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トラウゴットとリディア

 

 リディア・ブルンネン男爵夫人は、元冒険者である。

 元は西の隣国ベスティア王国の冒険者をやっていたのだが、ひょんなことからこのクライノート王国の北部、フリートホーフ辺境伯領にやってきて、元カレの顔と口だけなクズ男と別れた後に、すったもんだあってトラウゴット・ブルンネンという口が悪くて男尊女卑思考で運動神経皆無だが頭が良くて高給取りで、身内の女のためならブツクサ文句言いながらなんでもやってくれる行動だけ男と結婚したのである。

 というか、率直に言うと、リディアが純朴なトラウゴットを罠に嵌め、まんまとゲットしたのである。

 トラウゴットは31歳、リディアは19歳。

 かなり年齢が離れている。

 最初、トラウゴットはリディアを異性としては相手にしていなかった。ずっと年下の、けれども社会人として働いている成人女性だなー、ぐらいに認識していた。ちなみにここ、クライノート王国の成人年齢は男女共に十五歳である。

 二人が出会った時、リディアはフリートホーフ辺境伯家のメイド見習いであり、ブルンネンは広大な辺境伯領の水資源管理における最高責任者で……まあ年齢とか身分とか立場とか諸々隔たりがあったのである。

 加えて、トラウゴットは見た目がまるで死神のような不気味な男であった。

 醜男と称して差し支えない容貌ではあったが……物凄く真っ当な倫理観を持った大人の男だったので「若い奴は若い奴と遊べ」と言って、リディアを突き放したのだが、まあ、なんというか、そういう“口は悪いけどやってることはしっかりした大人の善良な男”なところにリディアはキュンときた。

 真面目で几帳面で律儀で、徹底的な男尊女卑、という皮を被ったお姫様扱いだったので。

 そんなもんだから、リディアは下戸のトラウゴットを上手いこと口車に乗せて飲みに行って潰して、カップルが使うようなエッチなホニャララをするお宿に入って、ポイポイ服を脱いで脱がしておやすみなさい。偽装工作という一計を案じたところ、夜の記憶を失ったトラウゴットは見事に騙された。

 若い娘に手を出してしまったことを死んで詫びようと、ほぼノータイムで飛び降り自殺しようとするトラウゴットを引き留めて、そんな感じでリディアは結婚。兼ねてからの夢だった「かわいいお嫁さん」になったんだ。

 トラウゴットの家、ブルンネン男爵家は大家族。そんでもって極端な女系。

 トラウゴットの母と、四人の姉と、その姉たちが産んだ十一人の姪っ子が居て、貴族にしてはややこじんまりとしたお屋敷にぎゅうぎゅう詰めになって仲良く暮らしていたんだ。

 クライノート王国では女性に教養なんてなくて良い、という気風が強い。

 が、トラウゴットはガリ勉。勉強してゼロから出世して、辺境伯閣下に取り立てられて、没落した家を再興した男だったので、教育は重要だと考えていた。

 だから、十一人も居る姪っ子たちに対しても「どこに嫁に行っても恥ずかしくないように」としっかり家庭教師雇って勉強をさせたし、シーズン毎に一人ずつに新しい服を作ってあげたりするタイプだったんだ。

 十一人の姪っ子全部を「ブルンネン男爵家として恥ずかしくない令嬢として育てる」をやっていたので、当然、そんなんやっていると、お金はガンガン溶けていく。有能なのでそれ相応に高い給料を貰っていたし、お給料は大半を家に入れていた。

 家の中の運営に関しては女性の仕事。女主人の領域だったので、主に四人の姉たちが家計の管理を担当しており、節約のため、ブルンネン家では使用人を一切雇わず、女たちが全ての家事を回していた。

 ――と、いうのは表向きの懐事情。

 トラウゴット自身は自分の一馬力なのだからとしゃかりきになって働いていたし、苦労してきた母や姉たちを男の自分が養って楽させなくてはと気張っていたが、実際には……四人の姉たちはこっそり、弟にバレないように外で働いていた。

 ブルンネン家は実際には一馬力に見せかけた五馬力であり、その気になったら楽勝でメイドを雇えるのだが、女たちはこの家族だけの生活が楽しかったので、敢えてそのままにしていたのである。

 さて、そんな内情は嫁であるリディアにも秒速で共有された。

 そして、リディアは留守番係になった。

 何故かというと、リディアは既に男爵夫人。

 平民出身、しかも外国人とはいえ、今はもう身分としては貴族。歴とした貴婦人であるため、当然、お勉強というものが待っている。

「丁度良いからお前も家庭教師に教われ。話は通しておく」

「ありがとう」

「礼は要らん。女は頭が悪いからな。悪い頭が良くなるように対策を打つのは男の責任だ」

「反論したいところだけど、トラウは賢いからこれに関してはなんにも言えないわね……。」

 そんな訳で、姪っ子たちと一緒にリディアは基礎勉強からスタート。

 全自動でお留守番となるため、新たな仲間を得た四人の義姉たちは、全員外に飛び出すことにした。

「領主様の奥様が、今度新しく国立の女子校をお創りになられるってことでしょう? トラウの立場だと、この子たち全員をそこに入れようとするでしょうけれど、学費が心配なのよ」

「全寮制になるって言うし、学用品も……色々と嵩むでしょうから、今から自分の娘の分だけでも、貯金がしたくって」

「ご領主様夫妻は人格者だし、出来れば教育としても、王都のアカデミーより、奥様の設立される学校が良いと思っていて……ほら、王都は遠いし、学生寮となると、ねぇ。高いのよ。その割に、学校のカリキュラムもイマイチだし、何より、身分が高くないと虐められたりもするみたいなのよね」

「その点、奥様の学校なら領地内で近場だし、あの奥様が理事長になられるなら、きっと教育や設備も充実してると思うのよ」

「ほら、トラウのことだから、意地を張って無理をしてでも、この子たち全員に卒業まで充分な勉強をさせる! なんて言い出しそうでしょ? 確かに、私たち全員、貧乏のせいでクソ男に嫁いだ出戻りだけど、いつまでもトラウに面倒見て貰うのも何か違うじゃない」

「トラウはバカ真面目だから……せめて自分の子供の学費くらい用意しないと、リディアさんにも申し訳ないし」

 ブルンネン家の人々は揃いも揃って真面目で善良だった。

 家長である末っ子長男が姪たちにお金を掛ける余り、嫁であるリディアが遠慮して子供を産み控えようとするのではと心配したのである。

 元々、リディアは三人くらい子供を産みたいと考えていたし、そのことを前もって義姉たちにも話していた。

 それを聞いて、四人の義姉たちは「やばい!」と思ったのである。

 死神かクリーチャーのような容貌の弟がまさか結婚出来るとは思っておらず、すっかり諦めていたし、なんならこのまま最後まで賑やかしながらみんなで生きるわよ〜! とまで思っていたが、リディアという若くて可愛い金髪金眼の、溌剌美少女がお嫁に来てくれたので方針転換。

 いわばブルンネン家の正式な奥様でもあるのだし、トラウゴットが稼いだお金はリディアとリディアの子供に優先して使われるべきだから、と俄かに将来の準備を始めたのである。

 何しろトラウゴットという男はバカ真面目で公正だったので、自分の娘だろうが息子だろうが、姪っ子たちと扱いを変えないだろうし、掛けるお金も手間も平等に分配するだろう、いや、してしまうだろうと姉たちは確信していたからである。

 アットホームにも程があるが、ブルンネン家は貴族の家系。

 嫡男であるトラウゴットの跡取りが貧乏暮らしで充分お金を回せません、などという状況は断じて避けたい。

 故に、四人の姉たちは全員、弟が留守にしている間はフルで働きに行くと決めたのである。

 リディアもリディアで「家のことはお願いね」と頼まれたらば、お嫁さんが夢だったというのもあって家庭を任されるのは悪い気もせず「おまかせください」と快諾して送り出した。

 十一人の姪っ子たちは上は十三で下が四。リディアと歳が近いし、親しい姉と妹みたいに気楽に接しているので苦労も少なかろうと思っていたのだが……甘かった。

 確かに、年長の女の子たちは聞き分けが良く協力的で頼りになったが、下の子たちは怪獣だった。走り回り言うことを聞かず、目を離せば喧嘩したり怪我をしたり、下手したら死ぬぞという類のことをやらかしていたり……リディアが予想していた四倍は大変だった。

 けれども、リディアはそれなりに鳴らした元冒険者。体力もパワーもあったので何とかこなしていた。実家では弟が居たのもあって姉気質だったのも良かった。

 が、肉体的疲労はそこまででもなくとも、育児には時間も気力もガンガン吸い取られる。

 リディアの理想としては、日々家事をこなして綺麗に整った快適で素敵なおうちに暮らして、時々はお菓子を焼いたりして過ごす、というものだったのだが……まあそんなものは無理だった。十一人も子供が居れば家の中はとっ散らかっているし、家事は進まないし、家族で食べるためのご飯はありあわせをテキトーに食べられる状態へと加工するだけになるし、クッキーとかパイを焼いたりなんて夢のまた夢。

 上の子たちはある程度大家族の喧騒に慣れているので「もうほっとけばいいのよあんなの」とな言って大胆な放置をかましたりしていたのだが、リディアはそこが心配で堪らなくなってしまうタイプなのでついつい様子を見に行って面倒を見てしまう。元々二人姉貴弟で育ったので、きょうだい間のコミュニケーションが密だったもんだから、放置しないで世話を焼いてしまうのだ。

 お陰で、若くて可愛くて優しいリディアは姪っ子全員から「リディアちゃんだいすき♡」と懐かれたが、懐かれたが故にことある毎に甘えられ名前を呼ばれ、ますますもって家事は滞り……滞ったところをどうにか取り返そうとしてフルスロットルで家事をこなし……で、エライコッチャになった。

 四人の義姉たちは仕事から帰ってくると「ありがとう!」と言って現場を見て適宜フォローに回ってスババと動いてくれたので、トラウゴットが帰宅するまでには家はすっかり普段程度の散らかり具合に戻る、というのを毎日繰り返していた。

 リディアは家事全般が得意だし、若いし、体力もパワーもものすごくあったのでどうにかなったし、別に精神的に病んだりもしなかった。

 元冒険者なので心身ともにタフだったからリディアはまだ耐えていたが、普通の平均的な女性ならもう既にノイローゼ待ったなしのこのシチュエーションを前に……流石のリディアもちょっとだけ自信をなくしていた。

 育児って、大変……!

 子供は三人くらい欲しいと思っていたのだけど、私、無理かも。

 トラウの稼ぎなら三人産んだって余裕だとは思うけど、子供を見るのって本当に大変。家の中がぐちゃぐちゃになる。お義姉さんたちが最終的には何とかしてくれてるけど、いずれは家を出るつもりみたいだし……私、一人になったら、子供三人も育てられるのかしら?

 あと、トラウは毎日頑張って働いて稼いでくれるし、遅くなって帰ってきても色々と家の中のこと、軽い大工仕事とかもやってくれてるし、子供達の相手もしてくれているけど、私、主婦として全然ダメ! 最近はご飯だって手抜きだし。

 本当なら、食後のデザートとかも作って、花瓶にお花いけて、毎日違うテーブルクロス掛けたりしたいのにっ……!

 なんなら、本当は、本当は……編み物とか縫い物とかやって、トラウと自分用にベッドカバーとか作りたいのに。季節ごとにパイを焼いて、週に一回はトラウが好きなシチュー煮込んで、それから、それから、それから……庭でガーニングもしたいし、ハーブ育ててオーブン料理に使ったりとか、他にもちょっと凝った料理作りたいのにっ!

 ハーブ、ハーブといえば、お風呂、お風呂にハーブ浮かべたりとかもしたい。したいのにっ!

 出来ないっ……!

 こんなの、ぜんぜん「かわいいお嫁さん」じゃない……!

 けれども、リディアは負けず嫌いだったので、こなくそ! とばかりに根性出して頑張った。頑張って頑張って頑張って、頑張り続けて……半年経った秋の日に、風邪を引いてダウンした。

 健康で体力があって、体が強かったので、滅多に風邪など引かないのがリディアだったが、熱を出して寝込むことになった。

 風邪で体が弱ると気持ちも弱る。

 リディアはけほけほ咳き込んでベッドでぼんやりしながら「あたしってぜんぜんダメだなぁ」なんてことを考えていた。

 全くダメでもなんでもないのに、体力が尽きると途端に弱気になる体質なのである。

 そしたらば、四人の義姉もこれは一大事と仕事を休んで全員集合。娘らに対して「リディアちゃんが休めるように静かにね!」などと言って母の圧を掛けていたのだが、リディアに懐く姪っ子たちはまあ、本気の怒られが怖くて大人しくなる。加えて、母たちはリディアほど甘やかしてはくれないと分かっているので尚更だ。言うことを聞いてお手伝いもして……という気配や声を聞いて、リディアは「あたしあんな風にできない」と思ってウルウルぐすぐす、メソメソしていたのである。

 布団かぶって唸って、うとうとして……ハッと気付けば夕方になっており、薄暗い室内で――死霊のようなものが側の椅子に腰掛けていた。

 丸っ切りホラーの導入でしかない絵面であり、普通の娘なら悲鳴を上げるか、悲鳴を上げてからガクッと気絶するぐらいなのだが、リディアはもう慣れたもの。

「トラウ、仕事は……?」

「早退した。医者は呼んだのか?」

「ううん。呼んでない。ただの風邪だし」

「馬鹿か。これだから女は……今から手配する。少し待て」

「うん。ごめんね。呼んだ方が良かったね」

「お前には言っていない姉たちだ。病人の女が医者を呼べる訳がないだろう。まあ、それも物事の手配が出来ないというのも、俺の落ち度だ。済まない」

 言い捨てて、そのままトラウゴットは部屋を出ていった。

 リディアはこれから医者が来るなら、せめて髪は結ぼうと思って起き上がって……ベッドの横、サイドチェストの上を見た。

「こ、これはっ……!」

 白い紙の箱。特徴的なその形状。お洒落なレタリングのロゴ。

 ゴクリ。

 喉を鳴らして箱を開けて、ガサガサになった声のまま、細く長く悲鳴を上げた。

 ゼリー。

 ガラスの器に入った、キラッキラで艶々の、新鮮なフルーツを使ったゼリーが六つ、並んでいた。

 赤い葡萄に白い葡萄に、いちじく、林檎に洋梨、それらに更にオレンジを加えたミックスフルーツまでずらりと並んでおり、どれをとっても美味しそうだった。

 リディアは知っていた。

 これはこの街で一番人気のパティスリーの箱。裕福な商人や貴族や、背伸びした余裕のある庶民が買う、お高いお店のゼリーである。宝石箱のように美しいそれらを前に、リディアは喜びと、どれを食べようかという迷いでぐるぐるしていた。

「入るぞ」

 戻ってきたトラウゴットによると、医師が来るにはあと一時間は掛かるらしい。

 リディアはその話を聞きながらも、気もそぞろ。

 何とか全部話を聞いて、聞き終わった瞬間に言葉が先に飛び出した。

「トラウ、これ、どれを食べてもいいの!?」

 すると、トラウゴットは首を捻って、心底不思議で堪らないといったようにこう言った。

「全部お前のだが」

「えっ」

「好きなものを好きなだけ食え。食べ切れないようなら誰かは食べる。それで良いなら明日も帰りに買ってくるが」

「こ、これっ、これ全部……!?」

「ああ。お前がどれを欲しがるか分からなかったからな。好みではなかったか? 食欲がないなら、果物を幾らか用意してある。オレンジか林檎なら絞ってくるが」

 リディアは思わず、一秒くらい固まった。

「じゃあ、えっと……オレンジ、い、いい?」

「分かった。お前は寝ていろ」

 そう言った数分後、トラウゴットはシャツの腕まくりをした状態で、本当に搾りたてのオレンジジュースを持ってきた。

 リディアは無言でずずいと差し出されたそれを受け取ってゴクゴク飲んだ。

 ぷは、と息を吐いて、それから。

「トラウ、あたし……やっぱり、子供、四人ぐらい欲しいかも……!」

「熱で錯乱してるな。落ち着け。まずは風邪を治せ。解熱剤がある。先にこれを飲め」

「トラウの子供なら、五人くらい居ても良いかも……!」

「いや、発熱した女に冷静な判断力を期待した俺が間違っていた。治ってから考えろ。追加の毛布を持ってくる。寝ろ」

「ゼリー食べたい!」

「スプーンならそこにあるから好きなのを食え。食ったらすぐに寝ろ」

「おいしい……! 子育て、あたし下手くそかもって落ち込んでたけど、トラウが居るなら大丈夫かも……。」

 と、ご機嫌に発熱したままゼリー二個食べて解熱剤飲んでリディアはスースー寝息立てて爆睡かました。

 寝てる間にお医者が来たので「ただの風邪ですね」と風邪薬出されて診察は終了したのだが……ここで終わらないのがトラウゴット・ブルンネンという男。

「姉さん、確認したいことがあるんだが。どうしてリディアがあんなに育児に追い詰められているんだ?」

 何しろ、トラウゴットは有能だったし、仕事に於いてはシステムを重要視するタイプ。何かが上手くいかず滞るのは人の配置や役割分担が悪いか、そうでなければ仕事の構造そのものに抜けがあると判断する人間だったので……四人の姉たちにすぐさま聞き取り調査。

 普段からずっと姉たち姪たちのフォローをし、面倒を見まくって生きてきたので、トラブルがあるのではと疑念を抱いたら解決に向けて動くのも素早い。

 そこでやっと、四人の姉たちはリディアが追い詰められていたことを知った。

 四人とも青くなってキャーと悲鳴を上げて、娘たちに対して「どういうことなの〜!?」と質問し、娘たちは年長の数名は眉間に皺を寄せ、年少の数名は顔を背けた。

 四人の姉たちは実は外で働いていました、と弟に洗いざらい白状して、そして、娘たちは十一人でワァワァぎゃあぎゃあと特定の相手を指差して「あいつが悪い」を始めた。

 普通の男なら途中で嫌になって外に逃げるだろうが、そこは圧倒的な女系家族の中で育ったトラウゴット。根気よく一人一人から事情を聞いていった。

 真相としては、まず、四人の姉たちは、子供たちも大きくなったし、普通にお留守番も出来るぐらいにはなっているから、リディアと仲良くしてくれるなら楽勝だろうと思っていた。

 現に、リディアが嫁いでくる前などは、母たちが留守にしても上の子たちが主導して分担しながら家事をこなしていたし、下の子たちもしっかりお手伝いをしていた。子供たちだけでもご飯の準備も掃除も洗濯もできるし、もう心配ないレベルではあった。あったのだが。

 下の子たちは母たちが外に出てしまって拗ねた。拗ねてお手伝いの一才を放棄して、新たにやって来た「優しくてかわいいリディアちゃん」に甘えまくった。お母さんが居なくっても、リディアちゃんが遊んでくれるからいいもん! というスタンスであった。

 そんでもって、上の子たちはというと、下の子たちがそんな甘えたこと言って、ふざけて、お手伝いの全部を放棄して喧嘩したりとかしていたので、よっぽどぶん殴ってやろうかと思ったが、せっかく顔は怖いが優しいブルンネン叔父さんの所に嫁いできてくれた親切で綺麗なリディアお姉さんに絶対に嫌われたくなかった。

「この家が荒っぽい家だと思われてリディアちゃんが嫌になって離婚しちゃったら、トラウゴット叔父さんにはもう二度とチャンスはないだろうと思ったの!」

「下の子たちを泣かせないように頑張ったの! 本当は引っ叩きたかったけど!」

「泣くまで叱ったりしたかったけど!」

 上の子たちは、苛立ちを我慢して下の子たちが媚び媚びしてリディアに甘えているのをンギギギギとなりながら優しく、マイルドに接していたのである。

 因みに、母たちもリディアも不在の場合は情け容赦なく言葉で言い負かして泣かしたり、シンプルに肉体的制裁を加えて泣かしたりするのがブルンネン家の淑女たちの日常である。割りかし、というか、この家はかなり、庶民的な貴族家だったので。

「まさか、リディアに家事や育児を押し付けていたのか?」

 トラウゴットが聞くと、四人の姉たちはワッと泣きだした。

「そんなつもりはなかったのよぉ!」

「うちの子たちもそれなりに家事や家のことが出来るようになったからって思っていたの!」

「いつも帰って来たらちゃんと家事が終わっていたしっ!」

「まさかあれをリディアさんがほぼ一人でやっていたなんてっ……!」

「リディアさんは完璧だった……! あんなの一人では無理! だから、ああ、子供たちもちゃんとやっているのねって、そう思っていたのよぉ〜〜!」

「本当に! 本当にリディアさんは完璧……子供たち全員にお昼ご飯をしっかり食べさせてくれて、洗い物も全部片付けて、洗濯物も洗い忘れゼロ……いつも帰ったら晩御飯の準備までしてあって……!」

「ごめんなさいリディアさんっ!」

「リディアさんがいつも子供たちを見てくれてるし、いつまでもあなた達に負担を掛けてはいけないと思って、学費を、学費を貯めなきゃって思ったのよぉ」

 と、事情を聞いて、トラウゴット・ブルンネンは「これだから女は!」と絶叫した。

 翌日、リディアが起きるのを待ってから、ブルンネン家では緊急家族会議。

 仕事人間であるトラウゴットは出勤時間をずらして午後出勤。

 まだちょっとだけケホケホしているリディアは毛布包みにされてソファに安置。

 そういった中で、家族たちから「ごめんなさいっ!」と謝罪されて、リディアはポカーンとしてしまった。

「そもそも、なんで学費を自分で稼ごうなんて思ったんだ……俺はそんなに甲斐性のない男に見えるのか」

「でも、将来のため、トラウとリディアさんの間に生まれる後継のためにも、家としての貯金が必要でしょう?」

「そんなことを考えていたのか。リディア、お前もそう認識していのか?」

「ええ。だって、トラウはお給料を全部、家に入れてくれているでしょ?」

 はぁ〜、とトラウゴットはため息を吐いた。

「確かに、給料は全て家に入れている。ただし、それは全て生活費として使い切って良いだけの額を渡しているんだ。給料の全額じゃない。一部は閣下の持つ事業の株として購入したり、財産として作った口座に入金している。資産の形成には問題がない。俺が家に入れていたのは確かに現金としてすぐ使えるだけの額だけではあるが、毎月使い切っても構わないだけ渡しているんだ!」

 これを聞いて、十七人の女たちは目が点になった。

「家計簿を見せてくれ。なるほど……おかしいとは思っていたんだ。こんなに切り詰めて……大体、誰もおかしいと思わなかったのか? 毎シーズンごとに、他所行き用の服や靴は一人一着新調していただろう。あの金がどこから出てると思っていたんだ」

「えっ、あれ、あれが全部、全部生活費だったの!?」

「そうだ」

「じゃあ、貯金とか、他の……色んな資産? はどのくらいあるの?」

「金貨でざっと1000枚はある。これからも増やし続ける。それと……姉さんも、子供たちも、俺のために散々、苦労してきただろう。家長は俺だ。何が起きても、全員を学校に入れて、卒業まできっちりさせてやる。姉さんたちも……もし望むなら、文句なしにしっかりした、ちゃんとした男を再婚相手として探して来てやる。まあ、もうどこにも行きたくないというなら、別にそれでも、ああ、一向に構わんが……とにかく、家族のことであれば俺がどうとでもしてやる。何も心配する必要はないんだ!」

 トラウゴット・ブルンネンは断言した。

 彼はかなり裕福な男性だった。

 何しろ、地方文官。それも、フリートホーフ辺境伯領の上層部に籍を置いているのだから。

 クライノート王国に於いて、領地が広く裕福な領地に於いては荘官貴族と称される役職が存在している。

 彼らは各領地の領主が封ずる貴族という立場であり、場合によっては村を幾つか任されたりもする。爵位に関してはその管理する土地、村の数や規模に準ずるが、領主に対する忠節を認められれば家そのものが貴族家として認められる。場合によっては、主人である領主の分家として正式に認められることすらあった。その手続きとしては、領主から国王、及び議会に申請して貴族家として執りなす形となり、場合によっては自分で自分の領地を治める領主以上に経済力を持つ。

 そして、フリートホーフ辺境伯領は、面積だけならクライノート王国の約1/6を占める。

 北方の防衛のため、また地形的な理由のため、この広大な土地は分割されず、国が興った時から千年間、辺境伯をトップとして繁栄してきた土地柄である。

 故に、フリートホーフ辺境伯領の歴史上、当然のことながら有力な荘官貴族が多数登場した。

 北方の気候は厳しいが、しかし、豊富な栄養素を持った雪解け水の流れる大河を有するが故に、荘官貴族が辣腕でさえあれば財産を築け上げることも可能である。

 が、当然のことながら、強い者に阿り弱い者を虐げることに長けた人間が権力の座に就くというのも往々にして生じる。

 そういった事態を防ぐため、荘官を有する領地ではほぼ必ず地方文官という役職が存在する。

 地方文官というと、名称としては大したことがないように思えるが、彼らは領地内に限っては王宮の抱える文官とほぼ同じ、いやそれ以上の裁量権を持っている。地方文官は必ず領主直々に認められた者であり、国家で例えるならば大臣に相当する役職である。国法と領法に精通していることを前提として、各担当分野の専門知識を有し、荘官貴族を監視し、指導する立場にある。

 現場のことも十二分に知っていることも求められ、現場に赴き複数の作業員から聞き取り調査を行ったりもする。

 荘官貴族から上がってくる報告書や決算書類などを精査してこれに不自然な点があれば確認をする。

 領地から集めた税金や予算に関しても国に対する報告・申請・調整なども行う。

 俗に“本当に優秀な文官こそ地方文官になる”とすら言われる程であり、各領地の領主はそれぞれ、優秀な人材を得るために血眼になる。そのため、経済的に裕福な領主は良い条件をこれでもかと揃えて公募を出し、推薦を募り、人材を獲得するのである。

 国内最大面積にして第一次産業に於いても最大規模を誇るフリートホーフ辺境伯領の地方文官は当然ながら人気職である。

 国の1/6を回せるのだから、優秀な男は皆それをやりたがる。

 加えて、現在の領主であるアルバン・フリートホーフは気前が良く、かなりのやり手であったため、フリートホーフの地方文官の採用試験にの倍率は100倍を超えることも珍しくない。

 試験は当然ながら難しく、更に現役の地方文官や領主自らの面接によって合否が決定する。単なるヒラ地方文官でさえその狭き門だが、各産業部門に於けるトップにまで登り詰めたのがトラウゴット・ブルンネンであり、彼は物凄く稼いでいた。

 トラウゴットは生まれつき細かいところまで気になる神経質さとネチネチした性格の持ち主で、だがしかし、一方で問題がキチンと解決するまで延々と解決に取り組み続けるという粘り強い男であった。

 故に、荘官貴族の不正や不手際を赦さず、それでも問題が現場で生じれば足を運んで地元の人々から証言を集めて原因を究明し、領主と国とに報告書を上げ、対策を練り、予算を練り直し、その結果をまた報告する。

 トラウゴットは口は悪いしネチネチしてはいるが、しかし、同時に諦めることや手を抜くこともしないため、領主であるアルバンは彼を最も人命に関わる重大な項目である、水資源の管理という重大な仕事のトップに据えたのである。

 水を管理するのは難しい。

 衛生的知識や土木の知識、農業の知識が必要になる。生活インフラに於いて最も重要なのが水だ。井戸は枯れるかも知れないし、河は氾濫するかも知れない。

 金は失ってもまた稼げばどうにかなるが、人命はどうにもならない。

 取り返しの付かない分野でミスを決してしない、ミスやトラブルが生じたとしても投げ出さず言い訳もせずひたむきに取り組み続けるという、精神的なタフさを持つのがトラウゴット・ブルンネンという男であった。

 なので、実を言うと……ブルンネンは気を遣い過ぎる女たちの脳で想像出来るのは金貨1000枚が限界であろうと考えて敢えてそう言ったが、株の稼ぎのトータルがそのぐらいであって、実は他にも色々もっと、同じくらいの金額で資産を運用しているのであった。

 彼は確かに男尊女卑思考の男であったが、家族が大好きだったし、家族を自分の金で食わせていくことが男の誇りだと解釈してもいたし、人の面倒を見るとかフォローをするとかいう行為が全く苦ではないタイプだったので……姪っ子11人全員を貴族向けの学校に入れて卒業まで通わせて、かつ、たっぷりの持参金と立派な嫁入り道具を持たせて嫁がせるぐらいは楽勝も楽勝であった。

 というか、トラウゴットはもう何年も前からそのつもりで動いていたので、本人としては「今更何を……?」状態である。

 普段から、先手先手を打って、ひとつも間違えないのを仕事にしている人間だったので。

「トラウ、あなたって……何て頼りになるの!?」

 ふるふると震えてのち、ソファから立ち上がってリディアは叫んだ。

 風邪による高熱ではなく、感動にうち震えてヨロヨロしていた。

 リディアの元カレは、生活費に関しても、その他家事や手続き、買い出しなど全部リディアにお任せ。一応冒険者として働いてはいたが、それはリディアも同じこと。確かに魔法が強くはあったがそれだけだし、リディアが風邪を引いてもそこらに咲いてた花を一輪摘んできて終わりという、平たく言うと限りなくヒモに近い何かだったので。

「立つな。座っていろ」

 何しろ、チッと舌打ちしながらも、リディアの肩に手を置いて座ってろと気遣うのがトラウゴットである。

 そのまま流れるような自然さで、そっと優しくリディアを毛布で包むのみならず、喉が痛くてちょっとケホケホ咳き込んだリディアに、暖炉の上に置いた本の裏側に隠してあった瓶を取り出し、飴舐めろと言わんばかりにテーブルの上に置いてくるのだ。

 トラウゴットは……五人姉弟に生まれた末っ子長男だったので、本人も無自覚のまま、四人の姉たちによりある程度、そっち方面は躾けられていたので。

「全く、これだから女は……体調の悪い時にまともに動ける訳がないだろう。大人しくして早く治す方が効率的だというのに。まあいい。姉さん、リディアの夕食は?」

「キッチンに用意してるわ」

「さっき見たが空の鍋だけだったぞ」

「キャー! 嘘っ! 誰!? リディアさんの分まで食べたの!?」

「もう持ってったと思って食べちゃったよぉ。あたしが洗い物当番だったし、鍋がいつまでもあるの邪魔で」

「普段から確認をしろと言っているだろう! だから女ってやつは……!」

 トラウゴットの言葉に、姉と姪は「はぁい」と返事をするが、実際問題、一つの家に18人も住んでいるとそれはほぼ不可能である。まして過半数が子供なら尚更で、そういった情報伝達が上手くいく訳がないとはトラウゴットも分かっているし、一応口頭で注意だけはしておくが、リディアの夕飯がない事実は変えようがないし……で、彼はのそのそ歩いてかったるそうにキッチンに入り、腕まくりをして、15分後にスープ皿を持って戻ってきた。

「食べられるならで良いが、肉と野菜も腹に入れておけ」

 ごく単純な、人参と玉ねぎと鶏肉のスープだった。

 が、当然のように差し出されたスープ皿を受け取って、ふぅふぅ食べて、最後の一滴まで飲み込んで、リディアは力強く皿をテーブルに置いてから、こう言った。

「やっぱり、子供は三人欲しいわ!」

「熱で錯乱しているのか。解熱剤は飲んだのか?」

「飲んだ! ねぇトラウ、あたし、三人産んでも良いっ!? 良いわよね!?」

「あと五人くらいなら養えるが、お前が嫌になって離婚しようと思う可能性を考えるべきだろう。お前は俺よりずっと若いから、もっと良い男が居たらそっちに乗り換える方が健全だ」

「それは嫌! トラウが居ないとつまんないんだもん!」

「……やかましい。寝ろ」

 目に見えない好き好きビームを全開に向けてくる妻から逃げるようにして、トラウゴットは仕事に行き、ブルンネン家の女たちは家計の見直しを行って……やっぱり気分転換にもなるし、少しでも自分たちでお金を稼いで貯金をしたいから、という理由で、四人の姉たちは二人ずつ交代で働くことにした。

 リディアに加えて、姉のうち二人は家に居ることにし、生活費に関しては、数名の使用人を雇い入れることも考えはしたが……子供たちが大人になるまではこのまま家族だけで伸び伸び過ごすことにしましょうと決まった。これは経済的な理由もあるにはあるが、主人一家の子供が11人も居る過酷な条件で雇われようと思う人間はまず居ないだろうという考えからである。

 ブルンネン家の中には余裕が戻り、リディアの負担も減り……テコ入れが済んでからひと月後には、なんとリディアは姪っ子たちと昼間から仲良くアップルパイを焼いて、花屋で買った花をテーブルに活けるまでになっていた。庭の一角にはハーブを植え、手芸用品を買い込み、全てとはいかないが、夢であった生活の目標の大半を達成した。



 次の目標としては「子供は三人」であったのだが……こちらに関してはちょっとだけ手こずっていた。

「我が国では成人は男女共に15歳だが、ベスティアでは20で成人なのだろう。俺のような年取った男がお前と結婚したというだけでも外聞が悪い。むしろ非倫理的ですらある。道徳に著しく反するのみならず、ベスティアに居るお前の父母からしたら未成年淫行に他ならない。過ちの責任を取るために結婚はしたが、形だけでも白い結婚だったと弁明できた方がお前の今後の進展のためにはなるだろう。よって、俺はお前に手を出す理由が存在しない」

 夜。

 新婚夫婦の寝室。

 薄着で迫る新妻を前にしてこの発言である。

 なんと、このトラウゴット・ブルンネンという男、年が十も離れている娘がこんな結婚をするのはよろしくないだろうと考えて、結婚後、妻となったリディアに指一本触れていなかった。

 リディアは蜂蜜色の金髪に健康的な肌色の、闊達な美少女だったので、世の男性の九割九分九厘であれば「わーい奥さん愛してるー!」とベッドにダイブをかますところを、かまさなかった。

 これは偏に、一番年長の姪っ子が十三歳だっただからで、どっシンプルに「姪の方が近いぐらいじゃねぇかよ」と思ってしまったからである。

 確かにリディアはかなり可愛い方であったし、もし彼女があと五つか六つか年長だったら、トラウゴットだって迷わず手を出していたかも知れないが……顔立ちや体つきは大人になっているものの、ふとした瞬間の表情に少女めいたものが垣間見えるので、手を出しにくかったのである。

 というか、出会った頃にリディアの元カレと別れたばかりだった。その的カレがなかなかのクズであったこと、リディアが傷付いていたことを知っていたので、トラウゴットは「傷付いた鳥が羽を休めたくなったようなものだろう」と考えていた。

 兎に角面倒見が良く良識ある善良な性格の男だったので、まあ一人くらい面倒見てやっても良いか、と思ったのだ。

 トラウゴットは正直に言うと結婚したかったが結婚を諦めていた。

 それは自分の学業のためにいけ好かない成金たちに嫁がざるを得なかった四人の姉たちの存在だとか、その姉たちが家庭内暴力やらモラハラやら嫁いびりやら浮気やらに耐えつつ歯を食いしばって産んだ姪っ子たちが、父親であった筈の奴らに「女なんぞ要らん」とか言われてきたことだとか、まあ、そういうことだ。

 当然、トラウゴットはその全てにブチギレて、姉も姪も全部俺が養ってやらぁ見てろよという気持ちで心の中で中指を立ててやって来たのだ。

 母親と、四人の姉と、十一人の姪。

 姑と小姑が大量に居る家に嫁ぎたがる女などまず居ないだろうし、何より、トラウゴットは自分の容姿に難しかないことをよくよく分かっていた。

 身長は高いがガリガリで、幾ら食べても筋肉も脂肪も付かず、常に血色が悪く、髪も瞳も濁った沼色で、高過ぎる身長を折り畳みながら必死に勉強ばかりし続けたせいで酷い猫背で、妙に腕が長い。頬がこけていて細長い鷲鼻で、目がギョロっとしていて……子供の頃からよく「死神」とか言われてきたのだ。

 いくら外で揶揄われ避けられようと、家に帰れば陽気で明るい姉たちが居たので、捻くれはしたが自己肯定感はすくすく育ったので世を儚んだりとかはしなかったものの、容姿に関しては諦めて開き直るしかなかった。

 どうせ俺は独身のまま死ぬだろうから、姪の中で一番出来の良い奴に婿取りをさせて家を継がせるか。

 そんな風に考えて生きていたら、流れ弾に当たるような感じでいきなり横から元気なリディアという女がタックルかまして「討ち取ったり!」をやってきたのだ。まさしくトラウゴットにとっては完全な不意打ち。青天の霹靂。驚天動地の出来事であって、未だに妻となったリディアからの好意を「嬉しいが真に受けてはいけない」とか考えていた。考え過ぎである。

 ――と、そんな訳で、トラウゴットは分別ある大人の男としてのスタンスを貫くために、先のセリフを述べたのだが、リディアはそれを聞いた途端、床にバタンと倒れた。

「やだ――――っ!」

 大の字になって爆音ボイスでの絶叫であった。

 ジタジタと駄々っ子のように手足をバタバタ動かしながらである。もう恥も何もかなぐり捨てて、リディアはワンピースのスカートが捲れてパンツが見えるのも構わず物理的に暴れ倒していた。なんなら両目からかなり勢いよくジョバッと涙まで出しての全力の駄々捏ねであった。

 トラウゴットはこれを見て「とうとう狂ったか……。」と恐れ慄きながら呟くと同時に、アラレもなく捲れ上がったリディアのスカートをそっと直した。

「産むの――っ! トラウの赤ちゃん産むの!」

「落ち着け。話し合おう」

 リディアの勢いに気圧されて、ついトラウゴットは及び腰。完全に気合いで負けているが、無理からぬことである。リディアは何しろ元冒険者。それも有望株と目された中堅どころといった実力の持ち主だったので、トラウゴットが勝てる訳がなかった。

 さてこのリディアという女、何を隠そう二人姉弟の姉の方であったので、今の状態としては「我慢を重ねた姉が限界を迎えて爆発モード」に突入しており、弟であるトラウゴットは半ば反射的に引き出しの中からチョコレートの箱を取り出して、リディアの口の中に突っ込むことしか出来なかった。

 トラウゴットの中では「女は急に泣き出すことがあるのでまず事情聴取する状態まで持っていくためには菓子を口に突っ込むと鎮静化しやすい」ということになっていたので、彼は自宅のそこかしこに飴の瓶やらチョコレートの箱やらを隠していた。まあ五部の確率で姪っ子たちに喰われてはいるが、今回は寝室だったので非常用のチョコレートがまだ残っていたのである。

「うっ、うぇ、えぇん……こんなチョコで誤魔化されないんだからぁ」

「チョコが嫌いか?」

「ぉ、おいしぃい……腹立つぅう……! 舐めやがってぇ……ひっ、うっ、ぇ、ぇぐ……でも好きぃい……!」

 とりあえずトラウゴットは泣いてグズグズになっているリディアを床の絨毯の上に座らせて、ハンカチを差し出して握らせた。流れるようにそれが出来るあたり、彼は非常に優秀な弟である。

「紅茶かホットミルクか」

「ホッドミルグぅうっ……!」

 涙と鼻水で全ての発音に濁点が付いてはいたがリディアから返答があったので、トラウゴットは黙ってサッとキッチンに行ってホットミルクを作って戻ってきた。

 それをリディアに握らせて、ついでにチョコレートも箱ごと渡すと、ぐしぐし泣きながらもリディアはチョコレートをもひとつ食べて、ホットミルクをグイッと飲んだ。

「ぅ、うっ……! あ、あたしが、トラウを罠に嵌めて結婚したし、分かってたけど、トラウがあたしのこと全然好きじゃないの、知ってたけど……でも、やだぁあぁ……! 離婚しないでぇ……!」

「お前が次の男を見付けない限りするつもりはない。俺は男だから多少の瑕疵があろうと生きる上で問題は無いが、お前は若い女だからな。俺を捨ててという方が世間からの印象が良いだろう」

「嘘つき! うそつき! 責任取るって言ったじゃん! 言ったじゃん!」

「責任は取る。が、お前が、俺の……子供を産む、というのが気の迷いではないという確証がない」

「あたしは! トラウじゃないと、嫌なの!」

 大きな声でリディアが主張するので、トラウゴットは耳がキンとなったが、とりあえず一旦、リディアの言い分を聞くことにした。

 すると、一番言いたい部分は叫び終わったらしく、リディアはスンスンと泣きながら小さい声で続きを話し始めた。

「あたしは、トラウと一緒じゃないと、幸せになれないのに……!」

 リディアの夢は、かわいいお嫁さんだった。

 それはほぼ叶った。既にリディアは確信していた。

 ――トラウゴットなら、この人なら、私のことをずっと大事にしてくれる。

 風邪を引いたらゼリーを買って来てくれた。ジュースを絞ってくれた。なんで悩んでいるのか考えてくれた。解決するために動いてくれた。お金のこともしっかり管理してくれる。料理なんて女の仕事だって思ってる筈なのに、チキンスープを作ってくれた。いつも不満そうに言ってはいるけど、子供たちの面倒だってよく見てる。

 ――この人を選んで間違いはなかった。

 リディアは風邪を引いて、ベッドサイドに控えたトラウゴットとゼリーの箱を見た時に、勝利を確信していた。

 この人となら幸せになれる。

 そう思ったのだ。

 子供を三人持つ夢は諦めるべきかも知れないと、自信を喪失していた時に優しくして貰って、この人となら、トラウゴットとなら、三人子供を産んでもしっかり育てていけるだろうと。

 要約すると、リディアの癇癪と嘆きは「好きな人があたしのことを好きじゃないの」というものであり、かなりストレートに我儘な愛の告白であったので……これには捻くれ者のトラウゴットもグッときた。

 なにしろ駄々こねリディアはシンプルに滅茶苦茶かわいかったので。

 全身全霊で「好き好き大好き赤ちゃん欲しいの今すぐ抱いて♡」をやられては一溜りもなかった。

 が、ここで獣にならない頑固さがあるのがトラウゴット・ブルンネンという男。

 かわいい据え膳幼妻を前にしても腕を組んでの仁王立ち。

「――分かった。なら、お前が成人してからも考えが変わらないようなら、再考することにしよう。良いか? お前は考えていないだろうが、お前の両親のことを考えろ。娘が遠い異国の地で知らない間にずっと年上の男と結婚してしまったとあれば心配でならないだろう。ケジメとして、お前がベスティアの基準でも成人するまでそういうことは一切しない。分かったな?」

「手紙なら書いてるもの。トラウが言うから……お母さんは玉の輿だって喜んでたし、お父さんだって、貴族の奥方だなんて大したもんだって褒めてくれたもん」

「親というのはそういうものだ。ただ、成人していない娘がというのは……酔っていたとはいえ手を出した俺が言えたことではないが、明らかに不道徳だろう。あちらとしてはどこぞの悪徳貴族に娘が傷物にされたという事実しか分からんのだ。その娘がしっかり安全に暮らしていると確信出来ないならば、それはお前の目指すところの、幸せな結婚というものに該当しない」

 トラウゴットは極めて常識的かつ良識的な観点からそう判断して、リディアの鼻先に人差し指を突き付けつつも眉間に皺を寄せていたが、リディアは夫の言い付け通り、結婚してからずっと実家との文通を行なっており、何不自由なく暮らしている上、婚家で大切にされていることを書いていたので、リディアの両親は純粋に娘の結婚を喜んでいたし、弟に至っては「姉ちゃん金持ち貴族と結婚したのか。いいな〜!」とか言っていた。

 なんなら、トラウゴットは知らないが、ベスティア王国では貴族から庶民に対する差別が酷いため、どんな末端貴族であっても庶民から嫁取りなどあり得ないレベルの話。あったとしても精々が一時的な愛人で、飽きたらすぐにポイされるのが関の山なのだが、クライノート王国では男尊女卑の傾向が強いものの、庶民からの嫁取りはそこまで珍しくない。

 故に、トラウゴットは当然のようにリディアを正妻として結婚したし、リディアは夫が祖国の文化や風土に疎いということは分かっていたので、予め最初の手紙で「ブルンネン男爵夫人になったよ」と書いていたのである。

 リディアにとってはその段階でもう「いい男ゲットしたぜヒャッハー!」「婚活恐るるに足らず! トラウゴット討ち取ったり!」というぐらいのお祭り騒ぎな心境であり、なんならリディアの実家の辺りでもそのニュースを聞いた人々がリディアと同じく浮かれ倒してヒャッハーしていた。

 事実としてトラウゴットは完全に嵌められており、彼がマイナス要素だと考えていた山盛りの小姑も込み込みでメリットと感じたリディアにより、いわば家ごと丸っとペロリンチョと美味しく頂かれてしまっている訳だが……波瀾万丈に過ごして来たとはいえ、所詮ブルンネン家の人々は大人しく上品なお貴族様だったので、リディアの策謀に対して余りにも無力だった。

 これがもしハニートラップ狙いの工作員だったら終わっていたが、リディアの野望は「かわいいお嫁さん」と「子供を三人ばかし産み育てる」のみであり、限りなく無害だったので特に問題は無かった。

 が、トラウゴットがまんまと絆されつつある気配を察知して、リディアは瞬時に涙を引っ込めた。

 チャンスを逃さず踏み込むのは良い冒険者の必須技能である。

「なら、あたしが二十歳になったら、トラウの赤ちゃんが貰えるのね?」

 ニコッと笑ってそう言って、夫の手を両手で握って胸元に持っていった。

「……お前の気が本当に変わらなければだ!」

「分かったわ」

 さっきまで泣いていたリディアがニコニコ笑ったのが嬉しくて、手を振り払えない時点でトラウゴットは大敗北を喫していた。





 結論から言うと、リディアはトラウゴットとの間に三人の子供を儲けた。

 三人のうち先に産まれた二人は娘であったが、末っ子は息子であった。

 トラウゴット家の跡取り息子は、両親に加えて、祖母、四人の伯母、そして十一人の従姉妹と二人の姉に揉まれながら生きて行くことになる。

 故に、生まれたばかりの息子を抱いて、トラウゴットは小声で「こんな家に産まれさせることになって済まん。強く生きるんだぞ」としみじみ語り掛けたという。


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