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モノクローム・サガ~彩色の御子~  作者: 鮎川 渓
序章 色付きの赤子
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子らの見極め


 島を代表する三島長に分からぬものを、子供の自分に分かるはずがない。そう焦り再び固くなるセトの肩を、アトの大きな手が抱いた。


「欲のない無垢な子供の魂は、蒼穹神の御心と共鳴する。子の閃きや直感は天啓であると、昔から言われておってな」

「そこで、他の子供達からも信頼の厚い……勿論、わたくし達大人から見ても、贔屓目なしに聡いふたりに見極めてもらおうと」


 セラフナも弱々しいながら笑みを作り、口を添える。


「で、でも俺はそんな大それたこと」

「やります」


 辞退しかけたセトの横で、ビルマはきっぱりと言い切った。その顔は子の生き死にをかけた重い決断を負う覚悟と、大役を任された誇らしさとに輝いている。セトはそんな幼馴染の顔を驚きをもって見つめた。

 セラフナに手招かれるまま、ビルマは赤子を起こさぬよう膝立ちでにじり寄る。赤子を包む柔らかな布をはらりとめくった途端、


「……ひッ!」


ビルマは悲鳴をあげてそっくり返ると、慌てて離れた。まるで悪鬼か邪神でも目にしたような怯えようで、激しく戦慄き叫ぶ。


「あぁ……なんて、なんて異様な姿……! わたしはこの子が恐ろしい……不吉な予感しか感じられませんっ! 蒼穹神の御子などとは到底思えません!」


 細い喉から振り絞られた絶叫に、赤子が目覚め泣きだした。その泣き声にビルマはますます震えあがる。

 毒蛇さえ恐れぬビルマがこれだけ取り乱す様を、セトは初めて目の当たりにした。そんなに恐ろしい姿形をしているのかと不安になる。けれど、彼の背を父の力強い手が支えた。


「案ずるな。俺も長達もそばにおる。見て、ただ感じたままを言えば良い。お前が感じたありのままをな」


 セトは小さく頷くと、意を決してセラフナに近付いた。

 一歩進むたび、はだけた布の隙間から少しずつその姿が明らかになってくる。

 何かを探すように宙を掻く小さな手。

 柔らかそうな手首。

 そして――セトが赤子の顔を視界に捉えたその瞬間、濡れた目蓋がゆっくりと開き、目と目が合った。

 途端、言いようのない凄烈な幸福感が、稲妻のようにセトの全身を貫いた。

 その赤子は、確かに他の誰とも異なる姿をしていた。顔や肢体に異常はないが、この泥の原野に住む誰もが……否、この色彩の乏しい世界に生きる誰もが見たことのない、鮮やかな『色』をしていたのだ。

 

 セトがこちらの世の人間ならばこう表現しただろう。

 細い髪は、月の光を縒ったかのような眩い金色。

 肌は練乳のごときなめらかな乳白色で、ふっくりと丸い頬はバラ色に染まり、なんとも愛らしい。

 そして長い睫毛に縁取られたその瞳。夜明け前、太陽が顔を出すほんの一瞬手前、地平線に走る一筋の紫紺。闇を裂き、新たな日の訪れを告げる薫衣草(ラヴェンダー)の光彩を湛えていた。

 初めて目にする色全て、それにその色を携えた赤子そのものが、セトにはとても慕わしく、尊いものに感じられてならない。


(ビルマはどうしてこの子が恐ろしいんだろう。俺にはこんなに素晴らしく感じられるのに。俺の感覚が狂っているんだろうか)


 戸惑っていると、セトに怯えはないと見たセラフナが、そっと赤子を差し伸べてくる。


「抱いてみますか?」


 返事もしない間に胸へ押し当てられた赤子を、セトはおずおずと受け取った。


(温かい)


 布越しに頼りないほどの柔らかさと確かなぬくもりが、彼の肌に伝わってくる。落とさぬように、潰さぬように、細心の注意を払い腕に抱く。

 赤子はしゃくりあげながらも、紫紺の瞳でじぃっとセトを見上げている。まだ焦点もおぼつかないが、しっかりとセトの顔を捉えていた。この後のセトの発言に、己の命運がかかっているとも知らずに。そのことがセトの胸をぎゅっと締めつける。

 ふいに赤子の手が動き、セトの鼻先に触れた。桜色の爪が肌を掻く。驚きとかすかな痛みとに顔をしかめると、赤子は涙目のままうっすらと微笑んだように見えた。


 ――あぁ。


 その表情を見た瞬間、全てがコトリと音を立て、セトの腑に落ちる。

 その微笑みには見覚えがあった。

 ルッカだ。

 ルッカもこうしてうっすらと控えめに笑う、心優しい少女だった。

 だからセトは言った。


「ルッカの子です」


 ほう、と族長は感嘆を漏らす。


「この子はただ、ルッカの子です。神の御子でも化け物の子でもありません。俺達がよく遊んでもらったルッカの」


 何を言うんだと反論するビルマを抑え、族長は三度ゆっくりと煙をふかした。


「ルッカの子か」

「はい」

「確かに誰もが納得せざるを得ない答えだ。言われてみれば、目許がよく似ているね」


 父の言葉にビルマが激昂する。


「父様、わたしの直感が信じられないと? こんなに禍々しい色をしたものを、わたしは知りません!」

「お前の気持ちもよく分かる。わたしとセラフナはこの子が産まれ出る瞬間を目にしているのだからね……正直、わたしもあの時この子を恐れてしまった。きっと今のお前以上に。

 けれどねビルマ。それはつまり、ルッカの腹から産まれた子であるということもまた、紛れもない事実ということだよ」


 ビルマはぐっと言葉に詰まる。しかしすぐに声を尖らせ、


「ルッカに似た姿で油断させ、我々の懐に入り込もうとしているに違いありません。神官長様も軍団長様も、どうかよくお考えになってください! 神の御子であればどうして母を絶望させましょう? 神が我が子の母となった娘を見殺しにすることなどありましょうか! 神の子でも人の子でもないのなら、化け物の子以外にないではありませんか!」


そう必死に反論を続ける。

 その弁に耳を傾けながらも、セトは腕の中の赤子に釘付けになっていた。

 赤子は相変わらず彼の顔を仰ぎながら、手のひらを頼りなく彷徨わせている。きっと母の胸を求めているんだとセトは思った。

 でもごめんよ、俺はお乳は出ないんだ。そう心の中で詫びつつ指を差し出すと、赤子はしかとその指を握って口許へ運び、薄紅色の唇で無心にしゃぶりついた。その意外な力強さに、こんなに頼りなく(いとけな)い赤子が持つ生命力、生への健全で貪欲な執着がありありと感じられ、新たな感動がセトの胸を痺れさす。


(――あぁ、生きたいんだ。

 この子はこれほどまでに生きたがっているじゃないか。母親の腹に宿っておきながら、陽の目を見ずに消えたいと思う命があるもんか。だからこの子は必死になって這い出てきたんだ。それだけのことだ。恐いことなんて何もない)


 小さな命に愛しさが込み上げ、抱く腕に自然と力が篭る。

 ところが乳が出ないと分かるや、赤子は再び盛大に泣きだした。


「あぁ、ごめん!」


 今までとは違う泣き方に、アトが血相変えてにじり寄る。


「おいセト、お前何をした?」

「何も! この子腹が減ったんだよ、ほら」


 腹を空かせた赤ん坊の泣き声は、大人達の庇護欲を無条件に掻き立てる。無力な赤子が生きられるよう、そう本能に刷り込まれているのだ。強面のアトも赤子を覗き込むなり破顔する。


「おぉ、ちっこいのに懸命にセトの指に吸いついて……セラフナ、前に乳やったのはいつだ?」

「アト殿がいらっしゃる少し前です」

「結構経っておるな。産まれっ子の授乳は昼六回、夜六回だぞ! 俺も赤子なぞ十二年ぶりだもんですっかり忘れておったわ」

「すぐに支度をして参りま……、」


 立ち上がりかけたところで、セラフナは我に返ったように族長を見やった。ここで乳をやるということは、すなわち赤子の延命を認めることになる。

 族長は赤子を囲む男達を細めた目で眺めていた。その横で、ビルマは苦虫を噛んだような顔で俯いている。


「楽しそうだね、三人とも」

「は……つい」

「つい、か。それが答えということで良いんじゃないか」

「父様!」


 こうしようじゃないか。そう告げて、族長は一際長く煙を吹いた。


「一先ずその子は生かすとしよう。けれどビルマ、お前の見極めをないがしろにするわけではないよ。生かすが、あくまでルッカの遺児としてだ。

 神の御子として崇めるには、いささか不穏な産まれ方であったことは間違いない。けれど今すぐ殺してしまわねばならぬほど邪悪な者かというと……今のところ寄る辺ないただの赤子だ、それもルッカの面差しを写す……多少おかしな色はしているけどね。

 手元に置きよく監視して、良からぬ動向を見せたらその時は――……そういうことにしようじゃないか」

「ありがとうございます、族長様っ!」


 セトはまるで我が事のように喜び、勢いよく頭を下げる。つられて揺さぶられた赤子は一層激しく泣きじゃくった。


「うわ、ごめん!」

「首もすわってない赤ん坊に何しやがる!」

「どうしよう父さん、どこか痛めたかな?」

「貸せ馬鹿息子っ」


 がさつな息子から赤子を取り上げたアトを見て、族長は言葉を継ぐ。


「アト。ようやく子育てから解放されようというヴィセには申し訳ないが、この子を頼めるかい?」


 族長の妻でありビルマの母は既に鬼籍。

 セラフナは独り身である。

 事情を全て知った上で、赤子を育てつつ監視できるのはアトの家族以外にない。アトは、一も二もなく頷いた。


「その子、俺の妹になるんだ……」


 感慨深く呟いたセトに、アトがこっそり耳打ちする。


「弟だ」


 その答えにセトの胸は更に震えた。


(なら、歩けるようになったら一緒に馬に乗せてやろう。もっと大きくなったら、一緒に狩りに出かけよう。弓の使い方も馬の操り方も、俺が持てるなにもかも、惜しみなくこの子に伝えてやろう)


 ひとりっ子のセトは、日頃からアダンとヤーンの兄弟を羨ましく思っていた。これから弟と過ごす日々に早くも期待を膨らせる。傍らのビルマがどんな目で自分を見ているかなど、気付く余裕もないほどに。


「決まりだな」


 そう結んで、族長は水煙管の火を消した。島の長として蒼穹神に伝えなければならない話はここまで、あとは人間同士の話し合いである。


「いいかい、赤子の出生について一切口外してはいけないよ。『乙女』達や産婆にもきつく緘口令を敷く。あくまでルッカの子として、いち島の子供として、この子が()()に過ごせるよう尽くさなければならない。

 幸いと言うのは失礼だが、ルッカには戻る実家がない。……ルッカは『乙女』の職を辞し、島の外に夫を得て身篭ったが、すぐに夫は不慮の事故で急逝。他に頼る者のない彼女を神殿が保護していた。そして難産の末に……というあたりにしておけば、大方の民は納得してくれるだろう」


 族長の言葉に頷きあう男達へ、ビルマが待ったをかける。


「それではルッカの名誉が! ルッカは処女(おとめ)のまま逝ったのですよ? 最期の一瞬まで『蒼穹神の乙女』であり続けたのに!」

「ビルマ」


 族長は一瞬目を伏せ、それから毅然と言い放つ。


「ありのままを知らせれば、当然皆は動揺する。そうなればこの子はここで生きていくことなどできまいよ。死者の名誉より生者の平穏だ」

「そのような不気味な赤子のために、ルッカが泥を被らなければならないなんて! 何故そこまでしてその赤子を生かさなければならないのです? ルッカが望んだ子でもないのに!」


 同じ女の性を持つビルマだからこその訴えだった。

 妻となる女に処女(おとめ)であることを望むのは男だが、それを生まれてから嫁ぐ日まで守るよう強いられるのは女だ。それなのに、それを守り通した乙女の名誉を軽んじようとする父、そしてそれに同意する男達に、多感な年頃であるビルマが憤りを感じるのも無理からぬことだった。瞳には軽蔑の色さえ見てとれる。

 けれど族長はもう揺るがない。娘をひたと見据え、


「その(とが)も、いずれこの身で」


それだけ言うと退出を促す。ビルマは真っ赤な顔のまま、振り返りもせず外へ飛び出していった。浮かれていたセトも現実に立ち返る。


「……族長様、良かったんですか? あのままビルマを行かせて……」


 尋ねると、族長は「なぁに」と笑う。


「どんなに激昂してもね、このことを触れ回り、皆を悪戯に動揺させるような子ではないよ」


 確執は生じてしまったが、族長はビルマのことを思った以上に信頼している。そう知ってセトは胸を撫で下ろした。

 族長はアトの手から赤子を受け取ると、胸に押し抱き、じっとその顔を見つめた。まるでルッカの面影を探すように。


「望んだ子じゃない、か……実際その通りだろうね。けれど、ルッカが本当にこの赤子を忌み怖れ道連れにしようというのなら、腹を突く方法もあったろう。けれど彼女が突いたのは喉だった……今となっては、それが彼女の最期の(まこと)であったように思えてならないのだよ」


 それをビルマに伝えてやれば良かったのにとセトは思ったが、あえて口にはしなかった。族長には族長の、セトには到底思い至らぬ深い考えがあるのだろう。

 族長はセラフナに乳の用意を、アトに妻を呼ぶよう指示した。出て行きかけたところで、アトがふと振り返る。


「そうだトウマ、その赤ん坊の名はなんとする。いつまでも赤子だのルッカの子だのではすわりが悪いわ」


 族長は言われて初めて気付いたという顔で、「それもそうだ」と頷く。


「セラフナ、お前が一番長くこの子のそばにいたのだから、お前がつけておやり」

「そうですか? ……では」



 その赤子は母親から二文字貰い、『シャルカ』と名付けられた。





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