7-1
本日、7章は4話分の投稿となります。
そして、1話目だけいつもよりちょっと長いです。
通常の長いときより千字程度多いので、「終わらない!」と思っても途中で投げ出さないでいただけると、幸いです。
伝言鳥が傭兵団長の腕にたどりついたのは、昼前のことである。
けれど携えた伝言は、調査隊の位置確認ではなかった。
『妖霊が徘徊している虞があります。速やかに森林地帯から撤退、駐屯地にて厳戒態勢をとってください』
これを受け取った傭兵団長は妖霊の件はふせ、すぐさま調査隊を引き上げさせた。
伝言鳥はさらに一足先に危急を報せるため、駐屯地へと飛び立った。
* * *
まぶたを開けて、はじめに見えたのが赤茶けた岩肌だった。
「気がつかれたかな」
目を転じれば、虹色の角をもつ白馬がたたずんでいる。
ユーリシェントだと思い出すと同時に、エルハはあわてて起きあがった。
「ティウは!?」
「目覚めて一番先に聞くのが、我が友のこととは。心強いというべきか……」
ユーリィがあきれた様子で首をふり、視線をめぐらせる。
エルハが寝転がっていたのは、岩場の巨岩がえぐれてできたくぼみの下だった。上部がせりだしているので、初夏の陽射しをさえぎってくれている。ろくに緑のない大地は乾燥しているうえに太陽光が水分を奪うので、人にはありがたい休憩場所といえた。
そう、ここはすでに不毛の荒野――最果ての地なのだ。
けれどいまのエルハは、荒野の光景など眼中にない。
彼の心情をたてて、ユーリィは現状を認識させる前に答えをあたえる。
「残念ながら、ティウとははぐれた」
「なんだって!」
「落ちついて。彼女は無事だ。ティウに何かあれば、誓約の友である私にわからぬはずがない。それに、私の本体がちゃんとそばについている」
それでエルハは一応安心する。少なくとも無事であることは確かめられたからだ。
とはいえ、すぐに心配の種が他にも出てくる。ティウはどこにいるのだろう。チコルにつきまとわれていやしないだろうか。無事とはいえ無傷ではないかもしれない。
ついにエルハは脳裏を占領する心配事をぶちまけようとしたが、察したユーリィに機先を制される。
「大地の君。ティウの心配もいいが、他に誰か忘れていないか」
「!」
エルハが驚愕で絶句する。だがそれは問いかけにではなく、呼びかけられた名前に対してだ。
驚きは次の瞬間には、激しい敵意にかわった。常に泰然としているユーリィがたじろぐほどの激情に。
大地の君とは同族の神々が使ったとされる、大地神トゥラエルファンの呼び名だ。
大地神はこの世界を去るとき、身体をばらばらにして各地に埋めたと伝えられている。エルハの祖国エルファンにも神体の一部が埋まっており、しかも世界の中心地にあたるため、神体から流れでる力が集束する場所だった。それゆえ大地神の力が凝って胎児に宿り、人とも神ともいえる赤子が数世紀ごとに生まれいでる。
赤子は長じて神の力に目覚めると、完全に神化する。だがエルハは、神化する前に賢者に封印され、現在も人のままだった。
その封印にまつわる忌まわしい過去を思い出して、エルハは歯を食いしばる。
『姉上、危ないっ!』
『殿下っ!?』
眼前でぐらりと傾ぐ少年の身体。陽光のような髪がふわりとゆれて、くずおれた身体とともに地面にひろがる。地に滴るのは、鮮やかすぎる赤い血。鮮血に濡れた少年の胸から止めどなくあふれる。
『っ――――、――!』
音にならない悲鳴は闇空に吸いこまれた。
自分をかばった異母弟を膝の上に抱き、こんなことを引き起こした人々を、国を、そして己を呪って、声にならない叫びをあげつづけたその夜――。
昔のことなどではない。無くしたものの大きさに打ちひしがれ、いまも胸の奥で血が流れている。奪いさった者たちへの憎悪が、エルハの双眸に冷たい炎を灯す。
空気が緊迫する。
それを破ったのは、横合いから響いたうめき声だった。
「物騒な気配をふりまくな。おちおちぶっ倒れてもいられん。ユーリシェント、エルハにそういう呼び方は禁句だ。仲間割れなんて面倒はごめんだからな」
「……ガッシュ。あんた頑丈が取り柄なのに、なに倒れてるんだ。というか、いたのか」
心配のかけらもない淡々とした声だったが、エルハから敵意が消失していた。平常どおりの台詞を力ないかすれ声で賢者が言うものだから、ちょっと驚いて我を取りもどせたからだ。
憎悪の行先を、事情を知らず関係もないユーリィに向けるのは、ほとんど八つ当たりでしかない。しかもティウの相棒だ。正気になれば、憎悪を無理やりにでも静めることはできた。
相変わらずのエルハの態度に、賢者は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「おまえといっしょにするな。たんに神の力を借り受けている俺と生まれ変わりのおまえじゃ、格が違う。たとえ封印されてるとしてもな」
「どうせ俺はなりそこないだよ。神になんか、なりたくもないけれどな」
不機嫌こそ露わにしていたが、今度は激昂しない。
「私にはよくわからないな。レン・ガシュナーの言は怒りにふれないのか」
不可解そうな様子のユーリィに、賢者はちょっと笑ってみせる。
「そりゃあ、俺はたんなる事実を言っただけで、エルハを神扱いしてないからさ」
言いながら、腕を支えにして上体を起こす。やはりこの男にしては珍しく、動きが大儀そうだった。なんとか自力で起きたものの、目眩をこらえて額に手をやる。
彼らを襲った闇は、界と界の狭間にある虚空そのものだった。常人が落ちればひとたまりもない、大気も大地も時間もない異空間である。かといって、虚空にはまったく何もないのかというと、またそれも違った。
虚空は、すべての存在のもととなる始源の力が奔流をなしている。その力はどんな色にも染まらず、ただ在るだけだ。唯一ある方向性は、形の定まっている力を無へ、すなわち始源の力に帰すこと。それこそが虚空という名の所以だった。
「レン・ガシュナー、まだ横になっていなさい。急場だったから、私は簡易結界しか作れなかった。悪かったね」
賢者は手だけふって心配無用と示す。
「あんたはよくやってくれた。虚空からこっちに、俺たちを引き戻してくれただろう。ありがとうよ。しかし異界に通じる穴を開けるとはな。チコを操ったあれは……妖霊か」
虚空酔いと戦いながらも、賢者は動けない時間を無駄にしない。まず状況を整理する。
妖霊は精神体の妖魔だ。魔精の妖魔版ともいえるが、妖霊には核がない。ゆえに視覚で捉えることは難しく、なにかの姿で現れてくれないかぎり気配を追うしか方法がない。うっかりしていると、今回のように背後をとられ窮地に陥る。対策のたてづらい相手だ。
ユーリィが考え深げに蒼い瞳を光らせる。
「おそらく間違いない。うまく仕掛けていたものだ、ロックには罠、チコルには監視の目をと。私でさえ、ロックに仕掛けられた魔力の気配を探りあてるのに存外時間がかかった。相手に気取られないよう細心の注意をはらっていたとはいえ、なかなかの力を持っている」
魔精であるユーリィが硬質な空気を一瞬漂わせたあのとき、彼らは異変を悟ったのだ。その原因が、チコたちにあることも。
だからこそ、ティウは台詞とは違う内容を伝言鳥に託し、エルハは時間かせぎと注意をそらすために喧嘩をふっかけたのだ。そしてユーリィが探りだした結果を、脳裏で伝え聞いたティウが賢者に目で知らせた。ユーリィが感じとった異変は本物である、と。
賢者は長く吐息をはく。
「甘かった。チコがボルロムドに俺らの居場所を教えてもらったって言った時点で、いや、エルハがいるのにあの程度の妖獣に襲われたこと自体、不審に思うべきだったな」
いくらお人好しでも、ボルロムドは騎士団をあずかる団長である。賢者たちが調査へ行ったことは教えてやっても、村の場所や日程などの詳細まで言うはずがない。地図にも載らない小村ばかりの森林地帯で、チコが賢者一行の先回りなどできるわけがなかった。
また、神化していないとはいえ、エルハに宿る神力は脅威となる。人より気に聡い魔物や妖魔が、危険を冒してまで近づくことはまずない。近づいてくるのは、一定以上の力の持ち主だけだろう。
護符扱いされているのに眉をしかめながらも、エルハはこらえて異を唱える。
「天敵だったとしても、巣に入ってこられたら迎撃せざるを得ないんじゃないか」
「まあな。だが、あの妖獣どもも込みで布石だった可能性が高い。チコのことといい、ずいぶん念入りに仕組んでやがる」
「妖魔にとって、それだけ隻手の門が重要なのだよ。――命綱だからね」
ユーリィの呟きをエルハが聞きとがめる。
「命綱? それに隻手の門って、いったいなんなんだ。妖霊も同じことを言ってただろう」
ユーリィが瞠目して、エルハを凝視する。
しまったというように、賢者はぴしゃんと額をたたいた。
「隻手の門ってのは、俺たちが目指している異界の扉の名前だ。古文書にも記されてないような大昔のな。ユーリシェント。神世のことなんか人界では忘れ去られてる。いまさら知る必要はないから、妖魔の説明をしてやってくれ」
神世から存在するという魔精がなにか言う前に、賢者が先手を打った。
物言いたげだったユーリィは、結局その願いを聞き入れる。
「妖魔は、始源の力がこの世界にふれることによって誕生する。だが、生まれたばかりの妖魔はこの世界との繋がりが希薄なために、せっかく得た形を保てないのだ。彼らはこの世界と契りを結ぶまでは、始源の力を糧とするしか生き延びられない。異界の扉が閉じられてしまえば、消滅するしかないのだよ。だからこそ妖魔らは、世界との契約に足るモノを求めて果ての古森からあふれ、あらゆるものへと襲いかかる」
「そんなある意味では儚い存在が、虚空に通じる穴を開けられるのか」
疑わしそうに、エルハは半眼で問いかける。虚空に落とされた側としては信じがたい。
「能力に個体差があるからね。場合によっては、異界へ渡る力を持つものも生まれる。そういう妖魔はあえて世界と契りを結ばずに、虚空をさまようことが多いらしい。突発的に異界に通じる扉が開くのは、そうした妖魔の仕業だ。けれど我々を陥れた妖霊は違うだろう。異世界へ渡る力をもっているのならば、隻手の門に固執する必要はないからね」
額を押さえていた手から顔をあげた賢者は、考え深げにあごをなでる。額をたたいていたぐらいなので、酔いはおさまったらしい。
「……となると、憑依能力か。隻手の門に刻まれた記憶を読みとっていたようだしな。門の力を利用して穴を開けたんだろう。異界の扉に憑依するとは無茶苦茶だぞ、おい」
「神の手で創りあげられた扉だからね。きっちり構築されてる。案外、頑丈なぶん、妖獣よりとり憑きやすいのかもしれないよ」
冗談でもなさそうな口調のユーリィへ、賢者はうんざりした表情をかえす。
「神も使い捨てにするなら門を壊していってくれればよかったものを。おかげで俺らは目をつけられたあげく、虚空に放りこまれたわけだ。妖霊の方は、これで俺たちを追いはらったと油断してくれるかねえ」
「あれは始末できれば儲けもの、失敗しても牽制になるという考えだろうね」
「いつでも虚空に落とせるぞってか。実際に隻手の門まで辿りつけたとしても、また同じ手を食らったら敵わんな」
「門のそば近くまで行ければ、逆にその術は使用しづらくなるはずだ」
「頑丈な扉でも虚空につながる穴が近所で開けば、やはり干渉するか?」
「おそらく。世界を裂いてこじ開ける大技だからね。一、二度ぐらいならともかく何度も使えば、同質の術に引きずられて隻手の門が崩壊して、制御できない大穴が開くか完全に閉じて消えるか、といったところだろう」
「それは……消えるのはともかく、大穴が開くのは不味いんじゃ」
思わず作戦会議と化してきた会話に、エルハは口を挟んだ。
ユーリィはごく平静にうなずく。
「始源の力があふれれば、この世界は消滅するだろうね。さすがにそれがわかる程度の頭は、妖霊ともなればあるはずだ。虚空に放りこんでも我々が戻ってくるだろうと判断すれば、自らには味方が多くこちらには増援のない扉のそばで、決着を着けようと考えるのではないかな」
「そう願うよ」
「まったくだ」
エルハと同様に賢者もうなずく。
「なんであれ、こちらの気配が知れてしまったから、あの妖霊が憑依している隻手の門に近づくのは難しくなった。おとなしく気配を殺していかなくてはね。魔力を抑えて走ると速度は落ちてしまうし、場合によっては迂回もしなければならない。荒野を越えて古森へたどりつくのに、私の足でも三日で足りるかどうかというところか」
ユーリィは心許ない様子で瞳を瞬く。
敵が憑依能力をもっている以上、妖獣を操って巡回させている可能性が高い。力量により差は出るが、魔精の妖魔版である妖霊であれば、ユーリィのように分身体を複数作ることができるのだ。
こうなると最果ての地が広大であるのが幸いする。偵察の目をかいくぐるのが、比較的容易となるからだ。
三日と聞いた賢者は苦笑した。傍らに置かれていたバッグを指し示す。
「糧食は一ヶ月ぶん背負ってきたぞ。味も素っ気もない保存食だがな。まあ、異界の扉を閉じるのは早いに越したことはない。できるだけ急ぐ方向で頼む」
そこへ、姿のなかったもう一頭の分身体がやってきた。よく似た白馬の一対は視線を交わすと、それぞれの乗り手に寄りそう。
「どうやら、ティウは古森を目指すようだ。レン・ガシュナーの体調もよくなったようだから、我々も古森へ向けて出発しよう」
「まずティウと合流しないのか!?」
エルハのすっとんきょうな声に応えて、ユーリィは首を横にふる。
「北と南の端、まったく正反対の位置にいるのだよ。こちらへ戻るとき、本体とうまく座標を合わせられなくてね。それでもレン・ガシュナーと貴方は一刻程度の距離しか離れていなかったから、こうして意識のない間に移動して合流できたけれど、ティウと落ち合う場所は、古森付近の方が位置的にも移動時間的にも理に適う」
「それでも合流したいんだ! ああもうっ、ティウと話せないのか?」
一見ごねているだけのようであったが、エルハの双眸には激しい焦燥がにじんでいた。
ちょっと探るような眼差しで、ユーリィは現在の状況を再認識させる。
「いくら本体との交信でも、距離が離れていれば魔力の波動が大きくなる。我々の位置を派手に宣伝するわけにはいかないのでね。いまは、本体がどのあたりに存在するのか感知することぐらいしかできないのだよ」
エルハは小さく舌打ちする。次いで、恨みがましい目つきで賢者をにらんだ。
「……チコルのこと、どうするんだ」
賢者は眉をあげてみせる。
「俺が頼まれたのはなんだった?」
――異界の扉を閉じること。
声には出さず、エルハはわかりきった答えを脳裡でつぶやく。
いざとなったら、賢者は王からの依頼を優先させて、少年のことを見捨てるだろう。冷徹な判断をくだすことを辞さないだけの修羅場をくぐりぬけてきた男だ。
そして、ティウはきっとそれを予測している。エルハが心配しているのは、そこだ。
(ひとりで無茶をしなければいいけど……)
エルハの危惧を理解したらしい賢者は、口の端をふとゆるめる。
「おまえは、なんのために来たんだ」
その言葉にハッとなった。エルハはあらためて賢者を見る。
あきれて笑いながら、賢者はうなずいた。好きにしろというように。
「俺はティウを守る。だから、ユーリシェント。俺たちと合流するまで、ティウが暴走しないよう抑えておいてくれ」
ユーリィが鼻をブルルと鳴らす。
ため息をついたようにも、観念して笑ったようにも聞こえる鼻音だった。
2話以降は、いつものように一時間後ごとに予約投稿してあります。




