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隻手の門  作者: 夏和白
7 災禍
21/29

7-3

本日の投稿3話目です。

前話をお読みになっていない方は、7-1からよろしくお願いします。



 かくて、イングの民大移動計画が、長の強引な命令によって始動したのである。


 大半の者に事情をふせたため反発は大きかったが、戦場になると諭されれば避難するより他はない。避難民の受け入れ先を手配する役を割り振られたダーイは、長の目論見どおり各地を駆けまわることとなった。要するに長のとった策は「逃げるが勝ち」なのである。

 詳しい事情を知る村の長老方やイングリド上層部でも、奇行としかいいようのない長の計画を非難する声があがった。しかし、異界の神と誓約した始祖フィ・ロウオが紫瞳を得たという言い伝えから、紫瞳をもつ者は神意を顕わすとされ、イングにおいては大権を揮える。その強権を行使すれば、長ティ・イーダリッジに逆らえる者はなかった。

 ただし大権は権威の象徴であり、ふだんは紫瞳の長に付随する華々しい装飾のひとつという意味合いが濃く、平時に簡単にふりかざせるものではない。大権による命令を乱発すれば混乱が生じる。場合によってはその摩擦が敵愾心を呼び、内部分裂を引き起こしかねない。

 それゆえ、長は彼らを説得する用意も調えていた。曰く、偽物の言を聞き入れてティウを生贄にすれば、その場は無事に収まりはする。だが真の誓約者が事実を知れば、偽物に唯々諾々と従ったイングの民は間違いなく報復を受けるだろう、と。

 誓約の絆の深さをよく知る長老方や上層部の人間も、その意見には渋々ながらうなずいた。偽物たちが自ら手を下さなかったのは、誓約者殺しの罪をイングの民に被せようとしたのだと、容易に推測できたからだ。


 そうした説得内容をティウが知ったのは災禍の後だったが、その時点で知らされていたら、彼女は神の報復を信じる者に反論しただろう。ティウが五年前に出会った神は、ひとつふたつ年上の痩せ細った少年で、あまりに優しすぎて自らを傷つけてしまいそうな繊細な瞳をしていたからだ。

 少年を見つけたのは金色森でだった。灌木の影で、怪我をした小動物のようにふるえていた。とても存在が希薄で、いまにも消えてしまいそうだった。すぐにしっかりと抱きしめてあげなければ、二度と姿形を保つことができなくなるような危うさだ。さりとて少しでも乱暴な言動をとれば、あっという間に壊れてしまう脆さも併せ持っている。

 苦しげに息を乱す少年が心配になったティウは、だから慎重に慎重を重ねてそっと近づいたのだ。『大丈夫?』と。

 そばにいて手をつなぎ抱きしめてあげることしかできなかったティウに、少年は深く感謝してくれた。助けてくれたお礼に、他に何も持っていないからと、自分の名前を贈ってくれた。


 少年の名はルウク。それが後に、ティリウディージアと呼ばれていた少女の新たな名のひとつとなる。

 なぜなら、その少年神との出逢いがティウの瞳の色を変えたからだ。それまでティウの瞳は青みが勝った藤色で、長がもつ瞳とは似て非なる色をしていた。だが赤みが増した彼女の瞳は、長と同じ紫水晶のごとき深い色をたたえるようになったのだ。

 名を与えられ瞳が紫水晶の色に変化するのは、そのまま始祖フィ・ロウオが異界の神との誓約で経た手順だった。ティウを見る周囲の目に畏怖が混じるようになったが、彼女自身の心は以前と変わらなかった。

 また、少年が神だと知っても動揺はなかった。少年と過ごした時間はほんのわずかだが、そのときふれた神性は善意もつ人間となんら変わりなく、近しい人や誓約の友と同じように信頼できたからだ。

 だからこそ災禍のとき、神がイングの人々にかけた呪いを、彼女は信じられず茫然と聞いていることしかできなかった。



 満月まで五日を残した日の夜のことである。

 高く昇った月が冷ややかに、常よりも閑散とした村を照らしていた。

 長が決定をくだして十日ほどで、半数の民が村を発っている。その多くが一般人で、イングに残っているのは傭兵や見習い、イングリドの関係者がほとんどだった。ティウの家族は父親は言わずもがな、母も姉もまだ自宅にいた。どんなに遅くともあと三日のうちに、村人全員が村外へ退去する予定だったのだ。


 けれど計画が完遂される前に、悲劇の幕は開けられてしまった。

 最初に起こった異変は、村中をふるわせるような轟音だった。警戒のために召喚されていた魔獣たちは、こぞって妖魔の襲来を告げた。

 敵に、こちらの動きがばれたのだ。

「満月と指定したなら満月に様子見に来ればいいものを。まったく、せっかちな奴らめ」

 二階の窓から轟音の原因を確かめた長は、日頃しまりのまったくない顔を引き締めざるをえなかった。

 村の一番奥まった場所にある長の家から、中央広場で暴れる妖獣の姿が見える。黒々とした巨大な異形は、神世にいたという竜そのものだ。

 竜だけではない。通りを大小さまざまな妖獣が駆ける。妖獣は人気のある家を急襲し、村のあちこちで小競り合いが起きている。

 《魔物使いアマウズ》や年かさの見習いは、猛り狂う妖獣どもとの戦闘に次々と身を投じていく。幼い見習いたちは、非戦闘員を安全な場所へ誘導した。それぞれが持ち場を死守し、この夜を乗りこえようとしている。

 厳戒態勢で臨んでいたとはいえ、敵は予想以上の戦力を投入していた。

 長は、イングの《魔物使いアマウズ》らしい身軽な戦装束を急ぎ身につけると、部屋の中をふりかえる。

 彼の背後には、妻とふたりの娘が控えていた。

「ティウ、母さんと姉さんを頼む。前からの指示どおり、ふたりを伴って神殿へ行き、村人たちを守ってくれ」

「…………はい」

「あなた。無事に帰ってこられますように」

「お父さま、お気をつけて」


 母や姉と抱擁をかわす父を、ティウはいたたまれない思いで見つめていた。

 本当は、ティウ自らが戦いに赴きたかった。自分のせいで起きた戦なのに、神殿の結界の中に隠れているのは、あまりにも不甲斐ない。けれど敵の目的がティウである以上、出陣は許されなかった。

 ティウはふるえるほど拳を握りしめる。その拳に、そっと繊手がおかれる。

「だめよ、ティウ。馬鹿なことを考えては」

 姉のエルエリナがティウをのぞきこむ。外見は母に似てたおやかな姉は、しかし戦士でもないのに中身は剛の者で、こんなときでも大きな瞳は気丈に輝いていた。

 おっとり屋の母親は不安のかけらも感じさせない無邪気さで、ティウに笑いかける。

「エルの言うとおりよ。さあ、ティウもお父さまを励ましてさしあげなさい」

 その言葉と両手をひろげて待ち受けている父にうながされ、ティウは一歩前に出る。

「どうか、ご無事で」

「お互いにね。短気をおこすなよ」

 釘を刺しつつ力強く抱く父に応えて、ティウもまた背にまわした手に力をこめる。束の間の抱擁を終えると、父は迎えに来た《魔物使いアマウズ》たちと戦場へ出ていった。


 時間をおいて、ティウは家族を連れて外に出る。周辺を徘徊していた妖獣は、父たちによってすでに倒されている。母と姉を魔獣に乗せ、ティウは一路神殿を目指した。

 神殿で待つ時間は、長かった。

 どの室も避難した村人でひしめいている。人々は恐怖と不安に顔を曇らせ、眠ることもできずまんじりとしていた。

 ティウの母や姉は気鬱な者の愚痴を聞いたり、具合の悪くなった者の面倒をみたりと、人々の間を忙しく動きまわっている。

 入り口付近で詰めていたティウは、ふたりが行き来するのを見かけると、少し気持ちがやわらぐのだった。

 聖域であり結界を張りめぐらしてある神殿には、妖魔たちもおいそれとは近づけない。妖魔たちの影が見えたとき、それは《魔物使いアマウズ》たちの敗北を意味する。

 金色森の裾にある神殿から、村の様子は窺えない。村につづく道の先に現れるのが、妖魔たちを退けた父たちであってほしい。そう祈りながら、ティウは最悪の可能性に備えて臨戦の構えで佇んでいた。

「ティウさん。オレ、見張り代わろうか」

 ずっと動かないティウを心配して、チコが駆けよってくる。

 彼に否と答えようとふりむいた。そのとき――。


 稲妻のごとき閃光が、天空を走った。


 すばやく視線をやったティウは、上空に異形の黒影を捉える。それが結界を破ろうとしているのだ。激しく火花を散らす結界は、じき消失するだろう。

 ティウは舌打ちし、神殿の外に出た。

 途端に、バチバチッという音とともに目が眩むような光の爆発が起こる。結界が壊れたのだ。

 翼もつ竜が風を巻き起こしながら、地上に降り立つ。

 翼竜の背には、神気をみなぎらせた人影が騎乗している。その人影は、はるか頭上からティウを見おろした。

「こざかしい、人間風情が……!」

 憎々しげにティウをにらむのは、黒髪の美しい女だ。

 ティウは瞬時に、誓約者に化けていたのはこの女だと悟った。反射的に腰の剣を抜きはなち、戦闘態勢に入る。


 だが女は神殿の方を一瞥し、腕を横薙ぎにふるった。まるで女の腕が打ち払ったように神殿の一部が崩壊する。

 内部から悲鳴があがり、ティウは思わず背後をふりかえる。

「私を謀ろうなどとするからよ。どお、我が主の誓約者さんとやら。大切なお仲間が死んでいくのをご覧になるのは、お辛い?」

 試すように、女は再び腕を上げる。

「やめろ! 欲しいのは私の命だろう」

 ティウの叫びを聞いて、女はうっすら笑う。女がティウの持つ抜き身の短剣を見、ついで視線をティウの双眸に留め、あごをついと上げる。自刃しろと言わんばかりに。

 ティウは奥歯をかみしめる。こんなことなら、ユーリィだけでも神殿の警護にあたらせるべきだったと後悔した。ティウの誓約の魔物たちは彼女たちを神殿に送り届けてから、すべて戦場に出ている。戦えないティウのかわりに出陣してくれたのだ。

 誓約の友や戦っている仲間たちを思い浮かべ、ティウは心中で詫びる。


「……私が死ねば、村を襲う妖魔ともども退いてくれるか」


 得たり、というふうに女は笑みを深くする。

 その艶笑を肯定ととり、ティウは手になじんだ短剣の刃を首にあてた。


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