5-1
本日は、5章を4話分で投稿します。
駐屯地にたどりついたのは、アウル村を発ってから三日後である。
夜闇にまぎれて現れた賢者一行は、突然の来訪に怪しむ歩哨を王家紋章の書状をもって突破した。
その夜のうちに取り次ぎを経た賢者は、ひそかに騎士団長や傭兵団長と顔を合わせた。
「遠路はるばるお疲れ様です、賢者殿」
知り合いの騎士団長ボルロムドに正規の礼でひざを折られ、賢者は苦笑して手をふる。
「ボルロムド。頼むから人目のある場所で、その名を呼んでくれるなよ。正規の礼もいらんしな。充分承知していると思うが、極秘裏の行動なんだぞ?」
「いまこの場には、事情に通じる者しかおりませんゆえ」
律儀に答える騎士団長の背を、横に立つ傭兵団長が勢いよくたたく。
「おいおい、よせよ。あんたはなあ、いいお人だが頭が固い。こんな機会ぐらい、この方をガッシュと呼べないもんかねえ?」
やはり知った顔の傭兵団長カーゴスが、呆れた風情で自分の額をつるりとなでる。
あいかわらずのやりとりに、賢者は吹きだした。
「二人とも久しいな。健勝そうでなによりだ」
「頑丈でなけりゃ傭兵なんざやってられやしませんぜ。その自慢の体力もまあ、ガッシュには敵いやしませんがね」
茶目っ気たっぷりに言い放つ。となりで騎士団長が頭を抱えた。
「……私には、とても君のようにはふるまえないよ。お久しぶりです、賢者殿。賢者殿もお変わりなく若々しいご様子で、喜ばしいことです」
ひととおり挨拶を終えると、賢者はさっそくグリーセン地方の状況と異界の扉までのルートを確認する。これには騎士団長が答えた。
「グリーセン地方における山脈すそ野および森林地帯周辺の防衛線は、まだ突破されておりません。妖魔の動きは現在、小康状態にあります。山村、森林部の集落の人間は、すでに避難を終えていますが、水の補給や宿営のために集落をたどる道筋がよろしいかと存じます」
「そうだな。妖魔が徘徊する森で野宿するのは、ちょっとゾッとしないからな」
うなずきながら、賢者は持参した地図を懐から取りだす。
「王城には、以前の被害時の記録が残されていたんだ。異界の扉が開いたとされる地点も、かなり詳細に記されていた。一応それを書きとってきたが、まったく同じ場所ってことはないはずだ。だがまあ、穴が開きやすい場所ってのは似たような場が多い。城の魔導師の占術でも、やはり空間の歪みはその周辺だと出た。近づけば、俺でもなんとか場所を割りだせるだろうよ」
机上にひろげられた地図には、点によって目的地が示されている。その点は最果ての地の西端、そこだけ後から手書きで描きこまれたらしい森の中にあった。
地図をのぞきこんだ団長たちは、賢者が書きこんだ言葉を読んで、そろって顔をゆがめる。
「うげぇっ! ちょっと待ってくださいよ、最果ての地をさらに越えるんですかい?」
「最果ての地の先に古森があるとは……。我が国の古森は、金色森のみだと思っていましたが」
二人の目が真偽を確かめるように、賢者へ向けられる。
知ったところで楽しくもない真実を語る気に、賢者はなれない。肩をすくめ、城の一級魔導師たちが導き出した結論を話してやった。
「そりゃあなあ、存在自体が秘されていた……というより、忘れられていたからな。西の荒野を最果ての地と名づけたのも、忘却には一役買っているな。あそこはほとんど未踏の地だし、その向こう側に古森があるとは思わんだろう? まあ、先人がなにを思って秘したのかは論じてもしようがない。どうにかしなけりゃならん事態が、すぐ目の前にあるんだから」
ごもっともな言葉に、それでも彼らはため息を禁じえなかった。
「そりゃま、そうですがねえ。荒野を越えるとなると、一筋縄ではいきませんぜ。なにせ集落があるのは森林地帯まで。しかも荒野に近い小集落は、妖魔の襲撃で落ちたってぇ話だ。こりゃあ屋根のある寝床は、早々に諦めてもらわなけりゃならねえなあ」
森林地帯をぬける距離より、荒野を踏破する方が明らかに長いのだ。そして、荒野は未踏の地。人の作った道さえない場所に、どんなあばら屋だろうと存在するわけがない。
騎士団長が眉をよせ厳しい顔になる。
「寝床どころの問題じゃない。壊滅した小集落までは道があるが、その先は道なき道だぞ。往復にどれだけかかるかわからない道程のうえ、糧食補給は絶望的だ。一月分の食料を背負って歩いたとしても無理がある。賢者殿、これはいささか無謀に過ぎます」
顔色を変える騎士団長とあきれた風情の傭兵団長を、賢者は見くらべて太く笑った。
「無茶は充分承知だとも。そのうえで来たんだ。まったくの無策というわけじゃないさ」
これに傭兵団長は感慨深げな顔となる。
「ガッシュは無茶無謀を可能になさる人だからな。お若い頃の二つ名を思い出しますぜ」
「……リィ・リスルの息子、ですね」
「よしてくれ。いったい何十年前の話だ」
うんざりと顔を背ける賢者へ、団長たちが憧憬の眼差しをおくる。
銅鎖の時代に去った神リィ・リスルは、無から有を創りだす創造神だ。リィ・リスルの神話には、虚ろから光を生みだしたというくだりがあり、それが転じて希望の象徴とされている。
賢者に言わせれば、若い頃はたんに悪運が強かっただけで、けっして希望などと呼ばれる所以はなかった。良運でなかったせいで、何度死にかけたことか。
うっかり嫌な思い出を回想しそうになって、賢者はあやうく思考回路を切り換えた。
「ところで、護衛によこすと言っていた一級魔導師はどうした。事情通なら、この席にいても良さそうなもんだが」
「ああ、あいつねえ……」
団長二人が弱ったように口角を引きつらせる。なんとも言えない微妙な視線のやりとりを交わすと、騎士団長の方が観念して答える。
「腕は申し分ありませんし度胸もそれなりにありますが、いかんせん……体力がございません。いま時分なら、疲れきって眠りこんでいるかと」
これを受けて、傭兵団長がほとほとあきれたように両手をあげた。
「王宮付きの魔導師ってんだから期待してたんですがね。ひ弱すぎまさあ。一回の戦闘でへばっちまっちゃ意味がねえ。妖魔どもは襲撃を待ってくれやしないんですぜ」
「そう厳しく言うな、カーゴス。彼はもともと研究畑の人間だ。西域まで遠征してきたあげく、慣れない野営では体を壊さないようにするのがやっとだろう」
とりあえず騎士団長がかばうものの、これでは荒野の旅など到底無理だ。
賢者は特に動揺した様子もなく、苦笑してみせる。
「そいつが抜擢されたのは、一級魔導師の中で一番若かったから、ってところか。まあ、予想の範疇だ。城の人間を同行させるってのは、国王の顔を立ててのことだからな」
「さすがですぜ。そのご配慮は」
傭兵団長がしたり顔でうなずく。
王宮付きの、しかも一級魔導師となると、白髪の御仁ばかりなのだ。その中で若いなら、もう壮年といっていい。その年齢で、実践戦闘派でなく学問一筋なら体力がなくて当たり前だ。
しかし国の機密事項に部外者ばかりを派遣するのは、体面上よろしくない。たとえ王が許しても、まわりが反対の声をあげるだろう。
そんなつまらないことで、多少は落ちついた庶出の王の周辺を騒がせるのは、賢者の本意ではなかった。ただでさえ、南がきな臭いのだ。よけいな心労をかけることはない。
そのために城の者を同行させる余地をつくっておいたわけだが、賢者は足手まといを連れて歩くほど面倒見のいい性格でもなかったのである。
にやり、といたずらっ子の笑みをうかべて、腕を組む。
「一級魔導師殿には腹痛にでもなってもらうか?」
「そう来ると思いやしたぜ!」
得たり、と傭兵団長が指を打ち鳴らす。
あわてて騎士団長が、露骨に策略がにおう会話に割って入った。
「ちょっとお待ちを! そんな見えすいた手はお使いにならないでくださいっ。やるなら不自然ではない方法を。迂闊な手出しは厳禁です」
すでに彼らをとめることは諦めているのか、騎士団長の台詞はむしろ策略を容認している。さらには、苦渋の表情ながらも、自ら提案した。
「お気に召さないかもしれませんが、こうした策はいかがでしょうか」
騎士団長がいっそう声をひそめて語った計画に、額をつきあわせて聞き入っていた傭兵団長と賢者は難色を示した。
「そりゃあどうよ。そこまで手をかける必要があるもんかい?」
「機動性に問題があるな、時間がかかる。そのうえ不確実だ」
彼らの意見に怯まず、騎士団長は反論する。
「突然腹痛になるよりは、よほどマシというもの。一級魔導師のゼラム殿は体力はなくとも、体調管理はなかなかしっかりとなさっています。彼ひとりが明朝、原因不明の腹痛になるのは不自然です。後に大臣方から陛下へ突きあげがきたら、面倒なことになりかねませんよ。まず、ひとつ布石を敷いて、それで彼が体調を崩せばよし。だめなら、そのときこそ一服盛ればいい。さらに体力が落ちた彼だけが体調を崩すのなら、皆も不思議に思いますまい。よろしいですか? ここで肝要なのは、状況に不自然さがないことなのですよ」
何倍にもなって返ってきた反論に、賢者と傭兵団長は顔を見合わせた。
「そんなに細かく考えて……ボルロムドは苦労性だな。禿げないか心配だ」
「まったく同感ですぜ」
同時に吹きだした二人を、騎士団長は嘆息して放っておいた。どうせ異議申し立てをしたところで、しばらく笑い転げていることに変わりはない。
しかし笑い声はすぐに止む。天幕の外から、副騎士団長が声をかけてきたからだ。
「団長、報告がございます」
「……。少し失礼します」
騎士団長が席を外す。
彼を見送った賢者と傭兵団長は、確認しあうように視線を交わした。傭兵団長は少し首をかしげて、肩をすくめてみせる。
その様子から、賢者は突発的な事件でも起こったかと推測する。人払いしているいま、それを押してまで報告しなければならない事柄がそうあるとは思えない。事前に火種があったなら団長が認識しているはずだが、それもないようだ。妖魔の襲撃にしては外部が静かすぎるし、騒ぎが起きそうな気配もない。はたして、この状況下で何事が起ったというのだろうか。
賢者が憶測を弄んでいると、騎士団長が戻ってきた。なぜか珍妙な表情で近づいてくる。
「賢者殿。申し訳ありませんが、賢者殿のお連れになった《魔物使い》にご足労願ってもよろしいでしょうか」
意外な要求に、賢者は目を丸くした。
「なんだ? ティウに何をさせるんだ」
騎士団長は情けなく眉を下げ、腹の底から嘆息する。
「この駐屯地に忍びこんだ、小さな不審者の判定です」
いつも通り、一時間後ごとに各話を予約投稿してあります。




