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隻手の門  作者: 夏和白
7 災禍
20/29

7-2

本日の投稿2話目です。

前話をお読みになっていない方は、7-1からよろしくお願いします。



 荒野を走りはじめて、三日が経った。


 ティウは運のいいことに妖魔とは出くわさず、順調に古森へ近づきつつあった。

 北からやってくる賢者組と足並みをそろえるために、その日は早めに野営地を決め、ティウとユーリィは腰を落ちつけた。

 崖下のくぼみの傍らには、荒野には珍しく灌木が生えている。細く乾ききったような白い枝を小さな葉がまばらに飾っている。不毛の大地ではほんの慰め程度の緑でも、ほっと心がなごむ。巨岩のくぼみと灌木とに隠れるようにして、ティウは横になっていた。

 本当は、一刻も早く異界の扉に到着したかった。ティウもまた、賢者たちが把握した状況を正確に理解していた。もちろん、エルハが憂慮したチコの処遇についてもだ。

 おそらく、チコは妖霊に囚われたままだろう。憑依能力がばれてしまった以上チコを使っての芝居はもうできないが、まだ人質としての価値がある。ただし、それは暫定的なものだ。賢者がやむなしと判断した時点で、チコの命運は尽きる。その考えに至ると、ティウは芯からふるえそうになって自らの身体を抱きしめる。

 できるなら昼夜を問わず荒野を駆けぬけ、チコを助けにいきたい。行方不明の間探しにいけなかったぶん、いまさらでも手をさしのべたかった。けれどティウの仕事は、賢者の護衛だ。職分をなさず、私情に走ることは許されない。


 感情と理性の狭間でゆれながら、ティウは思い出さずにはいられなかった。ティウとチコを、そして家族や故郷を断ち切った、あの二年前の災いを――――。



     *   *   *




「私に捧げてほしい、我が誓約者の魂を」


 ティウの父親の前に忽然と現れた少年は、開口一番そう告げた。

 書斎で仕事に埋もれていた夜更けのことである。ティウの父ティ・イーダリッジは、断りもなく出現した闖入者の無礼を追求せず、かわりに普段はおだやかな眼光をたちまち鋭くした。

「どういう意味か、図りかねます」

 表面上は慇懃に、ティ・イーダリッジはそらっとぼける。

 イングの長である彼の前にいるのは組織や村の者ではなく、見知らぬ二人組だった。ひとりはティウと同年代の少年、もう一人は恰幅のいい中年の紳士だ。ふたりとも身なりは立派で貴族を思わせる気品をそなえているが、特に少年の方には目を奪われる。

 銀髪の少年は、やわらかな曲線の整った顔だちや小作りな唇が愛らしいといっていい容貌なのだが、注目する点はそこではない。その大きな瞳が、イングの長となるべき人物に顕れるという至宝の紫と同じ色であるところにこそ、意識は釘付けになるだろう。


 すでに、イングには紫瞳の子がいる。彼の娘のティウである。娘以外で同色の瞳をもつのは長である彼自身か、娘が紫瞳に目覚めた原因となった誓約者――異界の神だけだ。

 少年の正体を予想していながら、イングの長は椅子に座ったまましげしげと眺める。

 それを、中年紳士が厳しくとがめたてた。

「無礼であろう! 人の子の分際で、我らが主を値踏みするような目つきは不敬である」

 当の少年よりよほど居丈高な男を、長は危うくしらけた目で見そうになった。その前に、少年が上に立つ者らしい鷹揚さで長を許す。

「よい、私は気にしない。そなたは、私の正体に気づいていることと思う。そのうえで、再度頼もう。我が誓約者の魂を、天へ戻してもらいたい」


「娘の命を差しだせと?」


 神に捧げる、天に戻す、とは神への供物と同義だ。要するに生贄である。

 硬い声音で問い返した長に、少年は優雅な仕草でうなずいた。

「……誓約者のお言葉とは思えませんな」

 緊張と焦燥を双眸ににじませ、長は低く切り返した。

 少年は微かに眉根をよせ、視線を落とす。まるで、悲しみを隠すように。

「私には、敵が多い。自らの身も危ういほどに。けれど、私の身体に神が宿っているかぎり、世界を守らねばならない。そなたの娘に分け与えた力を取り戻してでも、成さねばならないことが、私にはある」

 ぎゅっと両目を閉じる。少年の双眸が開いたとき、そこに迷いはなかった。

「次の満月の夜に、誓約者を天へ。わかっていると思うが、これは決定であって否やは問わない。話は、それだけだ」

 踵をかえそうとする少年に追いすがるように、長は椅子を蹴立てて立ちあがる。

「誓約を解消すればいい話ではないですか! なぜ、命まで取ろうとなさるんです!?」

「誓約を解いても、一度生まれた絆は消えない。命をもってしか贖うことのできぬのが、私が与えてしまった神の力だ」

 それだけ言い残すと、少年はお供の中年紳士とともに書斎から一瞬で消え去った。


 しばし茫然の体で立ちつくしていた長は、ふいにドサッと椅子に沈むとため息を長く吐いた。完全に闖入者たちの気配が消失したのを確認して、机下の足許へ手をのばす。

「来たのか」

 金具の音がすると、床板がひとりでに持ちあがる。地下につづく隠し通路から出てきたのは、まだ幼さばかりが目立つ十三歳のティウだった。長の大きな手がティウの身体を引き上げる。

「はい。不審な気配を感じとったので」

「そうか。じゃあ率直に聞こう。あれは、正真正銘おまえの誓約者だったか?」

 机の向こう側へ下がろうとしたティウの腕をつかまえて、長が正面から見据える。

 ティウは姿勢を正して、ごく真面目に答えた。

「いいえ。私の心は、あの気配に共鳴しませんでした」

 それまで鋭く研ぎすまされていた長の双眸が、やわらかくゆるむ。肩の力がぬけ、吐息が洩れた。

「うん、うん、そうだろう。猿芝居だとは思ったが、やはり本人に確認をとる前に断定するのは短絡かな、と」

 にこにこ笑う彼に長の威厳はなく、父親としても形なしである。たんなる優男にしか見えない。これでイング一の《魔物使いアマウズ》でなかったら、娘たちの尊敬を勝ち得てなかったことだろう。

 その猿芝居の内容に顔を強ばらせていたティウは、困ったような笑みをこぼす。

「きっと、ダーイに激しくつっこまれますね」

「うう、やめてくれ。あいつは容赦ないんだ、俺にだけ」


 戦々恐々としてから咳払いすると、長は少し真剣さを取り戻す。

「俺はね、大事な娘の命を、たとえ本物の誓約者にだってくれてやる気は毛頭ないよ。何が起こってもね」

「でも、私が生贄にならなければ、イングが襲われるかもしれません。彼らはおそらく、神の眷属には違いないでしょうから」

 共鳴こそしなかったが、闖入者たちがまとう気配は憶えのあるものだった。ティウが八歳のころ出会った誓約者と、同質の力が気配に混じっていたのだ。

 長も尋常ではない異質な気を察していたが、それで逃げ腰になるような男ではなかった。

「だが、おまえの誓約者ではない。確かに奴らは神力の気配をわざと見せつけてくれたが、じゃあどうしてその力で自ら手を下さないんだ。わざわざティウの誓約者に化けてまで芝居をうつ意味はどこにある? これは推測だが、奴らは誓約者の思惑から外れた行動をとっている。造反ととってもいいような、な。そこに勝機があると思わないか」

 ティウとよく似た長の顔から、すっとおだやかさが退く。かわりに冷徹な笑みと底光りする双眸が、イング一と讃えられる戦士の迫力をあらわにする。

 その気迫にのまれて、ティウは硬直した。獲物を狙う肉食獣もかくやという双眸を間近で見るものではない。


 固まったティウに気づいた長は、すぐに気のぬけた笑顔になる。

「ま、最終的には神様のご采配を待つしかないんだけれど。ティウの誓約者がこの事態を収めてくれるまで、俺たちはできることをしよう」

 硬直を解かれたティウの表情はまだ不安の色が濃く、長の太平笑顔であっても緊張をときほぐすことはできなかった。

「……やはり、イングにとって危険が大きすぎます。私ひとりの命ですむのなら、その方が…」

 突然、長はティウの頬を両手ではさみ、ぐいっと引きよせる。


「ティリウディージア!」


 両親がくれた名前を呼ばれ、ティウは驚いて瞬きした。その名で呼ばれることがなくなって久しいからだ。

「馬鹿なことを言うな。見殺しにしろなんて、親不孝大爆発な発言だぞ」

 長は眉根をよせ、口をとがらせた。洋燈の光のいたずらか、瞳がうるんでいるように見える。いい大人が子どもっぽく泣きだすのを我慢しているような様子だ。

「あ、その、すみません。失言でした」


 あわてて謝るティウを、長が不満そうに半眼でにらむ。

「さっきから気になってたんだが、なんで親子水入らずのときまで敬語なんだ」

「え? 成人を迎えてないとはいえ、私は正式なイングの《魔物使いアマウズ》と認められましたから。血縁といえども、いついかなるときも長に敬意をもって接しなければならないと」

「と、ダーイが言ったんだな? 騙されるな、ティウ。それはたんなる俺への嫌がらせだ!」

 ティウは目をまんまるにする。

 ぽかんとしているティウを抱きよせてひざに座らせた長は、少し機嫌をなおしたようで眉間のしわが消えた。

「いいか、ダーイの言葉は話半分に聞いておけよ。仕事以外でまで、そんなつまらない接し方をティウにされたら、父さんは泣く。もう身も世もなくね」

 ひざの上に横抱きにして座らせられるなんて小さな子どもみたいでティウは恥ずかしかったが、嫌がっても父が泣きそうだったので我慢する。そういう言動を平気でするから、身内がきちんと長としてたててやらなければならない――とは、ダーイの言である。その彼が一番長を蔑ろにしているという説もあったが。

 黙って抱かれているティウに気をよくした長の顔が、ついにゆるむ。笑顔でティウの頭をなではじめた。

「素直なティウを騙すなんて、ダーイはひどい奴だな。よーし、あいつにはこの件で走り回ってもらうぞ。今夜は新月か……半月で村民全員引っ越しとなると、手はいくらあっても足りないだろうからなあ」

「は? 父さま?」

 低く愉快そうに長が笑う。

 ティウの目が点になって、悪い笑顔の父親へ向けられたのだった。



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