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モノクローム・サガ~彩色の御子~  作者: 鮎川 渓
三章 太古の森で
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古森の宴


 そして夕刻。

 ロー宅の客間で仮眠を取ったあと、兄弟はそれぞれ別室に呼ばれ、古森の民族衣装を着付けられていた。


「……キツい」

「仕方あるめぇ、オマエの図体が古森の規格外なんだ」


 詰襟のボタンを外しぼやくセトを睨み、ローはギリギリと飾り帯を締めあげる。ローもすでに旅装を解き、亜麻色の民族衣装に着替え済みだった。


「苦しい、止してくれ。そんなにキツく締めるものなのか?」

「いや、これはおれの個人的感情によるところだっ」

「まだ背のことを気にしてるのか? 人種が違うんだ、そこまで気にすることな……うぐっ」


 セトのフォローはロー渾身の締めつけにより阻まれた。ローはそのまま帯を腰の左側で結わくと、拵えた独特の結び目を満足気に手の平で叩く。


「おっし、いっちょあがりぃ! 次は装飾な」


 そう言って小箱から腕輪や耳飾りを取り出し、次々と彼の身体を飾っていく。

 セトはすっかり古森仕様に仕立て上げられた己が身を見下ろし、何だかなと頭を掻いた。

 着せられた詰襟の短衣は、銀繻子の生地一面に細かな刺繍が施されており、形状こそ同じだが、ローが着ている綾織仕立てのそれに比べ随分と格式ばっている。


「合うものがないなら無理に着せてくれなくても……シャルカは着たがっていたが、俺は別に」

「まぁそう言うなって」

「それに何でここまで飾る必要が?」


 はだけた首許へすかさず巻きつけられた首飾りを摘み、少々げんなりした顔でセトが尋ねると、ローは「当たり前じゃないか」と胸を張る。


「今夜の宴の主賓だぞ? そりゃあめかし込まなきゃよ」

「宴?」


 初耳だと目を丸くするセトに、ローは窓の外を指し示す。飾り格子越しに表を見やれば、大皿を手にした人々――正確に言うと、女達に指示されながら大皿や酒樽を運ぶ男達――が、居住区の奥へと慌しく歩いていた。

 その賑々しさから、親しい者を集めた宴ではなく郷をあげての歓待なのだと察し、セトの背にじわり汗がわく。


「何もそんな大袈裟な。それに宴なら、ノンナの帰郷を祝うものの方が相応しいだろう」


 ローは少しばかり寂しげに笑い、天井を目で示した。今いる部屋の真上にはノンナの私室がある。


「アイツはまだ流石にそんな気分にゃなれないってよ。だからそっちは、落ち着いたらまた改めて」

「それもそうだよな……悪い」


 自らの短慮さに肩を落とすセトを、ローは高らかに笑い飛ばした。


「そんな顔すんなぃ。まぁ直だろうさ、アイツ家に着いてから好物の蜂蜜麵麭(パン)みっつもたいらげたらしいからな!」


 すると、天井からドンッと鈍い音が響いた。思わず顔を見合わせる。ローは顔をひきつらせ声を潜めた。


「やべぇ、聞こえてたみてぇ」

「思ったより元気そうで何よりだ」


 何とも言えない顔でセトが頷いた時、部屋の戸が叩かれた。応えを返すと、ローの上の妹達が顔を覗かせる。そっくり同じ顔をした双子の姉妹は、支度を整えたセトを見ると手を叩いた。


「おやおやぁお兄さん、見違えちゃったなぁ!」

「あらあらぁ素敵素敵! よくお似合いなの!」


 ふたりは髪型も服装もそっくり同じに揃えているため、セトにはさっぱり見分けがつかない。けれど流石に兄のローは区別がつくらしく、


「ダーナにラーナ、シャルカの着付けは終わったのか?」


きちんとそれぞれに向け声をかける。彼女達はにんまりと顔を見合わせ、


「勿論さ、こっちだって負けないくらい綺麗に仕立てたよ!」

「お兄さんも驚くこと間違いなしなの」


廊下へ手招くと、シャルカがおずおずと姿を見せた。


「あの……どうでしょう。変じゃ、ないですか?」


 召し替えたその姿に、今度はローが満面の笑みで手を叩く。


「おぉ、良いじゃねぇか! まるでシャルカのためにあつらえたみてぇだな!」


 シャルカが身につけているのはセトやローが着ている短衣とは違い、双子が着ているような細身の長衣だった。彼女達によると、古森の子供服は男女の別がないという。

 白繻子の表は一見すると無地のようだが、光の加減で白絹の刺繍が浮かびあがる小粋な細工がなされていた。細身の仕立てが華奢なシャルカによく似合い、光沢のある生地は滑らかな柔肌を一層引き立てる。


「ね、ホンットお人形さんみたいだよねこの子!」

「着付け甲斐があったの」


 服や装飾を見立てたダーナとラーナは、己の仕事に満足気に頷き合う。

 シャルカは兄の許へ寄ると、眩しそうに見上げた。


「あに様、とってもかっこいいです! 傭兵風の姿も男らしくていいですけど、こちらもまた素敵ですっ」

「…………」


 けれど兄は黙りこくったまま、じっとシャルカを見下ろしている。


「あ、あの、えっと……やっぱりおかしいですか?」


 その視線に耐えられず、シャルカがもじもじと俯いてしまうと、見かねたローは朴念仁の背を思いっきり張り飛ばす。


「ばっかオマエ、なんか言ってやれよっ」


 小声で罵られ我に返ったセトは、シャルカから目線を外し片手で口許を覆った。


「その……何だ。良く似合う」


 愛想の乏しい言葉に、ローは再び張り手の構えをとったが、シャルカにはそれだけで充分なようだった。目許をほんのりと赤く染め、紫の瞳を細める。


「ありがとうございます、あに様」


 その光景を眺めていた双子は、にっこり笑って手を取り合うと、そっとその場を後にした。


「それじゃ、支度もできたし行くとすっか!」

「あの、ローさん! ぼく帽子を被った方が良いんじゃ……」


 先立って部屋を出て行こうとしていたローは、呼び止めたシャルカに軽く手を振る。


「いや、ここじゃその髪も目も隠す必要ねぇって。言ったろ? 古森の民にとっちゃ白い獣は縁起物。オマエは獣じゃねぇけど、まぁ似たようなモンだ、誰もヘンだなんて思わねぇよ」

「そ、そうでしょうか、」


 シャルカは窺うように兄を仰ぐ。セトは小さく頷くと、シャルカを促しローの後に従った。




 三人が表へ出る頃には、通りを行く人々はすっかり姿を消していた。もう皆宴の会場へ入ったようだ。

 灰色の夕闇が降りた通りを連れ立って歩く。ローの家族も先に行っているとのことだった。

 会場である郷の集会場へ着くと、その建物の見上げるような大きさもさることながら、中から溢れてくる大勢の人々の話し声に、兄弟は思わず目配せし合う。


「……随分たくさんの方が集まってらっしゃるんですね」

「急なことだったろうに、これだけの宴を開いたり、私用で郷の稀少馬を借りられたり……ドット家(ローの一家)は何者なんだ」


 それを聞き、ローは実にあっけらかんと言う。


「あぁ、おれの母さん今『郷母』だからよ」

「キョウボ?」

「んーと、余所の郷じゃ何て言う? あぁ、長だ長、郷の長」


 今更明らかにされた事実に、兄弟は驚愕を禁じえない。


「ローさんは郷長のご子息だったんですかっ? しかもご長男ってことは、次期郷長……!?」

「古森の民は女性が長を勤めるのか?」


 それぞれ別の方向に驚くふたりに、ローは苦笑して肩を竦める。


「ンなんじゃねぇよ。古森の民の郷じゃあよぅ、三年毎に郷母が変わるんだ。三十歳以上の女の中から、長に適してそうな人間を住民投票で選ぶんだよ」

「トウヒョウ?」

「推薦っつーの? 一番多く推薦された女が、三年間郷母を勤めるんだ。三年たったらまた投票で次の郷母を決める。うちの母さんはこれで二期目だ。何で女かっつーと、おれらが崇める古木の巨神(マ・マダンネール)が女神だからってトコが大きいな」

「古木の巨神って女神だったのか!」


 思わず声を大きくしたセトを、ローとシャルカはあちゃあ、とばかりに見やる。


「知らなかったのかオマエ! ……おれぁとんでもねぇヤツを巡礼者の庇護者に仕立てっちまってたらしいや」

「いや、だって『巨神』っていうくらいだから、てっきり」

「ごめんなさい、あに様は本当に本当に、ずぅっと忙しくされてたもので……」

「シャルカよ、オマエも苦労すンなぁ。泣かすねぇ」


 ローは弟の献身的な態度に目許を押さえて見せてから、集会場の扉を開け放つ。中では老人から子供まで、郷人達が大きな輪を描いて座しており、主賓である兄弟を万雷の拍手で迎えた。

 その音の大きさと部屋の明るさとに気圧されながらも、ローに続き足を踏み入れようとしたシャルカは、兄の足が止まったままなのに気付き振り返る。


「あに様?」


 兄は扉から差す光に目を細め、どこか遠い眼差しで呟く。


「トウヒョウか……古森の長は世襲制じゃないんだな。弓島もそうだったなら、ビルマも生まれに縛られることなく、もっと自由に振る舞えたろうに」

「あに様、」


 一瞬何か言葉をかけようとしたシャルカだったが、それを飲み込むとうっすら微笑み、兄の武骨な手を取った。


「行きましょう、あに様。皆さんをお待たせするわけにはいきませんから」


 弟の柔らかな声で立ち返ったセトは、その小さな手をしっかりと握り返した。

 並んで中へ足を踏み入れると、拍手の音は一段と高まった。ローとノンナを救った兄弟に対し、郷の人々は元より友好的だったが、ふたりが古森の衣装で現れたことでより好感を抱いたようだ。


「ほら見て! あのお兄ちゃんの髪、すごく綺麗な色!」

「なんて手足が長いこと、」

「原野の男ってのは本当に大きいな!」

「ふたりとも良くお似合いよ」


 策士のローは、「ホラ着てみて良かったろ」とばかりに片眉を跳ね上げ、ふたりを席へ案内しようとした。

 けれど上座に郷母であるローの母を見つけた兄弟は、賞賛に浮かれることなくその場で静かに膝を折る。大柄で精悍な面構えの兄と、細身で愛らしい弟が見せる洗練された所作に、郷の人々は目を奪われた。

 場が静まったのを機に、兄は表を伏せたまま告げる。


「我ら兄弟がためこのような場をもうけて下さり、郷母様始め、皆様方のお心遣いにはお礼の申しようもございません。古木の巨神(マ・マダンネール)のお導きに深く感謝を。そしてこの郷に益々の加護があらんことを」


 良く通る声音が紡ぐ端然たる口上、何より彼にとっては異郷の神を堂々と言祝いでみせた度量の深さに、郷人達は再び喝采を送った。

 ローの母はすぐさま上座から下りて来て、セトの前に両手をつき、ふくよかな頬でころころ笑う。


「お礼を言うのはこちらの方です、ふたりを助けて頂き本当にありがとうございました。私達家族にとっては勿論、郷にとっても大切な古森の子供達です。さぁさ、どうぞそう畏まらずに。私は言うなれば雇われの長のようなもの、そして古森の民は陽気な者ばかり。心ばかりの酒肴ですが、膝を崩して楽しんでくださいな」


 そうして母により上座へ誘われていくセトを見、ローは納得いかんとシャルカに詰め寄る。


「おいおい魂消たまげるじゃねぇか、何なんだよセトのヤツ! 物知らずで危なっかしい野郎だとばかり思ってたのに、あんな振舞いもできンのか!」


 するとシャルカは己のことのように胸をそらし、


「何せあに様は隊長でしたからっ。他島の長との話し合いに赴く族長様に、同行を許されていたんですよ。礼儀作法がなってなければ、偉い方々のいる場に出ることはできません。島の恥になっちゃいますからね。時には宣戦布告や、停戦交渉の使者として立たれることもあったんですよ」


滔々と語ると頬を紅潮させ、両の手をぐっと握りしめる。


「これぞあに様っ! 元隊長の面目躍如ですっ。朴念仁だし寝癖も気にしない人ですけれども、あに様はやればできる人なんですっ!」


 興奮しきりのシャルカに、ローはひたすら圧倒され、ぽかんと口を開けるばかりだ。久々に兄の頼もしい――否、風格のある姿が見られ、余程嬉しかったのだろう。

 けれどもローは言わずにはおれなかった。


「オマエ可愛い顔して結構言うなぁ……やればできる人ってよぅ、つまり普段は、」

「皆まで言っちゃダメですっ。あに様ぁ、置いてかないでくださーい!」


 離れていく兄の背を追いかけ、その後ろにぴたりとついて歩くシャルカは、まるで親鳥以外は目に入らぬ雛のよう。


「……不思議な義兄弟もあったモンだなぁ」


 彼らの背を眺めつつ、ローは苦笑して鳶色の髪をかき上げた。


 それぞれが席に着くと、郷母の夫であるローの父が乾杯の音頭を取り、賑やかな宴が始まった。

 兄弟の前には見たこともない様々な古森の料理が並んだ。芳しいスパイスがよく擦りこまれた丸鳥の蒸し焼きに、ねじれた角を持つというトトル鹿の煮込み。生花を散らしたシタン草の新芽のサラダは、ことのほかシャルカを喜ばせた。古森に生えるという数種の茸ソテーに、籠いっぱいに盛られた果実。

 原野の兄弟には初めて口にするものばかりだったが、旬の食材を使った料理はどれも滋味に富んでいた。シャルカは自分が食べて美味しいと感じたものをせっせと兄にも取り分けるものだから、兄の皿にはたちまち小山が築かれた。

 けれどセトはと言うと、食べることよりも呑むことの方が忙しかった。同じ年頃と思しき若者達が、セトと語らおうと酒を手に寄ってきて、絶え間なく酌をしてくれるからだ。


「ローに聞いたよ、すごく長い弓を使うんだって? オレも露払いなんだ、今度参考に見せちゃくれないか?」

「勿論だ」

「あの綺麗な色のために苛められてしまう弟さんを守ろうと、ふたりきり故郷を離れたんですって? 良いお兄さんを持って、弟さんは幸せね」

「ロー……あのお喋りめ」

「昼間早速モアを口説いたそうですね。原野の男もなかなか手が早い、」

「それはローの悪戯だ」


 酌を受けるには杯を開けねばならず、実際は喋るより呑むために口を開く時間の方が多いほどだった。

 大人達に酒がまわり、食べ終えた子供達が飽き始めると、男達は手に手に楽器を取りだし奏で始めた。軽やかな曲に誘われ、少女や子供達は中央に進み出ると、輪になって踊りだす。するとローの娘や昼間の子らがやって来て、シャルカの手を引いた。


「え、ぼくも踊るの? でもぼく踊れな、」

「折角のお誘いだ、行って来いよ」


 ほろ酔いの兄に背を押され、シャルカも人々の輪に進み出た。戸惑うシャルカの腕を取り、子らはリズムに合わせくるくる回る。

 最初は慣れぬ足捌きによろめいていたシャルカだったが、やがて子らの屈託ない笑みに釣られ、身を揺らせ始めた。流れる音色に身を委ね、長い裾を優雅に翻し、子らと一緒に跳ね回る。そうする内にその唇から、十二の子供らしい無邪気な笑い声が零れだした。

 楽を奏でるため、または踊りに参加するため若者達が散ってしまうと、セトはシャルカ達を眺めつつひとり杯を傾けた。

 友の住まう地で、異なる習慣や言葉など戸惑うことは多いが、それにより得た刺激や経験は島を出たからこそ得られたものだ。何より、人の輪の中にあるシャルカの姿、その笑顔。シャルカがひとりの子供として、本来得られて然るべきだった幸福な時間がここにはあった。

 今は遥かな故郷、そしてここへ至るまでの旅路をその笑顔に重ね見て、セトは密かな感傷とともに甘露を干した。




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