子
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赤子の秘密


 赤子を連れセト達家族が帰宅したのは、もう夕暮れにさしかかろうかという頃だった。

 族長はセトの母の他、『乙女』達や産婆を別々に呼びつけ、口止めや口裏合わせを行った。各個が知るルッカと赤子についての情報量が異なるため、手間はかかるが必要な措置だったのだ。当然時間もかかってしまい、こんな時間となってしまった。

 今頃族長と神官長は島民達を集め、赤子誕生の知らせと誕生の経緯を説明しているはずだ。無論、その内容は族長が描いた筋書きのものである。


 アトの胸に抱かれ帰宅した赤子は、すぐさま母ヴィセの手に渡る。

 赤子――シャルカと初めて対面した時は、その色に驚きを隠せなかったヴィセだが、夫と息子が可愛がる様を見て安堵したらしい。久方ぶりの赤ん坊に、今ではすっかり舞い上がってしまっている。


「あらあら、少し雨に濡れちゃったわね。あなたのお父様ときたらがさつでごめんなさいね、だけどお兄ちゃんも負けないくらいがさつなの。だからこの家で暮らすには逞しくならないといけないわ、負けずに頑張りましょうね。

 ほらあなた、何をぼさっとしているの。あなたが雨に濡らしてしまったのよ? 早く拭く物を取って頂戴。

 あら、身体が冷えてしまったわね。まだ胎脂(たいし)もこんなに……産婆のミイヤも驚いて慌ててしまったのかしら。セト、お湯の準備をして頂戴」


 自らもくるくるとよく動きながら、てきぱきと指示を飛ばすヴィセに、父子は目配せしあい苦笑した。それを見咎められ、慌てて言われた通りに支度をしだす。

 アトとヴィセは第二子を望みながらも、今日まで恵まれずにきた。甲斐甲斐しく赤子の世話をする妻の姿を、アトは温かな眼差しで見守っていた。

 やがてセトがたらいに湯をはり終えると、ヴィセはシャルカの産着を丁寧に脱がせていく。


「さぁ、綺麗にしましょうね」


 産湯に浸かるシャルカを、アトもセトも身を乗り出して覗き込む。最初は湯の感触に驚き手足をばたつかせていたが、セトが金色の髪を撫でてやるとぴたりと大人しくなった。


「あらあら、シャルカはお兄ちゃんが好きなのね」

「そんなことないよ」


 微笑ましげな母の台詞に咄嗟に反発したセトだったが、内心はまんざらでもない。もっと言うと、父母の目さえなければ飛び上がって喜んだだろうが、そうと知られるのは照れ臭く、口をへの字に引き結ぶ。

 ヴィセはシャルカの顎下や膝裏に残っていた血のあとを綺麗に洗い流し、こってりと肌に残る胎脂を軽く濯いで、清潔な布の上へあげた。ほんのりと上気した頬をして、ぼうっと辺りを眺める仕草が何とも愛らしい。

 すっかり虜になった父子がその顔を眺めていると、おしめを宛がおうとしたヴィセは「あっ」と息を飲んだ。


「どうした?」

「あなた、これ……」


 動揺するヴィセに促され、アトも子の足許へ回り込む。ヴィセの目線を追ったアトもまた目を瞠った。


「これは一体……」

「何? 父さん母さん、何かあった? シャルカ怪我でもしてる?」


 両親の表情に不安を覚えたセトだったが、何とはなしに自分は見てはいけないような気がしてその場に留まった。

 新生児独特の、膝を曲げ大きく足を開いた格好で仰向けになるシャルカを、二対の目が見下ろす。


「あなた……シャルカは男の子、なのよね?」

「ぬ……だがこれは……」


 困惑する二親の目の先にあるもの。

 それは割り開いた足の付け根、幼い男児の印の後ろにひっそりと隠れていた、小さな割れ目であった。


「……女の子、かしら」

「いや、しかし……」

「どういうこと?」


 セトが尋ねた時、シャルカがしゃっくりをし始めた。我に返ったヴィセは急いで産着を着せ掛ける。


「ねぇ、どういうこと?」


 アトは眉間に皺を刻み宙を仰いだ。


「……以前、岩盤の大地の郷へ赴いた際、聞いたことがある。産まれた羊の仔が雄と雌、ふたつの性を持ち合わせていたことがあると。極稀にだが、そういうものが産まれることがあるという……両性具有とか言ってたか」

「それってどういうこと?」

「だから、つまりだな。股に、」

「あなたっ」


 ヴィセに咎められ、アトは咳払いをひとつしてセトに向き直る。


「つまり、男でもあり、女でもあるということだ」

「弟じゃないの?」

「ふむ。この場合、何と言ったらいいのやら」


 訝る息子に対して、父はどこか悠長だ。

 ヴィセはそんなアトの腕を引っ張って部屋の隅へ連れて行き、小声で尋ねる。


「このことを、族長様や神官長様はご存知なの?」

「いや、俺達も産婆も男児だとばかり」

「じゃあ……」


 義両親の不穏な気配を察してか、シャルカがぐずり始めた。それでもふたりは話し合いに没頭していて、すぐには戻りそうもない。

 セトは戸惑いながらも、シャルカを胸に抱き寄せてみた。先程より温もった体温が腕に心地よい。眩い髪に鼻先を埋めると、乳臭さとは違う甘ったるい香りがした。ずっと嗅いでいたくなるような、胸を酸くさせる新生児特有の匂い。

 泣き濡れた紫の瞳が、じっと彼を、彼だけを縋るように見つめている。

 セトには父の話はいまひとつ理解できなかったし、気にはなるが、束の間シャルカを独占できる喜びの方が勝った。


「大丈夫、兄ちゃんがいるからな」


 セトは両親の耳に届かぬよう、そっと囁きかけた。

 するとシャルカはにっこりと――産まれたての赤子が笑うことなどまず有り得ぬことだが――目を細め、頬を上げ、珊瑚色をした唇を開き、確かに微笑んだ。

 おそらく産まれて初めてであろうはっきりとした笑顔を、セトだけに向けてくれたのだ。まるでセトの一言が自分を救ってくれたのだと分かっているかのように。

 その嬉しさ、愛おしさ、胸に迫り上がる言葉に尽くせぬほどの歓喜に、セトは思わずシャルカをぎゅっと抱きしめる。

 こんなに愛らしいのに、この子を守ってくれる母の腕はもうないのだ。そう思うと堪らなかった。



 一方で、両親の間には緊張した空気が流れていた。


「族長様方に早くお伝えした方がいいわ」


 急かすヴィセに対し、アトはじっと虚空を見据えて動かない。その目線の先に、親友でもある族長トウマの顔を思い浮かべていた。

 本来ならば妻の言うとおり、シャルカの身体についてすぐにでも報告しなければならない。けれどアトはそれを躊躇した。

 ただでさえ他の誰とも違う色、違う産まれ方をし、周りを怯えさせたシャルカだ。この上性別まで常ならぬものであると告げればどうなるか。

 アトが聞いた両性具有の羊の末路は、郷人から怪物と怖れられ、生きながら火にかけられたという残酷なものだった。

 この島でも稀に指の数が足らぬ子や、歯が二、三本生えた状態で産まれ来る子がいるが、その郷ではそういった子も異形であるとし間引くのだという。

 異なる教義の許で生きる民に対し、どうこう言うつもりなどアトにはない。けれどその話が意味するところは、『普通と違う』ということは恐怖や侮蔑の対象になり得るということだ。

 三十年来の友に慈悲はあると信じている。

 けれどトウマは三島長の筆頭、島を統べる族長という立場にある。島の平穏を守るため、時に無情な決定も下さなければならない。今ある暮らしを脅かすやも知れぬ不穏因子は、即排除されるが必定。トウマ自身が恐れなかったとしても、周りが恐怖を訴え、その声が大きくなってしまったら――

 やがでアトはヴィセの顔を見つめ返し、短く告げる。


「このことは俺達家族の胸に秘めておく。シャルカは男児として育てる」

「あなた!」


 驚く妻をよそに、アトは息子に向き直った。


「セトも聞け。いいな、絶対誰にも漏らしてはならん。アダンにも、ビルマちゃんにもだ。これが皆に広まった暁には、シャルカの命はないものと心得ろ」


 強い言葉にヴィセは息を飲む。けれど実際にヴィルマの怯えようを見ていたセトはすぐに首肯した。


「……分かった、絶対に誰にも言わない。シャルカは俺の『弟』だ」

「それでいい」


 真剣な顔で答える息子に、アトは深く頷きかける。

 族長達を欺くことにヴィセはしばらく戸惑っていたが、やがてアトの説得に折れた。



「どんなことがあったって、兄ちゃんがお前を守ってやるからな」


 セトは密やかに、けれど精一杯の決意を込めて囁くと、シャルカの柔らかな髪に唇を押し当てた。

 何も知らない、まだ己の身体の異常にすら気付けぬ赤子は、セトの胸にふっくりとした頬を預け、かすかな寝息を立てていた。




                                <序章・了>

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