プロローグ『そして僕のリアルが終わりを告げた』03
ふっと部屋の電気を付けたかのようにパッと視界に景色が現れた。
眠っていたと言うには目覚めが良く、言葉にするならば少し長く瞼を閉じていたかのような……それでいて、前後の繋がりに隔たりを感じる不思議な感覚。
そう、それはまるで時間が跳んだかのような体験だった。
「お目覚めのようだね……気分はどう?」
お目覚め――その言葉に、やはり僕は寝ていたのかもしれないと感じる。
眠気は全く無いスッキリとした視界と思考だが、やはり断絶した意識の繋がりの違和感か状況が上手く頭の中で整理できていない。
僕を覗き込んでいる穏やかな顔はVRゲーム『HeavenSward Online』で出会った、初心者支援クランに所属しているらしいリリアだ。
彼女はまるで天地がひっくり返ったように逆さまに僕の顔を覗き込んでいた。
一瞬驚いたが、そこではたと自分が寝そべっている事に気が付いた。
彼女の顔と一緒に空が、そして彼女が身に纏っていた衣装が視界に映っていたのだ。
後頭部に微かに感じる柔らかな感触と微かな熱は、平原の草や土のものでは……ないだろうが、勤めて意識しないようにすることにして上体を起こし、ゆっくちろ辺りを見渡す。
やはりここは見覚えのある平原だ。 少し遠くに街の外壁が見えた。
そう言えば、僕は彼女に戦闘のレクチャーを受ける為にフィールドまで出てきて……そして、とあるアクシデントから彼女に殴られたのだった。 そのはずだ。
アバターを見渡してみるが、特に異常は見当たらない。
視界の隅に映っている自分のステータスを確認すると、コンディション――HPやMPなどの数値も最大値まであるようで、特に異常は見当たらない。
「気分は悪く無いんですけど、何があったのかは今一つ理解できてないです」
「ごめんね、つい手を出しちゃった時にうっかりアーツを発動させちゃって、クリティカルヒット時の追加効果の昏倒でキミは一時的に意識を失っていたんだよ」
なるほど。
アーツと言うのはあの時の杖の輝きで何となく察していたけど、レクチャーとして見せてくれた無声発動の≪ヘヴィスイング≫のことだろう。
「なんか、ちょっと変な感覚だな。 頭痛がするわけじゃないけど、前後の繋がりがしっくりこないって言うか……」
「キミが昏倒のバッドステータスを受けてから、この世界の時間で20分は経ったからね。 太陽も傾き始めているし、ちょっと雰囲気が違うから戸惑ったんじゃないかな」
「えぇ!? 20分も経ったんですか!?」
「アーツには特殊な追加効果があるものがあって、中には強力なペナルティ効果を付与するものもあるんだ。 後衛職の初期アーツの≪ヘヴィスイング≫だけど、威力補正の代わりに衝撃力とクリティカルヒット時のみ昏倒の効果があるんだよ……ねぇ、怒ってないの?」
不安げな声でこちらを見上げるリリアの表情に僕は戸惑いを隠せない。
どちらに非があるかと言われれば……おそらくは彼女の方にあるのだろう。
偶発的とは言え、他のプレイヤーに一方的に危害を加えてしまったのだから彼女が罪悪感を感じてしまうのも分かる。 ただ僕自身の感情としては、むしろ彼女に対して同様に罪悪感と言うか、それとも何と言えばいいのか困ってしまうような後ろめたさがあるのも事実なのだ。
心配そうにこちらを気遣う彼女の視線、その僕のアバターとの身長差から自然と生まれる上目遣いの表情が可愛くて、そういう趣味は無いんだがプラスマイナスで言えば得をしている気分になる。
「怒ってないです。 考えようによっては、アーツの効果を実際に体感できたってことは貴重な経験だと思うし……それに、そうやって可愛い顔をされると怒る気なんて沸かないよ」
僕は笑顔でそう言うと、彼女に対して含むところは無いと伝える。
これは不幸な事故の結果であり、それは誰かの罪でも罰される必要もない。
そして、僕の心のアルバムには豪奢なイベントスチルが一枚刻まれた。
それですべて万事解決、丸く収まると言うものだ。
「もう、キミはそうやってすぐに調子のいいことを言いますね! こっちは心配してるんだから、茶化して誤魔化すのは良くないですよ! もう!」
一瞬だけきょとんとした顔を見せた後、すぐにいつもの調子を取り戻したリリアはウィンクしながら怒った口調をして見せると言う器用な真似を披露してくれた。
リアルならあざとい仕草だと思うだけかもしれないが、この世界だとまた別の感動も浮かんでくる。
このVRという世界の中で自分の身体となるアバターを自在に動かすのは至難の業のようだ。
現に、さっき町では僕と同じ初心者のプレイヤーであるカラーが、アバターを上手く操作できなくて困っていると言う話を聞いたが、僕はこうやって問題なく動けている。
VR初心者の自分がこうやってすぐにアバターを不自由なく動かせるだけでも、経験者からすれば十分らしいが、リリアのようにころころと表情を変えたり、細かな仕草まで表現して見せるのは実はとても難しいことなんじゃないかと今は感じている。
僕に浴びせたアーツの一撃。
無声発動は熟練者じゃないと使いこなせないと彼女は言っていたが、彼女自身がそれを特別意識するわけでも無く羞恥心から振り回した杖で難なく発動して見せたことが、プレイヤーとしてのスキルの高さを物語っていると文字通り肌で感じたのだ。
「そう言えば、俺のHP減ってないんだけど≪ヘヴィスイング≫ってそこまで弱いわけじゃないよね?」
「流石に私がいくら非力な後衛で、キミがフィジカル極振りの前衛だと言っても、それなりにレベル差があるからね。 半分くらいは減ってたけど、それは私が責任をもって癒させて頂きました!
ただ、昏倒って実は結構強力なバッドステータスでね……即時回復の手段は『気付け薬』って言う専用の消費アイテムじゃないと治療できないんだよ。
お値段もそれなりにするから、結界を張って自然治癒を加速させることで対処したんだ」
「結界?」
言われて見渡せば、確かに薄いライトエフェクトがドーム状に展開されている。
彼女の背にしている直立した杖がその中心のようだ。
「そう、スキルの一つに結界って言う系統があるんだ。 私が展開しているのは≪野戦治癒の結界≫と言って、フィールドならばどこでも使用できるタイプなんだ。 範囲内に入っているパーティメンバーのHPやMPの回復、バッドステータスの治療などの自然治癒効果を促進してくれる上に、弱いモンスターを寄せ付けない便利なスキルなんだ。
デメリットとしては、そこまで強力な回復効果がある訳じゃなくて、自然治癒しないタイプのステータス異常も治せないし、レベルの高い敵には効果が無いから油断は禁物だね」
それでも、パーティプレイでは必須スキルですとリリアは締め括った。
「結界ってプリーストが習得するスキルなのか?」
「うーん、アーリー組でも意見は結構割れてるけど、基本的には後衛が覚えてるかな。
……まだ結界の時間あるから、サクッとその辺の解説もしちゃおっか」
リリアは彼女の目には見えているであろう情報ウィンドウに視線を向けながら、一つ頷くと僕に向き直った。
「このゲームって明確に役割が決まってる訳じゃないから、各々でどんな職業でどんなことをしたいかを意識しながら自分を育てていくんだけど、ざっくりとした考え方としては前衛と後衛って考え方があるの。
前衛が敵に肉薄して戦うポジション、後衛が味方に守ってもらいながら戦うポジションだね。
キミってネトゲとかは好きな方なんだよね?」
「まぁ、それなりにやってた方だと思う」
「じゃあ、何となくわかると思うんだけど。
前衛は相手と接近して戦うからどうしても攻撃と防御のバランスが求められるの。
攻撃に関しては武器の種類やアーツの選び方で、防御に関しては防具やアーツに頼る以外に、受け流しや回避といった上級者向けのテクニックもあるけど……やっぱり、アーツやスキルで補助するのが一般的なんだよね。
攻撃だけに偏らせると反撃でやられちゃうし、防御に偏りすぎると決定打に欠けるから個人としての戦力は低くなってしまう。 だから、取得した経験値を攻撃と防御のバランスを意識して割り振るからどうしても成長が遅くなってしまうんだよね」
よくあるネトゲでは職業を選んでそのクラス毎の役割を任されることが多い。
タンクと呼ばれる防御に優れた職業が前衛に立って敵の攻撃を一身に受け、ヒーラーと呼ばれる後衛職がタンクの回復を行い、DPSと呼ばれる攻撃力に特化したキャラクターが敵を倒す。
他にも細々としたポジションもあるが大雑把に言えばこんな感じだ。
この『HeavenSward Online』の場合は、そういう特定の職業が特定の役割を担うゲームではないらしい。
なんとなく、キャラクターカスタマイズの時点で勘付いてはいたけど、実際にこうやって体を動かしているとその理由もわかる気がする。
自分と同じくらいのサイズのモンスターを一人で複数相手にするのは骨が折れるだろう。
ここが現実ではないと言っても、アバターの操作感はまさに生身の肉体に近い物なのだから。
敵が二人いた場合、一体を相手にしている内にもう一体が後ろに抜ける状況といのは、火を見るより明らかな光景だろう。
仮に、敵のターゲットを自分に固定できたとしても、前後を挟まれるだろうという予想は難しくない。
そうなってしまえば、敵にいいようにやられてしまうのも時間の問題と言うものだろう。
囲まれるリスク、攻撃の集中するリスクを背負う以上、それに対抗する手段を一切持たないと言うのは折角の自分の戦闘力を削ぎ落とすことにも繋がりかねない。 だからこそ、攻撃と防御のバランスを意識してポイント分配の比重、取得するスキルやアーツの選択を考える必要があると。
「逆に、後衛は防御のことを味方に任せると割り切って成長方針を固めるから、特定の方向に特化した育成を進めやすいんだよね。 もちろん、ある程度のソロ能力も求められるけど、基本的には個人の戦闘能力よりもパーティプレイでの最大値が高くなるように育てるのが一般的かな」
「なるほど。
前衛は単体としてある程度のバランスを整える必要があるけど、後衛は防御面を味方に頼ることで別の分野を伸ばすことができると」
「そうだね、VRゲームではわりと一般的な考え方だと思うよ。 特に、昔のゲームだと一人で何十匹ものモンスターを受け持つことが普通だったらしいんだけど、このVR世界で同じことをするとあっという間に揉みくちゃにされちゃうからね……それに、ヘイト管理も結構複雑みたいだから非VRゲームで慣らした人は最初の内はその違いに戸惑うって言ってたなぁ」
「そっか、俺も戦士系を意識して最初のカスタムをしてるけど、ある程度は先を見据えて育成ルート考えておかないとダメだよな」
「ダメってことは無いと思うよ? そのうち利用する機会があると思うけどアーツなら傭兵ギルド、魔法なら魔術ギルドで、各種スキルの初期状態を体験することが出来るから気軽に試せるし、ちょっとお金が掛かるけど、ある程度は再訓練という形でポイントの調整が出来るから難しく考える必要はあまりないと思うわ。
それに、VRMMOの世界はモニター越しに見てた世界とは何もかもが全然違うから……この世界でなりたい自分になれるようにプレイするのが一番楽しいと思うな」
「……だな!」
リリアの言葉に僕は大きく頷いて見せる。
その通りだと強く思った。
どうしても『ネトゲだから』という前提で物事を考え、育成やスキルなどの効率を優先させなければと思ってしまう部分がまだあったようだ。
VRMMOは今まで僕が一度も経験したことのない未知の世界で、このゲームもリリースされて間もない新作タイトル。 前人未到のフロンティアと言っても過言ではないのだ。
その中で、あれこれと考えて自ら型に嵌ろうとするのは日本人の悪い癖かもしれない。
「戦士系のキャラクターでもタンクするだけじゃなく、遊撃したり、必殺を狙ったりと、どちらかと言えば能動的に動くことの方が多いからね。 パーティプレイを意識してくれる、私達後衛のことを守ろうとしてくれるのは勿論嬉しいことだけど、まずは自分が楽しんでロールプレイできるキャラクターを作らないと、ね!」
身振り手振りを交えながら、分かり易いようにと噛み砕きながら教えてくれた彼女に感謝しつつ、僕は自分のキャラクターの今後……どのようなロールプレイをしたいのかを考える。
強くなりたい。
今は漠然とそんなイメージしかないが、どんな逆境や苦難にも諦めずに立ち向かえるような強さが欲しいと、そう思った。
それがどんなスキルやアーツ、または魔法を覚えれば形になるのかはまだ分からない。
ただ、それでもイメージが浮かんできたことでおぼろげながら輪郭が掴めてきた気がしたのだ。
「ありがとう、リリア。 何となくやっていけそうな気がしてきたよ!」
「ふふ、元気になったようだね。 どういたしまして」
さっぱりとした気分でお互いに笑みを交わす。
彼女との出会いは本当に偶然だったが、出来れば今度とも仲良くしていきたいと思うぐらい、僕は彼女の事が気に入っていた。
リリアの方は僕の事をどう思っているのだろうか……そう考えると少し胸が痛む。
思い返すのはまだ浅い場所にある痛みの記憶。
財木さんに告白をし、彼女を悲しませてしまったと言う事実。
それを思い返してしまうと、リリアにどんな言葉をかければいいのか分からず立ち竦んでしまう自分が居るのだ。
分かっている。 これは他愛もない感傷なんだと。
それでも、まだ僕は始めの一歩を踏み出せないのだ。
始めて思い知らされる自分の情けなさに、生まれて初めての大きな挫折感を僕は感じていた。
僕が彼女に歩み寄ろうとしたとき、彼女が一歩下がってしまうかもしれない。
その可能性を考えるだけで、目の前に壁があるかのように前に進めなくなるのだ。
「さてさて、そろそろ結界の時間切れ……丁度良いね、最後に実戦訓練としてこの辺のモンスターを狩って町に帰ろうか!」
立ち上がった彼女は、法衣の裾をぱんぱんと払って杖を手にする。
光の膜でできたドームがすぅっと薄れ、平原を吹き抜ける風がざぁっと音を掻き鳴らしながら頬を撫でつける。
セミロングの髪をなびかせる彼女の横顔は自信に溢れているように見える。
せめて、この内心の不安を顔には浮かべない様にと意識しながら僕は表情を作る。
それが上手く出来ているかは分からないが、僕はアバターの操作が上手いらしいから意識して行えばおそらく問題なく出来ているはずだ。
自信満々、意気高揚としている不敵な笑顔を浮かべ、僕は彼女に続いて立ち上がる。
彼女の隣に並べば、背の低いリリアは僕の胸の下あたりまでしかない。 顔も綺麗ではなく可愛い方だし、言動は少しあざとさがあるが明け透けな部分もあって距離感が近いのだ。
天真爛漫な少女と言った印象のある彼女だが、今ではまるで実の姉のような頼もしさと親しさすら感じるのだから少し不思議なものだと思う。
これは一方的な僕の好意で、彼女からはきっとそうではないのだろう。
大勢いる初心者の内の一人、彼女の善意の対象として偶然出会ったプレイヤー。
その他の有象無象と何ら変わりはないだろうと言うのは想像に難くない。
だから僕は、勤めて演じなければならないのだ。
僕が目指すべき人格を演じる(ロールプレイ)為に。
「うっし、任せて下さいよ! バシバシ狩りまくって、その稼ぎで今日のお礼に一杯奢りますよ!」
「ほっほぅ、キミも言うね! なら男の子としてしっかり有言実行して見せてよねー」
差し出された彼女の右腕に、僕は左腕を持ち上げることで応える。
軽く触れ合うような――ノックするように交差させ、にやりと笑みを交し合う。
揺れる草むらからは一匹のモンスターの姿が現れていた。
カリカリという金属の擦れ合う音を立てながら僕は腰からロングソードを抜き放ち、リリアを庇うように一歩前へと進み出る。
初めての戦闘、そのゴングが今静かに鳴り響いたのだ。
※ ※ ※
剣道の基本は正眼の構えとも呼ばれる、両手で剣を握って体の正面に構える姿勢だ。
攻撃に秀でていると言われる上段、防御に秀でた下段の構え、時代劇でよく見るバッティングのフォームにも似た八相の構え、そして剣先を下げて後方に流す様に構える脇構え。
これらを総じて五行の構えと呼ばれる。
そう教えてくれたのは、中学の時に生活指導も兼任していた高齢の男性教師だ。
まさに時代劇から出てきたような皴の深い先生で、剣道部の顧問だったことからも『侍先生』とあだ名されていたような人だった。
僕は当時、パソコン部に入部していたので剣道部には正式に入部していなかったが、活動頻度が少ない部活だったことから空いた日は友人に会いがてら、侍先生にチャンバラを教えて貰っていた。
厳つい風貌にしゃがれた怒鳴り声が印象的な人だが、あれで結構お茶目な性格をしていて僕と友人を交えて殺陣の真似事を教えてくれたのだ。
若い頃に俳優を目指していた過去があったからかもしれない。
その経験は学生生活の基本となる勉強とは少し趣は違ったのだろうが、今でもふとしたタイミングで思い出しては物置にしまった竹刀を取り出してみたりするのだ。
思い出を懐かしむと言うにはまだまだ年月は経っていないが……今この瞬間、まさにあの日の記憶がフラッシュバックの様に蘇っていた。
「せぇいっ!」
八相の構えで待ち受けていた前に飛び出してきた影へと、僕は躊躇うことなく剣を振るう。
グッと手に掛かる抵抗を力で押し切り、まるで叩き付けるように刃先を沈み込ませる。
ガシャンという何かが砕ける音が響くと手応えが無くなり、赤色に輝く粒子が返り血の様に僕に降り注いできた。
それに意識を向けること無く、攻撃の隙を責めたてようとしてきた新手に対して剣を振るう。
ゴムボールのように打ちあがったそれは、空中で錐揉みをしながら跳ねていたが致命傷には届いていないようだ。
やはり、一撃で仕留めるには幾つかの条件が整っていないと難しいのだと実感する。
無様に大地に叩き付けられた敵だったが、それでもすぐさま起き上がると機敏な動きでこちらの背後に回り込もうと行動に移っていた。
短く、鋭く息を吐いてから、グッと一気に空気を食む。
実際にこの仮想現実に空気がある――設定としてはあるかもしれないが――わけではないのだろうが、自然と生身の身体と同じような動きをなぞってしまうのだ。
「ピキーッ!」
「ぐぁっ!?」
「……ケケケッ!」
「ぐぉっ!?」
回り込もうとした存在に注意し過ぎたせいで、もう一体の敵への注意が頭の中からすっぽ抜けてしまっていた。 突進で崩された体勢に、狙っていましたとばかりに回り込む動きを見せていた敵が飛びかかってきた。 容赦のない攻撃の嵐に、心臓が高鳴るような緊迫感と焦燥感に駆られる。
辛うじて腕を上げることで頭を守ることに成功したので、棍棒で殴打された腕に微かな痺れを感じるものの致命傷、クリティカルヒットを貰うまでには至っていない。
何とか今まで一度も致命傷は受けていないが、こうして攻撃を喰らい視界の端のコンディション表示にあるHPがガリガリを削られていくと、流石にプレッシャーが募っていくのが分かる。
現実の世界にはHP表示なんてないし、ここで仮に死んだとしても僕と言う人格が死ぬわけでも無い……そう分かっていても、この世界での死を迎えると言う事に忌避感を覚えていた。
漠然とだが、死にたくないと本能が訴えている。
日常生活では感じた事のない不安、それが何故か新鮮で、むしろ楽しいとさえ感じられた。
まだHPに余裕はある。
予想していた以上にハードな内容の戦闘に翻弄されながらも、こうして何とか渡り合うことが出来ているのは、初期のキャラクターカスタマイズで割り振れる全てのボーナスをフィジカル……この仮初の肉体の強化に注ぎ込んだ結果でもあるのだろう。
鋼の塊であるロングソードをこれだけ振り回しても、肉体の疲労をまるで感じていないのだ。
ただし、敵の攻撃を受ける度に徐々に、本当に微かにだが肉体の動きが鈍っているのを感じているのも気のせいではないはずだ。
受けたダメージの大小で感じる痺れの鋭さも変わってくるのだ。
もし仮に、どこかのタイミングで致命傷を負えば一気に形勢が傾いてしまうかもしれない。
「……んなろっ!」
再び跳躍による体当たりを掛けて来たウサギ型のモンスターの一撃をバックステップで躱す。
そのまま体を捻り、剣を水平にぐるんと一回転。
まさにそれは、様々なゲームで良く見る回転斬りのイメージだ。
ブレる視界の中で彼我の位置関係を把握し、右手だけで剣を背負うようにして構えて向き直る。
左手に盾を構えている訳じゃないが、この場にいる敵は一撃でどうこうされる相手ではない。
最悪、隙と見て襲い掛かって来た相手の攻撃を左手で受け止めれば被害は最小限で抑えられるだろうと言う魂胆だ。
幸か不幸か、狡猾なモンスターは僕の予想通りに仕掛けて来た。
大振りな棍棒による振り下ろしの構えに対して、僕は自らも前に出る形で距離を詰めて振り始めた棍棒に対して左手で掴もうと手を伸ばす。
手のひらに走る痺れは予想よりも鋭かったが、HPの減りは覚悟していた程では無い。
負傷しただけのリターンはある。
現にいま、棍棒を掴み止められた敵は無防備な体を僕の前にさらけ出しているのだから。
「ふぬっ!」
「グゲェ!」
ハンマーを思い切り叩き付けるかのように剣を敵へと叩き付ける。
片手で繰り出された攻撃だが、先ほどの体勢が整ってない薙ぎ払いよりも力を籠めることが出来たのだろう、ズバンと真っ二つに切り裂くと再び鮮血の粒子を撒き散らして敵は砕け散った。
あと一体!
そう思い振り返るとウサギ型のモンスターは既に逃走を始めていた。
それはまさに脱兎の如き勢いで、今からトドメを刺す為に追撃しようにも追いつくことすら困難に思えた。
敵を全て掃討出来なかったのは残念だが、これも仕方ないと僕が諦めたまさにその時、一条のエメラルド色の矢が吸い込まれるようにウサギに刺さった。
「ピーッ!」
悲しげな鳴き声を上げながら、ガシャンとウサギは砕け散る。
「はーい、お疲れ様でした!」
にこにこと言う表現が適当な笑顔のリリアとは裏腹に、僕は軽い虚脱感を覚えながら剣を鞘に戻して戦闘を振り返る。
「いやぁ、思っていた以上にキツいなぁ……VRでの戦闘って」
「あはは、そうだね。 でもでも、キミは本当に良く動けてると思うよ! これでVR自体が初心者だって言うんだから、他の人間は信じてくれないと思うよ~」
「……そうかなぁ、全然ダメダメだったと思うんだけど」
「いやいや、普通は≪マスタリースキル≫や≪アーツ≫、それに≪魔法≫などのスキルを駆使して戦うのが基本ですから。 それらを一切使わずに、基礎能力だけで戦闘する方が珍しいからね」
呆れた様な、感心したような、何とも言えない声色で彼女は僕を評価する。
「特に、初めてのプレイヤーは痛みとか、襲われるという行為自体が結構トラウマになったりするんだよね。 キミの場合、恐れるどころか『肉を切らせて骨を断つ』を既に戦術に組み込んでるあたり、VRゲーマーとして玄人っぽい雰囲気すら出てるよ……キミを見てると、私のサポートなんかなくても勝手に育つタイプ何だろうなって思うよ」
「いやいや、そんなこと言うなよリリア! 俺はリリアに教えて貰えて良かったと思ってるんだぜ」
「ふふ、お世辞でもちょっと嬉しいよ」
「お世辞なもんか。 きっと今の戦闘だって、リリアが居てくれなかったら俺はボコボコにされて死んでたと思うぜ」
連続で攻撃を受けてしまえば意外なほど簡単にHPは削られてしまう。
先にリリアの話で聞いて予想した通り、実戦になると一対多の圧倒的な数の力をまざまざと見せつけられた。 もし、今回の相手に僕一人で立ち向かわなければならないとしたら、あっという間にズタ袋にされていたのは想像に難くない。
キャラクターをコントローラーで操作するのとは違い、実際に体を動かして戦うと言うのは当然ながら全く感覚が違うのだ。
特に敵の一体と正面から向き合えば他への意識が散漫になってしまうし、視野がある以上は死角を突かれた場合に対処が難しい。
その難易度はある面ではFPSのゲーム以上で、臨場感やダメージを受けた際の鈍痛のような痺れがより強くプレッシャーとなって現れる。
現に、戦闘中では何度も無様に地面を転げまわったし、足が縺れて体勢を崩していた。
僕自身はだから全然ダメだったと思ったんだけどな……理想と現実のギャップって奴かな。
「……確かに、初戦闘にしてはモンスター7体は多過ぎると思うよ。 本当、キミは初心者の癖にそれを軽々と捌いちゃうんだもんなぁ……ちょっと先輩として自信を無くしそう」
「ほとんどリリアの魔法のおかげだろ?」
確かに、軽い気持ちで戦闘を始めた時は1匹のモンスター相手という楽勝な雰囲気だったのだが、あれよあれよと気が付けば5匹のモンスターに囲まれ、最後に増援が2匹きて結局は7体ものモンスターを相手にしていたのだ。
内心、物凄い緊張感を感じていたのは嘘じゃないし、節々でアバターを上手く操作できなかった……僕自身がどう動くべきか判断に迷ったシーンが何度もあったのだ。
それでも、腹を括って最後まで立ち続けられたのは、彼女の存在がとても大きかったのだ。
魔法を扱える彼女のおかげで、ダメージを負えば回復魔法で癒してもらえるし、最期に兎を仕留めた時にも使っていた攻撃魔法で敵を倒したりと、今回の戦闘で彼女が働かなかったシーンは一切ないと言っても過言ではないだろう。
だから、僕の中では殆どリリアのおかげで勝てたと思うのだ。
自分ひとりだけなら、確実に早い段階で諦めざるを得ない状況に追い込まれていただろう。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、リリアは軽く首を横に振った。
「魔法を使うにはそれなりに時間が掛かるからね、ちゃんとその為の時間を稼いでくれたキミのおかげです。 これはパーティプレイにおいて重要な役目を果たしたって事なんだから、キミは謙遜なんてせずにしっかりと胸を張ってればいーの!」
「……じゃあ、お言葉に甘えて誇らせてもらうよ」
「うんうん、キミのそう言う素直なとこ私は好きだよ」
僕は改めて彼女のことを凄いと感心する。
褒めるべき時は褒めると言うか、素直な言葉を使って上手く相手の自尊心をくすぐってくる。
しかもそれが善意の押しつけではなく、彼女の柔らかくも芯の通った雰囲気のおかげですんなりと受け入れられるのだ。
なんとなく、彼女のリアルは学校の先生だったりするんじゃないかと思った。
別に何がと言う訳じゃないが、僕に剣道を教えてくれた侍先生に似た雰囲気を感じたのだ。
「さて、ちょっとハードだったけど初戦闘も終えたし……そろそろ町に帰ろうか」
「了解」
「あ、その前にドロップアイテムの説明だけしちゃうね。
基本的にはモンスターを討伐すると……これだね、『魔結晶』が落ちます。 これは最も基本的な換金アイテムであり、経験値であり、生産職の必須消耗品であったりします。
この魔結晶はこの世界でのエネルギー源みたいなもので、様々な場所で利用されるから資源価値が保証されているんだよね。
換金方法は各街の冒険者ギルドの買い取り窓口で査定して貰うだけと、とっても簡単です」
魔結晶は手のひらに軽く収まるくらいの小さなもので、彼女が手にしているのはビー玉よりも小さいくらいの珠だった。 色はゆらゆらと揺れているので分かり辛いが、紫紺がメインのようだ。
「次に、モンスター毎に素材をドロップすることがあります。
例えば毛皮だったり、角だったり……主にドロップアイテムって言われるのはこっちだね。
これも基本的にはギルドの買い取り窓口で査定すれば売却できるけど、ギルドのクエストで『○○の毛皮を○枚集める』という依頼の際に必要になったりもするよ。
魔結晶と違う点としては、嵩張りやすいので持ち運びや換金が面倒なことが多いってことかな……あと、確定ドロップじゃないってこともね。 狙うとドロップしないとか良くある話。
これらのドロップアイテムを素材にして生産職が装備やアイテムを作ることもあるけど、基本的には直接の買い取りをやってるプレイヤーは稀だから、換金しておいた方が良いよ。
今回はドロップしてないみたいだけど、運が良いとさっきの数くらい倒せば何かはあると思ってもいいんじゃないかな? ドロップアイテムで稼ぎたいなら、何らかの鞄や背負い袋みたいな収納アイテムを用意しておくべきだね」
「ふむふむ……リリアは見た感じそういうの用意してないみたいだけど?」
「私も狩りに行くときや、ダンジョンアタックする時は収納系のアイテムを持っていくよ。 序盤の出費としては安くないけど、これからガッツリ稼ぐことを意識してるなら必須のアイテムだね」
確かに腰のポーチは容量が少ないのでアイテムはあまり持ち運べないみたいだったな。
ベルトのホルダーにはポーションが収納できるが、これも戦闘中に取り出しやすいっていうメリットはあるものの、数を多く持ち運ぶ為の機能じゃないのでどうしても最大数が少なくなる。
戦闘中に覗いてる暇は無いだろうが、複数のアイテムを持ち運べるようにするメリットは限りなく大きい筈だ。
逆に、中身に入れたひと財産を無くしてしまうデメリットもありそうだけど、それはまぁ……仕方がないことなんだろうな。 全滅時に何らかのリスクがあるのは当然だと思うし。
パーティプレイなら後衛に荷物役を兼任して貰って、前衛がガードするってスタイルも取れるから戦闘中にバッグが邪魔になるとかも対応できそうだ。
つまり、ソロで扱う収納アイテムはなるべく動きを阻害しないものが好ましいとも言えるな。
「リリア、後で街に戻ったら鞄屋とか案内してくれないか?」
「いいよー。 早速現物を見てみようと考えるなんて、キミも中々貪欲だね!」
「そうか?」
「うんうん、積極的なのは良いことです。 このゲームに興味を持って貰えたようで嬉しいよ」
「……そうだな、確かに始める前より興味は沸いてるな」
「ふふ、そう言って貰えるとこの活動をしてる甲斐があるって奴だねー」
僕はそんな風に彼女とこの世界のことについて語り合いながら街への帰路に着いた。
隣に並んで歩くと、やはり背の低い少女にしか見えない彼女だが、一日付き合ってくれた中で頼れる先輩なんだと思うようになっていった。
今もこうしてパーティプレイのコツや、魔法のこと、ダンジョンのことなど、様々な話題で後背である僕を楽しませてくれていたりする。
はしゃぐ姿は年相応――と言うより、見た目相応な印象を受けるのだが、その知識の豊かさや実感のこもった話は、まさに、僕の先を歩く姉のような存在なんだと強く感じていた。
ゆっくりと朱色に染まりつつある地平線の輪郭を眺めながら、僕はふとこの世界に思いを馳せる。
まだ見ぬ世界があの先に続いているのだと思うと、胸の奥が興奮で震えて来る。
まるで夢見た様なファンタジー世界を、今まさに僕は全身で体感している……本気でそう思える程に、VRMMOのこの世界に一目惚れしていたのだ。
これはゲームだから、新たな土地や未開の地に向かうには自分を強くしないといけないだろう。
もっと強くなってこの広大な異世界を探検したい。
そして――
「――ねぇ、セイロン」
「ん?」
「……頑張んなよ、色々とさ!」
「……おう! ありがとな、リリア」
彼女みたいに笑ってみたいと、僕はそう思ったのだ。
はよ前準備を終わらせなあかん……




