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モノクローム・サガ~彩色の御子~  作者: 鮎川 渓
二章 獣神を崇める郷
30/51

しばしの別れ


 昨日の宵に現れた客は、何とも妙な一行だった。


 初老の宿の亭主は、西日が差す帳場でぼんやりと宿帳を繰っていた。頭にはてっぺんを窪ませた古帽子を乗せている。

 材木を積んだ荷車の主は、古森の民にしてはやや大柄な若者。彼そのものに不審な点はない。

 しかし足を引きずる彼に肩を貸していたのは、原野の民と思しき立派な体躯の青年。帯剣し弓を背負っていたことから、最初は雇われの傭兵かと思われたが、その割に軽装で、鎧の類など一切身に着けていなかった。そもそも原野の民の若者が、原の外にいること自体珍しい。

 そして何より謎めいているのが三人目だ。

 自分はおろか、部屋の支度をした妻の目にも触れることなく、いつの間にか入室していた。酒場を勧めたところ「子連れである」と断られたことから、どうやら子供ではあるらしい。商いの勉強のために連れて来た子供なら、酒場で商人達が行う情報交換の術も学ぶべく、率先して場に出しそうなものだが。


(いやはや、何とも妙な取り合わせの一行だ。問題など起こしてくれなければいいが)


 亭主の指が、宿帳に記された長い名をなぞった。


「よう、ちょっといいかい?」


 かけられた声に顔を上げれば、たった今その名をなぞった鳶色の髪の若者が、目の前に立っていた。ひとりである。亭主は慌てて帳簿を閉じる。


「夕べはよく休めましたか、足の具合はどうです?」

「あぁ、お陰さんでもうすっかり。ちょいと頼みがあンだよ」


 気さくに応じて、古森の民の若者は懐をまさぐった。


「おれぁ一足先にここを発つが、連れのふたりをもう三日ばかり逗留させてやって欲しいんだ」


 そう告げて、彼は台の上に銀貨を数枚置いた。ここムール平野の南部ではあまり流通していないが、北部では盛んにやり取りされている通貨だ。古森の民はそれなりに裕福らしく、皆金払いが良い。二人分の滞在費にしては多めの代金を前に、亭主は思わず揉み手する。


「そりゃあ勿論構いませんよ、構いませんが……そのぅ、お連れさんは一体どういった方で? いえね、わたしゃてっきり、お子さんはあなたの郷の商い見習いの子かと思ってましたのでね」


 黄ばんだ目で用心深く探りを入れる亭主に、若者は軽く手を振った。


「いやなに、『街道』で行き会った旅の兄弟さ。すっかり意気投合しちまって、ここまで連れ立って来たんだよ」

「旅? お連れさんは原野の方とお見受けしましたが」

「あぁ、弟の方が神官候補でな、聖地巡礼の旅に出たばかりなんだってよ。兄貴の方はその保護者兼護衛役」

「ははぁ、左様で」


 その説明に、亭主は何度も頷き顎を撫でた。

 ムール平野の民はそれぞれ仰ぐ神は違えど、その神々は同じ神話の中にある。

 例えば、原野の民の副神大地神(カーヴィラ)と、古森の民の主神である古木の巨神(マ・マダンネール)は、とても仲睦まじい姉妹だとされている。そういった具合に、神々は皆どこかで繋がっているのだ。

 言ってみれば、多神教の神々の中から、各々の生活と関わりの深い神を主神として祀っているようなもの。

 なので神官や神官を志す若者が、各神の聖地を巡ることはままある話だ。それでも、働き盛りの若者を送り出すことになるので、余程裕福な郷に限ったことではあるのだが。

 いかにも納得したように頷きながら、亭主は時折訪れる原野の老父達を思い浮かべていた。一二年前の嵐以降すっかり羽振りが悪くなっていたようなのに、巡礼者を出せるほど復興を遂げた島もあるのかと、少々勘ぐってしまう。


「巡礼の旅ねぇ……今時感心なことですな」


 しきりに顎を撫で擦り、亭主はつと目を細める。


「兄弟ふたりきりで、お若いのに実に感心。旅に出たばかりだと仰いましたか、なら故郷の島にはいつ頃戻られる予定なんでしょうなぁ」


 それに対し、若者は首を捻った。


「さぁ? 平野中を回るとなりゃ、二、三年かかったって不思議じゃねぇやな。何でそんなことを聞く?」

「あぁ、いえね。これでもわたしゃ信心深い方でしてね、死ぬまでにいつか聖地巡礼の旅に出てみたいと思ってるんですよ。なので参考までに」

「ふーん?」


 亭主は腕に巻いた数珠を繰る。それでも若者の訝しげな視線が離れず居心地の悪さを感じ始めたところへ、廊下の奥からふたつの足音が近付いてきた。

 やって来たふたりを見るなり、


「おぉ、これはこれは」


亭主は思わず唸る。

 神官候補だという小柄な弟は、目に眩しいほどの純白の長法衣(ローブ)を纏っていた。フードの奥に慎ましく隠されたその顔は窺えないものの、背筋の伸びた立ち姿は神職を志す者に相応しい品格を醸している。胸には巡礼者の証である渡り鳥の装飾(チャーム)が煌いていた。

 そして、その後ろに控えるように佇む兄。見上げるほどの屈強な身体に、頑丈さが売りの鹿革の長靴(ブーツ)と手甲、強化革の胸当てをつけており、腰に佩いた大剣と相まって一角の戦士然としている。

 巡礼者の弟と、その庇護者である兄。

 その立場を正しく体現したふたりの出で立ちに、亭主の猜疑心はたちまち掻き消えた。

 巡礼者の弟へ身体ごと向き直り、熱心に数珠を繰る。


「聞きましたよ、聖地巡礼の途中だそうですね。巡礼者は手厚くもてなすのが郷の慣わしです、おふたりともどうぞ何日でもゆっくりとお過ごしください」


 告げると、何やら兄弟は顔を見合わせていたが、代わりに古森の民の若者が、


「すまねぇな」


と人好きのする笑みを浮かべた。


「まぁ、そんなワケだからよ。もしふたりが予定より早く発つようなら、浮いた分で何か美味いモンでも食わしてやってくれ」

「えっ? まさかローさん、先の宿代まで……?」

「流石にそれはだめだ、ロー」


 行きずりの連れ合いにありがちな、支払い時の揉め事と静観していた亭主だったが、三人が出て行こうとすると慌てて呼び止めた。


「明日の夜はこの郷の祭りでしてね。他のお客さん方には日暮れまでに発ってもらうようお願いするんですが、おふたりはお気になさらず、そのまま留まってくださって構いませんからね。わたしから郷の者達には言っておきますので」


 その言葉にそれぞれ頷くと、出立する若者を見送るためか、兄弟は若者と共に外へ出て行く。

 亭主も帽子を脱ぎ、帳場から三人の背を見送った。




「巧くいったな!」


 宿の横手に回りこむと、ローはにやにやと笑ってセトの脇腹を小突いた。夕べとは比較にならぬほど柔和になった亭主の態度に、すっかり驚かされていたセトは、驚嘆混じりに頷いた。


「まさかあんなにすんなり信じるとはな」


 ローが亭主に説明した兄弟の事柄は、当然彼によるでっちあげである。

 彼は、傍目には不可思議な組み合わせの兄弟が、周りの人々に怪しまれることなく、それでいてシャルカが目や髪を隠していても不自然でないようにするにはと知恵を絞った。そうして、巡礼者とその庇護者を装うよう、ふたりに提案したのである。


 朝、小道から戻ったローは、まず兄弟を納得させ、収獲を手に衣類の調達に走った。

 シャルカを巡礼者らしく仕立てるのはそう難しいことではなかった。巡礼者は白の長法衣と相場が決まっているし、シャルカ自身に否も応もなかったからだ。

 一方、セトを庇護者らしく仕立てるのには随分苦労した。何せこの長身である。その身の丈にあった服を探すだけでも一苦労なのに、その上胸当てや手甲をつけることを良しとせず、ごねにごねたのだ。

 ローには理解しがたいことだが、原野の戦士というものは、身を守る鎧の類や盾を一切着けず、己が身ひとつで戦いに挑むのが誇りなのだと。

 けれど周囲に一目で庇護者と知らしめるには、一般的な戦士や傭兵――得物を携え、鎧の類を身につけた――の格好に倣うのが一番だ。そう言い聞かせ無理矢理着せてみれば、やれ動きづらいの窮屈だのと、隙あらば外そうとする。怪しまれないためだ、我慢しろと、ローがいくら説き伏せても聞きやしない。

 それがシャルカの、


「あに様、とっても似合います」


の一言でたちまち大人しくなったのを見た時には、頭の血管が切れかけた。

 そんな苦労をさせられたローだから、セトの背を渾身の力でもって張り飛ばす。


「だっから言ったじゃねぇか、人目を気にしろって! ちゃんとしといて良かったろ、なぁ?」


 けれどセトは痛がる素振りもなく、


「まったくだな」


もっともらしく同意する。自分が駄々こねていたことなど綺麗さっぱり忘れてしまっているようだ。ローは握った拳をわなわなと震わせたが、


「聞きました? お祭りですって!」


シャルカの無邪気な声で気を取り直した。


「いや、多分シャルカが楽しめるようなモンじゃねぇぞ? 祭りの間、異教徒である他所の民を出入り禁止にすんのはよくある話だ。他の商人達を追い出すってことは、ここもそうなんだろ。滞在を許されただけマシってモンで、きっと祭りの間は部屋に篭ってるよう言われんだろうな」

「あ、そうですよね……」


 しゅんと落としたその肩を、男どもの手が交互に叩いた。

 ローは荷車の荷を括り直すと、颯爽と御者台に飛び乗る。


「何から何まで世話になってすまない、本当に助かった」


 揃って一礼する兄弟に、ローはぱたぱたと手を振る。


「止せやぃ改まって。こっちゃお陰で命拾いしたんだ、それに比べりゃ何てことねぇよ」

「だが、」

「それでも恩に着てくれるってンなら、その内クラライシュ郷を訪ねて来てくれ。良いトコだぞ~? オマエの弓ももっと詳しく見てみてぇしな。シャルカ、文の出し方は覚えたか?」

「はい、大丈夫です」


 それぞれに頷く兄弟を見、最後にセトへ目配せすると、ローは馬の首を巡らせた。


「じゃあ達者でな、いつかきっと訪ねて来いよ!」

「あぁ、落ち着いたら必ず。気をつけてな」

「ローさんもそれまでお元気で」


 兄弟は郷の入り口まで出ると、荷車が小道の先に消えてしまうまで見送った。

 姿が見えなくなっても、鈴の音が細く長く聞こえてくる。陽は西の空に傾き、森の中は早くも夕暮れの気配を忍ばせ始めていた。

 とうとう鈴の音が聞こえなくなってしまうと、シャルカはほうっと息をつく。


「ローさん、とっても良い方でしたね」

「少し喧しいけどな」

「またそんなこと言って」


 素直じゃないなぁとクスクス笑い、シャルカは踵を返す。背後の広場では、まだ商人達が茣蓙を広げている。


「あに様、少し見に行っても構いませんか?」

「そうか、シャルカは出歩けていなかったもんな」

「はい、でももうこの服があるからへっちゃらですっ」


 そう言ってシャルカはその場でくるりと回って見せる。別れの寂しさを紛らわすため、わざと明るく振舞っているようだった。


(本当は、長法衣(ローブ)なしでも歩けるのが一番良いんだが)


 セトは内心複雑に思いつつ、連れ立って広場へ向かおうとした時だ。

 不意に視線を感じ、彼は周囲を見回した。

 敵意と言うほどではないが、こちらの様子を探るような視線。恐らく獣のものではない。


「どうしました、あに様?」

「いや……」


 けれどその視線は、セトに気付かれたと知るやすぐに途絶えてしまった。

 それでも元を辿ろうとぐるりを見渡していると、セトは景色の中にかすかな違和感を覚えた。


(何か妙だな)


 ローと離れ、改めて眺める雲糸郷。

 少しずつ夕時の活気を増す広場、飛び交う商人の声。間を行く郷の民はどことなく陰気な印象を受けるが、皆丸帽子を深く被り、顔に影を落としているせいだろう。

 広場の周りには機織場と思しき間口の広い建物が並び、規則正しい機音が聞こえてくる。その奥に軒を連ねているのは民家だ。いずれも木製の四角い建物で、原野育ちのセトの目には珍しく映ったが、決して妙というわけではない。

 では何が彼に違和感を生じさせるのか。

 宿の傍にある郷唯一の馬小屋、そこには郷の共有資産であろう蹄の馬が四頭ばかり繋がれている。岩盤の大地では馬は一財産であるということを考えれば、とりたて不思議なことでもあるまい。

 広場の中心には鳥や熊を象った彫像が鎮座しているが、この郷の民は森の獣を神の遣いと崇めているというから、これもおかしなものではない。


(……なら一体、)


 得体の知れぬ気持ち悪さがもぞもぞと後ろ首を這う。

 けれど、不安気に見上げてくる紫紺の瞳に気付くと、セトは無理矢理それを振り切った。


「何でもない。行こうか」

「はい」


 シャルカの白い指が、兄の裾をぎゅっと握った。



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