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隻手の門  作者: 夏和白
6 廃墟に落ちる陰
16/29

6-1

お待たせしました。

本日、6章は3話分を投稿します。




 レイディアナ王国の一級魔導師ゼラムは、その日起き抜けから顔色が優れなかった。


 国の魔導師資格を得たのが四十路前と遅咲きだったゼラムである。だが研究一筋で二十年、こつこつと真面目に勤めてきたかいがあり、この春に一級魔導師へ格上げされた。一級は齢六十を越えて拝命することがほとんどなので、仕官してからの彼は優秀だったといえる。

 一級に昇進して初めての大役が、主に西域の異変に対する調査隊を取り仕切る長としての仕事だった。本来なら長官であるゼラムが自ら出向いて調査をする必要はないが、彼の研究が魔獣・魔精生態学だったものだから、異界の魔物――妖魔の出現を知って矢も楯もたまらず現地に飛んできてしまったのだ。しかも、その後届いた命令書には聖刻印の賢者に同行・協力の要請が記されており、魔法使いの憧れである賢者のそばに長期間いられるという夢のような状況が実現した。


 賢者たち一行は正体を隠し、学者と助手と用心棒という配役で調査隊に加わっている。以前見た、いかにも放浪者風の面影はなく、素顔が若いのにゼラムはずいぶん驚いた。眼鏡をかけて、仕立ては良いがややくたびれた深緑の上着を着て学者に扮している。深緑色は学問の探究者が好むということもあって、賢者は中堅ほどの学者の雰囲気を十分に出していた。

 彼らは、先からいた他の調査員と交代する名目で、駐屯地に来た翌朝、あっという間に引継ぎを終わらせて調査隊に混じった。そして午後には、森全体の現状調査のためにグリーセンの森に入ってしまったのだから、その迅速さにゼラムは舌を巻いたものだ。


 現状調査といっても、実際は森をぬけて最果ての地を越え、その先にあるという古森を目指すのが目的だった。だが一応は体裁を整えて、遠回りといえるような場所にある村々も見回っていたので、なかなか本道にはたどりつけない。

 ゼラムは一級魔導師の中で一番若いが、さすがに五十代になってからは現場に出て実地調査をすることはなくなっている。いまは専ら研究室で膨大な資料とにらめっこして、論文に取り組む毎日だ。久しぶりの実地調査の日々は、六十を前にして体力が衰えはじめていたゼラムには、いささかきついものだった。調査の他に戦闘にも参加せねばならないから、なおさらだ。

 それでも妖魔というかつてない研究対象を前にして昂揚していたゼラムは、意外と元気に仕事をしていた。もちろん体力がないのは承知なので、体調はしっかり管理している。


 しかし森林地帯の村から村へ移動していくのは、体力や精神力を相当消耗することだった。なにせ森には、小さい集落とはいえ村を壊滅させるほどの妖魔たちが潜んでいる。森深くにある村には魔獣や夜盗の襲撃から身を守るため、それなりの武装をした屈強な山男たちが見張りをかかさなかったはずなのにだ。いくら護衛に騎士や傭兵たちがついていても、森での野営は気が休まるものではなかった。

 そのせいか疲れがたまっているらしい。朝起きてから身体がずっと重いし、どうも視界がゆれている。

 結界をはるという手もあったのだが、夜通しでは体力がもたない。常に魔力を巡らせていなければ妖魔の襲撃を防げるかどうかも怪しいのだから、護衛部隊に魔法使いが二人という状況から鑑みて効果的とは言い難かった。


 ゼラムはなんとか主だった顔ぶれが集まる朝の食卓にはついたのだが、話題はすべて右から左の耳へとぬけていってしまっていた。

 現在は無人の村長宅で夜を明かした彼らは、食事を終えるとすぐに出立の準備のため散っていく。

 ゼラムも部屋に戻ろうと腰をあげたところで、ばったり倒れこんだ。

 駐屯地を出て五日目のことだった。



     *   *   *



「なにが無駄になったんだ?」


 賢者と並んで歩いていたエルハが、不審そうに訊ねる。

 一級魔導師が倒れてちょっとした騒動になった宿営地を、賢者一行は傭兵団長に見送られてひそかに旅立っていた。その出立の際、傭兵団長が小瓶を片手で弄びながら賢者と、残念そうな、でもおかしそうな表情で交わしていた言葉だった。

 そこで賢者は、もう不用になった変装用の眼鏡を外しながら、騎士団長の作戦を話した。

「一級魔導師殿についてこられるのは、ちと迷惑だったんでな。俺たちは身分を隠して学者ご一行という肩書きを名のってたから、それにあわせてボルロムドが画策したんだ。現状調査にかこつけて、奴を引っぱり回せとな。その結果が今朝の昏倒だ。無駄になったのは、奥の手にとっておいた下剤さ」

「……うわ、酷」

 エルハが半眼で、賢者を嫌そうににらむ。

 対して、賢者はけろりと答えた。

「あの体力で、最果ての地を越えるのは無謀だろうが。せっかく一級魔導師になったのに、忘れ去られた地で果てることはないだろう」

 ティウが相づちを打つ。

「そうですね。ゼラム様は日に日に生気を失っていらっしゃいました。とても今後起こりうる戦闘についてはいけないでしょう。……命あっての物種ですから」


 そこで賢者はふと来た方向をふりかえり、村から遠く離れたのを確認する。

 ティウは心得て、許可を求める。

「そろそろ呼びましょうか」

「ああ、頼む」


 《魔物使いアマウズ》としてティウに期待されたのは、妖魔に対抗する能力だけではない。最果ての地を踏破しえる強力な足を、即座に呼び出せる召喚術が求められていた。

 妖魔が跋扈する森や荒野では馬のように臆病な動物に騎乗していては、いつ足許をすくわれるかしれない。団体行動のうちは妖魔側も警戒して襲撃されることは稀だが、たった三人では恰好の獲物だ。馬では御しきれない事態も起こりうるし、長距離を旅する間につぶれてしまっても代わりの馬はいない。その点、妖魔の気配に敏感でありながら脅威に対して勇猛、しかも頑丈である魔物はこの旅にうってつけである。そして複数の魔物を統率する能力において、イングの《魔物使いアマウズ》に並ぶ術者はいない。


 賢者とエルハが少し距離をおいて佇む。

 彼らの視線の先で、ティウがひとつ深呼吸した。眼差しがはるか彼方を見通す。それだけで、森という空間に異質な空気が混じる。

「我が友ユーリシェント。誓約によりティ・ルウクがあなたを招喚する」

 前方の景色が重くねじれた。そこに、さっきまでなかったものの影が重なる。最初、幻のように透けて見えた影は、瞬く間に血肉を得て圧倒的な存在感を発した。

 現れでたのは、うっすらと青みをおびた白毛の馬たちだ。一見、たいそう立派な駿馬だが、尋常でないのがその額の角である。細長くまっすぐな円錐系の一角は、光の当たる角度により虹色に輝いて見えた。乳白色の角の内部に、いくつもの虹の光を閉じこめたような繊細な輝きだ。その美しく神秘的なことは、人間が大地から掘りだす宝石など足元にもおよばない。


 しばらく息をのんで見惚れていた賢者が、ぽつりと洩らした。

「……驚いた。こいつは魔獣じゃないな」

 ティウが目を見開き、ふりかえる。

「わかるんですか、賢者様」

「目の当たりにするのは初めてだが、知識としては知っている。こいつは神世から存在しつづける魔精レージェンだろう」

 魔精は魔獣と違い、肉体をもたない精神体だ。物質に縛られないせいか、一定の姿を保たない。唯一普遍なのは、甚大な魔力が凝って生みだされている核の色形だけだ。魔精レージェンならば、角の部分がそれである。魔精は核で分類されるのだ。

 また、魔精は人前に出現することは滅多になく、神話にのみその姿を認められるため、一般では伝説上の存在として認識されている。世界中を放浪する賢者でも、魔精に出くわした経験は数回程度だ。それらは名もない魔精だったが、レージェンは神話にもその名が登場する強力な魔精だった。


 目前に三頭いるレージェンのうちの一頭が、歩みでてくる。ティウの横に並び、賢者とエルハを蒼い瞳で順に見た。

「私の名はユーリシェント。貴方がたのことはティウから聞いている」

 ぶっきらぼうな物言いに反して、声音は天上の楽を思わせる女の声だ。

 賢者とエルハは応えて挨拶を返した。

 ユーリシェントは二人をしげしげと眺めつづける。その様子は好奇心以上の興味を感じさせた。

 賢者がユーリシェントの前に立つ。

「これからよろしく頼む。しかし、なんで馬体なんだ」

「馬ならば人は乗り慣れているし、形としてもありふれているだろう。部外者には魔獣だということにしておいた方が通りがいい。よけいな面倒は避けたいのでね。貴方には見破られてしまったが、他言無用に願いたい」

「なるほど。了解した。……あんたが本体か。他の二頭は分身体だな。失礼だが、それで妖魔に対抗できるのか。力を分身体に均等に分散してるんだろう?」

 確認の問いに、ユーリシェントは笑うようにブルルと鼻を鳴らす。

「本当に貴方は目が良い。だが心配にはおよばない、私は神世から魔力を貯めつづけてきた魔物なのだから」


 ユーリシェントが首を巡らすと、視線を受けて二頭が進み出てくる。賢者とエルハの傍らに一頭ずつ寄り添うと、騎乗するように指示した。

 彼らは従って、背負っていた荷物を括りつける。賢者は学者を装う上着を脱ぐと、布を巻きつけ中身をごまかしていた大剣を背に佩びた。エルハも長剣を腰に佩く。

 鞍こそあるが轡をつけていない馬上に全員が乗ると、ユーリシェントが笑いぶくみに忠告する。

「それこそ失礼かもしれないが、目を回して落馬しないよう気を引き締めていただこう」

「ユーリィ!」

 思わず大きな声で愛称を呼ぶティウだった。たしなめる声にユーリィは笑いをかえすだけなので、ティウがあわてて言い添える。

「あの、ユーリィの足はとても速いですが、乗せている者を落とすようなことは決してしません。眠っていても平気なぐらいですよ」

「大丈夫だよ。ティウを信用してるから」

 エルハが安心させるように笑顔でうなずく。

 ティウは一瞬その優しい微笑みに視線を留めたが、すぐに目を逸らしてしまった。

 その反応に、エルハががっくりと肩を落とす。

 気まずい空気が流れかけるが、賢者はものともせず号令をかけた。

「じゃあ、出発だ」


いつも通り、一時間後ごとに予約投稿してあります。

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