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隻手の門  作者: 夏和白
1 王の依頼
3/29

1-2


「……賢者の、聖刻印……っ」


 幾何学の形を描く痕は、日のさまにも光のさまにも似ている。

 その刻印は神々が去りゆく銅鎖の時代、人々を愛したひとりの神が、人の世の守護となるよう遺した神力そのものだという。すべての神力をこの世界に遺した神は、神格を失い、名も失われた。しかしその意志は人から人へと託され、今も連綿と人々を守り続けている。

 聖刻印を受け継ぐ者は賢者として敬われ、その権威は各国の王と対等、あるいはそれ以上ともいうことだ。レン・ガシュナーが王と親しく接するのも、聖刻印の賢者ならば得心がいく。


 だが世に知れ渡る賢者とはいっても、放浪の賢者の異名をとる彼に遭遇することはそうそうあるものではない。

 ティウは表情こそ変えなかったが、しばし驚きで固まった。それでもすぐ立ち直って名のり返したのは、度胸のよさの賜物だろう。


 二人が正式に挨拶を交わすと、王は人選に問題なしと見なして、ようやく依頼内容を語り始めた。


「事の始まりは一月前だ。我が国の第一魔導師が、天に不吉な予兆を見た。近いうちに、西の最果ての地で禍が生まれるとな。その禍の詳細を古文書で調べてみると、どうやら三百年ほどの周期で開く異界への扉があるらしい。ちょうどこの時期だと割りだしたところで、グリーセン森林地帯にある村が襲撃された。見たことも聞いたこともない魔物――おそらくは、妖魔にな」


 王は表情を厳しくする。


「すぐに騎士団と傭兵団を編成して西域に包囲網を布陣したが、妖魔による被害はじりじりと東に移動している。過去の記録では、森林地帯はほぼ壊滅したらしい。自然現象だからといって放っておくわけにもいくまい。いつ異界の扉が閉じるのか、はっきりしないのならなおさらだ。そこで事の解決のために、賢者殿を招いたわけだ」


 期待の視線を受けて、聖印の賢者がわずかに肩をすくめた。

「あまり買いかぶってくれるなよ。三代前だったかの賢者が異界の扉を閉じたということらしいが、そんな芸当は容易にはできん。大がかりな魔法陣を施したいところだが、それほど荒れているのなら無理だろう。そこそこの結界をはるにしても、少なくとも妖魔どもの襲撃を押さえ、集中できる場を作ってくれないことには、どうしようもない」


「……それが、私の仕事なのですね」


 ティウの声はひどく冷静に響いた。しかし表情は強く思いつめるように張りつめている。

 その表情を、まわりは恐怖だと推測した。

 王国の包囲網を脅かす数多の妖魔から、賢者を守らなければならない。ティウの細い肩には、重すぎる役目に見えた。

 だが、そのときティウは、ただひとつの言葉に囚われていたのだ。


(異界への扉……)


 そうとは知らない王が、暗い顔で依頼内容の補足をする。

「こちらからも一級魔導師を護衛にまわす。ただ、異界の瘴気によって場が乱れているそうだ。その状況でまともに魔術を扱える者をというと、せいぜい一人か二人しか派遣できない。我々はこの禍の真実を秘することとした。広く知らしめれば、不安が人心を乱し、混乱を招きかねないからな。だから大がかりな人員は割けないと、覚悟してもらいたい」

 事実、西域への出兵は、増えた魔物たちによる被害をくいとめて掃討することだと、都では報されている。王宮にあっても真実を知るのはごく一部の者であり、出征している者たちでさえ、上官以外は敵を変異種の魔物だと認識していた。


 硬い表情で聞いていたティウは、顔を引き締めてまっすぐ王を見る。

「わかりました。口外は決していたしません。賢者様の力になれるよう、最善を尽くしてまいります」

「そう言ってもらえると、ありがたい。明朝にも出立してほしいのだが」

「承りました。賢者様との合流には、登城すればよろしいのでしょうか」

 問いに答えたのは、賢者だった。

「いや、大西門で待ち合わせよう。門が開く時刻に集合だ」

 西域へ伸びるイシュロ街道に開かれた外郭の大門は、夜明けとともに通行を許される。そこで待ち合わせれば、時間の無駄がない。

 王はうなずきながら話を詰める。

「ティウは乗馬は得意か? そうか、ならば駿馬を用意させよう。糧食をつけてな。各地の伝令舎で代替馬を調達できるよう手配もしてある。他に入り用のものがあれば、侍従長ポノマンになんなりと言いつけてくれ」


 そうした一連のやりとりを横目に、エルハは非常に真剣な面もちで沈黙していた。

 思考に深く沈んでいる様子の彼を、まわりはあまり気にしなかった。

 既知である王と賢者は、もともとエルハがでしゃばる性格ではないことを知っている。特にこういった場面では弁えた言動がとれるからこそ、顔触れにもよるが、重要な話し合いで関係もないのに混じっているということが少なくなかった。彼が居ることは、賢者が絡んでいるとよくあることだったのだ。

 そして、ティウは知りあったばかりの青年に注意をはらっていられるほど、心中穏やかな状態ではなかった。

 だから、突然エルハが「はい」と手を挙げたときには、皆ぽかんとした。


「……どうした、エルハ」

 彼の同席を許した王が代表して、もの珍しげに聞いた。

 すると、美貌の青年は立ちあがりそうな勢いで身を乗りだし答える。


「あたしも行くわ、いっしょに!」


 またおかしくなった、と冷静にティウは隣を見る。出会い頭にくらった衝撃だったので、二度目はそれほど驚かなかった。

 しかし後の二人はそうはいかない。

 王は目をまんまるにして固まるし、賢者は自分の耳を疑うように指で耳穴を掻く。その様子から、明らかに普段のエルハと今の彼とは別物なのだろう。


 二人の反応をよそに、エルハはティウに向きなおって手をとる。

「アナタ一人にそんな危ない真似はさせられない。ティウが依頼を引き受けるんなら、いっしょに行くわ。どうか、あたしにアナタを守らせてちょうだい」

 悲嘆にくれて泣きだしそうな表情で訴えられ、ティウは困惑頻りだ。

「守るって……エルハは、仕立屋さんでしょう?」

「陛下がつけてくださる護衛なんかより、よっっっぽど役にたつわよ。あたし、こう見えても意外と強いんだから。剣だってそれなりに使えるしぃ、乗馬だってそこそここなせるしぃ、十分戦力になる裏技だって持ってるしぃ」


 延々と続きそうな売り文句をさえぎったのは、王の笑い声だった。吹きだしたら止まらなくなったらしく、苦しそうに腹を抱えて大笑いしている。

 エルハはさすがに口を閉ざし、笑う王を迷惑そうに見た。

 しばらく笑いつづけた王は、エルハの視線に気づき、笑いを抑えて言った。

「エルハ、おまえ、本当にどうしたんだ。侍従長から聞いたが、控え室でティ・ルウクを拐かそうとしたそうじゃないか。しかもその喋り方はなんだ。ポノマンの寿命が十年ほど縮んだそうだぞ」

「誘拐とは言葉が過ぎはしませんか、陛下。俺はティウを店に誘っただけだ。それに喋り方がどうしたって?」


 冷ややかに返すエルハを見守っていた賢者が、大きなため息をつく。

「気がついてなかったのか? 女言葉に戻っていたぞ。それも、マリーナ調だ」

「マリーナの口調に!?」

 予想外のことだったらしい。エルハはギョッとして、手で口をおおった。

 王がおもしろそうに賢者へ尋ねる。

「マリーナとは女性の名だな。エルハとどういう関係だ」

「昔、世話になった人だ!」

 賢者が口を開く前に、エルハが切り返した。


 発言権を奪われた賢者は、かわりにエルハへ問いかける。

「女言葉はともかく、内容の方はどうなんだ。本気なのか」

「中途半端な決意で、こんなことは言わない」

 真摯な眼差しで答えるエルハを、賢者はじっと見つめる。

 しばしの黙考の後、賢者はティウに視線をやった。

「こんな調子の奴では不安に思うことだろうが、こいつの望みどおりにしてやってもかまわないか? 実際、エルハの腕は確かだ。俺が保証する」

 聖刻印の賢者のお墨付きである。その実力は申し分ないだろう。


 戦力不足がはっきりしているだけに否やはないが、ティウは戸惑いを隠せなかった。

「……はい、賢者様がそう仰るなら。……あの、そろそろ、手を離してもらえませんか」

 エルハの片手はしっかりとティウの手をつかんだままで、こういう言動にどこまで対処できるか、おおいに疑問だったのだ。

 同行できることに気をよくした青年は、少し名残惜しそうではあるものの、すぐに手を放した。そして、にっこり微笑む。

「これからよろしく。ティウ」


 エルハの喜びに満ちた笑顔を眺めていた王が、ほとほと感心したように息をつく。

「たいしたものだ、ここまで人が変わるとは。しかし、わからないな。おまえに男色の気はなかっただろう? いくら綺麗な子だからって、そこまで男に入れ込むか?」


「失礼なこと言わないでよっ。ティウはどこからどう見ても女の子じゃない!」


 どうやら興奮すると、オネエ言葉になってしまうらしい。

 王は再び笑いの発作がわきあがってゆがむ口許を片手で隠しつつ、まじまじとティウを凝視した。

 光を受ければ宝冠のようにきらめく豪奢な金髪は、もったいないことに男のように短く切りそろえられている。傭兵家業の女性なら短髪も珍しくないが、ティウには年頃の娘らしいふくよかさは顕れておらず、細い肢体は少年のものに見えた。

 同じ年頃の少年とくらべれば、背は低く線も細い。けれど、長い前髪の間から覗く紫水晶の双眸も凛々しい口許も、女らしい甘さを寄せつけない厳しさを持っている。


「そなたは次代の長だと聞いた。イングリドに女性の長は、過去いなかったと思ったが……」

「その通りです。私は女ですから、長にはなりません。今の長は、前代の長の娘である私に気を使ってくれているのです」

「そうか。いやはや驚いた。中性的な顔だちだとは思っていたが、少女だったか」

 なにより国王の依頼に推挙されたことから、少女だとは考えなかったのだろう。


 しかし王は責めることも、それ以上言及することもせず、話題を変えた。

「エルハ。やる気満々なのは頼もしいが、カダはどうする? おまえがくれた札を返そうか」

 王の札という言葉に、ティウは思わずエルハを凝視した。

「エルハは、《札使いカダスタ》なんですか」

 《札使いカダスタ》とは、魔法力の象徴である精霊や事象を描いた札を使い、呪文を唱えずに魔法を操る者たちのことだ。魔術学の歴史から見れば生まれたばかりの新しい技術だが、その有用性から注目されており、《札使いカダスタ》の名は上流階級にはもちろん、民衆にも広まりはじめている。

「そう、それが俺の裏技だよ」

 ティウの疑問にすばやく答えたエルハは、次いで王へ首をふる。

「あの札は返さなくていい。西へ行くなら、アウル村に寄ればいいだろう。ドウン老師に修行用の札を借りていく」


 すると賢者がちょっと目を瞠ってから、わざとらしくため息をついた。

「いいのか、おまえ、あそこを出てから便りのひとつも寄こしてないんだろう? 行ったら、そうとう絞られるぞ」

 エルハは口許を少し引きつらせながらも、真摯な声で言った。

「わかってる。だが、あの人たちは助けを求める者の手をふりはらうようなことはしない。たとえ、俺に愛想を尽かしていたとしても」

「そういうことを言うから怒られるんだろうに」

 賢者は呆れた様子で首を横にふり、エルハは表情を消して冷ややかな空気を漂わせはじめた。

 一気に雲行きの怪しくなった場を収めるために、王が助け船をだす。

「別に返してもかまわないんだぞ。私には使えないしな」

「あれは居候費がわりだと言っただろう。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」


 姿勢を変えないエルハに王は肩をすくめたものの、それでこの件は決着したとして手を打ちあわせた。

「さて、話は終わりだ。茶を楽しむことに専念しようじゃないか」

 王が手ずからそそいでくれる紅茶を前に、ティウは恐縮しつつも嘆息する。

 国王陛下にへりくだらない仕立屋も相当なものだが、侍女を呼ばずに自ら給仕する国王というのも聞いたことがない。

 王宮というものに対する一般認識が、がらがらと崩れ去る音を聞いた気がした。




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