名に恥じぬ最期を
男達が色を失ったその時、再び天井の一部が開いた。
「それもいいかも知れんな」
苛立った声と共に、ひとりの男が降りてくる。その頭には天辺を窪ませた古帽子。彼が屈辱に紅潮させた顔で男達を見下ろすと、三人は目を合わさぬよう項垂れた。セトは見知ったその顔を睨めつける。
「あんたが長だったのか」
それには答えず宿の亭主――否、雲糸郷の長は、男達を見やったまま鼻を鳴らした。
「随分好き勝手言ってくれたじゃないか。お前達がここへ通っていることには目を瞑ってきたが、祭りの直前にまで厄介事を起こすとは。その穴の修繕にかかる費用は、理由を明らかにした上でお前達に負担してもらうからな」
「そ、それは……」
小太りの男を除くふたりは途端に慌てだす。察するに、ふたりは妻帯者で、このことが妻に知れたらと焦っているらしい。
「どこまでも見下げ果てた野郎どもだ」
唾棄すると、セトは長に率直な疑問を投げかける。
「なぁ、あんた達が崇める獣神の遣いって何なんだ?」
既に囚われた理由は知れているし、今更彼に怒りをぶつけたところで状況は変わらない。ならするだけ無駄だと割り切って、セトは少しでも話を引き出そうと試みる。けれど長は彼の物言いに眉を顰めた。
「獣神とは他民族がつけた俗称だ、羊蹄神とお呼びしろ」
「獣の神で充分だろう、人を喰っちまうような獣どもの頭目なんだからな」
セトがあえて不遜を装うと、長は忙しなく数珠を繰った。
「原野の土民め、口を慎むんだな! 御遣い様のご加護あればこそ、この郷はこの地で栄えていられるんだ」
「栄えてるだと? これで? 馬だって四頭ばかりしか持ってないじゃないか。人の命捧げてまで崇めるほどのご大層なものとは思えないが」
揶揄には乗らず、長は牢からすごすごと出る三人を厳しく睨みつけている。その無言の圧力に、男達はただもう黙って俯くばかりだ。ならばとセトは質問を変える。
「もし贄を出さなきゃどうなる?」
「滅ぶ」
実につまらなそうに、けれどそれでも応えがあった。
「この郷が?」
「そうだ」
「どうして滅ぶ? 癇癪起こしたそいつが滅ぼしに来るっていうのか?」
「…………」
「まただんまりか」
大方、他民族には説明し難い伝承や口伝、言ってしまえば迷信の類なのだろう。掟に背けば災いがあるなどといった脅しめいた教えは、どこの教義にもあるものだ。
セトはまだるっこしくなって頭を掻きむしる。
「郷の繁栄のためだか存続のためだか知らないが、そのために出す贄ならこの郷の人間から出すのが筋だろう。その御遣いとやらもよく拒まないな。筋も道理も通っちゃいない、所詮獣だな」
「もう黙っていろ」
「御遣いどころか、余所者から見ればはっきり言って害獣だ」
「無礼な!」
長ばかりか後ろに控えた男達も一斉に色めき立つ。が、例の小太りの男だけは、未練がましく横目でノンナを捉えていた。
(同じ男の目から見ても気色悪い、何故この郷の連中は真っ先にこいつを贄にしないのか)
セトは理解に苦しんだが、さておいて。鉄格子に近付き、長の目の前に立った。
「俺に行かせろ」
男達は咄嗟にその意味を飲み込めないようだった。
真っ先に反応したのはノンナだ。破れた竹格子に飛びつき、金切り声で叫ぶ。
「ちょっと何言い出すのよ、あたしの話聞いてなかったの? 今更死ぬことなんて恐くないわ、変な同情しないでよ! あたしにもうひと月ここで苦しめって言うのッ」
それを聞くや、小太りの男は場違いにはしゃいで手を叩き、長とノンナを交互に見やった。
「あぁ、それがいいですよ長ぁ! こんな大男、ひと月飼ったってナニができるわけじゃなし、水と食料もたくさん食われっちまいそうですし。そっちの変な色の子供を次の贄にしちまえば、あとふた月は生きられるよ君ぃ! その間に他の贄を調達してきたらもっと、もっと! そうしましょう、そうしましょう長、ねぇ?」
仲間であるはずの男達も流石に鼻白む。シャルカなどもう人外のものを見る目つきだった。
「ほら見なさいよ、どうしてくれるの! 今すぐ取り消して!」
半狂乱になるノンナを目で制し、セトは長に向かい毅然と言い放つ。
「喰われに行くとは言ってない。俺は狩人だ。相手が獣、ましてや人に仇なす害獣なら俺が仕留めてやるよ」
実態はどうあれ、曲がりなりにも郷の者達にとっては神の御遣い、郷の守り神である。例によって小太りの男以外は、怒髪天を衝く勢いで口汚くセトを罵った。
「良いだろう、そこまで言うなら今夜の贄はお前だ!」
長の口からその一言を引き出すと、セトは密かに胸を撫で下ろす。一先ず、目の前でノンナが連れて行かれることは避けられた。
残る問題は、得物をどう取り戻すかだ。
「だから贄になるつもりはない。俺の弓と剣はどこだ?」
尋ねるセトに、長は低く哂った。醒めた目が「度し難い馬鹿め」と告げる。
「神の御遣いに人の子が敵うものか」
「どう言い繕ったところで害獣は害獣だ」
「威勢の良い言葉を並べたところで、御遣い様のお姿を見れば無様に震え上がるさ」
「なら武器を棄てるのは震え上がってからでも遅くはない、返せ。考えてもみろ、今まではうまいこと他所から贄を調達できていたかもしれないが、できなかった時はどうする? あんた達の郷から出すことになるんだぞ」
脅し混じりの説得にも、長は小さく鼻を鳴らす。
「そんなものはとうに出してるさ。わたしの末娘が祭壇に上がったのは、たった四つの時だったよ」
思わぬ返答に、セトは鉄格子から手を突き出しその胸倉を掴んだ。
「そこまでして何故だ? お前それでも父親か!」
腹の底から叫べど、長は眉ひとつ動かさない。恐らく根底からして、人命に対する価値観が異なっているのだ。
(これ以上いくら罵倒しようが挑発しようが無駄か。ならどうする……)
うまい手が浮かばず、セトが焦り始めたその時、房の中へ一筋の光がしらしらと差し込んだ。いよいよ月が現れたのだ。それに伴い、どこか遠く――おそらく広場と思しき方から、妙にゆっくりと打ち鳴らされる太鼓の音が聞こえてきた。
いよいよ忌まわしい祭りが幕を開けるのだ。
セトは懸命に考えを巡らせる。けれどこれといった案も浮かばぬ間に、再び響く無情な開錠の音。セトを連れ出すため、ギィと扉が開かれる。セトが歯噛みしたその時、
「……待ってください!」
凛とした声が響いた。シャルカだった。
憐れたらしく、汚れるのも厭わず土の上に打ち伏して、はらはらと涙を零すその姿に全員の目が注がれる。
(何を言う気だ、黙ってろと言ったろう!)
セトは必死に目で訴えようとするも、俯いたままのシャルカには届かない。ここで下手に命乞いでもされたらと焦慮したセトだったが、ちらりと覗いたシャルカの横顔から、それが嘘泣きであることを察した。他の誰に分からなくとも、長年シャルカと暮らしてきたセトには分かる。
何か考えあってのことらしいと、セトは黙ってシャルカの動向を見守った。
シャルカはいじらしい仕草で涙を拭い、男どもの視線をたっぷり引きつけてから、彼らに向かい端然と手をついた。
「あなた方の神の御遣い様が、どんなに素晴らしく恐ろしいものかは存じませんが、到底兄に……人の子に敵うものではないでしょう。ここで倒れるのは本意ではありませんが、ぼくはいやしくも巡礼者、兄はその庇護者です。例え異郷の神であれ、その御遣い様の血肉となれるのなら、兄も本望でしょう」
華奢な身体を震わせ、涙に潤ませた瞳で切々と告げるその姿。幼いながら聖職者を志す者に相応しいその気構えに、長達は打たれたように言葉を失う。
「ですが、どうかお願いです。ぼく達の神は戦神・蒼穹神、そして兄は狩人であり誇り高き原野の戦士。原野の戦士が武器を携えずして死ぬなど不名誉なことです、蒼穹神を戴く戦士として許されるものではありません。
例え武器を手に祭壇に上がろうとも、兄も御遣い様の尊いお姿を目にすれば、喜んでその牙にかかりましょう。ですからどうか、せめて原野の戦士の名に恥じぬ最期をお与えください……!」
(そんな掟も決まりもないが。そもそもそんな気ないんだが)
滔々と紡がれるもっともらしい嘘と見事な役者ぶりに、セトはすっかり舌を巻いた。我が弟ながら恐ろしい。
(あれ、前にもどこかでこんなこと思わなかったか)
そんな他所事に気を取られたセトだったが、傍目に歪んでいるとはいえ信仰心厚い長は心動かされたようだ。セトを引き出し再び扉に錠をかけると、もうシャルカを振り返らずに言う。
「好きにするがいいさ、例えどう足掻いたところで御遣い様には抗えんのだからな」
「あぁ、寛大なお心に感謝します!」
感極まったように顔を上げた弟と、振り向いた兄の視線が鉄格子越しに交わった。よくやってくれたと言いたげに細まる兄の瞳に、弟は小さく頷き返す。その赤い唇には仄かな笑みが灯っていた。
徐々に太鼓の音が大きくなっていく中、手錠をされたままの兄は、男達に引っ立てられ牢を後にした。
階段を上がり、最後の一段を蹴った爪先が消えてしまうまで、シャルカは固唾を飲んでじっと見つめていた。見えなくなるや、すぐに明かり取りの下へ身を寄せる。小さな穴からでは何も窺うことはできないが、それでも今兄がいる外と繋がっているのだと思うと、シャルカはそこから動くことができなかった。
そんなシャルカに、隣の房からノンナがおずおずと声をかける。
「あの……良かったの? あなたのお兄さん、大丈夫なの? そんなに強いの? ……あたし、さっきはあんな風に言っちゃったけど、でも……」
言葉に詰るノンナを振り返るシャルカの顔は、晴れやかな笑顔だった。
「分かってます。ノンナさんはあに様を止めようと、わざとあぁやってキツく言ってくれたんでしょう? あに様にも伝わってますよ、きっと」
ノンナは思わず竹格子に寄り、言い募る。
「でも、いくらコン・ローに恩を感じてるからって、あたしの身代わりになるなんて……! あなたのお兄さん、仕損じたら死んじゃうのよ? そうしたらいずれあなただって……あなたは心配じゃないの? 恐くはないの?」
ローに良く似た大きな目いっぱいに溜まった涙を見、シャルカはぐっと拳を握った。
「心配いりません、あに様はローさんに負けないくらいの弓使いなんですよ! 何度も何度も戦場に行きましたけど、ちゃんと帰ってきてくれました。だから今回も、御遣いだか何だか知りませんけど、悪い獣なんてあっという間にパパッとやっつけて帰ってきますっ。はい、大丈夫っ!」
先程のしおらしさはどこへやら、握った拳をぶんぶん振って、英雄譚でも語るかのような口ぶりで話すシャルカに、ノンナは思いきり面食らったようだった。
けれど彼女はすぐに気付いた。その拳が、肩が、小刻みに震えていることに。
「……こんなに小さいのに、あたしを励まそうとしてくれてるのね」
「えっ? ち、違いますよ、あに様が強いのは本当です! 大丈夫ですから、絶対にっ!」
力強く断言しつつも、シャルカの顔色は先程よりも明らかに悪くなっていた。
ノンナは格子の間から手を差し入れると、シャルカの手をそっと握った。驚くシャルカへ小さく微笑みかける。
「なら一緒に祈って待ちましょ、お兄さんが無事戻るのを」
ノンナが笑った。
シャルカは嬉しくなって、
「はいっ」
と大きく頷いた。それから互いの手を握りしめ、目を閉じる。
「古木の巨神に」
「蒼穹神に」
兄達が杯を交わした時と同じ言葉を唇に乗せ、ふたりは静かに祈りを捧げた。
 




