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モノクローム・サガ~彩色の御子~  作者: 鮎川 渓
二章 獣神を崇める郷
27/51

森の狩人と原野の狩人


 群の頭目が倒れると、怯んだ狼達は我先に逃げ出した。

 肌を刺していた殺気は失せ、森には再び静寂が満ちる。

 けれどセトは張り詰めた気を解かぬまま、なおも馬達を急かし続けた。否、正確に言えば解かぬと言うより、解くことができずにいたのだ。


 今この場を包む静寂は、セトが知る静寂とは根底から異なる。

 夜の原野ではあらゆる生き物が息を潜め、風のない夜などは夜空から星降る音が聞こえるような、ひとりであれば独りであることを突きつけられるような、粛然とした静けさであった。

 けれど闇深い森の静けさの底には、常に木々のざわめきや虫の声、鳥や小動物の息遣いが流れ続け、他の存在を否応なしに突きつけられる。いずれもひとつひとつは微細だが、膨大な数のそれらが混ざり、合わさり、重なって、絶えず鼓膜を震わせるのだ。

 その存在を確かに感じているのに、目や耳で捉えられぬ有象無象のものどものただ中にあるということは、セトの神経を大いに逆撫でた。

 原野の狩人として研ぎ澄ませてきた五感には、少々喧しすぎたのだ。

 そうと察してか、ローはセトの背を軽く叩いた。触れられた瞬間、知らずセトの肩が跳ねる。


「もう速度を落として平気だぜ?」

「……あぁ」


 首肯しつつも依然厳しい顔つきのセトへ、ローは珍しくのんびりとした口調で言う。


「どうしたセトよぅ、森の気に呑まれっちまったか?」

「森の気?」

「森ってところは色んなモンの気配に溢れてっからな。でもこれが森ってモンだ、原野育ちにゃ煩わしいかもしんねぇけどな。大事なのは気配のひとつひとつを追うことじゃあない、それに敵意があるかどうか見定めるこった」


 森の狩人であるローの助言に、セトは改めて周囲の森へ意識を巡らせてみる。

 そこここに蠢く無数の気配。時折茂みの奥で輝く小動物達の眼。

 けれど、それらには狼達から感じたような敵意は微塵もない。むしろ人間の存在に慄きこちらを窺っている。纏わりつく視線の意味はそれだけだ。

 充分に辺りを探ってからそう結論づけると、強張っていた肩からようやく力が抜ける。ローに礼を言おうと振り向くと、いつの間にかシャルカが彼の腰にぴたりとくっついていた。まだ警戒を解くことができず、不安げに周囲の闇へ目を凝らしている。

 セトは弟を気遣う余裕すらなくしていた己を恥じ、大丈夫だと言う代わりにそっと頭に手を置いた。目が合うと、ようやくその顔に安堵の色が広がった。

 その様子を見ていたローはしみじみと頷く。


「やっぱ兄弟っていいモンだなぁ」


 その声は、心なしか寂しげな響きを含んでいた。


「すまないロー、助かった。ローにも兄弟がいるのか?」


 セトに尋ねられ、ローは指折り数えて言う。


「おう、六人兄弟だ。上からおれ、妹、妹、弟、弟、妹」

「六人も! お家の中はとっても賑やかなんでしょうね」


 シャルカが言うと、ローはにんまり笑った。


「そりゃあもう! 家ン中には爺さん婆さん、両親、おれら兄弟におれの嫁子供もいるから、全部で一四人だな」

「大家族ですねぇ」

「だっからよぉ、上の妹どもにはさっさと嫁いで出てってもらいてぇんだが、どっちも跳ねッ返りでちっとも引き取り手が現れねぇんだ」


 不満気に言ってはいるが、いざ妹達が嫁ぐとなれば号泣するに違いない。自分達の境遇に大泣きして見せたローを思い出し、兄弟はこっそり笑い合った。

 ややあって、行く手に再び分岐が現れた。一方は右手に折れ、更に森の奥へ続く道。正面の道には奥まった場所に門らしきものが見える。


「ロー、真っ直ぐでいいのか?」

「お、もう着くか」


 ローは身を乗り出すと、二本の道を交互に指差す。


「真っ直ぐ行けば、これからおれらが行く機織(はたおり)の民の雲糸郷(くもいとごう)。右に行けば、この森のあちこちにある機織の民の郷を経由して、エレウス山の麓でまた『街道』に合流する」


 シャルカは宙を見上げ、ムール平野の地図を思い浮かべようと頑張っている風だったが、やがて諦めたように肩を落とした。


「地図が欲しいですね、あに様」


 でなければ、この先兄弟は動こうにも動けない。

 ローは自らの胸を拳で叩いて見せる。


「おいおい水臭ぇなぁ、このローにまっかせなさい! この辺の地理は大体把握してる、明日明るくなったらちゃちゃっと地図描いてやんよ」

「本当ですか? 助かります! ……あ、でもぼく達、紙も何も持ってなくて」

「だぁいじょぶだって、心配すんなぃ」


 頼もしく請け負って、シャルカの髪をくしゃくしゃと撫で回した。けれどすぐにその顔が曇る。ローは何とも申し訳なさそうに俯き、シャルカを上目遣いに見やった。


「あー……その、シャルカ。そこの籠におれの外套(マント)が入ってる。あちぃだろうが、宿の部屋に入るまでの間、ソレを羽織っててもらった方が良いと思うんだ」


 それが意味するところを察し、セトはかすかに眉を寄せた。シャルカは急いで指示に従い、外套に身を包む。

 シャルカには大きすぎるローの外套は、指先も膝も、白い肌をすっぽりと覆い隠した。フードを目深に被り、


「これでいいですか? 髪、見えちゃいます?」


小首を傾げて見せる。ローはその手馴れた所作にぐっと言葉を詰まらせた。


「……悪ぃなぁ、ホンットに。機織の民ってのはよ、おれら古森の民と違って保守的っつーか、頭が固ぇっつーか、何つーか……ともかく、シャルカが嫌な思いするといけねぇからよぅ。申し訳ねぇ、我慢してくれな?」


 すまなさそうに項垂れたローへ、シャルカはにっこり微笑みかける。


「どうしてローさんが謝るんです? 気にかけてくださって本当に嬉しいです。今までこんな風に気遣ってくれたの、あに様と……いえ、家族くらいなものでしたから」


 ローはもう堪らないといった様子で、シャルカを力の限り抱きすくめた。


「ああぁもうっ、何て不憫なヤツなんだ! 旅なんて止めちまえっ、おれの義弟になっちまえっ! クラライシュ郷は良いトコだぞっ、誰もオマエを苛めたりしねぇぞ!」

「……! ……~~ッ!」


 無理矢理胸に顔を埋めさせられ、息ができずにもがくシャルカ。けれどローはお構いなしに頬擦りしまくる。


「もう着くぞ」


 そこへセトの低い声が降ってきた。

 我に返ったローは腕を解くと、すぐ眼前に迫った門の上部を指し示す。


「セトよぅ、門にでっかい鈴が下がってるだろ? そこから垂れてる紐、アレ引いてくれ」


 近付いてみると、門は二本の柱の間に横木を渡しただけの実に簡素なものだった。門というより郷の境界を示すための印であるようだ。その横木には子供の頭ほどもある錆びた鈴が下がっている。

 セトは馬を止めぬまま御者台の上に立ち上がると、手を伸ばし直接鈴に触れた。鈴は錆まみれの見てくれに合わぬ涼やかな音を奏で、郷中に来訪者のおとないを告げる。

 再び腰を下ろしたセトを、ローはジト目で見やった。


「そこ右な。……ナンですかセトさんよぅ、『どうだ俺は背が高いだろ』アッピールですかぃ?」

「気のせいだ。……それにしても今の鈴、この馬達がつけている鈴と音が似てるな」

「どっちも獣除けの鈴だからな。……で、ナンですかセトさんよぅ、チビっこいおれへの当てつけですかぃ?」

「気のせいだ。……と言うか、まったく獣除けられてないわけだが」

「セトさんよぅ」

「気のせいだ」


 また小競り合いを始めてしまったふたりに、シャルカはもう口を挟まなかった。

 少々面倒になったのも事実。

 けれどそれよりも、シャルカは兄のこういう態度を珍しく思っていた。

 島にいた時、兄が軽口を叩いたり愚痴を零したりするのは、家族を除けば無二の親友であるアダンの前だけだった。

 シャルカが四つか五つの頃にはすでに狩りに出ていたし、じきに一隊を任されたため、人目のあるところでは常に『隊長』の顔をしていた。若くしてその背に負うた責任からか、例え酒の席であっても年相応にはしゃぐことも羽目を外すこともせず、若者達の模範たるべく己を律していたのだろう。

 けれど、今の兄は。

 改めて思うと、岩盤の大地に下りてからこっち、シャルカは兄の様々な顔を見た。

 ケーグの実の名を聞き思い切りしかめた顔。その実の酸っぱさに目一杯歪めた顔。子攫いの疑惑をかけられ焦った顔、不服そうな顔、苛立った顔。島でのことを思うと、この短時間で目にしたとは思えないほどの表情の数々。

 島を出、隊長という肩書きを下ろしたことで、兄もやっと本来の自分が出せるようになったのかもしれない。

 そう思うと、この子供っぽい小競り合いを止める気にはなれなかったのだ。

 ふと行く手を見やると、脇に荷車や馬を繋いだ建物から、人が出てくるところだった。恐らくあれがこの郷の隊商宿で、鈴の音を聞いた宿の者が出迎えに来たのだろう。シャルカはフードを深く被りなおすと、目立たぬよう荷台の隅に身を寄せた。


 セトの肩を借り宿へ入ったローは、大部屋ではなく個室を求めた。三人ということもあり、一番広い個室を借り受けると、宿の者が奥へ引っ込むのを見計らいシャルカを部屋へ通す。

 食事は宿に併設された酒場でとるよう勧められたが、子連れだからと断って、適当なものを買い込み部屋へ持ち込んだ。

 兄弟は無一文なので、当然全てローの奢りである。


「ささっ、遠慮なく食ってくれぃ!」


 ようやく椅子に座れるまでに回復したローと兄弟とで円卓を囲む。

 卓の上には、子供を含めた三人分には多すぎるほどの料理と、火酒の小樽が並んだ。


「すまない、何から何まで世話になって」

「何言ってんだぃ、セトはおれの命の恩人だぞ? 恩には恩を三倍返し! それが古木の巨神(マ・マダンネール)の教えだ」


 そんな具体的な数字を入れた教えがあるかと、セトは内心首を捻ったが、言ったところで返せるあてがあるでなし、素直に甘えることにする。

 ローはまず、シャルカの杯に蜂蜜漬けの果実をひとつ落とし、水差しの水を注いだ。乳白色の果実から蜜が溶け出し、得も言われぬ芳香が広がった。初めて見る飲み方にシャルカは目を輝かせる。


「飲んでみな、子供は絶対好きな味だ」


 勧められ、年長者のふたりより先に口をつけるわけにはとシャルカが遠慮していると、


「子供が大人に気を遣うモンじゃない」


男どもは異口同音に発した。

 さっきまで子供じみた諍いをしていた大人達(ふたり)がである。

 シャルカはおずおずとそれを口に含んでみた。途端、異郷の果実の華やかな酸味と、蜂蜜の濃厚な甘みが合わさって、舌から喉をとろり転がった。あまりの美味しさに言葉を失ったシャルカだったが、この上なく幸せそうなその顔に、男どもは目を細めた。

 それからセトがローの杯を火酒で満たすと、ローも同じように酌を返す。琥珀色の水面が灯火の明かりに煌いた。


古木の巨神(マ・マダンネール)に」


 ローが杯を掲げる。


蒼穹神(カーヴィル)に」


 それぞれが信ずる神の名を唱え、杯をかち合わすと、ふたりは慣習に則り一息に飲み干した。どうやらこの慣習は共通らしい。干した杯を同時に卓に置くと、またどちらからともなく小樽の酒を注ぎあった。





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