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鏃の向く先


 そして午後。

 例によって訓練が中止になったため、シャルカはいそいそと矢筒を背負い戸口に立った。


「いってきますね、母様」


 奥の寝室ではセトが夜警に備え仮眠中のため、ひっそりと小声で告げる。声は潜めども潜めきれず漏れ出ているはしゃぎように、母ヴィセも顔を綻ばせる。


「いってらっしゃい、気をつけるのよ? あまり遠くへは行かないようにね」

「分かってます、あに様が出かける前には戻りますね」


 そう言って無邪気に手を振り駆け出す背中を、ヴィセは眩しそうに見送った。

 あの子に友達ができるなんて。

 あんなに嬉しそうに出かける姿が見られるようになるなんて。

 ようやく外見にとらわれず内面を見てくれる子が現れたのだと、感謝に溢れる胸の前で、ヴィセは蒼穹神の印をきった。




 シャルカが馬小屋へ駆けつけると、既にヨキ達が待っていた。初日同様、皆同じ歳の三人だ。


「遅ぇぞシャルカ」

「ごめんごめん」

「ちゃんと昼飯食ったか?」

「食べたよ、ばっちり」

「そりゃ良かった、じゃあ行こう」


 そんな何気ないやりとりもシャルカには新鮮で、ひとつひとつが嬉しくて堪らない。

 馬の背を並べ、午前中に使いそのままにされている的の所へやってきた。


「今日は飛距離を伸ばす練習すっか。シャルカは苦手だもんな、遠当て」

「力ねぇもんなぁ」

「そんなことないよ! 見てて、ぼくだって成長してるんだからっ」


 シャルカは、一抱えもある的が翳した指の先で隠れるほどの距離を取ると、馬を静止させたまま弓を引き絞る。一週間前のシャルカでは届かなかった距離だ。

 ヨキ達にもらった数々の助言を脳裏に反芻する。余計な力を抜き呼吸を整えると、力を溜め一息に放つ。兄と揃いの黒羽根の矢が虚空に伸びやかな軌跡を描き、見事的の中心を射た。

 シャルカは頬を上気させ、背後の仲間を振り返る。


「ねぇ見た? ほら、ちゃんと当たっ……」


 その瞬間シャルカは身を強張らせた。いつの間にかつがえられたヨキの矢が、ひたとシャルカに据えられている。薄紅から蒼白へ色を変えるその顔を見、ヨキは唇の端をつり上げた。


「まだ刺さりが甘ぇよ。ほら、こうやって……」

「ま、待って、すぐに退くから!」


 けれどもヨキは、自らと的の線上にシャルカがいるのも構わず放った。鈍い光を纏う(やじり)は、咄嗟に馬の背に伏せたシャルカの頭上を掠め、遥か後方の的を射抜く。ざくりと藁を刺す音が、酷く禍々しく響いた。

 恐る恐る身を起こしながら、シャルカは何とか笑顔を繕う。

 信じたかった。

 短気なヨキの気が逸ったか、ただの悪ふざけだと。


「もう、危ないよ。すぐに退くから待ってって言ったのに……」


 けれど顔を上げ、紫の目に映ったのは、無情にも揃って向けられた三本の矢だった。

 それをつがえる友の目は、明らかに的ではなくシャルカに注がれている。


「どうして……?」


 愕然として呟くシャルカに、ヨキは口の端の笑みを顔中に広げる。それは一二の少年のものとは思えないほど残忍で、どこか達観したような笑い顔だった。


「どうして? そうだなぁ……オレの婆さんがよ。毎日毎日、戦で死んだ父さんに祈りながら言うんだよ。

 一二年前の大嵐は『色付き』が呼んだんだ。あの嵐さえなければその後の戦は起こらなかったはずだ。父さんは『色付き』が殺したも同然だ、って」


 無論シャルカには身に覚えのない言いがかりである。


「そんな……そんなことあるわけないじゃないか! ぼくは嵐なんて呼べないし、大体……!」

「そこんところは、オレにとっちゃどうだっていいんだよ」


 必死に誤解を解こうとするシャルカを、ヨキは醒めた口調で遮った。


「蒼穹神の教えに厄介なのがあってよ。戦の勝敗は神の采配、だから戦場で殺されても敵を恨むなってヤツ。いやでも無理だろ、どう考えても。親殺されりゃ恨むだろ。息子殺されりゃ憎むだろ。でもその教えがある以上、恨みつらみは捨てなきゃならねぇ。捨てられねぇんなら押し殺さなきゃなんねぇ」

「……何が言いたいの?」


 殆ど唇の動きだけで問うと、


「でも押し殺すにも限界があってよ。ならどうするかっつーと、恨みの矛先を逸らすのよ。その矛先の向け先として、嵐の直前に産まれたおかしな色のお前は最適だったっつーこったな。うちの婆さんだけじゃねぇ、皆似たりよったりだ」

「……そんな、」

「いい加減、婆さんの愚痴に付き合わされんのは飽き飽きだ。そんな婆さん達がいる以上、セト隊長が次の族長になるのも無理そうだしよ。悪ぃけど、」


絞られた弦がぎりりと鳴る。


「沈んでくれや」

「待っ……!」


 言うが早いが指が動く。弦が鳴る。シャルカは夢中で鐙を蹴った。寸でのところで何とか回避すると、そのまま島へと一目散に駆け出した。


「待て『色付き』!」


 シャルカは手綱を握りしめ懸命に馬を走らせる。次々に放たれる矢が脇を掠めるも、振り返る余裕はない。

 命を狙われる恐怖よりも、初めての友人に裏切られた絶望で視界が霞む。否、裏切られたのではなく嵌められたのだ。友人など最初からいなかった。かけられた言葉、親しみを込めた笑顔の全てが、実のない芝居にすぎなかったのだ。

 早打つ鼓動が耳の中で響く。喘ぐように開いた唇は、嗚咽を零すばかりで上手く酸素を取り込んでくれない。目の前も頭も真っ白だ。

 シャルカは手綱を取ることをやめ、愛馬の首に腕を回すと、きつく目を閉じ身を委ねた。


 一方、追うヨキ達の顔には焦りが滲みだしていた。

 非力で何ら突出したところがないと侮っていたシャルカだが、どんなに馬を急かそうと一向に距離が縮まらないのだ。遮二無二矢を撃てど傷ひとつつけられない。ならばと落馬狙いで馬に的を絞るも、馬は縋りつく幼い主を守るかのように、機敏な動きで少年達を翻弄する。


「なんだよアイツ、早駆け得意だったのか!」


 ヨキ達はすっかり失念していた。

 シャルカは馬の扱いに長けたアトとセトの家族なのだ。まだ子供のシャルカの身を託す馬だ、ふたりの手でよく訓練されていて当然だった。

 加えて、シャルカは度々セトに原へ連れ出されていたため、彼らよりも騎上で過ごした時間がずっと長い。必死にしがみついているだけのようでいて、愛馬に負担を強いぬ姿勢を無意識に保っていた。

 差は縮まるどころか開くばかりで、ヨキ達は顔を真っ赤にして歯噛みする。

 シャルカは今まで彼らの悪事を一切告げ口しなかったが、殺されかけたとあっては流石に家族に言うだろう。それが族長の耳に入ればどうなるか。


「クソッ、絶対に島へ戻らせるな!」

「『色付き』のクセに! お前さえいなくなりゃ……!」


 耳を覆いたくなるような罵声を浴びせられながらも駆けに駆け、とうとうシャルカは桟橋に辿り着いた。

 ここまで連れてきてくれた頼もしい愛馬の頬に口付けると、転がるように広場を駆ける。

 乱れた髪が濡れた頬に貼りつき、見るも無残な有様だったが、行き交う島民達は一瞥をくれるだけで声をかけてくれはしない。無関心な視線の束に晒され、シャルカは無性に家族に会いたくなった。無条件に自分を受け止めてくれる腕が、胸が、恋しくて恋しくて堪らなかった。


(あに様、母様、父様……!)


 喉の奥に酸く込み上げる感情に突き動かされ、家に着くや勢いよく戸を開ける。戸のすぐそばで、母がこちらに背を向け麦を挽いていた。


「あらおかえり、随分早かったのね」


 振り返った笑顔は、シャルカの異変を察するなり青ざめる。


「どうしたのシャルカ、その顔! 何があったの? 裾もこんなに泥だらけで……!」


 母はすぐさま駆け寄ってきて、涙の跡を拭ってくれた。それから温かな手が忙しなく身体を擦る。


「怪我はしてない? 一体どうしたっていうの?」


 尋ねる母の方こそ、今にも泣き出してしまいそうだった。

 出かける時には、あんなに嬉しそうに送り出してくれたのに。

 友達ができたことを、とても喜んでくれたのに。

 それを思うとシャルカは胸を締めつけられた。


(あぁ、言えない。母様を悲しませてしまうもの……! 言うならせめて、あに様か父様にじゃなきゃ……)


 ふたりに言えばどの道母の耳にも入るのだが、それでも面と向かって告げる気にはなれなかった。

 自分のせいで母を泣かせてしまうのは、自分が泣く目に遭うより辛い。

 シャルカは袖で目許をごしごし擦ると、にへっと笑って見せた。


「驚かせてごめんなさい、あのね母様。今さっき、うっかり馬の背から落っこちそうになっちゃって、」

「まぁ!」

「泥に呑まれるかもって思ったら、もう恐くて頭真っ白になって、ヨキ達のことほっぽって帰ってきちゃったんです。ヨキ達怒ってるかなぁ」


 母はほうっと胸を撫で下ろすと、まだ自分の背よりも小さく、あどけない息子を抱きすくめる。


「無事で本当に良かったわ。ヨキ君達には、後で事情を話せばきっと分かってくれるわよ。本当に良かった、何もなくて……」


 繰り返される「良かった」の言葉からは、「また苛められたのではなくて良かった」という気持ちがひしひしと感じられた。

 それだけ今までにも心配をかけてきたのだと思うと、シャルカはますます罪悪感で居たたまれなくなる。


「でももう大丈夫です、母様の顔見たら落ち着きました。あぁ、喉渇いた!」


 無邪気さを装い母の腕から逃れると、水甕を覗きこむ。


「あれ? 母様、もう水が残り少なくなってますよ。ぼく汲んできます!」


 言うなり木桶を手に飛び出そうとすると、母は慌てて引き止めた。

 島にはそこここに雨水を溜めた大水瓶が配置されており、島民は自由にその水を使うことができるが、水場には常に女達の姿がある。井戸端ならぬ水瓶端。水場は女達の生活の場であり社交場であり、噂と愚痴がひっきりなしに飛び交う戦場でもある。

 気丈なヴィセ自身でさえ、シャルカを引き取ってからというものすっかり顔を出すのが億劫になり、ひとりでは寄りつかぬようにしていた。噂の的であるシャルカ当人を単身向かわせるなど、母としては以ての外だったのだ。

 けれど母はそうとは告げず、シャルカの手からやんわりと木桶を取り上げると、代わりに麦の粉を一袋渡した。


「ここのところ晴れ続きで水瓶の水も少なくなってるわ、広場で買ってきて頂戴。お願いできる?」

「分かりました、いってきます!」


 シャルカは袋を小脇に抱えると、もう片方の手を大きく振った。母もそれに応え小さく手を振る。見送る側も見送られる側も、互いの心の内を知らぬまま、表面上は朗らかな笑みを交しながら。




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