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モノクローム・サガ~彩色の御子~  作者: 鮎川 渓
三章 太古の森で
43/51

古森と原野の婚姻事情


 三人が乗り込むと、ネール馬達は山道を踏破してきた荒々しさを潜め、ゆったりと人波を分けて歩いていく。ツンととり澄ましたその様は、何とも人間臭く愛嬌がある。

 行き先は馬車で向かうほど遠いのかセトが問うと、この馬達は郷の共有資産で、重い荷や急ぎの用がある際に貸し出されるものだとローは言う。返却先は目的地のそばにあるため、ついでだとも。

 郷に着いてからというもの、ローの表情は水を得た魚のように活き活きしている。商店の連なる通りへ入ると、この店の名物がなんだのここ売り子は可愛いだのと、その饒舌はとどまることがない。

 よほど己の郷に誇りを持っているのだろう。真っ直ぐな愛郷心を全身で示すローの横顔を、セトはほろ苦い羨望をもって眺めた。


 郷の者向け、あるいは訪れた隊商向けの商店は、側面の壁を隣店と共有し、数珠繋ぎに連なっている。ひさしに張られた飴色の防水布が、風にはためきバタバタと賑やかな音をたてていた。

 ローは顔が広いらしく、通りを行けば店主達が皆親しげに声をかけてくる。幼い子供達などは、列をなして馬車のあとをついてきた。そして原野から来た兄弟を見、


「ダ・シ・コン・グォ? デシ・グォ!」

「ダ・シ・タン・シュム? デシ・フォア・シュム!」


屈託ない笑みで話しかけてくる。年端のいかない子供達は古森の言葉しか話せないようだ。

 子らの無邪気な笑顔に胸を詰まらせたシャルカは、もどかしそうにローの袖を引く。


「どうしましょうローさんっ。ぼく、知らない人からこんなににこにこ話しかけてもらったの初めてで……すっごく嬉しくて、なにかお返事したいんですけど、あのっ、」

「あぁ、ならおれが言うとおりに言ってみな」


 シャルカはローに教わった古森の言葉を、たどたどしいながらも口にする。


「メ・シ・タン・シャルカ。ヒ・シ・コン・セト。ツァレダ!」


 そう言って手を振ると、子供達はシャルカの言ったことが分かったらしい。その場で足を止め、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振り返してくれた。シャルカは頬を上気させ、この上なく嬉しそうに微笑む。


「通じましたよっ、お返事できました! 良かったぁ……ありがとうございますローさん!」

「おう、上出来だぃ。オマエは耳も良いんだなぁ」

「子供達とシャルカは何て言ったんだ?」


 尋ねるセトに、ローはにやにやと片眉を跳ね上げる。


「ガキんちょ達が言ってたのは、『この巨人の兄ちゃん誰? ホンットにデケェ!』、『白いお兄ちゃんのお名前は? とっても白くてキレイだね!』って」


 わざわざ声のトーンを変えて演じ分けたローを、セトは横目で訝る。


「俺にはどちらも大して違わなく聞こえたが」

「意訳って通訳の醍醐味だと思うんだ」

「…………」

「だからシャルカにはふたりの名前を答えてもらったんだよ。ついでに、馬車の周りうろちょろされちゃ危ねぇから『またあとで会おうね』ってさ」


 セトのジト目もなんのその、ローは悪びれずに歯を見せて笑う。そして少し先でこちらを窺っている少女達を見つけると、セトを肘で突いた。


「なぁ、オマエにも教えてやるから話してみろよ」

「え、」


 たじろぐセトだったが、


「それが良いですよあに様! しばらくお世話になるんですし、ちゃんとごあいさつしておきましょう?」

「む」


弟にそう言われてしまっては断るに断れない。

 にこやかに挨拶なんてできるだろうかと思い悩むセトをよそに、馬車は少女達の脇へさしかかる。


「コン・ロー、ダ・シ・コン・グォ?」


 すると彼女達の方から声をかけてきた。先程の子供達と同じことを言う。どうやらまた巨人だのと言っているようだ。大柄な原野の民の中でも抜きんでた上背のセトは、小柄な古森の民の目によほど大きく映るらしかった。

 内心苦笑するセトへ、ローは素早く耳打ちする。独特な響きのそれを、セトは慎重に、それでもなんとか精一杯の笑顔を作り復唱した。

 途端、彼女達は真っ赤になってクスクス笑い、セトと目が合ったひとりが艶っぽく何かを答えた。それを聞いた他の少女達は黄色い歓声をあげる。

 どうもおかしい。

 セトがローを振り返ると、ローは今にも吹き出しそうな口許を必死に手で押さえていた。


「おいロー、お前何言わせたんだ?」

「『可愛いお嬢さんがた、今晩俺とどう?』って」

「なっ! おまっ……!」


 慌てふためくセトに、ローはとうとう腹を抱えて笑い転げる。

 すかさず伸ばされた褐色の腕を巧みに避けつつ、ローは馬を進ませながらもっともらしく言う。


「いや、悪戯したワケじゃねぇよ? 面白かったけどな? 今のは古森の男の礼儀に則った、れっきとしたアイサツだ」

「嘘つけ、そんな礼儀があるかっ」


 喚き散らすセトを押しとどめ、ローはチッチッと指を振る。


「あるんだなコレが。未婚の古森の男は、年頃の未婚の女に会ったら必ず()()()しなきゃなんねぇ。しなけりゃそりゃ『オマエほんとブスだな』って言うのとおんなじだ。だが声かける時にゃ気をつけろ、銀の耳飾りした女は既婚者だ、間違えて声かけた日にゃ旦那がすっ飛んでくるぞ」

「無茶苦茶だ、」

「古森の民は情熱的な民族なのさ」


 これまた自慢げに答えて胸を張るロー。シャルカは何とも言えない顔で彼女達を振り返る。


「えっと……古森の男流のごあいさつなのは分かりましたけど、彼女のお返事はなんて?」

「ん、『今夜広場で待ってる』って」

「お前何てことを!」


 今度こそローの胸倉を掴んだセトは、その手に手綱があることも忘れ揺さぶった。


「なぁに、セトが郷に来たばっかだってのは向こうだって分かってる。本気にしやしねぇよ、向こうだってごアイサツってヤツだ」

「……ならいいが、」


 古森の民の意外な一面を目の当たりにし、セトはそれ以上言葉にできずむすっと口を閉ざした。本気で怒っていることが伝わったのか、ローは不思議そうに灰色の眼を覗き込む。


「案外カタブツなんだなぁ、原野の男ってのは。まだ未婚だろ? 遊ばなきゃよ」

「遊ぶって何だ。原野の民は未婚だろうが既婚だろうが、そういうことはしない」


 言い切ってしまってから、セトは酒場女に聞かされた老父達の実態と性癖を思い出し、げんなりと背もたれに背を預けた。当然そうとは知らぬローは、しきりに首を傾げる。


「いやいやいや、古森の民だって結婚したら一途だぞ。でもよ、それじゃあ一体どうやって嫁や婿探す? 身体の相性まで含めて男女の相性ってモンだろが」

「おい馬鹿っ」


 さらりと言ってのけられ、セトは思わずシャルカの耳を両手で覆った。それから声を潜めてローを詰る。


「子供の前で何てこと言うんだ。古森の男がいくつで元服するかは知らんが、原野じゃシャルカはまだ元服前の子供なんだぞっ」


 けれどもローはいまいちピンと来ないようだ。


「なんでそう隠す? 変にタブー扱いすると子が歪むぞ?」

「……大っぴらなのはお前の性格か? それとも古森の民の気質なのか?」

「モチロン後者だ」


 耳を塞がれたシャルカは、目だけを動かしきょとんと兄達の顔を見比べていた。


 店が連なる通りを抜けると、ローは馬達に指示して緩やかな坂道へ進ませる。

 クラライシュ郷は山の斜面を削って作られた、三段の階段状になっていた。広場や商店のあった最下の一の段から上がって行くと、二の段には六角形の民家が並ぶ居住区が広がっている。

 ローは、セトが警戒してシャルカの耳を塞ぎっぱなしでいるのを見、古森の民の婚姻について話し始めた。


「古森の民は、男女とも十四で大人の仲間入りだ。なりたい職の先達について、いっぱし稼げるようになれば結婚だって認められる」

「早いな」

「いや、オマエらが遅いんだと思うぞ?」


 原野の教義では、男は十七、女は十五で成人として認められる。

 戦をする原野の男にとって、元服とは帯刀を許される儀、すなわち戦士となることを意味する。遅めの元服はそのためだ。

 当然妻帯も許されはするが、いつ戦で死ぬとも分からぬからと急ぎ妻を得ようとする者は稀で、むしろ大事な妻を早々に寡婦にすることがないよう、戦にも慣れてきた二十歳頃に結婚するのが一般的だった。

 そういった原野の民の事情を聞き、ローは目を白黒させる。


「そりゃ随分と気の長ぇ……妻を残して死ぬのが忍びねぇなら、『もしもの時は気にせず再婚しろ』って言い聞かせてやりゃいいんじゃ?」

「サイコン……? それは何だ、別の誰かと添うことか? 原野の民にとって伴侶は生涯でただひとり、婚姻とは神聖なものだ」


 いたって真面目な顔で告げる原野の男に、古森の男は心底怯えたように喚き、胸の前で手を擦り合わせる。


「ひぃッ……! それで婚前に遊ぶことも厳禁だと? 恐ろしいっ、なんッて恐ろしい場所だ原野! おれぁ古木の巨神(マ・マダンネール)を拝する民に生まれたことを心から感謝する!」


 けれどそれを当たり前として生きてきたセトは、何が恐ろしいのか全く理解できず、首を捻るばかりだ。

 ひとしきり祈りを終えると、ローは気を取り直して話を戻す。


「古森の民じゃよ、十四になると何が始まるかってぇとな、壮絶な嫁とり合戦が始まンだよ」

「嫁とり合戦? 決闘でもするのか?」


 素で尋ねるセトにローは呆れ顔で肩を落とし、


「あのな、とりあえず戦から離れようか? ……まぁでも、男にとっちゃある意味決闘だな。男の沽券を賭けた決闘だ」

「?」


小鼻をひくひくさせ、ぴしりと手綱を捌く。


「古森の男はな、自分が十四になると、気になる娘に片っ端からさっきみてぇに声をかけまくる。で、色良い返事がもらえたら速攻で手をつける」

「は……?」


 唖然とするセトに、ローはしたり顔でまた指を振る。


「言ったろ? 床をともにしねぇで相性が分かるかってんだ。成人してから結婚するまでは、男女とも二股三股上等で、しっくりくる相手を探しまくるんだよ」


 今度はセトが青ざめる番だった。


「待て、それじゃあ結婚前に子が、」

「そうとも! そうして子を得た娘は()()()()の男の中から、もっとも誠実で相性のいい男を選んで、アンタの子ができたと報告する。そこで男から結婚を申し込んで、めでたく成婚と相成るわけだ」


 とんでもないことを――無論、原野の教義に生きるセトから見ればだが――朗らかに言うロー。セトの額に嫌な汗が浮かぶ。


「おい……言いたくはないがそれ、自分の子じゃない可能性が……」


 原野の男が妻となる者に純潔であることを望むのは、ひとえにそのためだ。

 男側から子の父親を確かめる術のない世のことである。間違いなく己の血を継ぐ子を抱き、育てたいと望むのなら、生娘を娶ることが唯一確実な手段なのだ。

 恐る恐る口に出されたセトの懸念を、三児の父は豪快に笑い飛ばす。


「あるある、一番上の子だけ父親に似てねぇなんてよくある話だぃ」

「正気か? 古森の男はいいのかそれで! 自分の子じゃない子供を育てることになっても、」

「ンな小せぇこと言ってんじゃねぇ。子ができるコトいたしておきながら、否認する権利なんかあるわけねぇだろ。惚れた女が『オマエの子だ』っつって産む子なら、例え血が繋がらなかろうが愛しい我が子だ」


 考えられないと低く呻くと、セトは小刻みに頭を振り、


「俺は原野に生まれ育ったことを、今ほど感謝したことはない」


胸の前で蒼穹神(カーヴィル)の印を切った。そんなセトへ、ローはけろりと言い放つ。


「堅苦しい原野と違って、未婚のオマエにとっちゃ楽園みてぇな郷だろ?」

「今のを聞かされてどうしてそう思えと?」


 この話は終わりだとばかりに、セトはシャルカから手を離し深々と息を吐いた。長いこと耳を塞がれていたシャルカだったが、特に兄達の会話に興味を示す様子もなく、立ち並ぶ家々に目を奪われている。

 ある意味、セトは雲糸郷のおぞましい儀式を目の当たりにした時よりも慄いていた。

 異文化に触れると言うことは、見慣れぬ建物や服装などの上辺を見知るのではなく、異なる思想や価値観を交わすことにこそあるのだと、改めて思い知ったセトなのだった。


 そうこうしながら居住区の奥へ辿り着くと、ローは白い花をつけた生垣の前で馬を止めた。兄弟を促して降りると、生垣の中へ先立って歩いていく。

 そこには、家々と似た六角形の大きな平屋建ての建物が二棟建っていた。けれど民家と異なるのは、屋根からぬっと突き出た太い煙突。左手の建物の煙突からは、白い煙がもこもこと立ち昇っていた。


「ここは?」


 揃って尋ねる兄弟へ、ローはビシッと人差し指を立てて言う。


「クラライシュ郷自慢の公衆浴場だ」

「コウシュウヨクジョウ?」


 聞きなれぬ単語に、兄弟はまた揃って復唱する。


「平たく言うとデカい風呂だ風呂」

「お風呂!」


 その言葉にぱぁっと顔を輝かせる弟の横で、兄は「何だ」と息をつく。


「郷の掟なんて言うから、一体どこへ連れて行かれるのかと」

「いやいや、先人の知恵に則したれっきとした掟だぞ? 一番の目的は当然もてなしのためだけどな。客人にまず身を清めてもらって、外界から郷へ病を持ち込まないようにするためでもあるんだ」


 宿場で流行り病の噂を聞いていたセトは、なるほどなと頷く。その横でシャルカは今にも飛び跳ねそうだった。


「まさかお風呂に入れるなんて! 宿場の宿にはお風呂ありませんでしたもん。嬉しいですね、あに様」

「そうだな」


 そんな兄弟に、ローは目を細める。


「そんだけ喜んでもらえりゃこっちも嬉しいぜ。原野にも風呂入る習慣はあンのか、なら説明は要らねぇな」


 すると突然、


「あ、おとーさん!」


可愛らしい声がしたかと思うと、建物の裏手から五、六歳の女児がふたり飛び出してきた。


「『お父さん』?」


 子持ちであることは聞いていたが、予想を超える子供の大きさに、兄弟はぎょっとなってローを見た。ローはといえばだらしなく頬を緩ませ、駆けて来た子らをしゃがんで抱きとめる。


「ラランにタタン、ただいまー! いい子にしてたか? 母さん困らせたりしてなかったか?」


 ローがセトと同じ歳なのは承知していても、何せ童顔な古森の民である。兄弟の目には十八かそこらに見えるローが、五つ六つの子に「お父さん」と呼ばれている光景はなかなかに衝撃的だった。

 けれど衝撃はこれに止まらない。

 次いで現れた幼子を抱いた少女が、


「あなた、おかえりなさぁい」


とローに声をかけたものだから、兄は驚きを通り越し石化した。けれど眦も口もゆるゆるに緩めたローは全く気付かない。


「おっとそうだ、紹介紹介。おれの妻、アインだ」


 そう言ってローが引き寄せたのは、やはりどう見ても少女にしか見えない彼女である。シャルカと同じほどの背丈のアインは、銀の耳飾りをしゃらりと鳴らし、兄弟へ向けたおやかな仕草で頭を下げる。


「セトさんにシャルカさんですねぇ。うちの人ばかりかノンナちゃんまで助けていただいたそうで、本当にありがとうございました。ごめんなさい、お風呂の支度していたもので、広場までお出迎えに行けなくて」

「いえそんなっ、こちらこそローさんにはとってもお世話になって……!」


 まったりとした彼女の言葉に、深々とお辞儀で応じたのはシャルカだ。

 ようやく我に返ったセトは、急いでローを捕まえ早口に耳打ちする。


「おい、お前咎者(とがもの)だったのか!」

「何でそうなる?」

「彼女が妻? どう見てもまだ十七かそこらだろう! なのにこんな大きな子供がいるって、お前一体いくつで手ぇ出して……!」


 セトが憤る理由が分かり、ローは生温い眼差しでセトを見上げる。


「落ち着こうか? な? オマエにゃおれがいくつに見えンだっけ?」

「十八」

「アインがいくつに見えるって?」

「十七?」

「でもおれは二四、となるとアインはいくつ?」

「……嘘だろ」


 どうなってんだ古森の民と呻く兄の横で、シャルカはつと小首を傾げる。


「あれ? そうなると……ノンナさんって何歳なんだろう?」


 現実を受け入れるや、慌てて彼女に挨拶しだした兄の背をぼんやり眺めつつ、小さくひとりごちた。




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