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船上の死闘


 船に乗せられるとすぐ、シャルカは大きな部屋へ連れて行かれ、一段高い場所に置かれた豪奢な椅子に据えられた。

 座面にも背もたれにもふんだんに羽毛が詰められており、華奢なシャルカの身体は半ば沈み込んでしまう。まるで雲に腰掛けているような座り心地だった。

 けれど当然そんなことに浮かれられる気分ではない。


(どうしてこんなことに……父様、母様……あに様はご無事かな)


 目蓋の裏に、寄り添うように伏していた両親が浮かぶ。地に押さえつけられながら、必死に自分の名を叫んでいた兄の姿も。


「……あに様……」


 ぽつり呟くと、後ろから(しわが)れた声がかけられた。


「如何なさいました、御子様。御子様の御為に拵えさせました椅子、お気に召しませんでしたかな?」


 振り向き、シャルカはその時初めて、山岳の長に髪を梳かれていたことに気付いた。老人が気配を消していたのではなく、それだけ余裕を失っていたのだ。足許には、ふたりの男が折目高に跪いている。

 驚き声も出せぬシャルカに、老人は薄く微笑みかけ、手にした櫛で恭しく金の髪を梳き続ける。


「失礼、蛮族どもの狼藉で、御髪おぐしが乱れておりました故」

「蛮族だなんて言わないでください、ぼくを育ててくれた島の人達です」


 思わずむっとして言うと、老人は大袈裟に恐縮して見せた。


「申し訳ございません。しかし、御子様もさぞ御苦労なさったことでしょうな」

「どういう意味です?」

「いくら取り乱していたとはいえ、あれでは普段どのような扱いを受けていたか察して有り余るというもの。御子様の身に万が一のことがある前に、お迎えに上がれてようございました」

「……ッ!」


 シャルカは俯き、膝の上の手をぎゅっと握った。


(……確かに、原野のどこにも身の置き場はなかったけれど)


 差し出された兄の手のひらが鮮やかに蘇る。

 否、ひとつだけあった。

 たった一箇所だけだが、確かにあったのだ。

 こんな色、こんな出自の自分を全て受け入れ、代わりに何もかも捨てようとしてくれた兄の隣に。


 シャルカは今まで、未来に期待したことなど一度もなかった。

『色付き』の自分は、人並みの幸せを夢見ることすらおこがましい。それを嫌というほど思い知っていたのだから。

 男として育てられながらも、身は半分女のため、非力で持久力のない身体。狩人としても戦士としても、父や兄のような立身出世は望めない。

 いずれ誰かに恋をして、想い想われ添い遂げて、家庭を築くことなど思いもよらない。

 それでも原野の男としてある以上、いつかの戦場で、兄の盾となり散ることだけが唯一の望みだった。それだけをよすがに今まで生きてきたと言っても過言ではない。

 そんなシャルカにとって、兄が差し伸べてくれた手のひらは、一二年の生の中で初めて得た一筋の光だった。

 けれどその手を取ることはついに叶わなかったのだ。

 この異様な船が、黒衣の男達が、それを奪ってしまったのである。


 ――あぁ。叶わないことだったとしても、どうしてあの時、すぐに手を取ってしまわなかったんだろう。

 そうしたら、せめてあに様の気持ちに応えることができたのに。


 後悔が小さな胸を締めつけ、息することさえままならない。父の仇であろうこの男達に涙は見せまいと思うのに、次々に溢れて止まらなくなる。伏せた顔を両手で覆い、シャルカは懸命に声を押し殺した。

 島での辛い日々を思い出させてしまったかと、山岳の長は急ぎ男達と並び膝をついた。


「もう何も心配なさいますな。我らにとって貴方様は神の御子、この世に光と色を取り戻す尊いお方でございますれば。貴方様に害をなそうという者などおりません。服や装飾品、部屋に食事、望まれる物は全てご用意いたします。どうぞ安心して……」

「…………して、」

「は?」

「ぼくはそんなものじゃありません、おかしな色をしたただの子供です……どうかぼくを、あに様のところへ帰して……」


 心底からの懇願も、男達には届かない。

 男達が目配せし合い沈黙を守ると、広い部屋の中にかすかな嗚咽だけが響き続けた。

 



 セトは愛馬が無事船から離れたことに安堵すると、身体を振り子のように振り、甲板の手摺へ飛び移る。手摺を越えると足許に先程の男の亡骸があり、その先に船内へ続く扉があった。まだ応援は到着していないが、幾つもの足音が近付いてくる。

 亡骸から矢を回収すると、深く息を吸い呼吸を整える。矢筒から三本の矢を抜き取って指に挟み、血に濡れたままの一本をつがえ引き絞った。聴覚を研ぎ澄ませ、扉が開く機を見計らう。


(あと十歩……五歩)


 そして扉がわずかに開いた瞬間、セトは過たずその隙間を射た。顔を覗かせかけていた男は、なす術もなく射抜かれ昏倒する。続いて現れた三人も同様に仕留めていく。扉が人ひとり通れるだけの大きさだからこそ、待ち伏せが大きな効果をもたらした。

 そこで矢を補充しようと背に手を伸ばした時、再び扉が薄く開く。

 敵もそう何度も同じ手は食わない。戸の隙間から腕だけを突き出し、その手の中の奇妙な筒をセトに向けた。咄嗟に足元の亡骸を盾にするや、亡骸の肩が爆ぜる。血肉が無残に飛び散る様と、腕に伝わった強烈な衝撃とに、セトは目を丸くした。


(こんな武器は聞いたこともない)


 あの肥えて鈍間な水源の民が水を支配できているのは、弓よりも強力な弩や投石器を製造し、有しているからだとは聞いた。けれどあの筒はそういった物と全く異なる。何が男の肩に被弾したかさえ分からないのだ。

 これでは防ぎようがない。歯噛みしたセトの目の前で、黒い腕が扉の中へ引っ込んだ。しばし沈黙が続く。


「……?」


 遺骸を掲げながらじりじり前進していくと、また扉が開き、例の筒が火を吹いた。直後、セトの爪先脇の床に穴が開く。


(拙い!)


 堪らずつんのめり焦ったが、何故かこの絶好機に腕は再び引っ込んでしまった。

 どうやら攻撃と攻撃の間に少々間が要るらしい。

 即座にそう判断すると、セトは骸を捨て剣に持ち替え、扉の中へ踏み込んだ。

 中には驚愕の表情を貼りつけた男がふたり。手前のひとりは屈みこみ筒を弄っている真っ最中、奥のひとりは手にした筒を慌てて構えようとする。ならばと、手前の男を踏みつけて奥の男を袈裟懸けに斬り、そのまま足許の男の首を刎ねた。いくら有能な武器を持っていても、実戦経験は皆無のようだ。

 先に射た男達も皆息絶えたのを確認すると、セトは壁に背を預け、小さく息を吐いた。

 咽せ返るような血の匂いの中、束の間身体を休め呼吸を整えると、足音を殺し廊下を進み始める。脇には幾つかの扉が並んでいるが、中に人の気配はない。

 セトはあの時シャルカに額づいていた男達を思い出す。あの老人を含め、いたのはせいぜい十人程度。それが全部ではないにしろ、あの狂喜ともいえる歓び様から、姿を見せなかったのは船を動かす重要な役割の者くらいだろう。

 そう考えつつ進んでいくと、とうとう突き当たりの扉の前までやってきた。彼は全身の感覚を尖らせ中の様子を探る。人の気配は確かにある。けれど船体を打つ雨音や外輪の音が邪魔をして、それ以上は探れなかった。

 もしかしたらさっき彼自身がしたように、扉の前で待ち構えているかもしれない。であれば開けた瞬間集中攻撃を浴びて終わりだ。

 否、戦慣れしていない様子の連中だ、あの妙な武器で簡単にアトやトウマを下したことから油断しているかもしれない。


(――えぇい、ままよ!)


 腹を括ると、セトはあらん限りの力で扉を蹴破った。派手な音をたて、外れた扉が勢いよく中へ吹き飛ぶ。それで待ち伏せる敵を怯ませられればと思ったのだが、意外なことにそういった者はひとりもいなかった。後者だったのだ。

 部屋は船の中とは思えぬほど開けた空間で、奥の上座にシャルカ、そしてそれを囲む三人の男達がいた。内ひとりは例の老人である。三人は振り向くや驚きと恐怖に顔を引きつらせた。


「おのれ、どうやって!」

「動くな。シャルカを解放しろ」

「何を勝手なことを! 島の長の許可は得ておる、貴様に口出しされる覚えはない!」


 山岳の長ががなり散らしている横で、男のひとりが懐に手を差し入れる。どうやらこいつもあの筒を持っているらしい。剣を手にしたままだったセトは、躊躇せずそれをぶん投げた。放たれた剣は唸りをあげて男の胸に突き刺さる。勢い吹っ飛んだ仲間をふたりが振り向いている隙に、すかさず弓を構えた。


「手のひらを見えるように掲げろ。シャルカを放せ」


 鋭い鏃を向けられ、屈辱に顔を染めたふたりは言われるまま手を上げる。それを注視しながら、


「来い、シャルカ」


呼びかけると、シャルカは夢でも見ているような顔で兄を仰ぐ。


「本当に、あに様……? よくぞご無事で、」

「挨拶はあとだ、こっちに来い!」


 頷きかけたシャルカだったが、その顔を強張らせたかと思うとぴたりと動きを止めた。


「早く来るんだ、シャルカ!」


 急かす兄の声に、シャルカはゆるゆると首を振る。


「……行けません」

「何?」


 今度はセトが顔を引きつらせる番だった。


「こいつらに何か吹き込まれたのか?」

「いいえ、」

「じゃあ何故!」

「だって!」


 シャルカは服の裾を握りしめ、身体中を戦慄かせ叫ぶ。


「ぼくが島へ戻ったら、この人達きっとまた来ます、何度でも来ます! そしたらまた誰かが犠牲になるんですよ? あに様が大事にしてた島の誰かが……!」


 シャルカはこの船が桟橋を叩き割ったのを直接目にしてはいないが、舳先が浮島を切り裂き乗り上げていた様を見ている。

 もし自分が兄と共に島へ戻ってしまったら、この男達はどうするだろう。今一時逃れたとして、また惨劇が繰り返されるだけではないのか。報復の二文字が胸を過ぎり、その足を竦ませているのだった。

 しかしセトは、泣きじゃくるシャルカに対し首を捻った。


「何言ってんだ、お前」

「え?」


 今度はシャルカが小首を傾げる。


「お前、俺が話したこと忘れたのか? もう島には戻らない。この足で原野を出るんだ」


 シャルカは兄がわざと声を張ったのに気付いた。

 彼らの報復の矛先が弓島に向かぬよう、あえて島を出ると声高に宣言したのだ。

 それでもあの時手を取れなかった自分に、もう一度手を差し伸べてくれていることが信じられないシャルカは、おずおずと尋ねる。


「……本当にいいんですか、あに様」

「いいも何も俺から言い出したことだ」

「だってぼくは『色付き』で、きっとどこへ行ったって嫌われて、あに様の足を引っ張……」

「煩ぇッ!」


 未だかつてない兄の怒声が、シャルカの鼓膜を震わせる。


「何なんだ、どいつもこいつも色がどうの生まれがどうのって、それが何だってんだ! ひとっつもお前のせいじゃないだろうがっ。お前は何もしちゃいない、そうだろ? 神の子だろうが化け物の子だろうが関係ない。シャルカ、お前は俺の弟だ!」


 その言に、瞳に、一切の揺らぎはない。

 打たれたように立ち尽くすシャルカに、


「……で、どうするんだ?」


セトは手にした弓を引き絞りながら尋ねる。


「まだお前の返事を聞けてない」


 言い終わるが早いか、セトがその矢を放つのと、男が素早く筒を繰り出したのは同時だった。


「行きますッ! あに様の行くところなら、どこへだって――!」


 筒が破裂音を響かせるのと、紫紺の瞳が大きく頷いたのもまた同時だった。

 刹那、セトの頬が裂け、男の胸に矢が生える。自らも懐に手を差し入れていた山岳の長は、腰を抜かしてへたり込むと、ぽろりと筒を取り落とした。

 泣きながらも兄が行動を起こす時機をしっかり見定めていたシャルカは、すかさず倒れた男の上を飛び越える。ついでとばかりに、長が落とした筒を遠くへ蹴り飛ばした。

 泣き虫だが案外しっかり者の弟に口の端で笑うと、セトは握った矢を直接長の手の甲へ突き立てる。怪鳥のような絶叫が船内に響き渡った。


「余計な真似はするな」


 凄んで見せると、威厳を失った老人はガクガクと震えるばかりだった。


「あに様、あに様っ! あぁどうしよう、こんなにいっぱい血が……」


 縋りつくシャルカをセトはほんの一瞬強く抱きとめ、


「行くぞシャルカ」


すぐに腕を解き、山岳の長を見据えながら扉の方へ後退していく。

 矢によって片手を床へ縫いとめられた長は、血走った双眸でセトを睨みつける。


「待て! 貴様はその御方がいかなる御方か分かっておらん!」

「俺の弟だ、それ以上でも以下でもない」

「たわけ! 貴様らの一族は、否、我らを除く全ての者どもは、長い時の間に忘れてしまったのだ。我らのみが神との約束を引き継ぐ正統な後継者、この御方にお仕えするに相応しい一族である!」


 ぎらぎらと照る瞳は正に狂信者のそれだった。尋常ならざる気迫に圧倒され、シャルカの肌が総毛立つ。

 それでも臆さずセトは尋ねる。


「忘れた? 何を、」

「何もかもをだ! 唯一絶対の神の御名も、人類に科されし罪も、何故このような色なき世で生きねばならなくなったのかもな!」

「……何の話だ?」



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