5-4
本日投稿した4話分中ラストの投稿です。
前話をお読みになっていない方は、5-1からよろしくお願いします。
残酷表現あり(虐待など)回です。
「俺は、子どもの頃からこう思って生きてきた。いつかあいつを……父親を殺してやろうと」
思わずティウの利き腕が、腰の剣にのばされそうになる。告白の剣呑さではなく、一瞬ふくれあがった殺気に反応したのだ。なんとか腕の震えだけで動きを抑えられたのは、カシューの殺意が自分に向けられたものではなかったからだ。
それでも、臨戦態勢になりかかった余韻が、ティウの頬を緊張で強ばらせたままにしていた。瞬きの間の殺気は、容易に構えをとかせないほど凄まじかった。
「……殴られて蹴られて、冷たい床にうずくまって見た夜の闇と血の赤、口の中にひろがる鉄の味。俺にはそんな記憶しかない。生きぬくためには……殺される前にやらなければならなかった。このまま死んでしまえば、自分という存在がまったく意味のないものになる。そう知っていたが、痩せ細った腕や足では到底あの男に及ばない。体が成長するのを待って牙をむいてやろうと、ずっと考えていた。そのうち栄養失調でろくすっぽ立ちあがれなくなったが、諦めはしかなかった。諦めたら……本当に終わりだからな」
「だけど、あなたは、殺していない……」
ティウはなめらかに声が出ないことで、のどが渇いていることに気づく。それほどに、カシューの過去も憎悪も想像を越えたものだった。
家族とは、ティウにとって優しく思いやりにあふれたものだ。存在をあるがままに受けとめてくれる、そして自らも両親や姉を受けいれる、互いを大切にしながら個を尊重する場だ。喧嘩はしても、それは時間をおくか謝罪をすれば元通りになる、他愛のない衝突だった。
カシューの感覚とはあまりにもかけ離れている。愕然とするティウの様子を、カシューは当然と承知しているようで、特に気にするふうもない。
「ダーイが止めていた。餓死しかけていた俺を助けたのはダーイだ。《魔物使い》の養成所に俺を放りこんで、あいつから引き離したのもな。その恩を仇で返す気かと、ほとんど脅しをかけられていた。殺意が抑えられなくなったときには、必ずダーイや長――あんたの父親が現れて阻止されたよ。結局ぐずぐずしているうちに、あの災禍に先を越されたんだ」
カシューの父親も災禍の犠牲者だったと知って、ティウの表情が凍りつく。一気に血の気が引き、体中の力が萎えそうになる。
隙だらけのうえ、肩を軽く押しただけで崩れ落ちそうに立ちつくしているティウを、カシューはじっと見つめた。だが、しばらくすると目をふせ、小さく吐息をついた。
「ダーイに災禍の真相を教えてもらって以来、ひとつだけ、聞いてみたいことがあった」
ティウはビクリとふるえる。どんな言葉でも冷静に聞くことができるよう心を持ち直したかったが、とても間に合いそうにない。
カシューはすでに双眸を開き、その視線をティウにひたとすえていた。
「……復讐、するのか」
――復讐したいのなら、次元を越えて僕のもとへおいで。
脳裏によみがえる言葉が、ティウの息を止める。
同時に、紫瞳をもつ少年の姿が鮮明に浮かびあがる。その幻影へ呼びかけようと唇が動きかけ、けれどすべて終わったことなのだと、虚しく口をつぐんだ。
焦点の合わない瞳がふせられて両手でおおわれる。激情、あるいは絶望、それに耐える華奢な体を見下ろしていたカシューの顔に、痛みを覚えたような哀しみが表れる。
「カシュー、私は……」
ティウは顔を両手でおおったまま、くぐもった声で答えようとした。しかし声は動揺のあまり乱れ、語尾は消えていく。
くずおれそうなティウの頭に、カシューの手がのばされた。骨張った手は金色の髪をすくようにして後頭部にまわされ、ゆっくりと引き寄せる。わずかな力で倒れそうになった体は、カシューに支えられるようにして受けとめられた。
抱擁とはいえない、ただ寄りかからせただけの姿勢だ。それでも布越しに伝わる熱が、ティウを少し正気に返らせる。なだめるように頭におかれたカシューの手にうながされ、思わず心情を吐露してしまう。
「……わからない、どうすれば……」
ティウは言葉をのみこむ。こんな中途半端なことをしてはいけない。たとえカシューが父親に殺意をもっていたのだとしても、肉親を奪った原因である張本人が泣き言を聞いてもらう資格などないのだから。
ようやく我を取り戻し、カシューから離れようとした。
だがカシューは手に力をこめ、ティウを留める。
「やめておけ、復讐なんか」
ややもすると、聞き逃してしまいそうなささやきだった。声はかすれていて、声音に宿る思いが複雑なようにも虚ろなようにも聞こえる。そのささやきにこめられた意味を知るため、ティウはそっとカシューを仰ぎ見る。
カシューの眼差しが驚くほど近くにあった。
「あんたは、俺みたいになるな」
「どうして……」
淡々とした口調の奥底に、切実な願いがひそんでいるように思えた。だからティウは、疑問のままに率直に問い返す。
これにカシューはちょっと眉をしかめた。どこか弱ったような雰囲気で、交わった視線はわずかにそらされる。
「……あいつが死んだと知らされたとき、体を貫くような歓喜と解放感を感じた。もうあいつの影を追わなくていい。夜の夢のなかでも、白昼の想像のなかでも、暴力の記憶やあいつへの憎悪があふれだし、俺を殺戮へと駆りたてることはなくなる。ただ、この手で終わらせられなかったことが心残りだった。きっと自分で幕を引いたなら、もっとこの喜びは深く大きかっただろうと思った」
カシューの言葉を聞いていられず、ティウは口を開きかけたが、制止の言葉は出てこなかった。彼の表情や声になんら揺らぎがないことが、父親に対する憎悪に一片の迷いもないのを明らかにしているようで、ティウをよけいに哀しませる。それが泣きそうな表情となって表れ、あわててうつむく。
しばし沈黙していたカシューが、ふと鼻で笑う。
「だが時間が経って、気づいた。俺が生きる理由は、あいつを殺すことだけだった。《魔物使い》になるために厳しい鍛錬をつづけたのも、あいつを殺す戦闘技術がほしかったからだ。俺のすべては、あいつへの殺意で成り立っている。それなのに、あいつを殺すことはおろか、一発も殴りつけることなく終わってしまった。なにもかも無意味になった、俺自身でさえ……そう悟ったときには、さすがにあんたが恨めしかったよ」
恨み言を言う声に、責める響きはまったくない。それでもティウは顔をあげられなかった。
気づいたのだ。カシューの父親を死なせたことだけではない、ティウはカシューの存在意義まで奪ってしまったことを。
ふるえるのをこらえてティウの体が硬くなる。その体を支えていたカシューは、おもむろに手をティウの頬へとのばし顎に指をかけた。指に力がこめられ、仰向かされる。
「……正直、あんたのことをどう思えばいいのか、悩んだ。イングの村もイングリドも、俺にとって懐かしい場所でもなんでもない。それが滅びたからって、他のヤツらみたいにあんたを怨む気はおきない。けれど、俺のなかに巣くった虚無は広がるばかりで、それを埋めるものがない。いずれ俺は虚無にのみこまれて死ぬだろう。俺という存在がまったくの無意味だったという事実に切り刻まれながら。そう考えると怖ろしくて、あんたを代わりに殺そうかという気になったことがある。だが、あんたを殺したところで同じことのくり返しだともわかっていたんだ。……結局、復讐者のなれの果ては変わらない」
冷めた声で語られる言葉はむごいのに、ティウにそそがれる眼差しはむしろ静謐さをたたえていた。その双眸に、ほんのわずか熱がこもる。
「あんたは、俺とは違う。あんたにはかつて居場所があって、他人と関わり受けいれることを知っている。いまは失ってしまったとしても、あんたならまた新しく作りあげることができる。だから、復讐はやめておけ。万が一復讐を果たしたとしても、その後あんたは自害するだろう。……イングの《魔物使い》が誓約者を殺して、正気でいられるはずがない。あんたには血塗られた道を歩いてほしくないんだ」
ティウは目を見開く。
「ティウ。あんたは、死ぬな」
おだやかな声だった。優しい眼差しだった。なぜ、父親や生きる理由さえ奪った相手に、一片の怨みなく諭すことができるのだろう。ティウは信じられない思いで、カシューを凝視した。
幼い子どものような無垢さで見上げるティウを、カシューは眩しそうに見つめかえす。彼の口許がふとゆるんだ。
「暗い血みどろの世界にいた俺でも、あんたやあんたを囲む人々がつくる世界が、幸福の形なのだとわかった。皮肉でなく本当にそう思った。世界は苦しみだけで成り立っていないと信じさせてくれた。俺が手に入れることのできない世界だと知っていても、ただ在ってくれるだけで慰められたんだ」
憧憬をたたえた微笑を浮かべながら、カシューはティウから離れる。
「あんたには、またあのあたたかい場所に帰り着いてほしい。これは俺のエゴだ。あんただけは、どんな暗闇のなかに墜ちようとも光を目指して歩いていけるのだと、信じていたいんだ」
カシューが背を向ける。歩き去る彼に、ティウはたまらず呼びかけた。
「じゃあ、カシューは? あなたの帰る場所は?」
自分が聞くのは筋違いだとわかっていた。けれど去る姿が、まっすぐ死へ行進しているようで、止めずにはいられなかった。
カシューは足を止めると、ふりかえらずに答える。
「最初から、そんな場所はない」
ティウは立ちすくんで、天幕に戻っていく後ろ姿を見送る。
居場所を見つけてとは言えなかった。カシューはおだやかな声のまま答えてくれたが、その背は心が痛いほどの静けさを負っていた。カシューはすべてを拒んでひとり立っている。隔絶された世界にいる者のもつ闇を、己のみで引き受けて。
夜の闇にまぎれて消えたカシューを見届け、ティウは自らを抱きしめる。
怖ろしかった。自分が行かねばならないのは、そういう道だ。どんなに愛情を示してくれようとも、決してその手をとることはできない。たった独りで生き続けるか、あるいは誓約者に復讐することで呪縛を解くのか。どちらも、精神であれ肉体であれ、死に寄り添う道なのだ。
ティウは蹌踉とした足どりで歩きだす。くずれそうな決意を抱えて、けれど自分の行く末を直視できずに、仕事に没頭することで平常を保とうとした。今しなければならないことは休息をとること――習い性となっている行動様式をなぞることで、心を虚ろにした。
兵士たちに気取られないよう、天幕への道筋をたどる。ティウを動かしているのは、鍛錬によって体が憶えこんでいる反応だ。本来、戦闘で生かされる技術は、天幕の出入り口でたたずむ人影に反応して構えをとらせる。
人影が身じろぎして、一歩踏みだした。
「おかえり」
エルハが微笑んで迎える。
ティウの瞳に、光が灯った。
完全シリアス回でした。
エルハがもっと早く登場したら(ティウとカシューのハグの時とか)、キーワードのように「シリア…ス」と途中で口ごもる展開になるところです。
彼のオトメ心の暴発が多発するので、
自信を持って「シリアス」と宣言できないゆえの「シリア…ス」チョイスなのでした。




