5-2
本日投稿した4話中の2話目です。
前話5-1をお読みになっていない方は、そちらからよろしくお願いします。
駐屯地に着いて通された天幕で、ティウは翌日のためにさっさと寝台へもぐりこんだ。
賢者のために用意された天幕は大きくはないが、三人で使用するには十分すぎるひろさで、厚布で仕切られた個室がティウにあたえられている。本来ならこの個室は賢者のために用意されたものなのだが、彼は女の身であるティウを気づかって譲ってくれたのだ。
通常なら断る気遣いも、エルハと顔をあわせたくない状況にあったティウは、自分の甘えに歯がみしながら申し出をうけた。
寝台の中で寝返りをうつ。このところ、ティウの寝付きは悪い。
(……あんなことを言うはずじゃなかったのに)
気を張っている道中は胸の奥底にしまいこんである思いが、寝る間際に浮上する。
エルハへ向けた言葉は、雇われ者の傭兵が口にしていいものではなかった。彼は賢者容認のもと同行している。それを勝手にクレインへ戻れと指図するのは、越権行為に他ならない。
最初はただ、本気で自分を守るというのなら、やめさせなければとだけ考えていた。
だがエルハと話すうちに育っていく親しみが、同時に警鐘を大きくしていく。
――エルハは危険だ。
優しい微笑で、まっすぐティウを捉える眼差しで、ありがとうと言った彼を目の前にして、ようやくそれに気づいた。
きっと親しくなればなるほど、エルハはティウを弱くする。独りで立ち、進みゆかなかればならないティウを、挫きうずくまらせてしまうだろう。
それならば、エルハを翻意させたうえで距離をおけばいいだけのことだ。ところがティウは、エルハが同行者という現状だけでも危機感をつのらせていた。ほとんど恐怖といっていい焦燥が、ティウに分を越えた発言をさせたのだ。
当たり前だが、エルハがいまさら引き返すことはなかった。そのことに安堵はしたものの、至らない言葉に対する後悔や胸をふさぐような不安に、夜毎苛まれている。
不安に耐えながら、ティウは自分が弱くなる原因を、あえてつきとめなかった。探りあててしまえば、後戻りできない。そんな確信のもと、思考が原因追及へ向かう前に、いつも意識をむりやり闇へ沈めていた。
しかしこの夜は、それ以前に思考が断ち切られた。
「ティウ。起きてるか」
扉がわりの布ごしに、賢者の声がする。
ティウはすぐさま寝台からぬけだして枕もとの剣帯を身につけ、仕切り布をめくった。
「どうしました? なにかありましたか」
迅速な対応に、賢者はちょっと笑ってみせる。
「まだ起きてたのか。休める時に、きっちり休んでおけよ。とは、起こしにきた奴が言う台詞じゃないか。少し、つきあってくれ。どうも厄介なことになってるらしくてな」
賢者が背を向けて歩きだしたので、ティウは黙って後をついていく。
天幕内は気配を消して進んだが、外に出ると賢者はティウの横にならんで事態を説明しはじめた。
「駐屯地内に侵入した奴が、さっき捕まったんだがな。そいつが、最近ここに来た紫瞳の《魔物使い》を出せ、と喚いているそうだ」
ティウは訝しげに賢者を見上げる。
「私、のことですか?」
「まあ、たぶん、そうだろう。イングの、とも言ったそうだからな。それで、その侵入者なんだが、どうも諸々の特徴が知ってる奴に似ている」
あきれているような吐息をついてから、賢者はティウと視線をあわす。
ティウは首をかしげながら、話の先をうながした。
「どなたでしょう」
「チコだ」
意外すぎる答えに絶句する。
(なぜ、あの子がここにいるんだ?)
危うく足を止めそうになりながらも、なんとか賢者についていく。必死に混乱する頭を整理しようとしたが、疑問が際限なくふくらむばかりで収集がつかない。
賢者は動揺するティウを気の毒そうに見やったあと、視線を前方に戻した。
「身元証明なら俺だけで用はすむんだが、本当にチコだとしたらイングリドの問題でもあるしな。どちらにしろ、おまえさんに会いたがってるんだ。事は一度ですんだ方が楽だろう」
合理主義の賢者は、二度手間を踏む無駄を省いたわけだ。
実際、明日にも駐屯地を発ちかねないのである。そうなれば、ティウがその侵入者を見分する時間などとれない。
そこに思い至って、ティウは軽く頭をさげる。
「呼んでくださって、ありがとうございます」
「チコは心配ない。大きな騒ぎにはなってないから、お咎めも優しいもんだろうさ」
安心させるように笑った賢者は、歩を早める。
その言葉に少し気持ちの落ちついたティウは、しっかりした足どりでその後につづく。
夜闇の中、賢者は篝火の灯りを頼りに目的の場所へ向かう。駐屯地の出入り口付近までくると、天幕のそばに立つ人影を見つけた。
人影はこちらに気づくと、静かに近づいてきた。
「待たせたな、ボルロムド」
「いいえ。どうぞ、こちらです」
天幕に招きいれられた賢者たちは、奥から出てきた男とはちあう。
二十歳ほどの男は、客二人を眺めて確かめた後、ティウに視線を留めた。
無表情ながら強い視線をそそがれて、ティウは意味を図るようにまじまじと相手の顔を見返す。
イングの血がよく顕われた、濃い髪色と碧の瞳。端正な顔だちと鋭い双眸ゆえに酷薄さが漂うその容貌は、記憶にあった。
「カシュー?」
呟いた名前に反応したのは、案内役の騎士団長だった。
「おや、彼をご存じか。……ああ、そうだ。カシュールもイングリド出身だったな」
これにカシューは低く答える。
「ええ。ですが歳が離れているんで、正直俺のことを知っていたのには驚きましたね。例の小僧はこの奥にいます。俺の友もいるんで忠告しておこうと出てきたんですが、どうやら必要のない御仁ばかりのようだ」
カシューは踵を返し、先に奥へ消えた。
騎士団長は賢者たちにうなずいて、彼の後を追う。
やはり厚布で仕切られた奥の部屋へ、騎士団長につづいて入室した賢者とティウは、正面に瞳が吸い寄せられた。黒い魔獣を背にして、後ろ手に縛られた少年が座っている。
少年と目があった賢者とティウは、期せずして同時に喉の奥でうめく。
「チコル……」
進み出てきたティウを認めて、チコはさながら小さな猛獣のように激しい双眸になる。
「オレは……あんたを許さないぞ。決めたんだ。あんたがイングから離れたって、行方をくらましたって、追っかけて、追っかけて、必ず……みんなの仇をとってやる!」
殺気を敏感に察して、チコを支えて横たわっていた魔獣が牙をむきだしてうなりはじめた。
黒豹に似た魔獣ラセントは、鋭い牙だけでなく額にねじれた角を二本持つ。その鋭い角をチコに突きつけ、前肢から生える大きな爪は底敷きを刺しつらぬいて手繰りよせるほど力が込められている。
魔獣ラセントは獰猛で、人を嫌う。しかも賢く、よく人を見る。少しでも意にそぐわない気配を見せれば、襲いかかってくることもあるのだ。だから、たとえイングの《魔物使い》といえども、友の誓いを交わすまでは気をぬけない。
危険な魔獣に威嚇されて、チコはビクッと体をふるわせた。青ざめて言葉をのみこむ。
怖じ気を悟られれば、ラセントは友となることはない。だが、《魔物使い》として取らねばならない態度がわかっていても、縛られている状態の上この至近距離では、よほど度胸のある者でないと意気地を保てないだろう。
しばらく茫然としていたティウも、どんどん血の気を失っていくチコに気づいて、魔獣の友カシューに向きなおる。
「カシュー。彼を止めてください」
頼まれたカシューはほんのわずか目を細めると、冷めた口調で友の名を呼んだ。
「ソウガ……」
とたんに、魔獣はふっと息をついて姿勢をもとにもどす。何事もなかったように欠伸をしてから前脚に頭をのせるソウガは、少年をからかっているかのようだった。
固唾をのんで事態を見守っていた騎士団長が、本分を思い出してティウに訊ねる。
「それで、この少年は確かにイングリドに所属する子どもなんだね?」
「はい。申し訳ありません、ご迷惑をおかけしました。お聞きになったように、どうやら原因は私にあるようです。けっして、駐屯地を騒がすなどの他意があったのではないと思います。どうか、チコルのことをご容赦ください」
賢者がうなずいて援護する。
「ボルロムド、大目にみてやってくれ。俺も知らない仲じゃないんだ」
二人の嘆願に、騎士団長は肩が下がるほど大きなため息をついた。
「……本当は、きっちり処罰しなければならないんですけれどね。こんな幼い少年の侵入を許した噂が民にひろまると、騎士団と傭兵団の威信に関わりますので、処遇決定は極秘裏のうちに進めます。ですからこの際、正規の罰則には目をつむって斟酌することにいたしましょう。そのかわり、この事は口外無用でお願いしますよ。カシューがすぐに気づいて捕縛してくれたおかげで、内部でも侵入者があったことはごく一部にしか知られておりませんから」
ほっと息をついたティウを、チコが下唇を噛みながらにらみつけていた。
よりにもよってティウにかばわれてしまったことに、そうとう劣等感を刺激されているようだ。双眸に悔しさがにじみだしている。
騎士団長の心遣いに感謝して、ティウは深くお辞儀していたが、ふと頭をあげるとチコの方へ顔を向けた。




