5-3
本日投稿した4話中の3話目です。
前話をお読みになっていない方は、5-1からよろしくお願いします。
憎悪の視線を受けとめながら、チコの正面にひざをつく。
「チコル。君は自分が何をしたか、わかっているか」
「…………」
「君は自分の感情にふりまわされ、理性的に行動できず、無関係の人々に迷惑をかけた。今回は大事にこそならなかったが、場合によっては見張りの兵士に切り殺されても文句は言えないようなことをしたんだ。君の行動ひとつで、予測しえない波紋を呼び起こすことだってある。それこそ、この駐屯地が被害を被るような事態もだ。それらを少しも考慮しないで行動した結果が、いまの君の姿だ」
淡々と語るティウを、縛られたチコは呪い殺しそうな眼差しで凝視する。奥歯を食いしばるあまり、歯ぎしりの音が洩れでている。
二年前の災禍以前は、翳りを知らない明るい瞳の少年だった。その瞳が暗く憎悪にたぎるのを、ティウは痛ましさを覚えながら見つめていた。
けれど表情は厳しいまま、ティウは立ち上がる。
「そんな姿で、君はイングの《魔物使い》だと胸を張って名乗れるとでも? いま言ったことをよく考え、行動するようにしろ。……それから、私はチコルから逃げも隠れもしない。次からは、他に迷惑がかからない仇討ちを考えてほしい」
ティウは踵を返し、もう一度騎士団長に頭をさげた。
「チコルのこと、よろしくお願いします」
騎士団長が気のいい笑顔でうなずく。
「そう心配しないでいいですよ。じゃあ、カシュール、この少年のことは頼んだ」
後を任すと、騎士団長は連れてきた客人たちをともなって天幕から出た。騎士団長はチコとティウの関係の哀れさを慮って、早々に辞去したのだった。
外で賢者たちと別れたティウは、すぐに自分の天幕へもどる気にはなれなかった。
足が人気のない方へ、自然とすすむ。
客分といえども、夜更けの駐屯地内をふらふらして良いわけがない。歩哨や休息中の兵に見つからないよう気を配りながら、ティウは駐屯地の奥までやってきた。
駐屯地は、背面に険しい崖を配して設営されている。上部がせりだした崖は切りだしたように平らな岩肌が露出しており、その高さも相まって、容易に敵が降りてくることはできそうにない。
ティウは夜闇に暗く威容を誇る崖を見上げる。その上にひろがる星空へ、視線が移りゆく。
ふいに、唇から苦笑が洩れた。
チコに説教できるような立場じゃない。ティウ自身、感情的になってエルハを拒絶したのだ。精神的に、まだまだ未熟者である。
それでも、《魔物使い》の先輩として伝えるべきことは、すべて伝えておきたかった。
チコが失った表情は、災禍で失われてしまった多くのものを表している。チコの憎しみが、この身ひとつと引き替えに奪ってしまった故郷や村人たちの命をせつせつと思いしらせる。
だからこそチコが喪失した分を、いくばくかでも返したかった。十六歳を目前にして時間のないティウができるのは、《魔物使い》の心構えを説くことぐらいだったが。
チコだって、仇の人間から技術を教わることや愛情をかけられることを望んでいないだろう。彼の願いを叶える一番の方法は、敵討ちを遂げさせてやることだ。けれど、それは――。
「……なかなか、難しいな」
なにもかも、うまくいかない。歯車が少しずつずれて、きしむ音がする。
「なにが難しい」
低く抑揚のない声を聞いて、ティウはすばやく背後をふりかえった。
遠く離れた場所にある篝火が逆光となって男の顔を隠しているが、声も背格好も先ほど再会した王宮仕えの《魔物使い》と同じだ。
「カシュー。どうして……」
騎士団長にチコの見張りを頼まれたのに、持ち場を離れてうろついている場合ではない。しかも魔獣を召喚しているからには、妖魔の襲撃に対する警戒をもしているはずなのである。魔獣ラセントは人よりも何十倍も他の気配に敏感で、感知に長けているからだ。
訝るティウに、あいかわらずの平坦な口調でカシューが答える。
「まだ《魔物使い》とも言えないようなガキのお守りは、ソウガだけで事足りる。それとも、俺の腕では心許ないか」
「まさか。あなたの《魔物使い》としての技量は、イングリドでも指折りだった。最初の友にラセントを得た《魔物使い》は、イングでも片手に満たないと聞いたもの」
カシューの名は、イングリド内で有望株として幼い頃から知られていた。
実際、成長するにしたがってめきめき頭角を現し、成人するとすぐに独り立ちした。若い傭兵など十把一絡げの扱いのなかからいち早くぬけだし、二十歳にして正式な王宮の《魔物使い》である。カシューの報告が傭兵団長ではなく騎士団長のもとにいったのは、彼が傭兵部隊の所属ではなく、王国で二級魔導師の地位を得ているからだ。
ティウの賛辞を、しかしカシューは鼻で笑った。
「紫瞳の《魔物使い》に言われても、素直に喜べないな。あんたの誓約者は魔獣とは比べものにならない至高の存在だ」
カシューが歩みよって、ティウのそばに立つ。わずかな明かりがとどき、カシューの表情を闇に浮かびあがらせる。台詞のわりには、彼の表情は口調と同じく淡々としていた。
だがティウは、その何気なさが逆に気にかかる。たまたま、この場所でカシューとかち合ったとは考えにくい。なにか意図があり、ティウを追ってきたのではないのだろうか。
「カシュー、誓約者は関係ないよ。私はただ正直に、あなたの腕前を認めただけだ。現にあなたは、国にも実力を認められて魔導師となったのだから」
カシューが目を細める。闇を映す双眸に、おかしそうな感情がよぎる。
「本当に、実力だけで二級魔導師になれたと思うか」
その言葉によりも、珍しく感情を表したカシューの双眸が、ティウの視線を留める。
まっすぐ向けられた眼差しを、カシューは真正面で受けとめた。
「確かに実力も必要だった。だが、俺が魔導師の地位を十八の歳で手に入れられたのは、あの二年前の災禍が大きな要因だ」
ティウは知らず息をのむ。
「あのとき以来、イングリドの存続は危うく、いずれ独立した傭兵に帰還状が送りつけられることは想像に難くなかった。国はその前に力のある《魔物使い》を囲いこむことにし、俺たちに確固たる地位をあたえたんだ」
いくら自治を認められていたイングでも、王国に帰属した現在、国で確かな地位を得たイングの《魔物使い》を呼び戻すことは容易ではない。それは当の《魔物使い》が王国に縛られるということでもある。
青ざめるティウを、カシューはしばらく口を閉ざして見つめていた。双眸は淡々とした様子を取りもどしていたが、わずかにそれがゆらぐ。
「こんなつまらないことを話しにきたんじゃないんだがな」
かすかなため息とともに零れでた声は、苦さをふくんでいる。
ティウは地面に落ちかけた視線をぐっとこらえて、カシューの言葉尻をつかまえた。
「じゃあ、なにを」
「復讐……」
カシューはティウに最後まで言わせず、しかし切りだした直後迷うように口をつぐんだ。
だが躊躇は一瞬で、すぐにあいかわらずの調子で言葉をつづけた。
「させるのか、あのガキに」
ティウは顔を強ばらせる。何か言わなければと口を開きかけたが答えあぐね、ついには目をふせた。
チコに復讐を遂げさせるわけにはいかない。自分が死んで終わりならいいが、そうはいかないのだ。ティウの死は、さらなる災厄を呼び寄せる。場合によっては、西大陸がイングの村以上の禍に見舞われる可能性さえある。
けれど、復讐をやめろとは言えなかった。イングリドの上層部のみが知る事実を明かして説得をしたところで、それがチコの心をなだめることになるとは思えない。憎しみは深いところでくすぶりつづけて、傷ついた心が癒されることは決してないだろう。
「……少しでも、返してあげたいんだ。あの子がなくしたものを。だから……」
ようやく出た言葉は、答えというには曖昧だった。だが意味は通じなくても、ティウがカシューに答えられうるかぎりの本心だった。
葛藤のすえ語られた答えを、カシューは惑いなく切り返す。
「仇だから、復讐という形で関わるしか、与えるものがない、か」
その口調に、嘲りがほの見える。思わずティウは視線をあげた。
カシューは口の端をゆがめる。闇を映した眼差しは暗く、微笑を酷薄に見せる。
「そうだな。生きていくには、分かりやすい理由があった方がいい。辛い境遇にある場合は、なおさらな」
カシューは視線を篝火へ向け、残酷さと憐憫の入り混じった表情を浮かべる。
「俺の父親を知っているか」
「……ああ」
相づちは低く沈んだ声になる。
カシューの名前が話題に上るときには、有望株としての名声と同時に父親の醜聞がついてまわった。彼の父も昔は腕のいい《魔物使い》だったが、仕事での負傷が原因でやめざるを得なくなった。それ以来、父親は職に就くこともなく、酒と博打におぼれはじめる。愛想を尽かした母親はカシューを残して家を出ていき、そのことで父親はより荒れて喧嘩騒ぎなど日常茶飯事だった。
ティウが思い出したのを確かめると、カシューは表情を消して言った。
「俺は、子どもの頃からこう思って生きてきた。いつかあいつを……父親を殺してやろうと」




