企みの蠢動
夕べの出来事を思い眉間の皺を深くするビルマに対し、カルムはにこりと微笑んだ。
「でも姉さん、結果として良かったじゃないですか。セト隊長が夜警についてくれることになって」
「何?」
ビルマの鋭い眼差しは、従弟の瞳が帯びる歳不相応な光彩を捉えた。それは理知的ではあるが酷く冷然としていて、知らず彼女を総毛立たせる。幼い幼いと思っていたのに、いつから従弟はこんな目をするようになったのだろう。
けれどビルマはその光に怯むことなく真っ向から見返した。
「良かったと思っているのはお前だろう、カルム。お前がセトを兄のように慕っているのは知っている。そのセトが夜毎ここへ通ってくるんだ、さぞ嬉しいだろうな。こうなることを見越して騒ぎを大きくしたんじゃないのか?」
「まさか」
「けれどそれならもっと上手くやるんだったな。夕べの今日で、セトが夜警を命じられた途端あんなにはしゃいで見せるなど。父様も薄々勘付いてらっしゃるだろう、賊探しに熱心でないのがその左証だ」
ビルマは突きつけるように言い放つ。するとカルムはちろりと舌を出し肩を竦めた。
「ビルマ姉さんには敵いません、だけどそんなに睨まないでください。僕は姉さんの味方なんですよ?」
味方だと、と更に視線を険しくするビルマに、カルムは腰を折って顔を近付け、囁く。
「味方ですとも。姉さんはセト隊長をお慕いしてらっしゃるんでしょう? 僕はセト隊長に次期族長になって欲しい。ね? 僕ら、目指すところはおんなじなんですよ」
「馬鹿なことを」
ビルマは一笑に付し退けようとしたが、それでもカルムは食い下がる。
「護衛にセト隊長を指名されたのはどなたです?」
その言葉に、ビルマは不覚にも一瞬息を詰めてしまった。それを見逃さずカルムはますます笑みを濃くする。
「でしょうね。あの優しい伯父様が、勝手な人選を押しつけたりするはずありませんもん。ね? だから僕は姉さんの味方なんですってば。きっと姉さんのお役に立ってみせますよ」
そう囁き踵を返すカルム。束の間少年らしからぬ眼光に呑まれかけていたビルマは、慌てて立ち上がりその腕を掴んだ。
「待て、これ以上余計な真似はするな。お前は自分が何をしたのか分かっているのか? わたしの大事な友人を賊に仕立てたばかりか、しばらくの間貴重な狩り手をひとり欠くことになるんだぞ!」
猫のようにつり上がった双眸が、肉親の手心を捨て責めたてる。
けれどカルムは臆した風もなく、対照的に垂れがちな目を糸のように細め、
「しかも優秀な狩り手を、ですね。けれど隊長を指名したのは僕ではありませんし、僕としては賊の名を皆に言ってしまったって構わないんですよ。ただ姉さんのお気持ちを汲んで言わないだけで。
いっそ明らかにしてしまいましょうか? そうして賊が捕らえられたならもう夜警の必要はなくなりますから、セト隊長も狩りの隊へ戻ることができますね。
……あぁ、脅すつもりはないんですよ、本当です。
けれど姉さん、本当に急いでしまわなきゃなりませんよ。伯父様に万が一のことがある前に次の族長を起ててしまわなければ、島の士気に関わります。それに姉さんももう二四、健康な子を授けていただくには少しでも早い方が……」
滔々と浴びせられる言葉に、ビルマは眩暈を覚えた。
(これが齢一二の子供の手管か。我が従弟ながら何て小賢しい――!)
カルムの言うことはいちいちもっともで反論の余地がない。それだけに腹立たしく、また最後の一言が逆鱗に触れた。低く声を押し殺し、やっとのことで絞り出す。
「……分かった。この件は私情を絡めてしまったわたし自身で、責任を持って早期解決を図る。これ以上の手出しも助言も不要だ。それからわたしは子を産む道具ではない、不愉快だ」
そう告げて顔を背けたビルマに深々と一礼すると、カルムは黙って部屋をあとにした。
足音が遠ざかってしまうと、ビルマは崩れ落ちるように文台に身を投げ出した。
(……何故あの時、父様に告白してしまわなかったろう)
大袈裟に騒ぐカルムを遮り、アダンが相談をしに来ていたとでも嘯けば、父はアダンの不躾を咎めはしたろうが、ここまで大事には至らなかったかもしれないのに。そんな詮無い後悔が胸を締めつける。
己の不甲斐なさが、愚かさが、浅はかさが、立場が、性が、何もかも恨めしい。課せられた責任に対する己の無力さが、倦怠感となり細い肩にしなだれかかる。
彼女は目の前の文鎮を引っ掴むと、閉ざされた戸へ力いっぱい投げつけた。
カルムは遅れを取り戻すべく馬小屋へ走りながら、息と共に心も弾ませていた。
『早期解決を図る』
この言葉を、とうとう従姉の口から引き出せた。
従姉はその情の厚さから、賊の名を決して明らかにできないはず。
なら解決方法は――一連の流れから不自然ではないように、隊長を夜警の任から解き、狩りに戻す方法は。次期族長を起てる方法は。
そう考えるとついひとりでに頬が緩んでしまう。
(きっとそう遠くない内に、夢が現実になる日が来るんだ)
カルムはある出来事を胸の内で反芻した。
カルムが父を亡くしたのは三年前。
連戦に次ぐ連戦の打ち止めとなった、夏の戦でのことだった。
それは酷い戦だったと、カルムは後に聞いている。
相手はこの原で一番の大きさと人口を誇る島だった。それでも『弓島』と名乗るだけあって、この島の男達はどこの島の男達よりも弓の扱いに秀でている。接近戦が得意な敵に対し巧みに間を取り続け、遠距離からの攻撃で兵数の差を均し、互角の戦いを展開した。
しかし夏のことである。
夕暮れ、戦士達の身体に疲弊の色が濃くなった頃、激しい夕立が原野を襲った。
視界が利かぬほどの豪雨に戦線が乱れ、敵の接近を許したが最後だった。敵も味方も分からぬまま入り乱れる白刃。軍団長のアトはすぐに撤退を指示したが、あまりの雨で見る間に泥が緩み、馬の足が取られ、帰島すら困難な状況に陥ったという。
撤退中に誤って落馬し、泥に呑まれる者も出た。助けたくとも、誰もが自分の馬にしがみつき追っ手を振り切ることに精一杯で、顧みることすら叶わない。それほど酷い一戦だったのである。
その間避難所となった神殿で、カルムはヨキと肩を寄せ合い、父の無事を祈っていた。
ひとり、またひとりと、灰色に濡れそぼる男達が引きあげてくる。負傷者も少なくなく、衣を血色に染めた者が戻るたび、女達は手当てに駆け回った。
戦においては英雄のように讃えられているアダンが帰還すると、場は一時活気づいたがそれだけだった。負け戦であることは火を見るより明らかだった。
待てども待てども、なかなかカルムの父は戻って来ない。それどころか、男達の口から退却時の悲惨さが漏れ聞こえてくる。そしてとうとう戦場で父が深手を負わされたことを知ってしまった。
そんな身体では、この雨の中逃げ果せるとはとても思えない。
先の戦で父を亡くしていたヨキが懸命に励ましてくれたものの、カルムはもう父が戻ることはないのだと打ちひしがれた。
ところが、もう帰還者はないかと思われたその時、扉を開けた者がいた。
セトだった。
その背にカルムの父を負っている。カルムが慌てて母を呼び駆けつけると、父はもう殆ど息をしていなかった。徐々に温もりを失っていく身体に泣き縋る母子の前に、セトは膝をつき、深く深く頭を垂れた。
惨めたらしく濡れ貼りついた髪、泥飛沫に塗れた身体。腕の刀傷から溢れた鮮血が、雨と混ざり袖を汚している。その様で床に手をつき許しを請う姿は無様な敗走兵そのものだったが、幼いカルムの胸は強烈な感銘に打ち震えた。
(こんな姿になっても、父を見捨てず連れ帰ってくれたんだ。自らの身ひとつ、馬一頭御すので手一杯だったろうに、助かる見込みのない父を背負いここまで駆けて来てくれたんだ――!)
セトは助けられなかったことを詫び続けていたが、お陰で母子は父の死に水を取ることができた。戦場で散れば、身ひとつで泥に沈むが原野の戦士の定め。愛しい者の死に際を看取り看取られたことは幸いだ。
この時から、カルムはセトに恩義を感じると共に、元々抱いていた憧れをより一層強固なものにした。そして自らの危険を顧みず、傷ついた者に手を差し伸べる芯の強さを持つセトこそが、次世代を牽引する次期族長に相応しいと思うようになっていったのである。
(あぁ、もうすぐだ。もうすぐ全てが上手くいく。あとは……)
急ぎ訓練に合流したカルムは、新たな指導官に遅れた事情を話し、少年達の中へ混ざった。そしてさり気なくヨキの隣へ馬を寄せる。
「遅かったな、寝坊か?」
説明を聞いていたにもかかわらずからかってくる幼馴染に、そっと囁いた。
「ビルマ姉さん、いよいよ婿取りに本腰を入れるってさ」
それを聞いたヨキの三白眼が一瞬丸くなった後、意味ありげに細められる。
「そうか」
「あぁ」
同様に細めた二対の瞳が、すぐそばで揺れる金色の髪に向けられた。