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次元迷宮の迹  作者: 藤閏
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未知のエリア! 第四節


「大和は六〇年前に沈没した。ニミッツも改装中だったはずだ」

「だから、この船が六〇年前に来てるのかも。タイムスリップして」

「過去への移動か……、SF的だな」


 空港の待合室で見たことがある、いくつかのSF映画を思い出して、そう有馬は答えた。主翼に乗った魔物が旅客機を壊そうとしたりする話や、途中から視聴したため理由はわからないが過去へ送られて錯乱気味の男が、空港で撃ち殺されたりする話だ。

 娯楽品の鑑賞に時間を長々と費やす趣味はない有馬だが、何年か前までは、西側諸国の交通施設で暇をつぶす機会が多くあった。ソビエトの崩壊によって連鎖的におきたユーラシア各地の辺境紛争が、彼のような個人企業の戦争屋に、大量の仕事をもたらした時期のことだった。

 一九八〇年代の初め頃にはタイとカンボジアの国境地帯へ、趣味と実益をかねた落ち武者狩りや、クメール・ルージュのルビーをあさりに行っている密猟者にすぎなかった有馬は、その一〇年後にはアメリカの軍産複合体に知られる存在になっていた。

 日本で多数の一般市民が無作為に死んだ一九九五年の初春に、名が売れすぎた旧い身分を捨てて、彼は戦争屋を廃業した。

 最後の飛行機旅行はクリスマス休暇のアメリカだった。自分のことを知りすぎたCIAのエージェントや、その飼い主である資源メジャーの幹部を消しにいったのだ。


「でも、SF的でしょう? この状況」

「ここはトワイライト・ゾーンだというのかね?」

「お空はトワイライトでしたし。……おちついて考えてみると、あの光の爆発は非常に不自然なものです。あるいは超自然的なものです。少なくとも、爆弾だっていうのは無理がある」


 礼佳は暗い廊下を一瞥し、有馬に目を戻した。


「正体不明の発光体に包まれると、重力が散乱して船が浮きあがり、空は明るくなっていた。船内では人間だけが消失するか、異次元に消えかけて壁に体が融けこんでいた――これはいったい、どういうことなのか?」

「どういうことだ? 我々は四次元を逆行し、過去の海と、過去の夕暮れを見たというのか?」

「もしも月が、満月のはずなのに三日月になっていたなら、それを説明するにはタイムスリップで時間を越えたと考えるのは妥当で――ぬうう、しまった。ディス イズ インセクトって言えばよかった。黒幕が奥から出てきたかも」

「過去の世界は、実存しない」


 途中から小声になってブツブツとつぶやく礼佳に、そう有馬は言って、散らかった操舵室の床を手で示した。


「散らかる前の操舵室は、この宇宙のどこかに保存されてはいない。この状態は、つまり現在は、過去が変化したから存在している。その過程を覆すことはできない」

「過去は存在しないから、そこへ移動することはできない?」

「そうだ。既に実存しない、変化する前の世界へ行くことはできない」

「それなら、ここは未来?」

「いや、違う」

「なぜ? 未来への移動は可能でしょう」


 質問しながらさりげなく自分を見つめている礼佳を、有馬は興味をこめて見かえした。

 正気の人間を装うことに、彼は熟練している。物心ついた頃から、何十年もつづけていることだ。自分の知識や、そこから正気の度合いを計ろうとする若い女をあしらうなど、雑作もないことだった。

 操舵席にもたれて腕をゆったりと組み、有馬は礼佳に答えた。


「現代科学では、宇宙に不動の物体はない、ということになっている」


 有馬の答えを聞いた礼佳は微笑してうなづき、前方の窓へ目をそらした。

「なるほど」


 双眼鏡を持って礼佳は席を立ち、言葉をつづけた。


「テレポートも必要ってことですか」

「言うまでもないと思うが、地球上のどこからでも、月の形は同じに見える。地球の自転は、月の昼夜の半球に影響しない。月の満ち欠けを地上に示現させているのは、月の公転だ。テレポートしても、月は空で位置を変えるだけだ」

「ええ。ですから未来へタイムスリップするには、『未来の地球へ瞬間移動する』には、同時にテレポートもしていなくてはならない、ってことですよね」

「ああ。そのとおりだ」


 操舵席前の窓ガラスに双眼鏡を当て、礼佳は霧におおわれた外へ顔を近づけた。


「アンテナが融けて曲がってる……?」

「島は? 前に見えるはずだ」

「まだ見えません。舳先あたりまでしか……、さっきよりは明るくなったような」


 有馬はラウンジで拾い、礼佳に持たせた乗客の鞄を、ざっと調べた。めぼしいものはない。衣類や細々とした日用品、手土産の商品袋がいくつか入っているだけだった。持ち主は観光客ではなく、渦竜島への帰省者だったらしい。

 文綾丸に乗った数十人の半日客は、多くが渦竜島にゆかりの者ということだった。沖縄などからの定期便がないため、文綾丸を所有する会社が、島の関係者に便宜を図ったらしい。

 パンフレットで見た渦竜島は風光明媚だったが、観光客が上陸して喜ぶようなものはなかった。

 金持ちを客にしているクルーズ客船会社が、数百人の田舎者が住んでいるだけの辺鄙な島に関わるようになったのは、ここが何年か前からダイビングスポットとして人気が出たから、と志賀松 輝久は話していた。

 海底に、謎の古代遺跡が見つかったのだそうだ。


 鞄を制御卓のむこうへ捨てて、有馬も外を見た。

 窓の外にも、レーダーが止まっている海図モニターにも、渦竜島は見えなかった。文綾丸が危険なまでに島の浅瀬に近づいている可能性があるため、船首方向を目で確認する必要がある。雲の流れは弱まり、濃度もわずかに薄くなっている。霧雲が消散するまで、それほど長い時間はかからないだろうと思われた。

 船尾から見えた『縦の三日月』が太陽を追って西の空にあるならば、渦竜島は船のおおむね前方に存在する。コンパスも船首が東を向いていると示していた。


 問題は、あれがどこの空と月なのかだ、と有馬は考えていた。

 日本の秋には、地平に対して三日月が縦になることは有馬も知っている。月が太陽の上や下ではなく、横に位置するからだ。

 夏には太陽と同じく、新月や三日月の軌道も、地球の地軸傾斜によって高くなる。しかし白道が夏至から一ヶ月で、亜熱帯でならば、それほど傾くのかについては有馬には正確な知識がなかった。

 渦竜島は近くにあるのか。

 文綾丸は地球の夜半球の縁にいるのか。

 今は二〇〇二年七月二八日なのか。それも定かではなかった。


 今が二〇〇二年七月二八日であるならば、文綾丸は一〇〇〇キロメートルばかり西へ移動し、月は八〇万キロメートルばかり太陽系の中心方向へ移動していなくてはならない。満月を三日月にするには、月を地球軌道の太陽系外方から内方へと、つまり地球と太陽のあいだへと移動させる必要がある。

 天体の自然な運行は一四日がかりでそれをおこなっているわけだが、 同じことを一〇秒でやってのけるのは、極めて難しいだろう。加速すれば遠心力の増大で月は飛び去ってしまうし、既知の物理を無視して瞬間移動させれば、月は地球引力と軌道運動の逆転によって、地球か太陽へ墜落するだろう。

 月が瞬間移動したり砕けたりすれば、地球の海にも、破滅的な激しい変動が広範囲でおきるに違いない。

 ならば文綾丸はタイムスリップしたのだろうか?

 それも月がテレポートしたと考えるより、飛躍がある推論だった。

 地球も太陽系も、この銀河系で不動の存在ではない。天文学者の見解では、天の川銀河そのものが数百分の一光速で動いている。なんらかの物体だけが時間を瞬間移動すれば、待っているのは過去や未来の地球ではなく、空虚な宇宙空間だろう。


「ところでエルドリッチとは? 確かに、これは怪奇な現象だが」


 前方を見張る礼佳に、有馬は気になっていたことを尋ねた。


「こんな怪奇現象ネタに接近遭遇したら、ペン太さんも悶絶・オブ・マッドネスで――ああ。……いえ、名詞のエルドリッジです。フィラデルフィア実験の」

「フィラデルフィア実験……、ペンシルベニアのフィラデルフィアか?」

「ええ。フィラデルフィアの港で、第二次世界大戦のさなかアメリカ海軍が、駆逐艦 エルドリッジを用いておこなった実験です」

「内容は?」


 礼佳は双眼鏡を窓辺に置いて、ゆっくりと向きなおった。


「フィラデルフィア・エクスペリメント」

 なにゆえか神託的なひびきをおびた礼佳の声が終わると同時に、くぐもった鈍い衝突音が、ドォーーーーンと彼女の後背から鳴りわたった。

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