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本編開始。
ここからしばらく三人称視点になります。
世に数多あるVRMMOの最新作『HeavenSward Online』は好調な滑り出しを見せていた。
この頃のサービス形態はフリーミアムと呼ばれる基本無料の形態ではなく、歴史を巻き戻したかのように月額での基本契約料を支払うスタイルになっていた。
それもその筈で、VRゲームの新規開発には莫大な作業量が必要となるので人件費や技術料が膨れ上がり、どうしてもその投資額を回収するには基本となるパッケージを販売する方式に立ち戻る必要があったのだ。
VRマシン本体も普及したとは言えど決して安いものでもない。
初期費用にランニングコスト……プレイヤー側も運営側も、VRゲームを取り巻く環境はまだまだハードルが高いジャンルと言えるかもしれない。
それでも、多くの企業やプレイヤーがその世界に魅了される理由がある。
こればかりは、実際に体感してみないと正確なところは伝えられないのだが……まだ見ぬ未開の大地を自らの手で開拓するという興奮と快感は、人工衛星によって世界中が丸裸になった現代においては他では得られない経験の一つだと言える。
元々人類は未知を求めて世界中を歩いてきた特異な種族だ。
その古い遺伝子に刻まれた記憶や経験が、VR世界という新たな土壌に惹きつけられるのは最早人間の根幹に根差す本能的な欲求と言ってもいいのかもしれない。
こうして語るうちにも、また一人。
新たなプレイヤーが新天地を目指してVR世界へと足を踏み入れているのだ。
君がその一員になるのも、おそらくはそう遠い話ではないだろう。
※ ※ ※
絵の具で塗り固めたかのような濃い青に染まる空で、風に煽られた雲が白い尾を引いていた。
ここは仮想現実とよばれる虚構の世界ではあるが、全てを五感で感じる事が出来る。
本当のリアルと比べればどこか「ぎこちなさ」はあるかもしれないが、それでも全てが真っ赤なウソと言うわけでは無い。
例えこの全てが0と1で表現された書き割りの世界だとしても、そこに居るプレイヤーたち……そこで冒険をしている人間にとっては、その体験は何ら嘘でも無いのだから。
そう、この世界は現実の延長線上にあるのだ。
遠く地平線に微かに見えるのはこの世界『HeavenSward Online』における冒険の舞台の一つであり、全てのプレイヤーが初めに足を踏み入れる場所である『始まりの街リヴァイラ』だ。
5mほどの石壁を持つ堅固な都市は、この大陸の貿易中継点としても利用されているので冒険者ギルドを始めとした各種組合や施設が充実している。
見渡す限りが地平線に見えるほどの広大な平原に囲まれ、滅多なことではモンスターに襲われることも無いので常に活気に満ち溢れている。
周辺に生息するモンスターも比較的弱い個体が多く、街が見えなくなる程離れない限りは旅人に害は及ばない。
そう、危険の境界線が丁度この辺りなのだ。
鬱蒼と茂る森はこの世界においてモンスターや野生動物のテリトリーでもある。
森にほど近いこの場所はモンスターと遭遇する確率がグッと上がる場所なのだ。
駆け出しの冒険者たちは敢えて危険の入り口であるこの場所を訪れ、己を鍛える為の修練の場所として利用していたりするのだ。
今、多数のモンスターに囲まれながら懸命に身を捩り、必死で剣を振るっている男も、そんな駆け出しの冒険者の一人だ。
彼の名前はセイロン。
短く刈り上げた黒髪にぎらついた視線、不敵な笑顔を浮かべたそれなりのガタイがある男だ。
180は優にあるだろう彼だが、全身の筋肉が引き締まっているので離れてみるとそこまで圧迫感は無く、同じくらいの身長がある他の冒険者と比べるとむしろ細く見える程だ。
手にした得物は使い込まれたロングソードが一本、それを片手で、時に両手で振り抜いていた。
機敏に敵の攻撃を躱し続ける姿はまるで背後にも目があるかのように思えるほどだ。
絶え間なく視線を巡らせ、怯むことなく敵の懐へと踏み込んで鋭い一閃を放つ。
荒々しい呼気を繰り返しながらも、肉体は未だ衰えを見せることなく動き続けていた。
彼を取り囲むモンスターの数は両手の指の数よりも多い。
一度限界が訪れれば、その命運が尽きるであろうことは火を見るよりも明らかだった。
それを自覚しているだろう彼は、より一層肉体を酷使する。
前後左右からのシンクロ攻撃を宙に舞うことで回避しては、振り向きざまの水平切りで一体のゴブリンを仕留める。
そのまま流れるように剣を両手で握り締めると、大きく一歩を踏み出しながら隙を晒しているゴブリン三匹を返す刃で纏めて薙ぎ払う。
勢いをそのままに地面を転がった彼の頭上を、角の生えたウサギの突進が掠めていく。
伏せた身を大きく弾ませ、ネコ科の猛獣を思わせる飛びかかりから振り被った一撃で断ち切る。
細く、長く息を吐き出しながら、木を背にして彼は立ち上がりながら周囲を確認する。
「……よし、あと少しだな」
彼とモンスターが戦っているこの場所には、太陽の輝きを受けて煌めく結晶が幾つも散らばっている。
これは『魔結晶』と呼ばれるモンスターが体内に持つ結晶体であり、この世界で広く活用されている資源であり、冒険者たちに新たな力を与える存在でもある。
辺り一帯に散らばる魔結晶は、まさしくここで打ち倒された魔物の数を物語っているのだ。
本来ならば冒険者はパーティを組んで狩りをおこなうのが基本だが、周囲に他の冒険者の姿は見当たらない。 ここは隠れる場所など無いに等しい平原だと言う事が、彼以外の冒険者がこの場にいない事を証明していた。
それはつまり、彼は一人でこの魔結晶の数と同じだけの魔物を切り伏せたのだという事実。
孤軍奮闘と言ってもいい状況。
たった一つのミスや躓きがそのまま自らの命を奪いかねない状況で、彼はその死線を潜り抜けて勝利の山を築き上げていた。
そうして今、最期のモンスターを一刀の元に切り伏せた。
周囲の安全を確認し、腰の鞘に剣を収めて深呼吸を一つ。
険しかった表情にもようやく安堵の色が浮かんだ。
「あー、キツかったー! 流石に死ぬかと思ったわ!」
そんな当たり前のことを叫びながらも、男は不敵な笑みを浮かべていた。
一瞬前までの張り詰めた横顔もどこへやら、いそいそと落穂を拾う農夫の様に魔結晶を拾い集めては革袋に収めていく。
魔結晶はギルドの換金所に持ち込めばお金になるし、経験値として自らの新たな素質を開化させることにも使える重要なアイテムだ。
結晶のサイズによって価値の大小はあるが、一つとして残さず拾うのは冒険者として当然だろう。
他には幾つか貴重なドロップアイテムも出現していたので、下ろした背嚢へと回収していく。
それらの作業が終った頃には魔結晶を入れる革袋も立派に大きく膨らんでいて、彼の顔にも思わずニンマリと笑みがこぼれる。
「んー、これはいよいよ目標額に到達したんじゃないか? 楽しみだー!」
小躍りしそうなほど喜びながら、彼は弾む足取りで街への帰路に着く。
水代わりにヒーリングポーションで喉を潤しながら、街道へ出て道なりに街へと帰るルートだ。
街道周辺はモンスターの出現率が一段と低くなるし、街へと近づく程に更に遭遇率は低下していくので多少は気を抜いても構わないと彼が考えているからで、実際ほとんどの冒険者が同じように考えているのだから仕方がないだろう。
それに、圧倒的な差のある一対多の状態で勝利を収める実力がある彼にとって、街道沿いで遭遇するモンスターの数と質程度では脅威になり得ないのも事実だった。
ほどなくして彼は無事に街へと辿り着くのであった。
リヴァイラの街のメインストリートは昼夜問わず喧騒に溢れている。
夕方時の今は特にその傾向が強く、ひと稼ぎした冒険者や市民、行商人たちが街の至る所でどんちゃか騒ぎを起こしているのだ。
飲食店がその中心だが、狩りを終えた冒険者を呼び込む声はそれだけに留まらない。
「新鮮な素材に美味い酒、定食一人前を5500リールでやってるよ! どうだい!」
「そこのニーサン、今日も狩りで随分とお疲れでしょう! 可愛い女の子のマッサージなんてどうです、お安くしますよ! ほらほら、まずは試しに見て行ってよ!」
「武具の手入れいかがっすかー! 格安激早で確かな腕前! お得ですよー!」
「消耗品の補充はその日の内に! ポーションのタイムセールやってまーす!」
「今晩の宿が決まってないならウチの宿がオススメだよ! 晩飯付きの個室を10000リールぽっきりでご提供! あと5部屋だけですよー!」
あれやこれやと客引きの声が飛び交う中を、セイロンは慣れた足取りで悠々とすり抜ける。
都市の南地区は別名『冒険者区画』と呼ばれ、特に多くの冒険者が一日の狩りを終えて帰ってくるこの時間帯は人で混み合うのだ。
飲食店や酒場、宿屋などの多さ、また『マーケット』と呼ばれる冒険者の露店市も南地区にあるのだから、その傾向により強い拍車を駆けているのだ。
今ここにいる冒険者の殆どの目当てがそれらの店であるのは当然で、今も客引きの声に誘われた二人組の冒険者が今晩の宿を決めたところだ。
「ねぇねぇ、そこのオニーサン! ウチのお宿でお泊りしませんか? サービスとか色々頑張っちゃいますから~!」
ぐいっとセイロンの腕を取って強引なアピールをしてきたのはそんなNPCの一人だ。
快活そうな印象の顔付をしたボンキュッボンな体系に、猫なで声の接客ボイス。
男心を巧みに擽るその仕草は、一部では「運営のハニートラップ」とまで言われている程のやり手のNPCだ。
セイロンも腕に感じる膨らみの柔らかさや、愛嬌のあるNPCの顔立ちに満更でも無さそうな顔を浮かべていたが、ゆっくりと顔を振ると名残惜しそうに彼女の腕を解いた。
「すまんな、俺にはちぃっとばかし先約があるんだわ」
「お宿を決めちゃってましたか? 私じゃ……ダメですか?」
うるっとした瞳に心底がっかりしたという表情を見せる彼女に、相手がNPCだと分かっていながら気持ちが揺らいでしまうのは男の悲しい性だろう。
セイロンはそんな自分に苦笑しつつも、看板娘に答えを返す。
「そうじゃないんだがな……多分、ここに俺が戻ってくるよりも早く、君なら他の冒険者を捕まえるのは容易いこと、だろ?」
「……もう、お口がお上手なんだからオニーサンは! 次は泊まっていってよね!」
そう言うとNPCの看板娘は投げキッスを一つ残して他の冒険者へと……行ったと思えば、もう捕まえてしまったようだ。 鼻の下をだらしなく伸ばした冒険者は、浮ついた足取りで彼女に腕を取られながら人混みの中に消えていった。
彼女たちが波に紛れてしまう直前、こちらに振り返り小悪魔のような笑みを浮かべたように見えたのは、夕日の加減だったのだろうとセイロンは思うことにした。
「ほんと、AIなのに受け答えが自然過ぎるんだよな……受け答えはクリエイターの趣味かな」
そんなことを誰ともなしに呟きながら、彼はごった返す人の海を泳いで目的地へと足を向けた。
目指す先はこの街の中心地、女神の噴水広場のすぐ前にある冒険者ギルド会館。
本日の稼ぎを精算する為に。
立派なエントランスホールの眺めも、ここ数日で大分見慣れた感じはある。
シャンデリアの豪華絢爛な輝きも、ごった返す冒険者の人だかりも、初めての衝撃と比べればすっかり影を潜めてしまったとセイロンは思っている。
それこそ、初めて来た時は物珍しさに周囲をきょろきょろと見回していたのが、今ではすっかり目的の施設やサービスを利用する為に効率よく足を運ぶだけになっているのだから無理はない。
しかし、そんな慣れを感じ始めている彼が逆に通うたびに驚かされていることもある。
「あ、セイロンさーん! お待ちしてましたよ!」
ギルドの受付カウンターに近寄ると、奥の書棚で作業をしていたはずのNPCが目敏く彼の姿を見つけて駆け寄って来た。
ダークブラウンの髪に、これと言って特徴の無い顔立ちの女性NPCで名をテュルケと言う。
基本的に平均よりもやや上以上の容姿を持つNPCにしては、彼女は異常と言っても良いくらいに地味で大人しい印象を持っていた。
悲しいかな、プレイヤー達の多くはこういう施設のNPCでも美男美女という存在に弱く、特徴的で好まれ易い見た目や雰囲気を持つNPCがやはり人気が高く、そのNPCの担当する窓口は時間によっては長蛇の列が出来上がるのだ。
まさに今も、そうした行列が幾つも出来上がっていることが傍目に見て取れるだろう。
セイロンが居るのはそういう拘りが無いプレイヤーが空いているNPCを利用しようと集まる、俗っぽく言えば「不人気NPC」の担当するエリアなのだ。
彼自身は特にNPCの容姿に対してこだわりが無い為に、こちら側の受付を積極的に利用していただけなのだが、気付けばこうしてNPCの方に覚えられてしまったと言うわけだ。
今では日課の狩りを終えて戻ってくると、ほぼ必ず彼女が担当になるようになっていた。
VR業界では最新技術の試験的な導入、複合的研究が積極的に行われている。
多くのプロジェクトを一括でパッケージングすることで研究開発のデータ採取やコストを大幅に改善できることや、副次的な効果として最新技術を導入したことが一つのセールスポイントにもなる。
実際、VRゲーム業界でもIT系先進技術の試験的運用は日常的になされており、多くのプレイヤーを抱えている最新VRMMOタイトルであるこの『HeavenSward Online』においてもNPCに最新バージョンの学習型人工知能が採用されている。
これによりゲーム世界における時間の経過と共に、NPCたちの受け答えや所作などが日々洗練されていっている、と言う話はセイロンも軽く耳にしたことがあったが、こうして特定のNPCとプレイヤーが親しくなることもあるのかと内心感動を覚えていた。
彼にしてみれば特別扱いをしていたつもりは無いのだが、結果として彼女とは頻繁にクエストの受発注を行っていたし、偶然タイミングがあってしまったのか完了の報告をすることも多かった。
NPCがそう言う反応をとることを好ましく思わない人間も居るかもしれないが、少なくとも彼はこのことについて特別な感情を抱いてはいなかった。
精々、自分が使い慣れたパソコンや携帯などの情報端末が使い込むと徐々に自分好みの操作感に染まっていくのと同じ感覚だろうと思っているぐらいだ。
そう思いながらも驚きを感じていたのは、初めて会った時は淡々とした「如何にも」なNPCらしい定型文を交わす硬いやり取りだったのが、今ではこうして顔や声、仕草などで感情表現を演出するようになったのだ。
そして、今日に至っては彼の名前をこうして呼びかけている。
会う度に情緒が豊かになっていくNPCの進歩に彼は舌を巻いていたのだ。
「やぁ、ピオ。 クエストの完了報告をしたいんだけど……」
「はい、こちらへどうぞ!」
NPCの受付嬢ピオに案内されるがままに、セイロンは空いているカウンターへと通される。
この時間帯に混んでいるのは主にドロップアイテムの換金であり、クエストの報告が最も混む時間帯を過ぎた今はちらほらと待機列が無いカウンターもあるのだ。
それでも、人気の窓口NPCが居るカウンターには今も待機列があり少なくない数の冒険者が順番を待って並んでいた。
彼らは彼らでこのゲームの世界を最大限に楽しんでいるようだ。
セイロンはその光景にも慣れたもので、初めは目立つこともあって何かと気になってしまった行列だったが今では一切そちらに見向きもせず、カウンターの向こう側でせっせと準備をしているピオの一挙一動を眺める余裕があった。
質の良さそうな生地を使った職員の制服に身を包んだ彼女の印象は、まさに馬子にも衣装と言った所で、服に着られているという印象を持つ人の方が多いかもしれない。
そんな彼女があくせくと働いている様子は、小動物が駆け回るような微笑ましさがあった。
「では、お手を拝借しますね……ひの、ふの……はい、受注クエストの達成を確認しました。 それでは、精算致しますので少々お待ちくださいね」
彼女はそう言うと、細長い紙の束を取り出して表紙をめくり、インク壺に浸した羽ペンをさらさらと慣れた手つきで紙の上を躍らせた。
淡い輝きを放つと彼女の記したサインが焼き付き、それと同時に複雑な紋章をあしらった紙幣のようなデザインが浮かび上がるように印字される。
それを白い手袋をはめた人差し指でさっとなぞり、仕上がりを確かめて束からそっと切り離す。
出来上がったのは小切手だ。
冒険者ギルドで受注したクエストはハンコの様な道具をプレイヤーの手の甲に押し当てて登録し、達成状況をこうしてNPCが片眼鏡を使って読み上げて確認した上で精算業務を行う……と言うゲーム的な演出をするのだ。
支払いにおいて小切手を切る理由は、単純にハイレベルなクエストの報酬の場合は桁が多くなってしまい、幾らVRと言えど大量の紙幣や硬貨の山でドンと渡すのは不便で仕方ないからだ。
この小切手は別に銀行で引き換える必要なども無く、そのままインベントリの中に入れる時に所持金として加算することが出来る。
また、パーティの場合は小切手を千切ることで分割金額の設定画面が表示され、そこから直接各自の所持金に入金したり、新たな額面の小切手として複製できるので手渡すことも可能だ。
実は冒険者の基本機能として、各自の所持金のやり取りの方法の一つに高額な資金を取引する際、プレイヤーが額面を決めた小切手を作成して取り出すことができる。
システム的にはもっと便利でスマートな資金のトレード方法もあるが、折角のVR世界の雰囲気を楽しむ為に、紙幣や貨幣、小切手などの「現物」としての取引が可能になっているのだ。
冒険者ギルドでのクエスト報酬の支払いに小切手が使われているのは、そういった複数の観点からゲーム世界の雰囲気を楽しんでもらおうと言う配慮からである。
最初は小切手という新たなアイテムの登場に戸惑ったセイロンも、当日即座にまださほどAIが成長しておらず不愛想だったピオを相手に説明を求めてシステムを理解したという経緯がある。
ここに通った回数が二桁を超えた今ではすっかり手慣れたものだ。
受け取った手で即座に腰のポーチから『財布』――自分の所持金をオブジェクト(立体として)出し入れする為に利用するシステムアイテム――を取り出してはさっさと入金してしまう。
「セイロンさん、もう大分お仕事には慣れましたか?」
いつもなら後はこのままセイロンが去るだけなのだが、今日のピオはとても積極的だ。
受付NPCが雑談に興じる姿と言うのは、そうそう滅多にみられるものではない。
あってもプレイヤーからの問いかけに応じる形で反応する程度なのだが、NPCの彼女から率先してプレイヤーに声を掛けて来ると言うのは他では無いモーションだった。
それと知らないセイロンは、街中でよく見かける町人NPCの反応を思い出していた。
町人NPCはランダムな会話パターンや生活パターンなど、NPC毎に独自の生産、消費のサイクルを持たされている。 まさに、この世界の住人として機能している。
時には噂話と言う形で特殊なイベントやクエストを発行していたり、その前兆などをヒントとしてプレイヤーに投げかけてきたりするのだが、そこまではこのゲームを始めてまだ日の浅いセイロンに知る由は無い。
それでも、何度も出会った町人NPCのように自らプレイヤーと交流や対話を持ちかけるNPCが存在していると理解している彼は、彼女のモーションもそれらの一種なのだろうと捉えていた。
彼はプレイヤーの中ではどちらかと言えば没入型……VRゲームの世界の在り方をそのまま受け止める、自分もその世界の一部だとして立ち回る傾向があるプレイヤーだ。
先の客引きをしていた看板娘に対してしていたように、対話には対話を返すのが彼のプレイングであり、それが目の前の彼女であったとしても当然その姿勢に変化は無い。
「おぉ、順調順調! 最近になってやっと戦闘のコツが掴めて来たのか、モンスターからの攻撃を前ほど受けなくなったからな」
ふっと親しい友人にするような気楽な笑みを浮かべて――彼にとってはそれこそ、このゲームを始めて以来最も頻繁に出会っているNPCでもあるし――自らの近況を誇らしげに語った。
それに応えたのはピオのはにかむ様な笑顔だ。
「やはりそうですか! ここ数日、一度に複数の討伐依頼を受注されていたので心配な気持ちが半分、残り半分はちゃんと依頼を達成されてお戻りになられていたので、もしかしたら……などと勝手に思っていた次第です」
彼女の言葉に、本心から苦笑を浮かべてしまうセイロン。
確かにしばらく討伐依頼ばかりを重ねて幾つも受けていたし、日によっては10件近くのクエストを纏めて受けていたのも事実だ。
今日だけに限って言えば、過去最大の13枚を同時に受注していたりする。
それだけの数をこなそうと思えば必然的に討伐する魔物の数が膨れ上がってしまい、日によっては死に戻りの回数が多過ぎて支出と収入のバランスがマイナス方向に振れてしまったこともあった。
セイロンが苦笑を浮かべたのは、そんな苦い記憶を思い出しての事であり、自分の無茶な特訓をNPC(システム側)に心配されていたのだと言う何とも歯がゆい気分からだ。
「はは、辛酸を舐めたこともあるけど糧にしたからね。 むしろ今日は余裕があるくらいさ」
「とても心強いお言葉です。 私達ギルドの者は冒険者様の更なる活躍を日々祈っておりますし、クエスト業務に関しては全力でサポートさせて頂きますので……これからも宜しくお願い致します」
そう言って、綺麗な姿勢でお辞儀をするピオに初めて見惚れたセイロン。
慌てて気を取り直しつつ、別れの挨拶を告げた。
「これからも宜しくな、ピオ」
微笑む彼女を背に、照れ臭そうに笑いながら彼はギルド会館を後にする。
冒険者の殆どはこの足で酒場や飯屋などの飲食店、または今晩の宿など各自の拠点に戻って一日の疲れをリフレッシュしたり、明日の計画を立てるところだろう。
しかし、今日のセイロンにはまだ行く場所があった。
「今日のクエストの達成報酬でばっちり予定通り金は貯まったし、いよいよ念願のアレを手に入れる日が来たなぁ……!」
感無量と言ったホクホクとした表情で、彼はこの街で最も商売が盛んな東の大通りへと歩を進めるのであった。
空には夜空を彩る無数の星々が瞬き、大粒の真珠のような見事な満月が浮かんでいた。
なんとか毎日更新できる方法はないかと模索する日々。
拙い拙作ではありますが感想、評価などあればお気軽にどうぞ。