3-3
本日3話目の投稿です。
前2話を読んでいらっしゃらない方は、
3-1からご覧ください。
「わかった。修行用の札は、貸さない」
あんまりにこやかに宣言されたものだから、エルハだけでなくティウも賢者もぽかんとした。否定の意を、きちんと捉えることができなかったのだ。
しかしカナルの意思が皆に浸透しはじめると、一番にエルハが聞きかえした。
「どうしてだ」
問いに、カナルは空気が変わるほど真剣な面もちになる。
「こっちが聞きたいよ。エルハ、アンタが創った札はどうした? 修行用の札なんかより、よっぽど使い勝手がいいだろ。それを使えばいい」
自分の創った札の件を持ちだされて、エルハは気まずそうに目を逸らす。札の所在をうやむやにしたくとも、正直に答えなければ札を借りられない気迫だ。
「札は……国王の後見を得たときに、礼として献上したんだ。だから、手許にはもう……」
国王自身が返却を提案したことは、このさいだから秘匿する。
真偽を測るカナルの眼差しが、ふいに気がぬけたようにゆるんだ。
「そっか。……安心したよ。エルハのことだからお金が入り用になったら、身元の怪しい人間にはした金で売り飛ばしそうだと心配してたんだ。王宮の宝物庫にあるんなら、めったなことにもならないな」
「………俺をいったいなんだと思ってるんだ」
ジト目になったエルハがつっこむ。
カナルはそれには答えないで、立ち上がって空の皿を片づけ始めた。
「カナル。だから修行用の札を――」
「ダメだ。いま西へ行くなら、力を制限した修行用なんか役に立たないだろ。つーか、下手に制御されてるのなんか使ってみろ? 命の危険にさらされたとき、絶対制御ぶっちぎって札を破損するだろ、エルハの場合。壊されるのがわかってて貸し出すと思うのか、この破壊魔め」
茶目っ気たっぷりに断りながらも、眼差しは鋭さを増す。
賢者がぴしゃりと額を打った。
「やられた。そうか、ドウンは最果ての禍を視たんだな」
「そうです。ドウンはこれから広がるであろう被害を見越して、何かの力になれればと王都へ旅立ったんです」
カナル曰く、先日の講義中にドウン老師は「応用じゃー!」とのたまって、札で即興占いを披露したのだそうだ。
たんなる余興でしかなかったのだが、老師はその道の第一人者である。占術もこなす彼が手札に見たのは、西域の異変だった。弟子のタオが西域にある村の出身なので、弟子の故郷を占った結果である。余談だが、タオは男らしくその占いを断ったのに、老師は嫌がる弟子をおもしろがって無理やり占ったものらしい。
「聖刻印の賢者であるガッシュが西へ向かうのなら、かの地の異変と無関係なはずないからね。カマをかけてみました。もちろん、タオには事実をふせてありますよ」
笑顔でしめくくったカナルに、ガッシュが嫌そうな顔をする。
「生意気になりやがって。子どもの頃の素直さが懐かしいぞ」
「成長とは、そういうものでしょう?」
賢者は苦笑いし、やりこめたカナルはエルハに視線をやる。
危険人物と認定されたエルハは、ぐうの音もでないで頭を抱えていた。
「……十分気をつけるから、札を貸してくれないか」
「修行用のは貸さない、と言っただけだろ。ちゃんとした札をやるよ」
思いがけない申し出に、エルハは勢いよくカナルを見あげた。
札一式は完全注文制である。余分など、そうないはずだ。あるとしたら自身のものか、よほど思い入れのある品だろう。
双眸にありありと懸念が浮かぶのを見て、カナルはちょっと笑った。
「エルハが、遠からず札を手放すのは予想してた。だけど、俺はそれが嫌だったからさ。いつか渡そうと思って作っておいたんだ、札を。未熟者の札で悪いけど、修行用のよりは格段にマシだろ。それを持っていけよ」
「カナル……」
エルハは、しばし言葉を失う。
いつでもカナルは、エルハに居場所を作ってくれようとする。そんなカナルに深く感謝しながらも、エルハは一抹の不安をぬぐいされないまま、今まで来てしまった。
居場所を定めることへの不安、いや恐怖は、少なくとも王の後見を得た現在は不要なのだ。
だが、それも絶対のものではない。大切であればあるほど、ここを守りきることができるのかと不安はいや増す。その自信のなさが、エルハを居心地のよいこの場所から遠ざけていた。
心を見透かされた気恥ずかしさを押し隠し、エルハは静かに頭をさげる。
「ありがとう。……でも、困ったな。調整にちょっと時間がかかるだろう? 明日、出発できなくなるんじゃないか」
「ふつうは、まず札を解放できるかどうか心配するもんだけどな。この規格外は……」
カナルが呆れて息をつく。
一番の問題が解決したようなので、札に詳しくないティウは口をはさんで質問した。
「《札使い》はどの札でも扱えるんじゃないんですか」
答えたのは、《札創り》のカナルだ。
「修行用のならね。修行用のは丹念に躾けてあって、《札使い》の誰でも扱えるようになってるけど、そのぶん力が制限されて高位の魔法は使えないんだ。札ってのはやっかいでさ。ある一組の札を解放できたとしても、他の札を行使できるとは限らないんだ。他の札を使おうとする場合、またその力を解放しなければならない。札との契約みたいなものだね。ところが札には意志があって、相性が合わない使い手だと判断したら、うんともすんとも言わなくなる。クセが強いんだよ、ヤツらは。だから、ふつうの《札使い》はだいたい一組しか札を所持しない。まあ、こっちも大量に注文されたって、生産できないけど」
カナルは両手を上げて肩をすくめる。それからエルハを視線で示した。
「エルハはね、おそらくどんな札でも解放できるはずだ。どうも精霊になつかれる質らしくてさ。札につながるあまたの誇り高い精霊たちは、エルハの魅力にまいってコロッとなびいてしまうんだよ」
ティウは感心して息をつき、カナルに礼を言う。
それにうなずいて返したカナルは、エルハの食べ終えた食器も回収し、両手に持った。
「とにかく、相談して時間を捻りだしてもらえよ、エルハ。足手まといになりたくないだろ」
そう忠告すると、カナルは厨房に消えた。
「時間はどれぐらいかかるんだ?」
さっそく賢者が切りだす。
エルハはまだ未練たらしくぼやいた。
「修行用のなら手っ取り早いのに……」
賢者は白い目でにらみ、ティウは真剣な眼差しで説得する。
無言の圧力――特にティウのそれに屈したエルハは、ぽつぽつと述べた。
「たぶん……半日、ぐらいか。でも、実物を確かめてみないことには、なんとも……」
「ふうん。まあ、最初から飛ばしてきたしな。明日一日、休養を取るのもいいが。半日の調整で、大丈夫なんだな」
念押しは、札が使いものになるかどうかと、調整による疲労が翌日に残らないかの、ふたつの意味があった。否と答えたらおいてけぼりにされそうな素っ気なさに、エルハは覚悟してうなずいたのである。
「なんとかする」
腹をすえた表情を確認して、賢者はティウに断った。
「というわけで、明日はゆっくり休んでくれ。明後日からきついからな」
「はい、了解しました」
従順に承諾するティウに、エルハが申し訳なさそうに肩をすぼめる。
「ごめん。しわ寄せがいっちゃって」
一日分の距離を後の日程に加えて消化しようというのだ。さらに、厳しい道程となるだろう。
文句を言われてもしようがない。けれど、ティウは気遣わしげに微笑む。
「いいえ。エルハこそ無理をしないでくださいね」
「……ティウ」
優しい言葉に打ち震える。感極まったエルハは、前後の見境をなくしてティウに抱きついた。
「あ――ん、なんて慈悲深いの! まるで聖母神のようだわ―――─!」
「っ!!」
力いっぱい抱きしめられて、ティウの息がつまった。
そこで、ガチャン、と盛大な音が響く。
「わ――――っ、エルハ、なにやってんだ!?」
食後のお茶を運んできたカナルが、危うく取り落としそうになった茶器の乗ったトレーをほうほうの体で持ちなおしていた。だがしかし、こぼれたお茶を案じるより己が耳と目を心配して、しきりに首をひねっている。
賢者が脱力のため息を吐きながら、立ち上がる。
エルハの背後にまわると、容赦なく襟首をつかんだ。そうして引きはがし、ティウを救出したのだった。
* * *
賢者一行がアウル村にたどりついた夜より、二日の時をさかのぼる。
王都クレインのイングリド本部、長の執務室ではランプの灯りを頼りに、代理長のダーイが膨大な書類に目を通していた。二年前の事件からようやく立ちなおり機能しかけた組織だが、まだ多くの問題を抱えている。ダーイは組織存続のための采配に忙殺されていた。
しかしダーイは長の椅子にふんぞりかえっているより、傭兵業の方が何倍も性にあっている男である。いまの心境は枷をつけられた虎そのものだった。
そろそろ集中を保てなくなって身じろぎをしたところで、ダーイは扉の外に気配を感じた。
「入っていいぞ」
案の定、傭兵のひとりが扉を開けて入室する。
「忙しいところ申し訳ありません。知らせておきたいことがありまして」
眉間にしわを寄せて難しい顔をする男を見て、ダーイはサボる口実ができたなどと安直に喜んでいる場合ではないと悟る。
「なんだ」
「チコルが行方をくらましました」
ダーイは拍子抜けして緊張をといた。
「おいおい、帰ってくる時間が遅いといってもまだ宵の口だぞ。行方をくらましたってのは、おおげさじゃないか」
「事はそう簡単ではないんです。金色森に潜っていた者たちが、今朝方ダモットに騎乗して走り去る子どもを見ました」
ダモットとは犬に似た魔獣だ。すらりとした体を茶色の長毛がおおい、長くしなやかな足などは犬というより鹿に近い。比較的、人に慣れやすいので、《魔物使い》の最初の相棒をつとめることが多かった。確か、チコルもダモットを最初の友としていたはずだ。
思い出したダーイは、ちょっと眉をあげて話をうながす。
「その場にいた者たちは、近場にいた魔物たちに確認をとって、その子どもがチコルだと知りました。しかし捕らえませんでした。チコルは帰ってきたばかり。長く会えなかった友と存分に語り合いたいのだろうと、見逃してやったのです」
金色森はイングにとって聖域と同様だ。神話時代から存在する古森には、魔物が数多く棲息する。ふつうの森とは、種も個体数も比べ物にならない。金色森と呼ばれる古森は、まさしくイングの《魔物使い》を生みだす母胎であった。
だが魔獣の闊歩する森へ、おいそれと村人を踏み入れさせるわけにはいかない。傭兵業をこなす強者ならばいざ知らず、村人の半数は農業や商売をして生活をたてている一般人だ。当前のごとく、一般人や半人前の《魔物使い》は金色森への出入りを厳しく制限されていた。
ダーイはチコを見逃した者たちの心中に共感しながら、苦笑する。
「まあ、そりゃしょうがねえだろうなあ。半人前の間は一度ならず森に侵入するからな。かくいう俺も常習犯だった」
度胸試しであったり、相棒となった魔獣に会いに行ったりと、理由はいくらでもある。
「それで? その後の足どりは追えたのか。一度も本部には戻ってないんだろう」
「はい。チコルの不在を不審に思ったのが夕飯時だったので、たいした追行はできなかったんですが、金色森を西に抜けたことはわかりました」
「西だって?」
片方の眉を器用にあげたダーイは、頭をがしがしとかいた。
「しまった。俺のせいかもしれん」
きまり悪げにつぶやく長を、部下の傭兵は酢を飲んだようなしかめ面で見つめる。
「いったい何をしたんですか」
ダーイは苦笑いを返すことで答えにする。
まさか追いかけていくとは思わなかったのだ。昨日、チコにティウの不在の理由を聞かれたダーイは、表向きの依頼内容を教えてやっていた。すなわち西域における魔物掃討への助力という仕事である。
チコがどういうつもりかは予想範囲内だから心配していないが、問題は西域の現状だ。修練を長く積んでいないチコは、《魔物使い》としてひよっこ同然である。そのひよこが妖魔になどとうてい敵うわけがない。早々に見つけだして保護しなければ、チコの身が危なかった。
「すまんが、チコを追って身柄を確保し連れ帰るよう、人を配してくれ」
「わかりました。今度おごってくださいよ、長」
「……承知した」
ちゃっかりしている部下の軽口に、ダーイはまいったと首をすくめた。
誰が、次話で魔物が出ると言った?
という台詞が書きたくて、2章の最後で魔物について言及してました。
が、というか、剣と魔法も話や説明しか出とらんわ! ということに、
昨日気づきました。どうしよう。
次章でこそ、魔物と魔法が登場するヨ!
微妙な気がしないでもないですが……。