3-2
本日二話目です。
前話3-1を読んでいらっしゃらない方は、
そちらからよろしくお願いします。
夜遅くに、賢者一行は聖アウレッタ山の中腹にあるドウン老師宅に到着した。
訪れた一行を迎えたのは、二十歳になるかならないかの青年だ。家の中から洩れる灯火が、彼の金色の髪をより明るく見せている。
しばらくぽかんと立ちつくしていた青年は、ぱっと表情をほころばせた。
「エルハ!」
「……やあ、久しぶり」
気後れして動けないエルハに、青年が駆けより抱きついた。
「このばっかやろう! 全然便りなしかよ。生きてんのかどうかぐらい知らせろよなっ」
エルハをぎゅっと抱きしめた青年は、次には首を締めあげた。顔に怒り心頭と書いてある。
「……わ、悪かった。謝るから、放してくれ」
その言葉を半眼で聞き流す青年を、賢者が低く笑いながら止める。
「そのくらいにしといてやれよ。俺には挨拶なしか?」
素直に手を離した青年が、賢者の方へ視線をやってキョトンとした。
「どちらさまでしたっけ」
「おい、ご挨拶だな、カナルよ。おまえは、この顔見たことあるだろうが」
青年は目を瞠りつつ、二度三度と瞬きしてみせる。本気の不思議顔に見えるが、大げさな瞬きがややわざとらしい。
ティウと同じことを言われた賢者は、彼女を驚かせた面貌を情けなく歪ませ、頭をガリガリとかいた。
「レン・ガシュナーだよ」
「ああ!」
にこりと笑ってうなずいた青年が、愛想よく賢者を家へ招く。
「お久しぶりです、ガッシュ。その顔を見たの五年前でしたから、すっかり忘れてました。あ、そうだ、残り物でよければ食事を用意しますよ。さあ、君もどうぞ遠慮しないで入りなよ」
賢者に「嘘つけ」と文句を言われつつ青年は、後ろに控えていたティウに朗らかに笑いかける。エルハは無視だ。
丸太小屋の中へ賢者、ティウと続き、その後に残されたエルハに青年は言う。
「おかえり」
微かに目を見開いたエルハは、ぎこちない歩みで玄関をくぐった。
(また、ここへ戻ってくるとは思わなかった)
懐かしい、四年前には毎日見ていた飴色の廊下を眺めながら呟く。
「……ただいま」
扉を閉めた青年が、後ろから優しく背をたたく。
それに押されて、エルハは食堂へ向かう。
その途中、先行した賢者とティウが驚いた様子で立ち止まっていた。
「うわあ。この人たち、誰?」
十歳ぐらいの少年が、扉のすき間から顔をのぞかせている。鼻の頭に浮いたそばかすが愛らしい。くりくりとよく動く大きな瞳が、好奇心あらわに客人を観察する。
「タオ、明日の朝紹介してやるから、今夜はもう寝な」
「うえ―――っ」
不満を唱えるタオの頭を、青年が乱暴にかきまわす。
「言うこと聞かないなら、明日はこの頭に理論ばかり詰めこむぞ」
「げっ。なんだよ、先生のケチ、オニ、サディスト! 彼女に嫌われっぞ――!」
よけいな一言をつけ加えながら、すばやく頭を引っこめる。見事な引き際だった。
「――すいません、お騒がせして」
食堂の扉を開けてうながす青年に、賢者がおもしろそうに問いかける。
「ドウンの新しい弟子か、あれは。えらく手を焼きそうなガキだなあ」
「まったくです。師匠に似て手がつけられません。あ、ドウンはいませんよ。急用でクレインに行くって、出かけました」
「いや、大丈夫だろ、おまえがいるなら。こっちの用は、それですむはずだ」
おのおの席につくと、用件はひとまずおいて、彼らは野菜のスープとソーセージをはさんだパンをご馳走になる。途中で固パンと干し肉をかじってはいたが、腹にたまるほど食べていなかった。簡単でもきちんと手を加えた料理はおいしく、テーブルをかこんでの食事は楽しい。
ひとまず給仕を終えた青年が椅子に腰かけた。そして、ティウに気づいて首をかしげる。
「あれ、しまった。まだ名のってなかった。おれは《札創り》のカナルです。よろしく」
ティウは食事の手をとめて、丁寧にお辞儀する。
「こちらこそ。私はイングのティ・ルウク。《魔物使い》です」
紹介し終わる前に、カナルという青年はハッと表情を変えた。親しみを覚えながら、何かを危惧し怖れるような、奇妙な表情だ。
その理由を察したエルハの脳裏を、アウル村に住む少女のことがよぎる。カナルと同い年の彼女は、いまは娘盛りだろう。懐かしさとともに彼女の片親の血筋を思いだし、エルハは慎重に言葉を選びながら話しかける。
「カナル。村に用はないんだ。ここへ来たのは、俺が都合してほしいものがあったからだ」
エルハが断言すると、カナルの緊張は目に見えてほぐれた。
「……そっか。で? 出てったっきり、顔を見せるどころか手紙のひとつも寄こさなかったエルハくんは、なんの用で帰ってきたのかな」
冗談めかしているが、目が怒っている。エルハの不義理を簡単に許すつもりはないようだ。
悟られない程度に口許を引きつらせながら、エルハは用件を伝える。
「修行用の札を借りたいんだ。余ってるのはないか」
「は? 修行用の札? 何に使うんだ、そんなもの」
ひどく意外なことを打ち明けられたというように唖然としている。
カナルの心情がよくわかる賢者は、肩をすくめながら口添えする。
「《札使い》として、俺の仕事に同行してくれるんだとさ」
「ガッシュに同行するんじゃない。ティウについていってるんだ」
きっちり訂正をいれるエルハを、カナルが目を見開いて凝視する。棒をのみこんだような顔をして硬直すること数秒、止めていた息を吐きだすのと同時に疑問を表した。
「はあー!? アンタいったいどうしちゃったんだよ!」
一人わけがわからないティウの訊ねる視線を受けたエルハは、あわててごまかす。
「あ、あのね、珍しく顔を見せたと思ったら、変なことを頼むから驚いてるんだよ。カナルは感情表現が大げさだから、びっくりしたかな。はははははっ」
言い終えて、エルハはすっくと立ち上がる。座っているカナルに近づくと、有無を言わせず立たせ、厨房へ引っぱっていった。
「突然なにすんだよ」
厨房の奥へ連れこまれたカナルは、顔をしかめる。
「しっ、声が大きい」
エルハは真剣な顔で、カナルの口を手でふさぐ。
ふつうにしゃべったところで、食堂は扉を隔てた隣の部屋なのだ、聞こえはしない。それをわざわざ食堂から一番離れた隅の一角で、何をこそこそしているのか。
必死なエルハに、カナルが不審いっぱいの視線を送る。
エルハはほとんど哀願するように拝みたおした。
「頼む、小声でしゃべってくれ。手、離すから」
そっと離れた手と弱り顔を交互に見たカナルは、大きく息をついた。
「で?」
「ティウには言わないでくれ、俺が札や――魔法関連から遠ざかっている理由を」
「そりゃ、おれが話すようなことじゃないし、言わないけどさ。なんで?」
エルハはうなだれて、ぼそぼそと説明する。
「理由を知られたら、ティウの負担になると思う。ただでさえ押しかけ護衛なのに、それこそついていくのも断られる気がする」
は――っ、と苦悩のため息をついて肩を落とす。本当に、そんなことにだけはなりたくない。
その様子を、カナルは異界の見知らぬ生物でも見るように、珍妙な顔つきで凝視した。
「…………あのさ、アンタ本当にエルハ?」
カナルが、ぐいぐいとエルハの頬をのばす。
容赦ない手をつかんで引きはがしたエルハは、冷ややかににらむ。氷のごとき眼差しだ。
「……おい」
「あー、それそれ、その感じ。エルハだ。いや、別人みたいだからさ、イタズラ好きの精霊が化けてるのかと思って。丸くなったなあ。てゆーか、もしかして、あの子限定? そうだよな、ガッシュに対する態度はあんまり変わってないもんなー」
納得するカナルに、エルハはふと過去を思い出して釘をさす。
「ティウは女の子だぞ。間違えるなよ」
「わかってるって。まだ根に持ってんのか、昔、エルハの性別を間違ったこと」
「十六にもなって、女性に間違われるとは思わなかったんだ」
憮然として愚痴るエルハに、カナルは慰めるように肩を二度叩く。
「しょーがねえよ、ホント女みたいにきれいだったんだから」
「…………」
台詞は全然慰めではない。エルハは恨めしげににらむ。
だがカナルがエルハに初めて出逢ったとき、彼は体の線どころか顔さえほとんど隠してしまうフード付きのマントを着こんでいたのだ。優美な容貌は年の若さもあって、乙女のような清廉さと可憐さを合わせ持っていた。これで間違えるなという方が難しい。
気を取り直したエルハは、「とにかく!」と指を突きつけた。
「ティウが気に病むような俺の情報は、いっさい話さないでくれ。疑問に思うような話題もなしだから。頼んだぞ」
「うーん、まあ、考えとく」
要領を得ない回答をして、カナルは回れ右する。
「考えとくって、なんなんだ」
エルハは顔色を変えて後を追うが、カナルはとっとと食堂へ行ってしまった。
食堂では、食事を終えたティウと賢者が談笑していた。
「よお、密談はおしまいか」
賢者の軽口に、カナルが笑って応じる。
「旧交を暖めてきましたよ。ところで、ガッシュはこれからどちらへ向かわれるんですか」
雑談の続きの軽さで、カナルは腰かけながら訊ねる。
確約を得られなかったエルハもまた、しぶしぶ残りの料理をたいらげるために席についた。
賢者はエルハの様子をおかしそうに見ながら、いたって簡潔に答える。
「ああ、西へな」
「へえ」
詳しい場所を聞かずに相づちだけ打ったカナルは、エルハに向きなおって微笑んだ。
「わかった。修行用の札は、貸さない」