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隻手の門  作者: 夏和白
7 災禍
22/29

7-4

本日の投稿4話目、ラストです。

前話をお読みになっていない方は、7-1からよろしくお願いします。

残酷表現あり回です。




「ダメだっ」


 驚愕と恐怖で立ちつくしていたチコが、自害しようとするティウの腕を抱えこんだ。

 同時に、神殿の中から矢が放たれた。

 矢はまっすぐ翼竜に乗る女を目指す。それはチコに向けられていた女の敵意をそらし、長い黒髪を幾筋か散らした。


「ティウ、馬鹿なことを考えないでって言ったでしょう! 冗談じゃないわ、自殺なんて許さないわよ」


 神殿から駆けでてきたのは、ティウの姉だ。驚いたことに、その手には弓がある。《魔物使いアマウズ》ではないエルエリナは趣味で弓をする程度であるのに、放たれた矢には敵の命を射んとする裂帛の気合が込められていた。


「おのれ、私の髪を……小娘があああ!」

 エルエリナの弓を見て、女が逆上した。神力がたちまち炎と化し、ティウたちを襲う。

 もはや女に陰謀を遂行する理性はない。

 ティウは姉とチコを胸にかき抱き、急ぎ呪文を唱えた。


「大気に遊ぶ水霊よ、我が盾となれ。〈水壁〉」


 簡易結界は一度目の攻撃をなんとか防ぐ。だが、結界もすぐ消失した。


「死ね!」

「空を構成する風霊、渦を巻き敵を呑みこめ。〈風竜〉」


 かまいたちが飛来する。竜巻でかまいたちを巻きこもうとしたが、いくつか吸収しきれず、ティウたちに迫る。気づいたときには目の前だ。

 避けきれない。

 観念したティウは、姉とチコを突きとばそうとして――。


「姉さま!?」

 ティウはエルエリナに抱きしめられていた。

 おそるおそる姉の背にまわした手が、ぬれた感触をひろう。なめらかなはずの背中に、えぐられた痕が筋を描いている。

 全身で包みこむようにして抱きついていた姉の身体が、力なく滑り落ちていった。

 ティウはひざをついて抱きとめる。

 エルエリナは強い意志を秘めた眼差しをして、けれどか細い声でささやく。


「生きて…………」


 吐息が消えた。強い瞳も輝きを失う。

 ティウは命の灯火が燃えつきる様を、茫然と見ていた。眼前で起こっていることの意味が理解できないまま。

 神殿が再び崩落する。

 女はエルエリナの死で我に返り、冷酷な表情で腕をふりかざしていた。

「これ以上死人を出したくないなら……わかっているわね?」

 足許には、取り落とした短剣が転がっている。ティウは姉の言葉さえ理解しないまま、血に濡れた手を短剣へのばした。

 突きとばされたチコもこの事態に自失していて、ティウを止めることができない。

 一気に頸動脈を切り裂こうと、短剣を持つ手に力をこめる。


 だが、寸前で押し止められた。

 そして代わりのように、女の腹を長剣の切っ先が貫いていた。

 背後から女を刺した剣士は、そのまま女の豊満な胸の谷間をまさぐる。

「どうせさわんなら寝台の上での方がいいんだけどね。っと、当ったりぃ。神宝はアンタの方が持ってたか。ま、大逆は死罪だ。いまさら窃盗罪がついたところで変わりねえわな」

「……貧民窟あがりの、ドブ鼠が………っ」

「それ、面と向かって我らが主にも言える?」

 皮肉げに笑う剣士が視線を投げた先に、彼らが主と呼ぶ少年がいる。


 銀髪は月の光をやわらかく反射し、紫水晶の瞳は安堵を浮かべてティウを見つめていた。

「ごめん、助けにくるのが遅くなって」

 ティウはぼんやりと、腕をつかむ少年を見返す。思考は凍りつき、心も体も反応することをやめていた。絆を結んだ少年でさえ、いまは心を揺さぶらない。

 ひざに抱えこんでいる命が、重かった。姉の骸は、神殿や戦いで失われただろう多くの命をも表していた。そう、たったひとりを守るために、散っていった命だ。

 いつまでも刃を首にあてたままのティウから、少年が短剣を取りあげようとする。

 ティウはそこで初めて身じろいだ。自らの首を斬りつけようとして、少年に逆らう。少年は焦ってもぎ取ろうとしたが、ティウはしゃにむに短剣へしがみつく。


「放して!」

「嫌だ!」


 短剣がティウの手から離れて落ちたころには、両者とも息をきらしていた。腕を拘束されたままで短剣をひろうことは許されず、ティウは少年をにらむ。

 怒りを瞳に見いだした少年は、しばし沈黙した。それから腹に据えかねた様子で息をつく。

「……自害させるぐらいなら、僕が君をもらう。僕の治める世界へ君を連れていく。いますぐにでも」

 ティウは、激しく頭をふった。何度も、横に。

 姉の骸をおいていけるわけがない。神殿の中で瓦礫に埋もれている人々や、戦っている《魔物使いアマウズ》たち、生死の定かではない父や母を放りだして、どうして異世界へ行けるだろう。逃げるわけにはいかない。ここで失われたすべてのものを、ティウは贖わなければならないのだ。――死をもって。

 暗く濁る双眸は、まっすぐ死出の道へ向けられていた。

 どこにも希望のない瞳と視線をあわすために、少年がティウのあごを捕らえる。


「どうしても、死にたいんだね」

 やわらかな雰囲気が消え、怜悧な声が低く問う。

 その変貌が、ティウの気を少し引いた。

「ティリウディージア。君は僕の世界では、〝叡智の光フィラメル〟という地位にある。意味は、神を神たらしめる力。神の威光を示す者であり、神の代理人たりえる者。君は僕に次ぐ権力を持っているんだ」

 ティウの眉がわずかにひそめられる。何を言ってるのかわからない。

「いない者が要職を埋めているというのは、無茶な状況だ。権力を欲する者たちには、のどから手がでるほど魅力的な地位だから、とても冷静ではいられない。なんとしてでも手に入れたいと、彼らは水面下で画策する。なにせ僕は古くからの廷臣を締め出し、信頼できる者は身分が低くても要職に登用したから、周りは敵ばかりでね。まともな手段で復権しようとする善良な神族がどんなに数少ないか、思い知らされたよ」

 ティウの顔色がだんだんと疑心にそまる。

「それじゃあ、まるで……」

「そうだよ、僕はふるいにかけたんだ。残すべき者と排除すべき者を。かぎりなく空位に近い〝叡智の光フィラメル〟を使ってね」

 ティウを利用した、と宣言したも同然だ。


 これに反応したのは、少し離れた場所で腰を抜かしたように座りこんでいたチコだった。

「……あんた、ティウさんの誓約者だろう!? なのに、なんで危険な目にあわせるようなことすんだよっ。そんなの空位だったって、権力争いさせるのに問題ないだろ」

 噛みつくチコに、少年はわざとらしいほどの笑顔で返す。

「空位じゃ、早く誰か就かせろとせっつかれるだけだろう。水面下で足の引っ張り合いはすれども、潰す理由となる決定的な動きにはなかなか繋がらないよ。それに、これは古代からの慣わしでね。神と絆を結びし者は、神に準じる力をもつ。〝叡智の光フィラメル〟は、もともと誓約者に与えられる地位なんだ。たとえ、それが異世界の人の子で我が世界にいないとしても、存在するかぎり誰も〝叡智の光フィラメル〟には就けない。ティリウディージアは僕を助けた時点で、僕の運命に寄り添う唯ひとりの伴侶となったからね」

 自分のものだという傲慢さを漂わせながら、少年はティウへ視線をもどす。


「本当は、君にそばにいてほしいんだよ。だからあの女の謀反に気づいたとき、泳がせてみようと考えた。ちょうどいいと思ったんだ、この世界へ来る口実に」

 まったく悪びれず微笑む。結果引き起こされた惨劇に、痛痒など感じていないように。

 これが神というものなんだろうか。ティウの身体から音をたてて血の気が引いていく。

 彼が、かつて助けた少年だととても信じられない。過去の少年は、人とほとんど変わりなかった。身体の痛みも心の痛みも、同じように感じることのできる子だったはずだ。

 空恐ろしいような心地になったティウは、再び凍りついた。

「ここまで酷い事態になったのは、悪かったと思ってる。でも、残念だ。しがらみがなくなれば、いっしょに来てくれるんじゃないかと期待したんだけどね」

 とってつけたような謝罪、そしてこの惨事までさながら思惑の内だと勘ぐらせる台詞だ。


 チコがこらえきれないように押し殺した声を洩らす。

「……んで、どうして……こんなヤツ助けたんだよ。こんな、オレらを虫けらみたいにあつかう、ひどいヤツを……っ」

 少年が横目でチコを見る。無表情な瞳は超然として、チコを圧倒する。

「やめてもらおうか、僕の誓約者を責めるのは。やめないなら、君の口を封じるよ?」

 神気が皮膚を突き刺すような鋭さで、場を支配する。

 チコは後じさった。殺気なんて生やさしいものではない。視線ひとつで消滅させられそうな絶対的な力だ。それは、少年がまさしく神なのだと強烈に知らしめる。

 チコの意気地が砕けた。引きつるような悲鳴をあげ、転びそうになりながら金色森の方へ遁走する。


「……やめて、もう、やめて」

 かすれた声が、少年の神気を霧散させる。

 ティウは少年を見つめていた。五年前、やせっぽちで小さかった少年はあいかわらず細かったが、手足はすんなり伸びて背も高くなっている。一見別人のようだが、けれど少女のように優しい顔立ちは幼いころの面影を色濃く残している。

 そのせいだろうか。ティウはどうしても記憶の中の少年を信じたかった。目の前の少年に信じさせてほしかった。

 すがる眼差しをされて、少年が苦く笑う。

「ティリウディージア、君は……」

 最後まで言わずに、少年は口をつぐんだ。軽く首を横にふって、笑みを消す。

「君が死を選ぶなら、僕もさっき言ったように勝手にさせてもらう。だけど君がこの世界で生きていくというのなら、その意志を尊重していまは手を引こう。ただし、今後君が自殺に追いこまれたり、仲間から私刑を受けて命を落とすようなことがあれば、僕はそいつらを滅ぼす。生まれてきたことを後悔するぐらい残酷にね。そいつらの血族も生まれ育った土地も、一片も残さずすべて消し去ってやる」


 ティウの双眸が絶望で塗りつぶされていく。

 何も贖わないまま、異世界へは行けない。

 生きて、生きぬいて、失われたものを贖うしかないのだ。

「……生き、る。だから、もう…」


 非情なことを言わないで。


 思いは声にならないまま、胸の奥に沈む。その思いまで否定されたら、誓約者である彼を信じていられるかどうか、わからなくなりそうだったからだ。

 少年は頬をよせ、くずおれそうなティウの額に口づける。

 一瞬、清冽な神気の奔流が、ティウの意識も肉体もさらっていった。

「これは契約の印。君がなんらかの理由で命を落としたとき、僕は契約の力によって詳細を知ることができる。それに、もし……」

 するりとティウの頬をなで手を離した少年は、ゆっくり立ちあがり言葉をつづけた。

「僕が憎くてしようがなくなったら、その印が君を導いてくれるだろう。復讐したいのなら、次元を越えて僕のもとへおいで。君なら、復讐を理由に訪ねてきても歓迎するよ」

 少年は背を向けた。そして剣士を従え、瀕死の女を背に縛りつけた翼竜に同乗し、夜の闇へ消えていったのだ。


 最後まで、ティウに彼を信じさせてくれないまま――――。



     *   *   *



 瞳に曉の光が射しこむ。

 ティウはひじをついて上体を起こした。

 いつのまにか眠っていたようだ。灌木の下からでると、ぐっと伸びをする。冷たい大気を頬に感じながら、崖の切れ目まで歩いていって暁光を背にした。

 異界の扉があるという古森へ思いを馳せる。


 賢者たちと合流し、妖霊からうまくチコを救いだせたなら。


 そこでティウは思考を留める。

 一度はユーリィによって強制的に虚空から引き戻された。その虚空につづく扉を前にして、果たして自分はどうするのか。

 それを深く考えてはならないような気がした。



10万文字まで、あとちょっと……。

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