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モノクローム・サガ~彩色の御子~  作者: 鮎川 渓
二章 獣神を崇める郷
25/51

街道で出会ったのは


 なんて歩き辛いのだろう。


 北にあるという『街道』を目指し、兄弟が歩き始めてから一刻ほども過ぎた頃。

 草の原に抱いた感動は、早くも薄れてきてしまった。

 無理もない。草の種類は様々あれど、それらは皆一様に朽葉色で変化に乏しく、目を細めて眺むれば、一面褐色の泥の原野とさして変わりはなく映るのだ。

 興奮が醒めてくると、疲弊したふたりの身体が真っ先に訴えたのはそれだった。

 歩き辛い。

 芝の下には小石がてんでに転がっていて、尖ったものもあればつるりと丸い物もある。かと思うと先程の雨でぬかるんだ赤土が顔を出し、ねとりと足裏に絡みつく。

 生まれてこのかたずっと柔らかな葦の浮島で暮らしてきた兄弟は、大地を歩くという至極当たり前のことに慣れていなかったのだ。

 その上、原野の民の履物は葦の上で過ごすことを前提に作られており、靴底は柔らかな革を宛てがってあるのみ。小石の角で容易く擦り切れ、少しも足を保護してくれない。

 体力のあるセトは無理にでも歩を進めることもできるが、そうでないシャルカの歩みは徐々に遅くなっていった。

 そんなシャルカに足並みを合わせつつ、


「大丈夫かシャルカ。少し休むか?」


セトが気遣うと、額に汗を浮かべたシャルカは頭を振る。


「大丈夫です。ほら、もうすぐ日が暮れてしまいます。岩盤の大地ではあちこちで野盗が出ると聞きますし、早く『街道』へ出てしまった方が安心でしょう?」

「それはそうだが……」


 兄はふと弟の足許に目をやった。革鞋(サンダル)履きのシャルカの爪は割れ、見るも痛々しいほど赤く腫れあがってしまっている。


「待て待て、止まれっ」


 すぐさま屈みこみ、肌に食い込む紐を緩めてくれる兄を見、シャルカは口篭る。


「……このくらい平気です」

「平気なことあるか、どうして早く言わなかった?」

「大丈夫ですったらっ」

「何意地張ってるんだ、今日明日で終える旅でもあるまいし」

「…………」


 答えず、シャルカは唇を噛んだ。

 慣れない土地で感じる不自由さの何もかもは、兄とて同じく抱えていること。ならば島に居た時のように頼りきりではいけない、せめて絶対に弱音は吐くまいと心に決めていたシャルカだったが、あっさり看破されてしまった。

 そんな自分を情けなく思い黙りこくっていると、兄はおもむろに草の上にごろりと横たわった。


「え、あに様? どうし……」

「疲れた。俺が。少し休憩」


 もはや驚愕に値するほど下手な兄の嘘に、シャルカは声をあげそうになるのを寸でで堪えた。けれど不器用な兄なりの優しさなのだと胸がほっこり温かくなる。

 実際、山岳の男達を向こうにまわし孤軍奮闘したあとなのだから、疲れてはいるのだろうが。


(まったく、こういうあに様だもの。余計に甘えてばかりじゃダメだ。あぁ、せめて少しでも水があったら。戦い通しで喉渇いてるはずだもの……)


 シャルカはその場で腰を下ろし、手早く足を揉み解しつつ行く先に目を凝らした。

 この先はゆるやかな上り坂、その斜面のところどころに潅木が生い茂っている。頂上付近に生えた潅木の枝に艶々と光る黒い実を見出すと、ぱっと顔を輝かせた。


「あに様、あそこ! ほらあれ、あの木に生ってるのケーグの実ですよ!」


 その名に、兄の眉間に皺が寄る。


「そんな顔しないでください、好き嫌い言ってる場合じゃないでしょう? お腹に入れられる物は入れておかないとっ。いつどこの郷に着けるか分かったもんじゃないんですから」

「……その内、鳥が通りかかったら射落としてやるから」

「何言ってんです。狩りをしたってぼくら、火打石ひとつ持ってないんですよ? 食べられないじゃないですか」

「む」

「さぁさぁ立って、行きますよっ。休憩はあそこへ着いてからにしましょう」

「む」


 シャルカは半ば強引に兄を引き起こし、その背を押して歩き出した。

 そんな弟に、セトの方は内心首を捻っていた。


(シャルカはこんなに押しが強かったろうか)


 勝手の分からぬ岩盤の大地に放り出されて、自立心やら主体性やらが早くも芽生え始めたのだろうか。もしくは、悪意に満ちた視線に曝され萎縮していなければ、本来こういう気質だったのかもしれない。

 何にせよ、常に気を張り詰めていた島での表情より、今の方が余程活き活きして見える。

 弟の変化に密かに口許を綻ばすと、セトは嫌がるシャルカを無理矢理背負い、傾斜をものともせず駆け出した。



 灰白色の葉の間に間に、赤子の拳ほどの黒々とした実が幾つも生っている。もぎ取り、張りつめた皮に爪を立てればつぷりと弾け、透明な汁が滴った。ケーグの実は水分をたっぷり含んでおり、喉を潤すには最適な果実だ。

 瑞々しい半透明の実を剥き出すと、シャルカは仏頂面のセトへ差し出した。


「どうぞ、あに様」

「…………」

「喉、渇いたでしょう?」

「……いや、俺本当にケーグの実は、」


 この期に及んでまだ御託を並べようとするその口へ、シャルカはぐいっと実を押し込んだ。途端、男らしい顔が力一杯歪む。


()っ……!」

「酸味があって美味しいですね」


 自分の分を剥き終えたシャルカは、平然とその実を口に運ぶ。酸味は唾液の分泌を促す。そういった意味でも、喉を潤すのに最適と言われているのだ。

 理屈は理解できても、受け入れられるかはまた別である。セトは次々に寄越される実をげんなりと見ていたものの、意を決したように目を閉じ、まとめて口に放り込んだ。


「~~ッ!」

「ケーグの実って、こうやって一枝に幾つも生るものなんですね、知りませんでした。まだまだいっぱいありますよ」

「……いや。もう、いい」

「せっかくだから摘めるだけ摘んで持って行きましょうね。次にいつ食料が確保できるか分かりませんし」

「…………」


 解いた帯一杯に包まれていくケーグの実を見、セトは深々と溜め息を吐いた。

 坂の頂上に腰を下ろし、ひとつひとつ味わいながら頬張るシャルカを眺めていたセトは、ふと後ろを振り向いた。ごくかすかだが、馬の嘶きが彼の耳に届いたのだ。

 数歩後ろは急な下り坂になっていて、その裾に灰色の葉をつけた木々が連なっている。その更に向こうには、赤い土が剥き出した一筋の道が見て取れた。


「『街道』ってあれか?」


 つられて振り返り、


「あ、きっとそうです! 良かった、日暮れまでに辿り着けましたね」


ほうっと息をつくシャルカを他所に、セトは油断なく『街道』を目でなぞる。するとじきに、梢の合間に二頭立ての荷車を見出した。


「居た!」


 叫ぶなり、セトは斜面の土を踵で削りながら滑るように駆け下る。


「えっ、あに様? 急にどうしたんですか!」


 背にかかるシャルカの声に、


「荷車が賊に襲われてる、お前はそこで待ってろ!」


言い置き、あっという間に坂を下ると、木々の間に飛び込んでいった。

 突然のことに動転しつつ、シャルカも懸命に目を凝らしてみる。

 するとここから『街道』を少し西へ行った辺りに、こんもりと荷を積んだ荷車が見えた。荷台に人の姿はなく、御者台に弓を手にした若者がひとりいるきり。何故手綱を捨て弓を構えているかと言えば、行く手を異形の者どもに阻まれているからだった。


「まさか助けに? 無茶ですあに様、その傷で!」


 待てと言われて待っていられる状況ではない。シャルカは実の包みを引っ掴むと、足の痛みも忘れ急ぎ兄を追いかけた。




 荷車の上の若者はぎりっと奥歯を噛みしめる。


(雁首並べてぞろぞろと……)


 最初に道を塞ぐように現れたのは三人。見るからに異様な姿の者どもだった。

 薄汚れた外套(マント)に革の手袋、穿筒(ズボン)ごと膝上まで覆う長靴(ブーツ)。首から上は布を巻きつけた上、顔には奇怪にデフォルメされた獣の面をつけている。男か女かさえ定かでない。

 肌の一片、髪の一筋見せやしないのは、己が人種を悟られないため。そこまで徹底して素性を隠すと言うことは、後ろ暗いところがあると自白しているも同義だ。

 三人の手に握られた弓や手斧を見るや、すぐさま応戦の構えをとった彼だったが、横手の茂みから飛び出してきた新手によって取り囲まれてしまった。異形の賊どもは都合九人。立て続けに矢を放つも、外套の下に堅木の胴当てを巻いているのか、矢は乾いた音を立て浅く刺さるばかり。賊はじわじわと包囲の輪を狭めてくる。


「畜生ッ」


 ならばと、彼が正面の者の脚へ矢を放つが早いか、真後ろのひとりが吹き矢に息を込めた。矢は狙い通り大腿部を貫いたものの、彼の脹脛(ふくらはぎ)にも小さな針が刺さる。針には漏斗状の紙が巻かれていて、紙には禍々しい煤色の液体が染みていた。

 それを見るや彼は目を剥く。


(毒か! もしかしてコイツら……)


 察するが早いか、それが刺さった箇所から感覚が麻痺しだす。あっという間に下肢が痺れ、堪らず膝をついた。

 けれどこれだけ回りが速い毒だというのに、彼には毒に侵された時特有の吐き気や眩暈などは感じられなかった。麻痺も腰下まで留まっている。


(どうやらおれを殺す目的じゃないらしいや。だとするとコイツらやっぱり……)


 彼の予想通り、賊どもは彼が抵抗できなくなったと知ると武器を下ろし、代わりに人ひとりすっぽり納まるほど大きな麻袋を取り出した。蹲る彼に被せるべく腕を伸ばしてくる。

 それでも彼は怯まず叫んだ。


「テメェら、ひと月前に古森(ふるもり)の民の女をかどわかしたろう! どこへやった!」


 応えはないが、一瞬賊どもの動きが止まった。彼の憶測が確信に変わる。ならばますますここで捕らえられるわけにはいかない。腰の双剣を抜き振り回すも、多勢に無勢、陥落するのは時間の問題に思われた。

 しかし次の瞬間、麻袋を手にした者が後方へ吹っ飛んだ。異形の賊どもは徹底して声は出さぬものの、息を飲み仲間を振り返る。その肩には黒羽根の矢が深々と刺さっており、それを抜こうと獣のような呻きをあげ転げ回っている。

 予期せぬ加勢に、若者は矢の飛び来た方へ首を巡らす。

 思わず目を疑った。

 矢を放ったと思しき赤髪の青年は、予想を遥かに超えた距離にいたのだ。


(あんな遠くから射たのか?)


 その手は既に第二の矢をつがえている。即座に放たれた矢は、弧を描いて別の賊の腕を射抜く。飛び散った血飛沫を鼻先に浴び、馬が再び悲鳴じみた嘶きをあげた。

 セトが先程聞いたのはこの声だったのだ。平常時とは明らかに違う馬の鳴き方。何か良からぬことでもあったかと思えば案の定だった。


「賊が出るとは聞いたが、まさか早速出くわすとはな。道理で、老いたとはいえ元原野の戦士である老父達が、わざわざ隊商組んで出かけていたわけだ」


 そうひとりごちながら、セトは賊を追い立てるよう次々に矢を射掛けていく。賊の中には弓を手にした者もいるが、この距離である。

 飛距離を伸ばすことに特化した弓。

 視界を遮るもののない原野に育ち、発達した視力。

 そして弓島の男達が代々研鑽を積み上げきた遠当ての術。

 それら全てを用いているからこそ届く距離。

 その自負があるからこそ、セトは反撃を恐れず『街道』に下り、堂々とその身を曝した。

 突如として現れ、防具ひとつつけていないにもかかわらず真っ向から挑んでくるセトの姿は、賊どもを怯ませるのに充分な迫力を有していた。

 賊どもは小さく頷き合うと、負傷した仲間に手を貸し、『街道』の奥に広がる森へ逃げ込んでいく。薄汚いとばかり思っていた外套は、広葉樹が作る不規則な影に巧みに紛れ、たちまち目で追うことができなくなる。

 御者台にもたれようやく身を起こした若者は、死に物狂いでその背に叫ぶ。


「待て! 逃がさねぇぞ、ようやく見っけた手がかり……!」


 果敢に追おうと身を乗りだすが、脚は依然麻痺して動かず、台から転げ落ちそうになる。ようやく追いついたセトがすかさずその身体を受け止めた。けれど、


「待てコラ、逃げんなーっ!」


若者はセトの腕の中でも構わず暴れまわる。振り回された手が左腕の刃傷に当たった。乾きかけの傷が開く痛みにセトは顔を顰めたものの、宥めようと言い聞かす。


「落ち着け、荷は無事なようじゃないか。深追いする必要はないだろう」

「待てっ、待ちやが……!」


 叫びかけ、若者はハッと動きを止めた。己の手のひらを見やり、こびり付いた血糊に瞠目する。彼の鳶色の瞳が慌ててセトを振り仰いだ。


「アンタ今ので怪我したのか? っつか頬も怪我してんじゃねぇか!」

「あぁ、これはそうじゃなく、」

「巻き込んじまってホンット悪い!」

「いや見てたろう? だからこれは、」

「ああぁ、他所様に怪我させるなんざ、おれぁ何て不甲斐ねぇんだ! 悪かったなぁ、ホンット悪かったなぁ!」


 口を挟む暇もないほど、若者は早口にまくし立てる。おまけにやたらと声が大きい。耳をつんざかれつつセトが何とか誤解を解くと、彼の表情が一転訝しげなものに変わった。


「アイツらに負わされた傷じゃない? じゃあ何だってそんな傷を手当てもしねぇで……大体アンタ何だ? 行商人ってワケじゃなさそうだよな」

「これには少し事情が……それに俺は商人じゃない、訳あって旅を、」

「旅ぃ? ンなら旅人ってことか? このご時世に?」

「まぁ、そんなところだ」

「少しとかまぁとか、何とも歯切れが悪いじゃねぇか。頑丈な長靴(ブーツ)も履いてねぇ旅人があるモンかい」


 弁解しようと試みるも、若者の語勢に押され、口が達者でないセトはろくに喋らせてもらえない。

 助太刀に馳せ参じたのに、まさかこんな風に疑われようとは。不躾な視線に段々と苛立ちが募ってくる。

 するとそこへシャルカが追いついてきた。

 華奢な子供が息を乱し、真っ赤な爪先で懸命に駆けて来るその様は、見ようによっては憐れを誘い、若者の勘違いを加速させる。


「どうして追ってきた、待ってろと言っただろう」

「ご、ごめんなさい。だけど……」


 若者は言葉を交わすセトとシャルカをまじまじと見比べる。ふたりは随分歳が離れているし、人種さえ異なって見える。若者は合点がいったとばかりにセトを睨んだ。


「分かったぞ、さてはアンタ人攫いだなッ。こんな年端もいかねぇ子をどうにかしようなんて酷ぇヤツだ! その傷も、親御さんに見つかって抵抗された時に負わされたんだろう!」


 ぴきっとセトのこめかみに青筋が走る。

 びしっと人差し指を突きつけてくる若者を無視して、セトはシャルカに向き直った。


「すまん、やっぱりお前が来てくれて良かった」

「は、はぁ?」

「あと少し遅かったら、この野郎締め上げてるところだった」


 そう言いながらも、若者を抱える兄の腕にぎりぎりと力が込められていくのを、シャルカは見た。

 彼を助けに来たはずなのに、何がどうしてこうなったのか。事情が分からぬシャルカがおろおろしている内に、渾身の力で胸を締められた若者は息を詰まらせ、ぐったりと伸びてしまった。



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