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モノクローム・サガ~彩色の御子~  作者: 鮎川 渓
二章 獣神を崇める郷
29/51

気にすべきことは


 払暁。

 男どもはまだ陽が登りきらぬ内に一度宿を抜け出し、昨日来た小道を取って返した。ローが射止めた狼を回収するためである。

 留守番のシャルカには、念のため部屋でも外套を羽織っているように言い、ローの短剣を持たせておいた。

 夕べここを通ったのは自分達が最後だったようで、砂利敷きの小道の上に二体、茂みの中に一体、狼の骸が転がったままになっていた。他に射たものは致命傷には至らなかったようだ。

 強張った狼達の骸を荷台に乗せつつ、セトは素朴な疑問を投げかける。


「言ってみれば、この狼達は地の物だろう? 雲糸郷で売れるものなのか?」


 ローはすっかり自由が利くようになった足で、赤黒い血の染みた石を散らした。


「売れる。機織の民はな、森の獣を神の遣いとして崇めてんだよ。だから自ら狩りをすることはねぇんだ、余所者が狩ったのを買うことはあってもな。狼の肉なんざ固くて食えたモンじゃねぇが、毛皮は結構需要あンだぞ」


 狩らねども毛皮は買うのか。妙な教義だなとセトは思ったが、あえて口にはしなかった。

 三体とも回収したところで、まだどこからか漂ってくる生臭さを感じ、セトは潅木を分けて森に踏み入った。が、すぐにその歩みが止まる。


「ロー、」


 呼ばわると、すぐ後ろに着いて来ていたローも首を突き出し、眼前に広がる惨状に小さく舌打ちした。


「あぁ、一体は食われっちまったか」


 下生えを汚すどす黒い血。その上に、狼だったものが転がっている。

 四肢は無残にもぎ取られ、裂かれた腹から食い散らかされた臓物の残骸がのぞいていた。一体どれだけの力で引き裂かれたのか、周囲の木の高い位置にまで血が飛び散っている。

 獣の死骸など見慣れているセトでさえ眉を顰めるような眺めだが、森の狩人であるローは至って冷静だった。傍らの木の幹に刻まれた太く長い爪痕を見、


「熊だな。もう一頭くれぇ仕留められたと思ったんだが、きっと持って行かれちまったんだろ」

「熊?」


そう分析したローの言葉に、セトは少なからず驚く。

 セトは生きた熊は見たことがないが――狼も夕べが初見だったのだが――加工された頭付きの毛皮なら見たことがある。あんなに大きな獣が、『街道』から少し逸れただけの、こんな森の浅い場所に棲んでいることが意外だった。

 けれどもローはもっともらしく頷き、馬に下げた鈴を鳴らす。


「この獣除けの鈴はよぅ、狼みてぇな小せぇ獣用じゃねぇんだ。熊や大猪なんかの、もっとデカくて、人を避けるだけの賢さを持った獣用なんだよ」

「役に立ってないわけじゃなかったのか」

「おう、森の住民の知恵舐めンなよ? 飾りじゃねぇっつーの」


 感心するセトへ自慢気に眉を跳ね上げると、ローは当たり前のように荷台へ乗り込んだ。なのでセトはまた御者台に座る。

 手綱を取って馬を進ませると、ほどなくして森の中に女達の姿を見つけた。焦茶色の髪に黄土色の肌、ぽっこり丸い帽子を被り、腰には鈴を下げている。雲糸郷の女達だ。

 女達は木の幹にはしごをかけて登り、手にした小枝を宙に差し向けくるくると回しだす。実に奇妙な光景だった。


「あれは一体何してるんだ?」

「ん? あぁ、女達の持つ小枝の先によーっく目ぇ凝らしてみな、オマエの目なら見えるだろ」


 セトは一旦馬を止め、言われた通り観察してみた。

 何もないと思っていたが、よくよく目を細めて見れば、女達が回す枝の先で何かが煌いている。

 その正体は梢の間に張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣。朝露を纏ったそれを小枝の先で器用に絡め取っていく。まるで綿菓子のように。巣を追われた大きな蜘蛛が、慌てて樹上に逃げ出す様まで見て取れた。


「……あれは一体何してるんだ?」


 改めてセトが問うと、ローは笑いを噛み殺し答える。


「雲糸採ってんのさ」

「は?」

「雲糸。その名の通り雲糸郷の特産品」

「はぁ」

「雲糸の原料はな、あのデケェ蜘蛛の吐く糸なんだよ。雲糸は蜘蛛の糸っつーワケ」

「駄洒落かよ」


 たった今森の住民の知恵に感心したばかりだったのにと、セトは思わずこめかみを押さえた。ローは堪えきれず吹き出し、ケタケタと笑い転げる。


「蜘蛛の糸ってネバついてんだろ? でも雲糸郷に伝わる門外不出の秘薬を使えばアラ不思議、ほぐれてやらこい糸に早変わりってワケなのさ。それこそ雲みてぇにふわっふわな白糸になー」

「……絹が虫の吐く糸だとは聞いていたが、雲糸もだったんだな……」


 なので、虫が苦手なシャルカは絹製品を身に着けない。けれど今シャルカが巻いている帯は雲糸で織られたものだ。


(シャルカには黙っておこう)


 知られる前に新しい服を買ってやろう。

 セトはそう決め込むと、革製の手綱を捌いた。

 口を閉ざしたセトに代わって、荷台のローがまず兄弟が揃えるべきものを挙げていく。


「旅に必要な道具は色々あっけど、やっぱまずは身なりだよなー。頑丈な長靴(ブーツ)外套(マント)……シャルカにゃフード付きの上着か長法衣(ローブ)もあったほうがいいだろ。っつーかふたりとも服も一式新調した方がいいな。ちょいとおれに考えがあンだけど、」

「服? 俺もか?」


 不思議そうに尋ねたセトを、ローの方こそ不思議そうに見やる。


「オマエ全然気になんねぇの? 少しは気にしねぇ? 少しはしようか? いやするべきだ」

「何だ」

「それ、それ」


 ローは身を乗り出し、セトの服に散る飛沫汚れを指した。


「何だ泥か」


 何の気なしに応じた連れを、ローは大きな目をますます開き見据える。


「泥だけじゃねぇだろ。この明るさの中で見りゃ、狩りしねぇヤツにだって血汚れだと分かる。おれらみてぇな狩人にゃ、匂いで獣の血じゃねぇこともな」

「…………」


 急に真剣みを帯びたローに、知らずセトの喉が鳴った。ローに出会う前、戦場ではない場所で幾人も斬り伏せてきたことを見透かされたような気がして。

 けれどそんなセトに対し、ローはすぐにまた元の人懐こい笑みを浮かべた。


「いや、おれぁオマエが根はイイヤツだって信じてるぜ? シャルカを連れ出す時に色々あったんだろ? でも周りはそうじゃあねぇからよ。まして義弟とはいえ肌の色が違う子供連れてんだ、怪しまれっちまうような要素はなるたけ除いた方がいい、慎重過ぎるくれぇにな」

「……そうだな」


 頷き、セトはいつの間にか肩に篭っていた力を抜く。そんな己が自分でも不思議だった。

 水源の民にしても山岳の民にしても、その命を奪うに値するだけの大義がセトにはあった。後悔や罪の意識など微塵もない。けれどそれはあくまで、セトが今まで培ってきた価値観や、原野の教義に翳し見た大義である。

 いつの間にか、人を屠ったという事実を、戦を知らぬローに知られてはいけないような、後ろめたいような、そんな気にさせられていたのだ。

 どうやら自覚している以上に、この古森の民の若者を気に入ってしまっているらしい。

 そんな自身に苦笑するセトには気付かず、ローは仰向けに転がるとまた歌うように品々を挙げていく。


「あとはまぁ、馬は欲しいよなぁ。でもむちゃくちゃ高ぇからそれはおいおい。地図は一先ずおれが描いてやるとして……携行食に水、丈夫な鞄に火起こし、ナイフも要るよな。イチから旅道具揃えようとすっと中々物入りだなぁ」


 すると、指折り数えていた彼のそばで、突然風切り音が響いた。ローは慌てて身を起こす。見れば、いつ構えたものか、セトの手に弓が握られていた。その視線の先を追うと、雪白鳥が真っ白な羽根を舞い散らせながら落ちてくる。


「…………セトよぅ」


 呆れ顔でローは言う。


「あのな、狩る時は先に一言言ってくんねぇ?」

「いや、確かに物入りだなと思って」


 答えるセトはいたって真顔である。

 溜め息を零し、ローはするりと荷台から飛び降りた。


「適応力があるのは分かった、それは良いこった。だがよ、おれが言いたかったのは『身なりを気にしろ』ってことじゃなくて、『人目を気にしろ』ってことだったんだぜ? お分かり?」


 振り返り振り返り叱り飛ばすと、物知らずな原野の若者は、


「あぁ」


今更納得したように頷く。

 それでもその顔は相変わらず真面目一辺倒。ローはがしがしと頭を掻いた。


「何だかなぁ……オマエってヤツぁよぅ。一緒にいると頭が痛ぇが、何でか憎めねぇんだよなぁ」

「それはどう受け取ればいい?」

「何とでも好きに取れよ」


 ローは捨て鉢気味に言い捨てて、雪白鳥をむんずと抱え荷台に戻った。




「え? ローさん、今日の午後出立されるんですか?」


 部屋で朝食をとりながら、シャルカは寂しそうにローを見上げた。そんなシャルカの頭を撫で回し、ローは白い歯を見せ苦笑する。


「そうなんだよー。オマエの兄貴色々抜けてンし、もっとあれこれ面倒見てやりてぇんだけどな? 生憎、積荷を明日までに三つ先の郷まで届けなきゃならねぇんだ」


 荷の話は本当だった。

 ローは賊を誘き出すため適当な荷を積んで来たのではなく、実際に機織の民の郷から依頼を受け、既に整えられていた荷車を掻っ攫って来ていた。もっともらしい偽の荷を用意する余裕などなかったのだ。


「ここ雲糸郷は衣類の生産地だ、旅の衣を調えるにゃうってつけ。隣にゃ革の加工が得意な郷もある。オマエの兄貴は狩りの腕()()()いいからな、三日も滞在すりゃ旅に必要な物はあらかた揃えられるはずだ。だから兄貴と相談して、ここで別れることにしたんだよ」


 ローはセトと示し合わせ、妹の件をシャルカに告げずにおいた。

 故郷を離れたばかりで不安だろうシャルカに、これ以上心配事を負わせたくないというのがローの意向だった。

 一足先に食事を済ませたローは、皿を寄せ、取り出した紙にムール平野の地図を描き起こしていく。その手許を覗き込みながら、


「そうですか……寂しいです。でも、お仕事ですもんね。……だけど、何だか不思議です。その郷も森の中にあるんでしょう? 森の中の郷へ木材を卸すなんて」


小首を傾げるシャルカに、ローは感激しきった様子で顔を上げる。


「シャルカ……いいトコに気がつくなぁ、エラいエラい! おれぁオマエにこそ色々話してやりゃあ良かったとつくづく思うぜ」

「は、はぁ? ……あ、いえ、ぼくももっとたくさんお話を聞いてみたかったです」


 察しの悪い兄とのやりとりですっかり疲弊していたローは、堪らず金の髪を撫で回した。


「ここらの木は折れやすくて建材にゃ不向きなんだ、間違っても登ろうなんて思うなよー? コレ描き終えたら動きやすい服買ってきてやっからなー」

「そんな、そこまで甘えられません」

「甘えとけ甘えとけ! なぁに心配すんなぃ、さっきオマエの兄貴が射止めた鳥もあるし。……この兄貴と一緒じゃ苦労すンだろうけど、強く生きるんだぞーシャルカー!」

「え、と?」


 困惑顔のシャルカは傍らの兄を仰ぎ見たが、兄は小さく咳払いしただけだった。




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