3-1
お待たせしました。
3章は3話に分割しています。
まずは、1話目をどうぞ。
「どちらさまでしたでしょう?」
薄く朝靄のたつ大西門前にて、ティウは現れた二人組を見て思わず疑問を呈した。
待ち合わせ時間前に来ていたティウの、その少し後にやってきた二人組の一人は、昨日多大な印象を植え付けられたエルハだ。どちらさまだったか、忘れてしまう訳もない。
もう一人は、黒髪黒瞳の青年だ。涼やかで端正な顔立ちは、エルハほど精緻な美貌ではないが、十分に人の目を引く。やや眦のつりあがった鋭い双眸は、それでいて甘い艶を含んでいて、男なのに妙に色香があふれていた。猫科の大型獣を想起させるしなやかに鍛えあげた体つきも相まって、危険な肉食獣の魅力で女性を骨抜きにしそうな美丈夫だ。
護衛が一人から二人つくとは言われていたが、一人目はエルハで、もう一人は後で合流することになっている。だから待ち合わせ場所に、見知らぬ相手が旅装で現れるはずがない。
実はティウは青年の体形から正解に辿り着いてはいたのだが、信じられずに疑問が口をついて出てしまったのだった。
自らの色に合わせた黒を基調とした旅装をまとった青年が、無表情を崩して破顔する。
「さて、どちらさまだろうな? ハッハー、冷静なティウでも我が目を疑うか。やはり年々、変装の精度があがるな」
「変装じゃないだろ、ソレ。髪切って、髭剃っただけだろ。ティウ、朝からこのおじさんがふざけてごめんね。わかってるとは思うけど、コレ、ガッシュだよ」
――やはり。
と、ティウは解答を素直に受け取ったが、一瞬意識が遠いところへ旅立ちそうになるのは止められなかった。
そんなティウを見て、青年は満足そうにうなずいている。
そう、青年なのだ。賢者は昨日受けた印象よりも、ずいぶんと若かった。
あまり鋏をいれず伸ばしっぱなしの中途半端な長髪を適度な長さに手入れし、中途半端に伸びた不精髭を落として半ば隠れていた面相が露わになると、四十代と思えた賢者が二十代の若者にしか見えなかったのだ。せいぜい二十代中盤、下手をすればエルハと変わらない年齢の容貌である。
身なりを整えれば騎士団長か将軍かと予想した風貌は、その若さのために物語にでも出てきそうな天才剣士か英雄かといった風情になった。
その色男ぶりよりも若さに驚愕したティウは、つい単純な感想を漏らす。
「……お若いですね」
「そこまで若くはないんだぞ。身体年齢が止まったのは、二十九のときだったからな。それでも当時、渋いおっさんになり損ねたと、それはそれは残念だったもんだ」
賢者は顎を無念そうにさする。
聖刻印を受け継いだ者は、その時点で不老となる。そして世代交代が起こるまで、寿命が来ることはない。レン・ガシュナーは、二十九歳のときに賢者になったということだろう。
「まあ、実年齢だけは大分喰ってるんだが、この形じゃあ威厳が足りないんで、普段は放浪者らしくむさくるしい恰好をしてるんだ。とはいえ、今回は事が事だからな。正体がバレて勘ぐられないよう、こざっぱりしてきた」
「そうでしたか。け……いえ、ガッシュ殿とお呼びしていいでしょうか?」
「別に呼び捨てでも、いっそレナでも構わんぞ」
「いえ、それは遠慮をさせてください」
突然の変装(?)には納得したが、色男を女性名であるレナと呼ぶのは承服しがたい申し出だったので、謹んで断るティウなのだった。
出がけにそんなちょっとした暴露がありつつ、開門を待って出立した賢者一行は、まずアウル村を目指した。
アウル村は西の都シュトッセルから二日ほどの距離にある山村だ。シュトッセルまでは五日かかるので、乗り合い馬車などで道程を行けば通常七日の旅である。
だがティウたちは、急ぎの旅だ。被害が拡大する前に、異界へ通じる扉を閉じなければならない。かといって、移動で疲労困憊するわけにもいかない。
先頭の賢者は、ぎりぎりの線を見極めて馬を駆った。その結果、一行は王都クレインを発ってから四日目の夜に、アウル村へ到着した。
アウル村は優秀な《札使い》や《札創り》が育つことで有名な村だ。聖アウレッタ山と呼ばれる山中に、その昔王宮の筆頭魔導師だった老魔導師が居を構えており、彼に教えを受けた者は一流の札の担い手になるといわれている。
旅の途中、少ない休憩の間に、エルハは教えてくれた。
「十六の頃から一年半ぐらいかな。俺は聖アウレッタ山のドウン老師に教えてもらったんだよ、《札使い》や《札創り》の技を」
ティウは不思議に思って、つい尋ねてしまった。
「それなのに、どうして今は仕立屋なんですか」
エルハはちょっと迷うように口をつぐんでから、視線を落とした。
「自分に合わないと思って。服を作ってる方が楽しいんだ。でもちゃんと技は修めたから、心配いらないよ。自分はもちろん、ティウのことだって守れる」
その声に欺瞞や不安はない。最後の言葉には、自信と自負がうかがえた。
実際、エルハはこの四日間、愚痴ひとつなく強行軍についてきた。彼をよく知らないティウは、上背はあっても線の細い青年がいつ倒れてもおかしくないと気を配っていたが、まったくそんな様子はなかった。小休止の間も、ティウが疲れていないと知ると話しかけてきて、他愛ないおしゃべりを楽しんだものだ。
傭兵として厳しい鍛錬を積んでいるティウでも、一日の行程が終わり横たわれば深い眠りに沈んだ旅である。そこから鑑みれば、エルハは少なくとも体力においては見かけどおりではないということになる。
そのうえ剣も使えるというのだから、いったいどんな人生を送ってきたのか。
しかし、過去を問おうとは思わなかった。十六年に足らない人生でも語りたくないことはある。それを実感しているから、エルハに軽い好奇心で聞くのが憚られた。
だから、話題を変えた。
「服といえば、王宮ではちょっと変わった感じの上着を着てましたね」
エルハの瞳が輝いた。少年のような無邪気さを露わにして、そわそわと聞いてくる。
「ティウは、どう思った?」
「きれいだと思いました。上体は体の線にそってかっちりと、逆に腰から下は緩やかに広がっていたでしょう。歩くたびに足の動きにあわせて、裾がきれいに揺れていて」
「だろう! あれ、新作の型なんだ。貴族方の上着って、ふつうは胸から裾まで末広がりで、体格のいい長身の人が着る分には映えるんだけど、小柄な人はこう、どうもやぼったくなってしまう。それで、そういう体型の洒落者の若君に、見栄えのするデザインを頼まれてね。口で説明しても納得してくれないから、試作品作って自分で着て、依頼主の城の職場まで押しかけていった後だったんだよ、あのとき」
身ぶり手ぶりをいれて話すエルハは本当に楽しそうで、ティウは目を細めた。
「どうでした、反応は?」
満面の笑みで、答えが返ってくる。
「気に入ってくれた。後は装飾をつけて貴族仕様に仕立てれば、できあがり。ここまでの道のりが長くて、もう最後は依頼主とほとんどケンカになってたけどね。城の中を練り歩いたおかげで宣伝にもなったし」
「おまえ、宣伝は最初から狙ってたんだろう」
呆れてつっこんだのは賢者である。エルハは涼しい顔で返した。
「宣伝も仕事のうちだからね。他を出し抜くためにも、戦略は必要だろう?」
ふいにエルハが「うふふふふ」とアヤしく忍び笑う。
「ラッキーだったわあ、あの日は。試作品に目をとめて話しかけてくれた豪商ランドールさんがね、教えてくれたのよー。控えの間に、それは見事な金の髪の少年がいるって。覗いてみれば女の子だったから、なおさらときめいちゃってえ!」
不気味な思い出し笑いがなおも続く。
何かの拍子におかしくなるエルハに慣れつつあったティウは、いまさらオネエ言葉になってますよと指摘しなかったが、賢者は違った。辟易した様子で、端的に注意する。
「エルハ、言葉」
「………………また?」
正気に戻ったエルハは、青くなって口を手でふさぐ。そして、おもむろにティウをふりかえると、抱きつかんばかりにして訴えるのだった。
「いや――んっ違うのよ誤解しないでぇ! こんなのホントのあたしじゃないのよ――ぅ!!」
万事こんな調子なのだから、誤解しない方が無理である。
そんな時間を過ごしたおかげで、彼らの親睦はそれなりに深まりつつあった。とはいっても、強行軍で会話する時間など知れている。ほんのわずかだ。
エルハから仕事の話を聞いたティウは、よけいに気をもむようになった。
好きな仕事を投げ出して、どうして危険な旅に参加したのだろう。彼の言葉を信じるなら、ティウを守るためだとなる。だが、出会ったばかりの彼が、そこまで自分に入れこむ理由がない。
出逢いが出逢いだっただけに、最初は強引な客引きだと思ったのが、旅に同行する段に至ってわからなくなった。案外、親しい賢者の身を案じての同行で、照れ隠しのための虚言では、とも考えられるが――。
早いうちに訊ねなければならない。
そして、どんな理由であれ本気で自分を守るために来るのなら、やめさせなければいけない。
ティウはもう、誰かが自分のために傷つくのを見たくないのだ。
オネエ言葉が推察を鈍らせるのか、ティウはエルハの好意にちっとも気づいていなかった。
2話以降は、このあと一時間後ごとに予約投稿してあります。