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色なき世界の秘密、そして


「……何の話だ?」


 セトはつがえた矢の先を老人に向けたまま、つい問うていた。老人の与太話に付き合う気はないが、あまりに必死な形相に引き込まれてしまったのだ。


「この船を見よ! 貴様はこれがなんであると思うか」

「…………」

「これは旧世界の遺物。高度な文明を築いたが驕り高ぶり、神により滅ぼされし前人類の遺産よ! この色なき世に落とされて以来、我らはこのような遺産を幾世代もかけ少しずつ掘り起こし、解き明かし、修復してきたのだ。我らが岩と洞ばかりの山中で生き延びてこられたのも、これら遺産の力である!」


 信じられないと言いたげなセトに、老人はこけた頬を紅潮させ、恍惚となって叫ぶ。まるで愚者を説き伏せる賢者か、神の代弁者であるかのように。


「そうよ、貴様らは忘れてしまったのだ。この泥まみれの地で生きることにかまけ、旧世界がどんなにか素晴らしく、光と彩りに溢れた世であったのかをな!

 この世は第四の世界である。人類は文明を築く度に神の御名を忘れ、都度神に滅ぼされてきた! 一度目は氷、二度目は大水、三度目は劫火が世界を呑み込んだ――ごく一握りの善良な人間や動物達を除いてな。

 この第四の世界は、人類がこの天体を統べる生物として足るものか、神が見定められるための重要な期間であり、贖罪の時でもある。炎で全てを焼き尽くされたあと、神はこの世から美しい風景と色を取りあげられた。そして残された人類に約束されたのだ」

「約束、」

「そうとも! 幾千年かののち、美しき色の子をこの色なき世に遣わすと。それが神の御子だ!

 第四の人の世を見極め、存続させるか否かの裁定を下す神の代理人。人類が正しくあれば世に光と色を取り戻し、そうでなければ今度こそ人の世を潰えさせるという彩色の御子! その瞳にこれ以上、神の御名を忘れ、あまつさえまやかしの神を崇める蛮族どもを触れさせる訳にはいかん!」


 狂気を覗かせる老人の言は、ただ耳をつんざくばかりで少しもセトの頭に染みて来ない。

 彼はシャルカを振り向いた。紫紺の瞳をいっぱいに見開いて、細い指で縋るように兄の服を掴んでいる。

 それはいつもの、セトがよく知る弟に他ならなかった。

 寝床に現れた虫に怯える時の、あるいは悪餓鬼共にからかわれた時の、または悪夢を見て飛び起きた時の、見慣れた弟の姿だった。

 セトは息を吐くと、ゆっくりと弓を下ろした。


「俺にはあんたの話はよく分からない。……ただ、今よりずっと昔、本当に光と色に溢れた世界があったなら、それは素晴らしいものだったんだろうなとは思う。俺もシャルカを初めて見た時、この色に目を奪われたからな」


 そう言って小刻みに震える金の髪をそっと撫でる。不安げに見上げてくる瞳に微笑みかけ、言葉を継ぐ。


「だから、その世界を取り戻したいというあんた達の気持ちは理解できなくもない。だがあんた達の中に、生きてその世を見た奴があるのか?」


 あるわけがない。そう答える代わりに、老人は鼻を鳴らす。


「俺達原野の民はこの泥の原で生きるため、葦を編み、狩りの技術を磨き、命を繋いできた。糧を与えてくださる空と大地に感謝しながら。あんた達にとっては愚かな行為なのかもしれないが、俺はそうは思わない。この地に足をつけ根ざし、営んできた結果だ。

 あんた達の一族は何をしてきた? 誰も見たことがない太古の世に焦がれ、前人類とやらの遺産に縋り、今あるこの世界から目を背け続けて来ただけじゃないのか」

「黙れ! 貴様に何が分かる!」

「分からないさ」


 セトは当たり前のように頷く。


「ただ、名を忘れられて怒るくらいなら、山にでも大地にでもその名をでっかく刻んでおけばいい。それすらしない怠慢な神なんぞに下げる頭はない」


 不遜な言葉に、老人は怒りに打ち震え唾を撒き散らす。


「取り消せ、今すぐに! 御子様の前で何てことを……貴様はこの世を滅ぼす気か!」


 セトは肩口で頬の傷を拭いながら、「滅ぼすか?」と気軽な調子でシャルカに問う。腕の傷の出血も少なくはない。失血による倦怠感に徐々に身体を苛まれ、老人の長話に付き合うのが億劫になってきたのだ。

 シャルカはそんな兄を心配半分、呆れ半分といった顔で見つめ返す。


「ぼくにそんな大それたことは……」

「だそうだ、良かったな」

「――ッ! ……この痴れ者がァ!」


 叫ぶが早いか、激昂した老人が懐に手を突っ込んだ。再び現れたその手には例の筒が握られている。筒はふたつあったのだ。

 そうセトが悟った時にはもう遅い。矢をつがえる暇はなく、咄嗟に腰に手をやるも、剣は別の男の身体に刺さったままだ。老人は黒光りする筒の口をセトに向け、


「我らは光ある世を取り戻す! 愚者は泥に這いつくばっているがいい!」


咆哮と共に発砲した。


「あに様――ッ!」


 シャルカがセトの前に身を躍らせた。

 弟の行動に目を瞠りながらも、セトが反射的にその身体に手を伸ばそうとした刹那、信じ難いことが起きた。

 シャルカの足許で()()()()()

 その爪先を中心に、床から放射状に見たこともない色――瑞々しい緑色の植物が爆発するがごとく生え、腕よりも太い蔦が絡み合い、シャルカの身を守るように包んだのだ。長の攻撃は太く強靭な蔦の一本を千切っただけで、シャルカの身は傷ひとつつかなかった。


「な……っ」


 あまりの出来事に言葉を失うセトとは対照的に、山岳の長は狂喜に頬を染める。


「これぞ正しく神の御子のお力! 見よ、この美しき色を! やはり我らは間違っていなかった、貴方様こそが神の……!」

「……許さない……」


 シャルカの唇から呟きが漏れると、その身を覆っていた植物達は呼応するように解け、床の上をうねうねとのたくる。それはまるで無数の蛇のようだった。

 シャルカはそんな草達を一顧だにせず、山岳の長を視線で射抜く。その紫紺の瞳は不思議な光を湛えていた。


「許さない……これ以上あに様を傷つけたら、許さないから――!」


 その絶叫で、今度は植物の群に火が灯る。炎を纏った蔦達は一斉に長へ殺到した。旧世界の狂信者は法悦に打ち震え、自ら手を差し伸べて火焔の抱擁を受け止める。


「おぉ、これぞ正しく、正しく! 創造と破壊を司る御子のお力よ! 我らが長年待ち望んだ御子の、御子の……!」


 たちまち黒衣に燃え移り、痩せた身体は火に包まれる。生きながら焼かれつつ、忘我の境地で哄笑し続けるその姿、その異様。セトの背に冷たいものが滴った。

 肉の焼ける匂いで我に返ると、セトは慌ててシャルカを引き寄せた。シャルカの足許の蔦もまた燃えているのだ。けれどシャルカ自身に火傷を負った様子はなく、セトの腕に抱かれてもなお長へ視線を注ぎ続けている。


「シャルカ、お前がやったのか?」


 尋ねても返事はない。まるで何かに憑かれたように、火達磨となった長を睨み続けるばかりだ。炯々と輝く双眸に、さしものセトも一瞬気を呑まれる。否、呑まれている場合ではない。

 セトは心の中で手を合わせてから、白い頬を打った。乾いた音が響くと、シャルカの瞳から冷酷な光がふっと消え失せ、呆けたように兄を見上げる。


「……あに様?」


 そして場の惨状を見、喉の奥で小さな悲鳴を上げる。


「これは……何が、どうして……」

「覚えてないのか?」

「覚えて、って?」


 セトは答えに窮した。


(今見たものをどう解釈すればいい。何と伝えたらいい)


 けれど今はそれどころではない。床を這う蔦から炎が広がり、床から壁へ、そしてあの豪奢な椅子へと燃え移っていく。

 強引に考えを中断し、セトはシャルカに手を伸べた。


「一先ず逃げるぞ!」

「は、はいっ」


 その手を、シャルカは今度こそしっかり握りしめた。

 次の瞬間、ガッという轟音と共に、船全体が大きく跳ねた。次いで地に叩きつけられるような衝撃が襲う。


「クソッ、今度は何だってんだ!」


 次々起こる不測の事態にセトは思わず舌打ちし、シャルカの手を引き甲板へ引き返す。

 先程屠った男達を飛び越え甲板に出ると、辺りの様子は一変していた。

 船の下に広がっているのは、泥ではなく朽葉色の下草。岩盤の大地に乗り上げたのだ。原野は既に後方、外輪は固い大地をお構いなしに掻き進む。どうやらこの船は陸地も進めるものらしい。

 操舵手がいるのかどうかは分からないが、いたとして、事態を察し駆けつけてくるのは直だろう。いなかったとして、このまま山岳の民の郷へ進まれてもかなわない。

 セトは甲板から身を乗り出し前方を見やると、大分先に背の高い草の群生地を見つけた。


「あそこに飛び降りるぞ」

「えっ! と、飛び降りるって、この高さからですか?」


 シャルカも倣って身を乗り出し、地面の遠さに眩暈する。地面から甲板まで、優に大人三人分ほどの高さがある。


「迷ってる暇はない、ちょっと待ってろ」


 言うが早いか、セトは踵を返し再び扉の中へ飛び込んでいった。


「え、あに様、ちょっとどこへ?」


 兄のすることも言うことも分からず、取り残されたシャルカは頭を抱えた。

 けれどそれも束の間のことで、すぐにその顔が引きしまる。こんな化け物じみた船に、単身乗り込み迎えに来てくれた来てくれた兄なのだ。シャルカにとって彼以上に信頼できる者などない。シャルカはぎゅっと手摺を握り、再び身を乗り出した。

 兄が言っていた草叢(くさむら)はもうすぐそこだ。


「あに様急いで、もう草叢に入ります!」


 叫ぶと、すぐにセトが扉を蹴り開け戻ってくる。


「何してたんですか、」

「矢と剣を取ってきた」

「あの炎の中飛び込んだんですかっ? そんなんじゃ命が幾つあったって……!」

「何だって?」


 言い募るシャルカを小脇に抱えると、セトはおもむろに手摺を跨ぎ越す。シャルカの眼前に草の原が広がった。高さに加え、その速さ故に頬打つ風の強さが、シャルカの肝を凍らせる。


「え、ちょ、ちょっとあに様、まさかこのまま……?」


 尋ね終わるより早く、兄は躊躇せず甲板を蹴った。


「いっ……――!」


 弟のか細い悲鳴は、喉の奥に貼りついた。

 セトは身体を強張らせ縮こまるシャルカを胸に抱くと、宙で身体を反転させ、背中から茂みへ落下する。

 着地の瞬間、ふたり分の体重が乗った衝撃に一瞬息が詰まった。それでも衝撃を逃すよう横転を続けていると、やがてふたりは背の高い草叢を抜け、柔らかな芝生の原に転がり出た。最後のひと回転で解けた腕から、ころりシャルカが転がり落ちる。

 漆黒の船はふたりが降りたことに気付かぬのか、原で蹴立てていたものより一層凶暴な音を轟かせながら、行く手の潅木を踏み散らし去っていった。

 その音が聞こえなくなるまで待って、シャルカがそうっと目を開けると、視界いっぱいに空が広がった。雨は止んでいたが、相変わらずの曇天である。けれど珍しく、雲の切れ間から眩い日差しが差していた。


「…………生きてた」


 ぽつりシャルカが呟くと、


「おう」

「あに様も生きてますよね……?」

「返事してるだろ」


疲れたのか、少しぶっきらぼうな声が返った。けれどそれでも嬉しそうに、返事が返ってくること自体が嬉しくて堪らないといった様子で、


「生きてましたね、ぼく達……」


シャルカがもう一度尋ねた。

 けれど今度は返事がないので、シャルカは少し頭をもたげて兄を見た。

 兄は仰向けで大の字になり、軽く目蓋を閉ざし、濡れた下草が頬を撫でるに任せている。

 シャルカもそれを真似、手足を放り出して寝転んでみた。

 背に当たる大地の硬さ。原野に生える葦や穂草とは違う、丸みを帯びた葉の手触り。雨上がりの草原の匂い。何もかもがシャルカにとっては新しく、初めて感じるものばかり。夜明け色の目を閉じ、その感覚を一心に味わった。


 入れ替わりに、灰色の瞳がうっすら開く。

 身体はあちこち傷だらけで、徹夜明けの連戦にすっかり疲弊していたが、心は清々しいほどの開放感で満たされていた。

 突然の父の死や、母を救えなかった悔恨など、胸を塞ぐものは確かにある。けれど、それらが島に対する思い入れを断ち切ったこともまた事実だった。

 山岳の民が見せつけた船の威容、恐るべき未知の武器を前に、皆が混乱を極めたのも分かる。分かりはするが、あの様を目の当たりにした今となっては、捨て去ることに何の躊躇いも感じない。

 ただ少し、変わり果ててしまった故郷への寂しさはあるけれども。

 けれど今は、シャルカを連れ原野を出たという開放感と達成感に身を委ね、浸りきっていたかった。きっとシャルカも同じだろう。

 が、


「あっ」


 だしぬけにシャルカが声をあげる。


「暢気に転がってる場合じゃなかった、あに様その傷! 手当てしないと!」

「大丈夫だ、もう大分血は止まってる」


 面倒臭そうに答えると、


「ダメですっ、ちゃんと洗わないと! ……って、水……どこにあるんでしょう……」


シャルカは忙しなく辺りを見回す。

 いやあのな、そうそうないから皆わざわざ水源の民から買ってたんであってな、なんて無粋な高説は喉の奥に押し込める。そうして彼が黙っていると、シャルカは腰の帯をほどき割こうとした。


「本当にいいって、シャルカ」

「良くないです、」


 遮るように、セトの腹の虫が勢いよく鳴いた。


「…………」

「…………」


 互いに何とも言えない顔を見合わせる。ややあって吹きだしたシャルカは、立ち上がりセトの手を取った。


「ともかく行きましょう、あに様。確か前に神殿で読んだ本によれば、もう少し北へ行った所に『街道』が通ってるはずです。そこへ出て辿れば、きっとどこかの郷に出られますよ」

「お前よく知ってるな」

「……まさか、知らずに行こうって言ってたんですか?」

「…………」

「……えっと、あに様?」

「…………」

「あに様?」


 さりげなく視線を逸らしたセトは、疲れた身体に鞭打ち立ち上がると、シャルカの手を握ったまま大きく伸びをした。必然、引っ張り上げられたシャルカは爪先立ちでも足りず、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「……よし。なら行くか」

「はい、あに様」


 そうして着の身着のまま旅に出た兄弟は、北を目指し歩きだした。

 肩を並べて雨上がりの草原を行く。草の上に置かれた珠のような露が、雲間から差す陽光に照らされ、ふたりの足許を彩っていた。



                                <一章・了>

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