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レイディアナ王国は、西大陸の雄ともいわれる大国だ。
先々代の時代には盛んに国外へ侵攻して多くの勝利をおさめ、国土、国力ともに西大陸に並ぶもののない覇者となった。
現王は戦嫌いではあるものの、先々代が築いた富を守り、新たな領土をよく治める賢王と讃えられている。
その現国王リド・アレアディード陛下の召喚を受け、ティウは王城を訪れた。依頼の説明を受けるのと、顔見せを兼ねてだ。
ティウは《魔物使い》と呼ばれる特殊な能力者だが、歳はまだ十五と若い。王じきじきの依頼をこなすには経験不足を指摘されてもおかしくないが、ティウの所属する傭兵組織イングリドの長が依頼内容から、この人事を決定したのだ。
さて、王宮にはより詳しい話を聞きにきたわけだが、
「長らくお待たせいたしまして、申し訳ありませんでした。私、侍従長のポノマンと申します。陛下がお待ちですので、どうぞこちらへ」
と、驚いたことに侍従長みずから赴いてきて、ティウを案内しはじめた。
ちなみに、よくわからないままオネエ言葉の青年に連れていかれそうになったティウを、助けてくれたのも彼だ。血相を変え、青年にすがって止めてくれた。
侍従長はまだ青い顔をしたまま、青年の様子をうかがう。
「……あの、シオンさま。よろしければ、ご一緒にいかがでしょう。お顔をご覧になりたいと、陛下が常々仰っていますので」
シオンと呼ばれた青年は一瞬眉間にしわを寄せたが、思いなおしたようにうなずいた。
青年の同行を怪訝に思いながら、ティウは先を歩きだした侍従長に続く。
その横に並んだ青年が首をかしげ、にっこり微笑んだ。
「さっきはごめん。なんだか急に舞いあがってしまったんだ。俺は、トゥ・エルファーツ。君は?」
ふつうだ。ちゃんと男の人の喋り方である。ティウのまわりにいる男性のような乱暴さはないが、さっきのオネエ言葉からすれば雲泥の差だ。アレは幻聴だったのだろうか。
それにもうひとつ、疑問がある。
「あの、シオンさん、ではないんですか?」
侍従長の呼びかけた名前と違う。
名乗り返さずに質問を優先してしまったので遠慮がちに尋ねると、彼は曖昧な相づちをうった。
「ああ、うん。シオンは店の名前。正しくは、シオンジルアというんだけどね。俺が勤めている仕立屋だよ」
なるほど、ドレスがたくさんあるわけである。
納得して、ティウはうなずいた。
「ああ、それでなんですね。私はティ・ルウク。ティウと呼ばれています」
「かわいい響きの名前だね。俺は、エルハって呼んで」
エルハの笑みが深まってとても嬉しそうなので、ティウは不思議に思う。
さらには前を行く侍従長の額に、さっきからずっと脂汗が流れているのもおかしなことであった。
「……こちらの部屋でございます。どうぞお入りください」
神妙に頭をさげて手で示された部屋へと、ティウとエルハは入室した。
そこは謁見の間ではないようだった。飾り気のないこじんまりとした部屋で、内装も優しい暖色で整えられており、控えの間よりもくつろげる雰囲気だ。
後ろに付き従って入った侍従長は、そそくさと奥の扉の前に立つ。
すぐにその扉が開き、亜麻色の髪の青年が首のタイをゆるめながら入ってきた。
「ほお、珍しいじゃないか。エルハが顔を出すとは」
「貴方に会いに来たわけじゃありません」
「つれないな、あいもかわらず」
苦笑する青年を侍従長がそっと引きとめ、小声で何か訴えかける。最初は興味のなさそうだった青年も、次第にその言葉に聴き入っていく。
腕を組んで青い瞳を細める青年と真顔のエルハを、ティウは見比べた。
エルハの年の頃が二十歳過ぎほどなら、侍従長の話に真剣に耳を傾ける青年は二十代後半だろうか。短い会話からはどういう関係なのかわからないが、交わされた視線や空気は親しいものだ。
だがしかし直近の問題は、その青年が部屋の主然としていることである。
主人としてふるまっているのだから、当然ティウを呼び出した張本人だろう。
しかし恰好がくつろぎすぎている。ゆるめたタイは取ってしまい、シャツのボタンも上からふたつ外してしまった。上着など最初から着ていない。
自分は王様に呼び出されたのではなかったか。ティウは心の中で首をかしげた。
なにやら半泣きの侍従長の背を抱いて労いの言葉をかけた青年は、こちらへ顔を向けた。
「まあ、とりあえず座りなさい。ポノマンに茶を運ばせるから」
「俺も同席しても?」
「ふむ、まあ、いいだろう。せっかく私の方まで足を運んでくれたのだし、いろいろ気になることもあるし、な」
王らしき人に促されて戸惑うティウに、同席を許されたエルハが手を差しのべ、椅子へ誘ってくれる。
連れられて青年のそば近くまでいくと、ティウは慎重に切り出した。
「イングリドから派遣されてまいりました、ティ・ルウクと申します。ご依頼をしていただいたのは、貴方様でしょうか」
「ああ。頼んだのは私だ」
ゆっくりと微笑を刻んだ唇が、肯定する。それは彼が王本人であるということだ。
ティウは事実を確かめると、ひざまずこうとした。
「ご無礼を……」
「堅苦しい礼は必要ない。休憩時間だからな。それより、こちらこそすまないことをした。ずいぶんと待たせただろう。だが、苦情はさらに遅れた人間に聞いてもらうとしようか?」
言いながら、若き王は開け放たれたままだった扉へ視線をやる。
そこには新たな客人が立っており、ひょいと肩をすくめてみせていた。
「それは俺のことか? そいつはすまなかったな、ディード。旅装のままじゃ、御前まで通してくれなかったんだよ。これでも急いで湯浴みと着替えをすませてきたんだがな」
白の長衣をゆったりと着こなす黒髪の男が、廊下で控えていた案内の侍女に礼を言ってから入ってくる。
背はエルハよりもさらに高い。そのうえ武人のように鍛え上げられた体躯をしているのに、巨漢の印象はない。無駄なものをいっさい削ぎ落とした、しなやかで俊敏な猛獣のごとき体だ。これで無精をしている髪と髭を上品に整えれば、騎士団長か将軍かといった品と威風が出ることだろう。
さらには「ディード」と、王の愛称を敬称もつけずに平然と言ってのけている。ただ者でないのは確実だ。
「……ガッシュ」
ふりむいたエルハが、わずかに目を瞠った。
呼びかけに応えて、男が口角をあげる。
「よう、エルハ。久しいな」
互いに声を交わしたのを機に、王に勧められて客たちは席についた。
その間にお茶の用意をしていた侍従長が、仕度を終えると扉を閉めて退出する。
完全に人払いされ、主と客人だけになった。
一瞬、しんと静まった部屋を見渡した王は、茶目っ気をふくんだ微笑みを浮かべる。
「豪華な顔ぶれの茶会だな。だがまあ、まずティ・ルウクに依頼内容を話しておこうか。幸い、茶は冷たいものを用意させたから、時間を置いても美味いはずだ。このままでは、家の料理人が腕を振るった菓子の味も、ゆっくり楽しめまい」
ティウは内心、ほっと息をつく。国王陛下を前にしてお茶を楽しめるとも思えなかったが、本題に入ってくれるのはありがたい。
「ティ・ルウク。先に確認しておくが、そなたが持つ《魔物使い》の力は異界のものたちにも通用するのか?」
あらかじめ長から聞かされていたこととはいえ、ティウは頬が強ばるのを感じた。
「それは、難しいご質問です」
声がうわずらないよう答え、落ちつくよう一度目を閉じる。
「ご存じでしょうが、イングの民の力は一般の《魔物使い》とは別物です。我々と魔物たちとの契約に、強制的な術や利害は介在しません。彼らと結ぶのは支配関係ではなく友情、契約ではなく誓約とでもいうべきものです」
イングリドとは、イングの民が運営、所属する傭兵組織だ。彼らは、通常魔法使いに属する《魔物使い》とは違い、魔法戦・肉弾戦ともに得意としている。
イングの《魔物使い》は、人間は言わずもがな、対魔物戦においてはさらに優れた働きを見せた。イングの民と魔物との間にはより近しい交感があり、なおかつ誓約という特殊な結びつきが、他に例を見ないほどイングリドに魔物に関する膨大な知識を蓄積させているからである。
「イングの一族に伝わる能力の第一は、魔物の心と響き合う力なのです。だからこそ、友となった彼らはよく私たちを助けてくれ、また私たちも彼らの助けに多いに酬いる。けれどその力は、あまりにも形の違う心には届きにくいのです」
王が双眸を瞬く。
「とすれば、異界の妖とは言葉の通じぬ異国人のようなものなのか」
「そうですね。近いと思います。ですが、この世界のものであっても心が通じない場合もありますし、必ずしも異界の妖魔だからといって、その心が遠いとはかぎりません。人同士であっても、言葉が通じなくとも心を通わせることはできるのですから」
「そうは言うが、イングの民が実際に妖魔と誓約した事実はあるのか?」
異界の存在である妖魔とそう簡単に出くわすことなどない。巷では、妖魔という存在自体を知らない者がほとんどだ。生涯で一度でも遭遇する確率はないに等しく、それはイングの民も同じだと容易に想像がつくことだろう。
王は試す視線をあえて隠すことなく、意地の悪い質問を投げかけたのだった。
それまで、この依頼に関係のないエルハは部外者としての礼儀を守って無関心を装い目をふせていたが、ふいに険のある眼差しを王へと向ける。当の本人はティウを見つめたままで、エルハの非難を完全に黙殺したが。
エルハもまた視線をティウへ転じたが、しかしこちらは反対に気遣う顔に変化する。
彼らが見守る中で、硬さを残した表情で受け応えをしていたティウは、しかし次には、隙のない華やかな笑みで答えてみせた。
「先人に幾人かいたという記録が残っていますが、何よりもイングの民ならば、こう答えなければならないでしょう。我々の始祖、フィ・ロウオが誓約した異界の神こそが、イングの血脈を創りだした――イングの民はもともと異界の力を受け継いでいるのです」
かつてはレイディアナ王直轄地内の自治区であったイングの神を、王も知っていたようだ。ハッとした後、顎に手をそえて納得するようにうなずいた。
「私は妖魔と誓約したことはありません。そして先に申しあげましたように、妖魔と友情を結ぶのは多分に不確定な要素をふくんでおります。けれどご依頼が妖魔との戦闘であるならば、《魔物使い》の力を魔物と抗するのと同様に妖魔へ及ぼすことは可能かと存じます。……私の力で足りうるご依頼であるならば、どうぞお使いください」
自分ができるであろうことを説明して、ティウは王の答えをじっと待つ。
若き王は顎の手はそのままに口の端を愉快げにあげると、黒髪の男へ視線を投げた。
「イングリドの長は、なかなかおもしろい者を推してくれたな」
王の意味ありげな視線に、黒髪の男は意図を悟って言葉を返す。
「事前に頼んでいた条件で推薦された者なら、こちらに否やはないさ」
依頼に関係がある人なのだろうかと、ティウは男へ問いかけるように顔を向ける。
すると男は愛想よく笑いかけてきた。
「ここの王様の依頼をこなすのに、腕のたつ《魔物使い》を探してもらったんだ。俺はレン・ガシュナー。こういう者だ」
右手にはめていた指ぬきの革手袋をおもむろに外すと、手のひらを差しだす。
握手を求めるものではない。上向けられた手のひらに、ティウの目がすいよせられる。