6-2
本日の投稿、2話目です。
前話をお読みになっていない方は、6-1からお願いします。
走りだすと、ユーリィの忠告の意味が思い知らされる。
速い、などというものではなかった。後方に流れ去る景色は、高速すぎて目の端にも捉えられない。ふりおとされたら一巻の終わりという速度だ。
それでも道を走っている間はよかったが、森のなかへ進路変更してからは心臓に悪い光景がつづいた。駆ける彼らの眼前に密生した木々が一気に迫り、ぶつかると思った瞬間、かすめるようにすりぬけて道が開ける。その恐怖を、騎手は幾度となく味わわされた。
だが怖ろしいのは視覚だけで、乗り心地はいたって快適だ。まるで空を駆けているようで揺れはなく、馬よりも楽である。そのうえ高速で走っているのに、頬をたたく強風はない。魔力の塊のごとき魔精ゆえに、力の一部を防護にまわすのも簡単なのだろう。
ユーリィに騎乗し慣れているティウは、そっと後続のエルハを窺った。すぐ視線を前へ戻したが、気持ちはまだ彼の上にある。
駐屯地での夜、出迎えてくれたエルハは笑顔のまま敢然と宣言した。
『俺はティウを守るよ。ティウには迷惑かもしれないけれど、どんなに考えてもこの決意は譲れなかったから。だから……ごめん』
受け入れられないことを承知して瞳に傷ついた光を宿しながらも、エルハは引かなかった。しばらく沈黙したあと、エルハは『それだけ伝えておきたかったんだ。おやすみ』と言って先に天幕へ入った。ティウは何も言えず、身じろぎひとつできなかった。
謝らせたかったのではない。エルハの申し出は、ティウの身には過ぎるほどの価値がある。本当は感謝して頭をさげたかった。だが動けなかった。独りで立ち行かなければならないと決めた心が、そのときほんのわずかな動きでさえ揺らぎそうだったからだ。
「おかえり」と迎えてくれる人がいる。それがどんなに尊いものか、ティウは痛感する。思わずエルハにすがりついて、故郷にふりかかった凶事を全部吐きだしたくなった。彼の胸に顔をうずめて、子どものように声をあげて泣きたかった。エルハはいつもティウのすべてを受けいれるようにして微笑んでくれる。
だからこそ、離れなければならなかった。
しかし自らの本心に気づいてしまえば、ますます孤独感はいや増し、温かさを求めてエルハへと手をのばしたくなる。いっそのこと真実が話せていればよかったのかもしれない。そうすればティウが自覚する前に、エルハは離れていっただろう。
感情と理性の狭間で揺れ動くティウは、ユーリィのたてがみをぎゅっとつかむ。友の不安な心持ちを察して、ユーリィが心中に話しかけてくる。
(気が散じているね。大丈夫かい)
(……うん。ちゃんと集中する)
ユーリィの心配を杞憂にするため、ティウは気持ちを入れかえる。その後は周囲への警戒に没頭し、よけいな思考を遮断した。
小一時間もすると、賢者一行はグリーセン森林地帯で一番西にある村へたどりついた。妖魔に襲撃され死に絶えた寒村だ。
村の手前の開けた場所で、徐々に速度を落としていたユーリィが完全に足を止める。ティウが後ろの二人をふりかえると、どちらも目を回した様子はなく常態だった。
賢者が空を見上げ、太陽の位置を確かめる。
「速いな。馬なら通常まる一日かかる道程だ。魔獣でも、多く見積もって半日程度と計算してたからな。これなら、この村で夜を明かす必要はない。先に進むか」
その提案に、ティウとエルハはうなずく。
だが、ユーリィが意味ありげに瞬きした。
「村を通って西へ抜けるのだったな。村の中はゆっくり行ってかまわないかな?」
「なにかあるの、ユーリィ」
「……ちょっと気にかかることがあってね。どうかな、レン・ガシュナー」
「ああ、かまわん。あんたにつきあおう」
了承を得たユーリィは、並足で村へ入っていく。
村は廃墟と化していた。
外れた扉、ガラスの割れた窓、金具が飛んで落ちかけた雨戸が風にゆれて軋んだ音をたてている。村人たちの遺体は派遣された偵察部隊によって村外れに葬られていたので凄惨な光景はないものの、うらさびれた様子が胸に迫る。少し前まで人の生活がここにあり、その生の残滓がいまだ漂っているせいかもしれない。
死者を悼み黙々と村の中を通っていた一行が、はたと止まる。皆が視線を交わした。
(ユーリィ、回避はできないの?)
(可能だ。だが、この気配はやはり……)
心中で会話していたティウとユーリィの注意は、四方に向けられていた。
壊れた扉や瓦の欠けた屋根の上、家の影から深緑の球のような物がこちらを窺っていたからだ。
目をこらしてみると、人の頭大の球は細く長い草のようなものにおおわれていた。ふさふさとおおう草のすき間から、黒い眼がふたつのぞいている。数は見える範囲で、十三匹。だが、気配はその倍以上ある。
賢者がこめかみをかきながら訊ねる。
「あー、村に気がかりがあるっていっても、この妖獣たちが気になったわけじゃないんだろう、ユーリシェント」
「もちろんだとも。しかし先に言っておくべきだったかな、妖獣は三十六匹いる。外見は可愛らしいものだが、性質はそうでもないみたいだ」
忠告が終わるやいなや、深緑の妖獣はぽーんと鞠のように跳ねて、賢者一行に降ってきた。
ユーリィと分身体が大きく退いてよける。妖獣は地面に落ちたが、反動を生かして再び彼らに飛びついてくる。
賢者が背の大剣を抜いた。前方から襲いかかる三匹の草玉を横薙ぎに一閃する。
その一瞬、悪寒が賢者の背を走った。
「――――くっ、〈風嵐〉!」
と、剣に切り裂かれた妖獣が、次々と爆発する。
同時に、賢者の呼びかけに応えた風の精霊が、彼を起点にして放射状に駆けぬけた。暴風が吹きすさび、妖獣の爆風を相殺する。
その応戦を見て、よけるティウとエルハを追っていた草玉は、暴風に乗っていったん彼らから距離をとった。
遠目に隙を窺う草玉を前に、賢者が舌打ちする。
「剣がなまくらだったら大怪我だったぞ。接近戦はなしだ、魔法で片っ端から叩き落とす」
死によって爆発する性質を見てとって、賢者たちもじりじりと妖獣から距離をとる。
大剣は魔力をまとわせることで最上位まで切れ味を上げてあり、その性能によって斬られてから死までに時間差が生じたおかげで、魔力暴発による自爆に対応できたのだ。
しかしそれは運が良かったからで、いくら対処できるといっても、自爆が起こるとわかっていて危険な近接戦をあえて選ぶ所以はない。
十分に離れた一行の背後に、いくつものまるい影が躍り出て襲いくる。
「後ろ!」
ユーリィの声が響く前に、ティウが術を完成させる。
「汝が種族、パルモス。その名の一族に連なるものの動きを封ずる」
後方から飛びかかろうとしていた妖獣が、いっせいに静止する。前方にいた妖獣も同様だった。
すかさず、エルハが札を取りだす。
「〈炎柱〉!」
硬直する妖獣たちの下から勢いよく炎が立ちのぼり、草玉自身も引火して激しく燃えあがる。だが斬らずに仕留めれば、どうやら爆発はしないようだ。
物陰にひそんでいてティウの術の効果範囲外だった妖獣たちが破れかぶれで突撃してきたが、賢者の放った〈風弾〉で言葉どおりにたたき落とされた。
運良く難を逃れた一匹がティウに向かってくる。だが、後方から散発的に攻撃してくる草玉を仕留めていたエルハが、ふりむきざま掲げた札で発動した〈炎柱〉にのみこまれ、妖獣は激しく燃え上がった。
「お見事。三十六匹目だ」
「どうも。ティウ、怪我はない?」
ユーリィの賞賛に軽く礼を返すと、エルハはすぐティウのそばへ駆けつける。
「……はい、ありがとうございました」
ティウはうつむいて儀礼的に礼を述べる。
怪我をしようはずがない。妖獣との距離がまだ離れていたうえ、エルハは札を使ってティウの周りにそつなく結界をはっていた。宣言したとおり、守りぬく姿勢を見せたのだ。
「そうか、よかった」
顔を見なくても微笑んでいるのがわかった。つい視線をあげそうになる。けれど、ティウはその誘惑に耐えようとして唇をかむ。
あやうく揺れ動くティウに、ユーリィが話しかけた。
「ティウ。人の気配がする。気を失っているのか、とても薄い気配だが。それに、この気はやはり……」
「なに? どこにいるの」
「そうだね。とにかくまず、当の人間を探し出そう。こちらだ」
ユーリィが道の突き当たりの家へ駆けていく。その家はさほど損壊がなく、玄関扉もきちんと閉じられていた。
ユーリィから降りたティウは、扉の前に立つ。つづいてエルハと賢者がその後ろに降り立った。ティウは慎重に取っ手をとる。鍵はかかっていない。
「誰かいますか。返事をしてください」
意識があっても驚かせないよう声をかけながら、屋内へ入る。
うっすら埃のつもった室内には人影はなかった。
ユーリィが外から声をかける。
「気配は地面に近い場所にある」
「地面ねえ。地下室があるような家じゃなさそうだが。床板をはがすか?」
賢者の茶々を聞いて、エルハがふと呟いた。
「床下貯蔵か収納があるんじゃ……」
皆がいっせいに目を皿のようにして、床を注視する。居間や台所、寝室といった部屋の床を手分けして探していると、ほどなく声があがった。
声の主は台所担当のエルハで、賢者とティウが集まってくると、足許の床を指さした。
古びて飴色になっているせいで継ぎ目は判然としないが、指をかけるためのくぼみがある。
発見したエルハがひざをついて、床下貯蔵のふたを開けた。そして中を見て、蛙のつぶれたような声を洩らした。
不審に思って横からのぞきこんだ賢者とティウも、なんとも言えないうめき声を発する。どうにも覚えのある展開だった。
「なんで、このガキがこんな場所で寝てるんだ」
「チコ………」
床下の木箱の中で、毛布にくるまって少年と魔獣が仲良く添い寝している。
一見ほのぼのとした絵面だったが、微笑ましいと笑っていられるものではない。実際、エルハは仏頂面だったし、賢者は脱力、ティウは途方にくれた顔をしていた。
なんとか気を持ちなおした賢者が、エルハに説明してやる。
「おまえには黙ってたが、俺たちが駐屯地に着いた日な、チコもあそこにいたんだよ」
「まさかティウを追ってきたのか。しつこいヤツだな」
自分のことは棚に上げ、エルハは眠るチコをにらむ。
その横でじっとチコを凝視していたティウが、急に四つん這いになって少年に手をのばした。鼻と口に手をかざし、首筋にふれる。犬に似た魔獣にも同じことをする。一度安堵の息をついたが、すぐに顔を引きしめた。
チコはともかく、魔獣ダモットが外の騒ぎや人の気配で起きないのはおかしい。
胸騒ぎを覚えながら、貯蔵庫からチコと魔獣を出そうと両腕をのばす。
「俺がやるよ」
すかさずティウの腕を押しとどめたエルハが、魔獣の脇の下に手を入れて引きあげる。そして次に、嫌そうな顔をしながら痩せた少年を抱えあげた。
床に敷いた毛布へ横たわらせたひとりと一匹を、ティウたちは難しい顔で見おろす。
「どうも様子がおかしいんです。呼吸も脈も少し弱いですが正常のうちなのに、私たちにまったく反応しない。かといって、怪我や発熱もないようですし」
賢者はあごに手をやり双眸を鋭くする。
「この村に先回りしてたってのも変な話だな。チコがよしんば脱出に成功したとしてだ、俺たちの行き先は知らないんだぞ。囚われの身で情報を仕入れるなんて諜報活動は、この直情的な性格じゃ無理だ」
「……捕まってたのかよ」
あきれた様子のエルハが、論点からずれた箇所につっこむ。しかし、きれいに無視された。
チコがうっすらとまぶたを開けたからだ。




