4-3
本日、投稿3話目です。
前2話をまだお読みになっていない方は、4-1からお願いします。
「〈天令〉! 〈四精霊結界〉」
カナルの凛とした声が、事態を一変させた。
結界の外で荒れ狂っていた風が突然やみ、行き場を失った風の精たちの力が大気に重くこごる。しかしそれは一瞬のことで、すぐに風の力はカナルの作った結界に組みこまれていく。
新たに作られた結界のおかげで、嵐の様相の結界内から風の精たちが暴れ出てくる気配はない。最初の結界は吹き飛んでしまったようだが、カナルの結界はビクともしないので安心できるだろう。
ティウがタオを助け起こしていると、カナルが生徒と目線をあわせるためにしゃがんだ。
「先生がやったこと、わかったか」
少し涙目ながらも、タオは気丈に答える。
「天のしもべの札を使って、風の精霊達の動きを一瞬とめた。精霊達が動きをとめている間に、むりやり地水火風の四精霊結界に風の力をねじこんだ、でしょ?」
「その解答じゃ、四十点だな。いいか、天のしもべの札まではいい。問題はその次。風の精の札を用いて暴走した力を制御下におき、他の三精霊の札と組みあわせて、四精霊結界へとその力を変換した、で正解だ。むりやりねじこんだ、じゃダメ」
ちぇーっと唇をとがらせるタオの頭を、カナルは軽くはたいてからなでてやる。暴風で乱れたタオのくせ毛が、きれいに整えられた。
微笑ましい授業風景を、ティウは長く見守ってはいられなかった。ティウの視線は、結界の内部へと自然に向けられる。
「……あの、大丈夫でしょうか、エルハは」
すさまじい風が止む様子はない。暴風が切り裂いて巻きあげる草々が視界をさえぎって、エルハの様子ははっきりと見えなかった。
ふりかえったカナルは結界内の状態を確かめて、首をかしげる。
「ああ、まだ出てきてないのか。なんか考え事でもしてるかな。ほっといても心配ないよ、ほら」
言い終わらないうちに、結界の内部はゆっくりと静まりかえっていく。
弱まる風の中、人影が結界の壁に近づいてきた。エルハだ。髪も服も乱れておらず、まるで嵐などなかったかのように、その姿は整然としている。
結界の前で立ち止まったエルハは、無表情の中にもわずかな苛立ちを表し、手持ちの札から数枚を掲げた。すると結界の一部が眩い光を放ち、エルハはそこをくぐりぬけるようにして外へ出てきた。
立ち上がって迎えたカナルに、エルハがずいと迫る。
「……人を結界内に閉じこめる気か」
「フツーに出てこれたじゃんか」
「そういう問題か? あんな固い結界をはりやがって。それにこの札。とんだじゃじゃ馬だぞ」
深くため息を吐きながら首をふるエルハが、ふと下方向に視線をやった。
「…………ティ、ティウ?」
カナルの影で膝をついてタオを支えていたティウは、少年の背に手をそえたまま腰をあげる。
「すごいですね、エルハ。驚きました。あ、賢者様が用意してくださった昼食を持ってきたんです。そろそろ、いただきましょうか」
「ホント!? わーい、賛成――!」
真っ先に諸手をあげたのは、育ち盛りのタオだ。その先生のカナルもうなずく。
「そうだな。ちょうどエルハも出てきたことだし、ここらで一息いれようか」
「じゃあ、ちょっと待ってくださいね。お弁当をひろげますから」
籠の中から大きな敷布を取りだす。それを地面にひろげて、上にどんどん昼食を並べていく様子を、エルハは固まって見つめていた。
おかしな状態のエルハを、カナルがのぞきこむ。
「どうした」
対してエルハは、情けなく眉をさげた。
「ティウにカッコわるいところを見られた……」
青くなってショックをうけているエルハに、カナルは慰めるような笑みを向ける。
「大丈夫。ぜんぜん気にしてないよ。ていうか眼中外?」
視線が無情に指し示す先にいるティウは、笑顔でタオの皿へ食事を取り分けていた。エルハの制御失敗はすでに過去のことで意識にない。
それはそれで寂しいのだろう。エルハはがっくりと頭をたれた。
やはり、カナルの言は態度と裏腹に慰めではないのである。
日暮れまでに調整を終えたエルハは、ティウと二人で帰途についた。
カナルとタオは、一足先に切り上げて帰っている。いまごろ今日の復習中だろう。
どうにかこうにか札が使いものになるところまでこぎつけたエルハは、実際は疲労困憊していたが、ティウの手前おくびにも出さなかった。
だがティウはエルハのちょっとした動きから、疲れを読みとったようだ。
「お疲れでしょう、エルハ。やっぱり、ゼウジスに残ってもらえばよかった。そうすれば、エルハを乗せてもらえるよう頼めたんですが……」
フォードたちも山のすみかに帰ってしまった。実のところ、カナルもゼウジスも気をきかせてくれたのだが、ティウには悟れないようである。
まったく気づいてもらえないことに半ば苦笑しながら、エルハは首を横にふる。
「いや、そんなことはできないよ。俺はもちろんゼウジスと友達だけど、《魔物使い》じゃないからね。ただの友達として、彼らにしていいことと悪いことの線は、きっちり守らなければならないよ」
言い終えると、真摯に聞いていたティウがやわらかく微笑んだ。深い笑みは純粋に喜びを表していて、目を奪われる。
「《魔物使い》じゃなくても、魔物と友となり、尊重しあえるんですね」
心からの笑顔を、初めて見たと感じる。
それまでの笑顔は華やかできれいだったが、どこか儀礼的でティウとの距離を意識させるものだった。
だが目の前の笑顔からは華やかさが消えて、かわりに純朴さが表れている。まるで、小さな花がほころんだように愛らしい。
その表情のまま、ティウはいたずらっぽく目を瞬かせる。
「それは、とてもすばらしいことだと思います。だけどですね、エルハ。疲れきっている友人に、背を貸すことを嫌がる者はいませんよ。それは魔物だって同じです」
「そんなに足許がおぼつかなく見える?」
エルハはうれしくなって笑む。
体は疲れていたが、むしろ気持ちは昂揚していた。初めてのふたりっきりという状況を楽しまない手はない。
笑顔のエルハを、ティウはじっと注視する。そして困ったように首をかしげた。
「足許はしっかりしてますよ。でも無理をしているな、と思います。だから無理をしないでください。そうだ、肩を貸しましょうか」
「え、いや、でも……」
自分の肩の高さにあるティウの頭のつむじを、思わず眺めてしまう。痩身といっても上背があるエルハが寄りかかれば、つぶしてしまいそうな小ささに見えた。
その考えを正確に読みとったのだろう。ティウが吐息をつく。
「一応は傭兵家業ですから、力はある方ですよ。そんなに頼りなさそうですか」
情けなさそうな声に、エルハはあわてる。
「そんなことないよ。えーと、じゃあ、お言葉に甘えて」
そろりと腕を肩にまわす。よくよく考えれば、本人公認で肩が組めるのだから大変ありがたい申し出である。しかし――。
「……エルハ。ちゃんと寄りかかってください。肩に手をおいてるだけじゃ、逆に疲れますよ」
肩にかかるエルハの手をとって、ティウは負うように引っぱった。うれしすぎる状況だが、上体が大きく前傾してしまう。
エルハは立ち止まって、泣きたいような気持ちで白状した。
「ごめん、ティウ。この体勢の方が辛いみたいだ」
ちゃんと体重を預ければ楽なのかもしれないが、断じてそんな真似はできない。負ぶさるような体勢になれば、よけいにティウの小ささがわかり力をぬくことなどできなかった。
さすがにティウも苦しそうな体勢だと気づき、つかんでいた手を放す。上体を立てなおすエルハを、眉をさげて見ていた。
「すみません。よけいに疲れさせてしまいましたね」
「こちらこそ、ごめん。せっかく気づかってくれたのに」
互いに謝って、はたと目があう。
ふいに、エルハが自分の額をぴしゃんとたたいた。
「っああ、違った。こういうときは謝るんじゃなくて!」
手をおろすと、ティウの顔を覗きこむ。
「気づかってくれて、ありがとう」
感謝をこめて微笑む。その笑みは、ティウがさっき浮かべた笑顔と同じだった。ごく親しい者にだけ見せる、心からあふれでたような素直さがあった。
ティウは優しい微笑に驚きでもしたように、しばらく硬直した。
「ティウ?」
呼ばれて、瞬きする。我にかえった様子のティウは、一瞬視線をさまよわせてからうつむき、エルハの視線をふりきるようにして歩きはじめた。
「……急ぎましょう、日が暮れはじめた。夕食が遅くなると、タオがかわいそうですから」
先をいくティウの背は、まるでエルハを拒むように頑なに見えた。どうしてそうなったのか見当がつかずエルハは戸惑うが、彼女に倣って歩きだす。
黙りこんでしまったティウは、なにかに耐えているような硬い表情だった。とても話しかけられる雰囲気ではない。
彼女を心配しつつも、エルハはショックを隠せずにいた。肩が落ち、頭はうなだれてしまう。
いままでエルハは、他人と積極的に関わろうとすることが少なかった。だからごく一部の例外をのぞいて、相手がどんな態度をとろうとも気にすることはなかった。
そのせいだろうか、ティウの拒絶の意味が計れない。なにしろ女言葉で暴走するエルハを、受け流せてしまう度量の持ち主なのだ。先ほどの会話のどこでどうティウの心証を悪くしたのか、推察しようがない。
悶々と悩むエルハは、結局家路の距離をかせぐことしかできなかった。
やがて、道の先に老師の家の灯火が小さく浮かびあがる。それを確かめるように凝視したティウが、ひそやかな声で問いかけてきた。
「……エルハ。あなたはどうして、この旅に同行したのですか」
話しかけてくれたことにエルハは束の間ホッとしながらも、そう安易な状況でもないと踏む。ティウはあいかわらず硬い表情で、声は真剣そのものだった。
どんな答えを期待しているのだろうか。
考えをめぐらすが、小細工を弄することは馬鹿げていると思いなおし、正直に答える。
「最初に宣言したとおりだ。ティウを守りたいから、いまここにいる」
「本当に? 偽りではなく?」
「嘘をつく必要はないよ」
その答えに口を噤んだティウは、視線を落として再び訊ねる。
「ガッシュ殿のことを心配してではなく、私のことを気遣って、ですか」
賢者の名が出て、エルハは虚を突かれた顔になる。明らかに盲点だといった、ぽかんとした表情になった。
「ガッシュ? アレを心配するって、それは気遣い損だよ。殺しても死なないような男だから」
つい本音がでる。賢者については、はっきり言って毛ほども心配したことがない。むしろ迷惑なぐらい頑健な男なのだ。
その気持ちが率直に伝わったのだろう。ティウはそれをエルハの真意だと受け取った。
「……わかりました。本気で、私を守ろうとしてくれたんですね」
顔をあげたティウが、まっすぐエルハを見つめる。その表情は落ちついていたが、どこか張りつめたような緊張感があり、何かの拍子に脆く崩れそうだった。
眼差しが、エルハをしっかりと捉える。
「ではどうか、クレインに戻ってください。私は護衛されるために西の地へ赴くのではありませんから」
エルハは言葉を失って立ちつくす。
顔を背けるティウの双眸にすがるような感情の揺れがあったのは、エルハの願望が見せた幻だったろうか。
確かめる術はなく、エルハは歩き去るティウの背を茫然と見送った。
魔物と魔法が出ました!
魔物は獣タイプで、魔獣だったわけですが。
だがモフはエアリー。
エアリー=空気、なのでした。
この本原稿を書いたのが、まだモフるという概念が私になかったぐらい昔だったので、後からも描写を挿入しずらかったという理由で、当作品では「モフはエアリー」が仕様です。
ゼウジスさん、性格は堅物でなんですが、モフはなかなか良さげなので、無念です。




