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隻手の門  作者: 夏和白
2 前夜
4/29

2-1

2章二話分で、一時間後に二話目を投稿します。




 荷をまとめて準備を終えたティウは、崩れるようにして寝台に仰向けになる。

 顔色が優れず、全身の力なさが疲労を濃く表していた。それが、ティウを頼りない少女に見せていた。


 目まぐるしい一日だった。

 洋燈の灯火を避けて、腕で双眸をおおい隠す。眼裏の暗闇に浮かぶのは、初めて登城した王宮、そしてイングの長に城でのことを報告するため訪れた書斎だ。

 王との謁見もいろいろと疲れたが、その後、さらなる衝撃がティウを待ち受けていた。

 引き金は、賢者の頼みだ。


「旅の途中、イングの民だという子どもを拾ってな。急いでたんで城まで連れてきたが、本当はイングリド本部に送る約束をしていたんだ。ティウ、すまんが連れ帰ってくれないか。道に不案内な俺が送るより確実だからな」


 簡単な頼まれ事だった。請け負って、ティウは件の子どもが待つ部屋へと赴き――。


 愕然となる。


「チコ。迎えが来たぞ」

 賢者は、立ちつくす少年のもとへ歩み寄る。そして、その背を軽く押した。

 だが、少年は半歩踏みだしただけで止まる。顔は強ばり、双眸は大きく見開かれている。


「……ん、で……」


 震える唇が、必死に言葉をつむぎだそうとしていた。

 ティウは、少年の鉄色の瞳に宿る感情を見ていられずにうつむく。不意打ちの再会は動揺を生み、真正面から受けとめる覚悟が間に合わなかった。


「なんで、あんたがっ!」


 チコと呼ばれた少年が激昂して、ティウにつかみかかる。

「あの災厄を忘れたわけじゃないだろ!? なのになんでまだイングリドにいるんだよ!」

「―――……チコ」

「あだ名で呼ぶなっ」

 何も言えず、ティウは悄然と口を閉ざす。

 胸ぐらを締めあげる手はいよいよ力がこもり、息苦しさに眉をひそめた。けれど、ティウはふりはらえない。ふりはらう気にもなれなかった。


 怒り狂うチコを止めたのは、仕立屋の青年だった。

「はいはい、やめ。女の子には優しくすると、君は教わらなかったのかな」

 諭す言葉はおだやかでも、手は容赦なくチコの腕をひねりあげていた。チコは痛みに顔をしかめ、小さくうめく。

 締めあげから解放されたティウは、乱れた息を整えながら訴える。

「……子どもにも、優しくしてください。エルハ」

「時と場合によるよ。暴力を防ぐには、力を示すのが一番手っ取り早い」

 エルハがきれいに頬笑む。が、目は笑っていない。

 ティウは弱った。チコを落ちつかせるのも、エルハを説き伏せるのも、大変難しいのがわかる。だからといって、このまま放置しておくわけにはいかない。


 そこへ、賢者が手を差しのべてくれた。

「チコ。礼儀をわきまえないなら、おまえの寝言をばらすぞ」

「なっ!?」

 意識がないときのことを持ちだされ、チコがうろたえる。突っぱねるには危険な脅しだった。

「聞き分けたな? エルハ、そういうことだ。放してやれ」

 どちらもしぶしぶといった体で、言われたとおりにする。

「さてはて、どうしたものかな」

 賢者が不精髭の生えた顎をなでながら、ティウとおとなしくなったチコの二人を見比べた。


 ティウもまた、前にいるチコへそっと視線をやる。

 細い首、細い肩。ティウよりも小さな背で肉の薄い体が、これまでの生活の劣悪さを物語っている。身なりはこざっぱりとしているが、おそらく賢者の厚意だろう。

 痩せぎすの少年を、痛ましさとともにそれでも安堵した表情で、ティウは見ていた。


 二年前、レイディアナ王国に自治を許されていたイングの村は壊滅した。金色森に抱かれるようにしてあった村は、今は廃墟と化して近寄る者もない。

 国は原因究明に乗りだしたが、生き残ったイングの村民は天変地異があったのだと告げたきりで、口をつぐんだ。そうしてうやむやのうちに、イングの村は捨て置かれた。

 ちりぢりになった村人の身の処し方は、ふたつに分かれた。もともと傭兵だった者のほとんどは、現在では本部となったイングリドのクレイン支部を頼り、仕事を続けている。農民や商売人といった戦闘技術を持たない者は、逃げた先で落ちつくことが多かった。


 その災禍の直後から、チコは行方知れずだったのだ。長く見つからなかったため、生存を絶望視されていた少年なのである。

 彼を最後に見たのは、ティウだ。なぜあのとき無理にでも引き止めて、いっしょに行動しなかったのか。思い出すたび後悔した。

 そのチコが生きていたのだ。驚きの後に湧きだした感情は、喜びだった。

 責められて痛みを感じないわけではない。だがティウが失ったものは多く、こぼれ落ちずに残ったものをとても大事に思っていたのだ。


 賢者がチコの顔に視線を留めて訊ねる。

「チコ、おまえ、おとなしく帰れるか? やはり、俺が送った方がいい気がしてきたな」

 二人っきりにすると、チコが暴走しかねない。この状況の解決法を模索する賢者に、エルハが提案する。

「俺がティウを送っていくから、また暴れたら止めるよ」

 いつの間に送られることになったのだろうと、ティウは隣のエルハを見あげた。

 視線に気づいたエルハは、今度はきちんとした笑みを浮かべる。

「送らせてもらえるかな? 本当は明日の予定がなければ、店に招待したかったんだけどね」

 熱心な客引きだと感心しつつ、ティウは断る。

「いえ、でも、エルハは店のこともあるでしょう。忙しいでしょうから、送ってくださらなくても」

「こんな暴れん坊のおチビさんと帰すのは心配だから。嫌だと言っても送るよ」

 エルハの言葉にチコが反応して、すごい勢いでふりむく。

「オレはもう十三だぞ、チビじゃない!」

「ほほう?」

 長身のエルハが上から悠然と見下ろす。

 チコは身長差に一瞬怯むが、屈辱を甘んじて受ける質ではなく、上目づかいでにらんだ。

「何もできないガキだと思うな。オレだって、れっきとした《魔物使いアマウズ》なんだからな」


 うなるように発された台詞を聞きいたティウが、このときばかりは厳しい声を出した。


「チコル」


 本名を呼ばれたチコはビクッとして、ティウを見る。

 まっすぐに視線をあわせたティウは、ゆっくりと低く言う。

「イングの《魔物使いアマウズ》だと名のるなら、私怨で力を使うな。イングの名を貶める言動も慎め」

「…………っ」

 イングの教えを思い出したのか、チコは反論を返さない。悔しげに唇をかむばかりだ。


「エルハ、おまえなあ、火に油をそそぐなよ。このざまじゃ任せられんだろうが」

 賢者が頭を抱える。

 エルハはわざとらしく、大きく息をついてみせた。

「わかった、気をつけよう。だからガッシュは休んでおけよ。強行軍だったんじゃないか、例のごとく」

「おまえから、そんな優しい言葉が聞けるとはな。じゃあ、頼むことにしよう。ティウ、面倒を増やしたようで申しわけないが、エルハに送ってもらってくれ。チコ、暴れまわるなよ」

 賢者に頼まれたのでは断れない。

 本当に諍いが起こらずにイングリド本部まで帰れるだろうか。

 ティウはそこはかとなく不安を覚えた。



 王宮を後にしたティウたち一行は、馬車の中で何事もなく過ごせたと評せるだろう。

 チコは終始、仏頂面で外を見ていた。エルハはそんな彼にはいっさいかまわず、他愛ない話題をティウと楽しんでいた。賢者の言いつけを両者ともに守った成果である。


 そうして送ってもらい、エルハの目がなくなって、チコが初めて口を開いた。

 報告のために、書斎で長を待っていたときだ。二人だけだった。

「今の長は、災厄の真相を知ってるのか」

 ティウは隣で腰かけているチコを見やる。

 チコはちらりともこちらを見ずに、ひどく力の入った表情で前方を凝視している。

「ああ。知っている」

「あんたの誓約者のことも?」

「……すべて、話した」

 淡々と答えた。声に感情がこもれば、気持ちがさらに乱れる。だからティウは、冷ややかに聞こえるほど簡潔に語る。


 だがその態度が、チコの神経を逆なでした。音を立てて椅子から立ち上がる。

「じゃあ、あんたはなんで、ここにのうのうと居座ってるんだ。もとをたどれば、災いの原因はあんたじゃないか! 出てけよ。今すぐ、オレの前から消え失せろっ!」

 激しい憎悪をたたえたチコの双眸を、ティウは正面から受けとめる。目を逸らしてはいけないことなのだと、いつものように自らを奮いたたせて。

「私はもうすぐ十六歳だ。十六になれば、《魔物使い》の能力が安定し一人前と認められる。そうすれば、私はここを去る」

 イングの《魔物使い》は特異な能力のために、十六歳まで厳重な管理下のもと力を磨かれる。熟練者の目がなければ、魔物に同調して悪しき意志に利用される者や、魔物の意識に引きずられて自分の意志を喪失する者がいるからだ。

「それまで我慢しろって? バカ言うなよ、あんたの力はとっくに安定してるじゃんか。誰よりも早く成長して、誰よりも強いくせにっ……」

 強い怒りでゆがんだ少年の顔は、なぜか泣きだしそうな表情に似ていた。

 虚をつかれ言葉を失ったティウの耳に、扉をノックする音が届く。


「それは言わないお約束というヤツさ。この建前がなけりゃ、ティウはそれこそとっくに出てっちまってるからな」


 いつのまにか扉は開いていた。ノックはむしろ、そちらに気をひくためにしたのだろう。扉のそばにはイングリドの長が立っていた。


「ダーイおじさん!」


 チコの顔に、少年らしい素直な喜色が表れる。

 部屋に入ってきた長はにーっと笑って、チコの頭に手を置いた。

「よおっ、生きてやがったじゃねーか。でかしたぞ、チコ、よく戻った!」

 ぐしゃぐしゃと髪をかきまわされ、チコは声をたてて笑う。

 血縁ではないが、チコは彼と親しんでいた。チコだけではない。ダーイという男は部下や年少の者に非常に慕われている。

「なに? おじさんが長なの?」

「いや? 俺は代理さ。真っ当な後継者がいるんだから。ティウが継ぐまでのつなぎだな」

 チコの顔色がさっと変わる。

 かつて前代の長からも深い信頼を得ていたダーイは、前長の右腕だったこともあり、現在は長の地位に就いている。しかし彼は、代理長という立場を明確に公言していた。


「どうして……」

「わかってるだろ。紫の瞳が長の証だ。俺の目は、イングの民じゃ珍しくない碧だぜ。見た目だけじゃない。ティウの誓約者を知ってるだろう? 始祖フィ・ロウオの再来だ。どう考えたって、ティウの方が長にむいてる」

「むいてるわけないじゃないか!」

 怒鳴られて、ダーイは目をまるくする。

 呑気な反応に、チコの怒りはますます高まったようだ。ティウを指さして怒鳴りつづける。

「こいつはオレの仇だ! オレだけじゃない、ダーイだって他のみんなだって、こいつに家族や友だちを殺されたようなもんだろうっ。なのに」

 ぺちっ、と軽く音をたてて、ダーイがチコの頬を両手ではさんだ。痛みはなくとも、チコの言葉を止めるだけの衝撃になる。

「チコ。それは違う。あの災禍はすべて神の掌中で行われたことだ。それを楽だからといって、ティウのせいにするな」

 ぎりっと音がするほど歯をかみしめたチコは、ダーイの手をふりはらうと背をむける。

「オレは認めないからな!」

 捨て台詞を残して、部屋を飛びだしていった。


 反射的にその背を追おうとしたティウを、ダーイが留める。

「おまえが行ったら余計こじれる。しばらく放っといてやれや。そういえば、登城の報告を聞かなけりゃならなかったな」

 執務机につきながらダーイにうながされ、ティウはやむなく彼の前へ立った。国王からの書状を渡し、他言無用と断ってから依頼内容を報告する。

「……やれやれ、大事だな。妖魔と相対できるほど力ある者、なんて大仰な指名をしてきたと思ったら、依頼もそのまんまじゃねーか。こんなことなら俺が出るんだった」

 顔をしかめるダーイに、ティウは首をふる。

「とんでもない。留守が長すぎるよ、この依頼は。それに、もし長が倒れたりしたら、せっかく落ちついてきたイングリドが瓦解する」

「おおげさだな。ティウがいるじゃないか」

「そういうことを真顔で言わないで、ダーイ。……チコルを見れば一目瞭然だ。私が長になったら、治まるものも治まらなくなる。それどころか、長居をすればするほどダーイの意見と反発する人たちの感情が悪化するよ」

「だから、ここを出てくって?」

 ダーイはじっとティウを見つめる。


 イングリドから出ていく意志を、ティウはクレインに来た当初から明らかにしていた。

 それが実現していないのは、ひとえにダーイの努力の賜物だ。のらりくらりと理由をつけてティウを引き留め、その一方で正式な後継者として彼女を立ててきた。

「チコのことは気にするな。チコのようにあからさまでない連中もな。そのために俺がいるんだ」

 ティウはもう何も答えなかった。ただ静かに、口を閉ざす。

 ダーイも沈黙し、ティウの静かな面もちから真意を読みとろうとするように目を細めた。

 その真剣な眼差しが、ふと優しい光を帯びる。

「……おまえは本当に頑固だなぁ。心配するこっちの身にもなれってんだ。恨みつらみを、正面から受けとめようとする姿勢には感服するけどよ。それを、ためこんでどうする。ためこんで、なんでもない素振りをして、それじゃあ壊れちまう。もっと感情を吐きだせ。チコぐらいはっきり意志表示されたら、多少は動揺を表に出してくれるかと期待したんだが、それでもおくびにも出しやしないし」

 呆れた様子で頬杖をつくダーイに、ティウは淡く微笑んだ。

「ダーイの心遣いには感謝してる、とても……」

 それゆえに、ティウは静かに口を閉ざすのだ。



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