断罪されたモブ神官が転生して今度こそうまくやりたいけれど、取り入った聖女がポンコツだった
「セラフィナ・ルミエール。おまえとの婚約を破棄し、聖女を騙った大罪により、死罪とする!」
王太子フリードリヒが、高らかに宣言した。
セラフィナ様も偽聖女というだけで死罪となるとは……。
「そして、レイン・フェルナー。偽聖女の企みに加担した罪で、聖女補佐神官のおまえも死罪だ!」
聖女の資質を見極めずに、誰よりも先に取り入り、飼い犬のように従い、全面的に擁護してきた結果がこれだ。
散々こき使われ、屈辱に耐えてきたのも聖教会での出世のためだったのに……。
思い返すと、セラフィナ様にはよくしてもらった記憶などないので、死罪にされようが何とも思わないが、俺まで巻き添いになるとは……。
それも自業自得か。もし来世があるならば、今度こそうまくやってやろう。
※
処刑され、死んだ俺は、アルベルト騎士爵家の四男、レイン・アルベルトに転生した。
長男は家督を継ぎ、次男は王国騎士団に入り、三男は婿養子として家を出て、俺は聖教会に預けられることになった。
どうやら神官になるのが俺の運命らしい。
今度こそ、実力のある聖女候補に取り入ろうと、俺は気合いを入れて聖教会に入った。
そして俺はすぐにめぼしい聖女候補を見つける。
——聖女候補エリシア・ブランシェ。
特にその聖属性魔力の量は目を見張るものがあった。少しでも魔力のある者であれば見ただけでわかるその魔力量は、他の聖女候補と比べても圧倒的だった。だからこそ聖教会も、辺境出身のエリシアをわざわざ聖女候補として王都の大聖堂に呼び寄せたのだ。
だが、まともな魔法教育を受けていないせいか、エリシアは魔力制御が絶望的に下手だった。
しかし、それこそ好機だと俺は考えた。
「エリシア様、失礼ですが、どうも魔力制御が苦手なようですね」
そう言って俺はエリシアに声をかけた。
辺境の貧しい村の出身であるエリシアは、聖教会内でも差別を受け、友人もおらず、いつも一人だった。その日も大聖堂の中庭で一人でいるところを、簡単に捕まえることができた。
「あ……はい、あの……」
人と話すことに慣れていないのか、突然声をかけられたことに驚いているのか、受け答えがしどろもどろだ。
「突然のお声がけ失礼いたしました。俺は神官のレイン・アルベルトです」
「レイン……様ですか?」
「レインで結構です。あなたは聖女になられるお方なのですから」
そう俺が言うと、エリシアは驚いた表情をした。
「私が聖女なんて……無理だと思います。ぜんぜん魔法がうまく扱えないんです」
「存じています。ですから、魔力制御が苦手なのではないかとお伺いしたのです。ですが、その様子だとうまくいかない原因もわかっておられないようだ」
エリシアはきょとんとした顔で俺を見る。
「どうでしょう? 私が魔法の練習を見て差し上げましょうか?」
辺境から出てきて、誰にも相手にされず、エリシアはずっと心細かったのではないかと思う。彼女は俺の申し出を受け、すぐに心を開いた。というより、必要以上に馴れ馴れしくなった。
親切な言葉をかけられてすぐ信用してしまう様子から、人に騙されやすいのではないかという危惧も出てきた。王都では人を騙そうとする輩がごろごろしているのだ。この先、俺がしっかり保護してやらねばなるまい。
そうしてエリシアの魔力制御の特訓を始めた。
俺は前世の反省を踏まえ、今世では本物の聖女に取り入るためのあらゆる準備をしてきていた。未熟な聖女候補段階から教育するため、魔法に関する勉強も死ぬほどしてきたのだ。すべては聖女に頼られるために。
「レイン、見てて」
エリシアが初歩的な治癒魔法の詠唱を始める。詠唱からしてすでにぐだぐだだ。
「治癒」
ズドン、という音とともにエリシアの手元で爆発が起こった。
爆炎が俺を襲った。
「てへっ」
てへっ、じゃねえよ。どうやったら「治癒」が攻撃魔法になるんだ。こっちは大火傷じゃねえか。
俺は手本として「治癒」を見せる。自分の火傷も治しつつ。
「これが正しい『治癒』です」
エリシアが尊敬の眼差しで俺を見てくる。
「すごい!」
「エリシア様は、まず、詠唱が正しくできていませんね。それから魔力の出力量もめちゃくちゃです」
俺はエリシアに懇切丁寧に説明し、やり直しさせる。何度も……。何度も……。
——そして俺は何度も大火傷を負わされた。
うん、これはダメだ。
エリシアには絶望的に魔法制御のセンスがないのだ。
今日少し見ただけでわかってしまった。絶対にこの娘に魔法は扱えない。聖女にもなれない。
他の聖女候補を当たろう。
「これくらいにしましょう。後は頑張って練習してください。それじゃあ」
「待って、レイン!」
「何か? 俺は忙しいのですが……」
「私……魔法をうまく使えるようになりたいの……。人の役に立ちたいの。困っている人を助けたい」
エリシアが泣き始めた。めんどくせえな。
下手に希望を持たせても仕方がない。はっきりと言うか。
「残念ですが、エリシア様には魔法の才能がありません。皆無です。田舎に帰った方がよろしいかと」
「私には父も母もいなくて……。帰る場所がないんです。私がいた孤児院も貧しくて、もう私を受け入れる余裕がないんです」
「……」
「誰も頼れる人がいないの……。お願い……」
「……」
どう考えても素質がないのだが……。確かに溢れ出るこの魔力量だけは惜しい。
と、そのとき、俺はあることを思いつく。いや、逆になぜこれを思いつかなかったのだ。完璧な聖女補佐神官になるために、俺はあらゆる準備をしてきたではないか。
「わかりました。一つ試してみてもよいですか?」
俺の言葉にエリシアが再び目を輝かせる。
「はい、何でもいたします」
「エリシア様は今までどおり詠唱して、魔法を発動してくれれば大丈夫です」
エリシアが聖唱を始めた瞬間、俺も魔法を起動する。
「詠唱補正」
エリシアの詠唱の、間違った発音と乱れた呼吸とリズムを補正する。
続けて、もう一つ。
「魔力調律」
立ち上がる魔力の流れを読み取り、暴走寸前の出力を絞り、魔法として成立する形へ整えていく。
「治癒」
エリシアの手のひらから柔らかく美しい白い光が放たれる。
「……できた。できたよ!」
エリシアが子どものようにはしゃいで喜ぶ。
目算どおり、いやそれ以上だ。魔力量だけではない。聖属性魔力の質が異常に高い。ここまでの聖女の資質は前世でも今世でも見たことがない。
いける。未熟な段階の聖女候補をサポートすることを想定して習得したこの補助魔法を使えば、エリシアを聖女に仕立て上げられる。
そしてエリシアも俺に依存せざるを得なくなる。
万全で臨んだ今世の俺の成功に間違いはない。
俺は思わずにやけてしまうのを止められなかった。
※
俺は念のため、補助魔法がばれないよう、無詠唱での魔法の発動で、エリシアの魔法のサポートをする練習を繰り返した。
そして完全にタイミングを合わせることができるようになったところで、さっそく俺は大聖堂に併設されている施療院でエリシアをデビューさせることにした。
その日、施療院は患者でごった返していた。中にはエリシアのような聖女候補の者や、新米の神官まで借り出されているようだった。
俺は院長のマルタを見つけ、声をかける。
「マルタさん、追加の増員をお連れしました」
「ああ、レイン。そりゃ助かるね。まだ手が空いている神官がいたのかい。最近魔物が増えていてね。結界係は何をやって……」
マルタが俺の横のエリシアを見ると、ぎょっとした顔をして話を止めた。
「あんた……その娘はダメだよ……」
「大丈夫ですよ。彼女の魔力はご存知でしょう?」
「いくら魔力があったって魔法を使うとなると話は別なんだよ。あんただってそれくらいわかっているだろうに」
「いいから、やらせてください」
「ちょっと待って。怪我人をこれ以上増やされちゃたまらないよ」
俺はマルタの制止を無視して、エリシアに近くの兵士の患者を治癒するよう促す。
エリシアは患者に走り寄り、詠唱を始める。もちろん、俺は無詠唱でこっそり補助魔法を発動する。
「治癒」
エリシアの純度の高い聖属性魔力の光が患部の裂傷を包みこむ。
光が収まると、裂傷はきれいに消え、治癒は完璧に成功していた。俺は心の中で喝采した。
「おお、痛みもなくなった。これはすごい。ありがとうございます!」
治癒した患者に感謝され、エリシアはこれ以上ないくらいの満面の笑みを浮かべた。
「レイン、やったわ!」
俺は黙って大きく頷く。
「へー、あのポンコツのエリシアが……。信じられないね。レイン、あんたが魔法を教えたのかい?」
マルタが目を丸くして言った。こんな芸術的な「治癒」は見たことがあるまい。
「いえ、俺は何も。彼女の実力です」
俺は目立ってはいけない。エリシアの信頼だけあればいい。これはとても重要なことなのだ。
「重傷患者だ! ワーウルフにやられた!」
突然、騒がしい施療院でも響くほどの叫び声がした。
見ると、魔物との応戦で重傷を負ったと思われる瀕死の騎士が運ばれてきた。右腕は噛みちぎられたようで欠損しており、息もすでにかなり浅くなっている。
多くの治癒師が諦めて首を振る中、エリシアが進み出る。
いいだろう。おまえの実力を見せてやれ。
「エリシア、やめなさい。とどめを刺す気なの?」
邪魔が入った。
リュシア・エヴァレット——聖女候補だ。
現状、彼女が聖女に最も近い聖女候補と言っていいかもしれない。魔力量も魔力の質も申し分なく、何よりも器用で魔力制御が上手い。
俺も前世であれば、リュシアに取り入っていただろう。しかし俺が今世ではリュシアに近づかなかったのは、そのプロファイルが前世の聖女セラフィナ・ルミエールに似ていたからだ。貴族の出自の彼女はプライドが高く、扱いにくい。
俺は同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
そして何より、リュシアなど比にならないほどの魔力量と質を持ったエリシアに、俺は出会ってしまったのだ。
そして——おそらくリュシアではこの瀕死の騎士を救うことはできない。
「田舎の能無しの貧乏平民がでしゃばるんじゃないわよ」
ひと言多いところも何か感じが悪くて嫌だ。田舎も貧乏平民も今の局面で関係ないだろう。
エリシアも萎縮して止まってしまう。日頃からリュシアにはいじめられているのを俺は目撃したことがある。暴言を吐かれ、食事をこぼされ、足をかけて転ばされ、いわゆる典型的ないじめっ子だ。
彼女の存在がエリシアの俺への心理的依存を作ったと考えれば、俺にとっては感謝すべき存在かもしれない。
そして、エリシアを制したリュシアが死にかけの騎士に近づき、「治癒」を施す。
教科書通りの丁寧な「治癒」だ。育ちの良さを感じる。騎士の全身の傷が消えていき、右腕がもがれた傷口も少しずつ塞がれていく……。
が、それだけでは無理だ。騎士は腕をもがれ、出血が多い。内臓も損傷している可能性が高い。リュシアの「治癒」では、騎士が絶命する前にそこまで治療することは不可能だ。考えてみれば当たり前だが、それができるのであれば、「奇跡」と言っていい状況だ。
治癒を続けるリュシアに焦りが見える。騎士の命は風前の灯だ。
ここらが潮時だろう。
「これ以上苦しませるのはお可哀想ですから、せめて傷を消してきれいに逝かせて差し上げますわ」
治癒を諦めたのか、リュシアが騎士に向けてそう言ったときだった。
エリシアが騎士に近づき、詠唱を始めたのだ。
リュシアに邪魔をしたと責められることになったら面倒なので、ここは様子見と考えていたが、おまえがやる気ならいいだろう。エリシアがどこまでできるか見るのに良い機会だ。
俺は無詠唱で「詠唱補正」「魔力調律」の補助魔法セットを発動する。
そしてエリシアの「治癒」の光が騎士を包み込む。
「ちょっとふざけないで! なんで邪魔するのよ、辺境女!」
リュシアがエリシアに怒鳴る。
——光が収まる。
すると、リュシアが塞ぎかけていた騎士の腕の傷口が再び広がり始める。
くそっ、失敗したか……。俺は間違いなくタイミングを合わせて補助魔法を発動したはずだが、何が悪かったんだ……。
騎士の腕の傷口がみるみる広がっていく。広がるどころか……伸びている?
いや、違う。腕が再生している……。何だこれは……?
騎士の腕が伸び続け、やがて手のひらを形成し、腕が完全に再生した。
すでに騎士は意識を取り戻し、自分の腕の様子に絶句していた。気づけば呼吸も完全に安定している。不足していた血液まで再生したのか、どう見ても健康な状態に戻っていた。
「奇跡だ……」
思わず俺はそう呟いていた。
※
「おまえがエリシア・ブランシェか?」
大聖堂に王太子レオンハルトがやってきた。
反射的に俺は距離を置いてしまう。
前世のトラウマが俺には残っている。王家の人間、特に王太子は天敵のような存在として認識してしまう。
前世でお世話になったフリードリヒは現国王で、このレオンハルトはやつの第一子だ。顔も似ているので、嫌悪感もひとしおだ。
なぜ王太子がエリシアに会いに来たかというと、エリシアが助けた騎士のせいだ。治療後にわかったことなのだが、あの騎士は、王太子レオンハルトの護衛騎士だったのだ。
レオンハルトが不用意にワーウルフに挑んでやられそうになったところを護衛騎士がかばって、代わりに腕まで食いちぎられてボコボコにされたらしい。
護衛騎士が生き延びようが死のうが、レオンハルトにはどうでもいいことだったようだが、奇跡の治癒を行なったエリシアには興味が湧いたらしく、会いに来たというわけだ。
「俺の護衛騎士を治癒して、腕まで再生させたというのは本当か?」
「は、はいぃ……」
エリシアが変な声を出して、俺の方を見てくるが、こっちは見るな。
「確かに俺はあいつの腕が噛みちぎられたのを見たのだが、今は腕が戻っている。こんな治癒は見たことがない。大したものだ」
褒められているのにもかかわらず、エリシア怯えた目をしている。辺境の田舎娘が、キラキラの王太子を見たらそうなるのも無理はないが、とりあえず目で俺に助けを求めるにはやめろ。おまえ以上に俺はこいつが苦手なんだ。
「ふむ、容姿も悪くはないな」
レオンハルトが舐め回すようにエリシアを見る。
「よし、俺がおまえの面倒を見てやろう。聖女にも推薦してやる。そうなれば婚約を検討してやってもいい」
なんと! 予定よりも早くエリシアが聖女になる可能性が一気に高まった。その上、王太子との婚約までして、エリシアが王家にまで食い込めば、俺の地位も盤石ではないか。
しかしどこか胸にざわつきを感じる。前世の聖女セラフィナも似た流れで、最終的に断罪されたことが頭から離れないからだろうか……。王太子への嫌悪からか……。エリシアの頼りなさがそうさせるのか……。
いや、今回は大丈夫だ。どんな状況であろうと対応できるよう万全の準備をしてきたのだ。それがたとえ最悪の状況になったとしても……。
当のエリシアは、王太子の言葉に喜びもせず、ただただ怯えるだけだった。
※
俺の言いしれぬ不安に呼応するかのように、王都には不穏な空気が広がっていた。
王都に侵入してくる魔物が日に日に増えてきており、大聖堂の施療院を訪れる患者も目に見えて増加傾向にあった。
そんな中、強力な治癒能力を持って現れたエリシアは救世主そのものだった。エリシアの「治癒」「解毒」「浄化」はいずれも規格外の効果で、時間をまったく要さずあらゆる症状を治してしまうため、大量の患者が押し寄せても行列をなすこともなかった。
治癒された人々は一様に治癒の完璧さに驚き、エリシアに感謝した。正式な任命を待たずに、世間はエリシアを「聖女」として認め始めてすらいた。
俺は、エリシア(と俺の補助魔法)の成果に、今世での成功を確信していた。
その矢先のできごとだった。
「あんたが、王都の結界を汚染していることはわかっているのよ!」
施療院でエリシアが人々の治療をしている真っ最中に、突然リュシアが施療院にいた人々全員に聞こえるような大声を発して怒鳴り込んできた。
「おまえの胡散臭い魔法が、浄化しきれない魔物の瘴気を患者から抜き取って……。人を治したふりをして穢れを撒き散らして、魔物を呼び込んで、また患者を増やして……。全部、自分が聖女だと思い込ませるためにやってるのよ」
エリシアの成功に嫉妬し、焦っているに違いなかった。貴族が辺境の平民に遅れをとることなどあり得ないという傲慢さもあるのだろう。
しかし結界汚染とは。結界が効力を弱めているのは、汚染のためなどではない。長い聖女不在により、結界を維持する魔力が不足し、単に劣化しているだけなのだ。聖教会の神官であれば常識だ。そのため、聖教会は焦って聖女候補を集めているのだ。
それに、エリシアの、これだけ聖属性に純化した魔力が結界を汚すなどということがあるはずがない。誰もが一蹴するようなバカバカしい言いがかりだと思った。
だが、非難された当のポンコツ聖女候補は違った。そこで露骨に狼狽えてしまったのだ。
魔法失敗時の爆発のことでも頭をよぎったのだろう。もしかしたらリュシアの言うとおりなのかもしれないと思ってしまっているのがありありとわかった。
そもそも少し前まで魔法など満足に使えなかった自分が、普通以上に治癒ができてしまっていること自体がおかしいという考えが脳裏をよぎっているのだ。
そして、さらに悪いことに、そのエリシアの様子を見た人々が、エリシアを疑いの目で見るようになった。「そもそも、人間の手を再生させるなど、常識的にあり得ない。まるで悪魔のような行いではないか」そんな疑念まで上がってきた。
俺はこのとき、大きな悟りを得た気持ちになった。
「聖女」の称号は、本当に聖女の資質がある者に与えられるようなものではない。人々が「聖女」だと信じた者に与えられるものなのだ。つまり、本当に人々を救済するよりも、自分が「聖女」なのだと人々に信じこませることのほうがよほど重要なのだ。
現に、エリシアは一人ではまともに治癒などできないのに、人々はエリシアが聖女なのだと考え始めていたではないか。
俺の懸念のとおり、エリシアに疑念を持つ人々が少しずつ増えていった。施療院に来る患者も、エリシアの治癒を断る者が次第に増え、ついには、エリシアの治癒を受けようと思う患者はいなくなった。
そして最悪の事態が起こった。エリシアに治癒を求める人がもう来ないと思い込んでいた俺がエリシアを放っていた間に、エリシアが一人で治癒を試みてしまったのだ。
施療院に爆発音が響いた。その音で俺だけはそれがエリシアの魔法の暴発だと気づいた。
慌てて俺は駆け寄り、被害者の火傷を治癒するが、もう取り返しのつかない状況であることは明白だった。
人々は、もはやエリシアを疑いの目でもなく、ただ恐怖の眼差しで見ていた。
エリシアはすすり泣きながら、「ごめんなさい」と繰り返すだけだった。
※
ほどなく、王太子レオンハルトが騎士を引き連れて大聖堂にやってきた。
俺はエリシアと十分な距離を取り、成り行きを見守ることにした。
「聖女エリシア……いや、偽聖女エリシア・ブランシェ。貴様には、王都結界を乱し、魔物の侵入を招いた疑いがある」
レオンハルトが冷たく言い放つ。
「聞けば、俺の護衛騎士を救った奇跡すら、真の功労者はリュシアという聖女候補だというではないか。民を惑わせ、偽りの奇跡で信仰を集めた罪は重い」
その言葉を聞いたエリシアは、心底怯えたような様子だった。
「俺はおまえを取り立ててやるつもりでいた。だが王太子として、王都を危険に晒す疑いを見過ごすことはできん。貴様は聖女などではない。王都を蝕む『魔女』だ!」
レオンハルトの一方的な非難に、エリシアは反論することもなく、ただ泣き出し、嗚咽を漏らし始める。
だが王太子は追及の手を緩めない。
「おまえは投獄して、これからじっくりと尋問させてもらおう。事態が収束したら断罪してやる。覚悟しておけ。薄汚い辺境の『魔女』め」
俺は冷や汗をかきながら無関係なふりをした。
すまない、エリシア。だが、俺は今世では絶対に失敗しないように決めているのだ。だから、いざというときにこうして無関係なふりができるよう、目立たないように、あえて無詠唱の補助魔法でサポートしていたのだ。
これが俺の非常時の最終手段——聖女への裏切りだ。
そうして俺の今世での最初の聖女補佐計画は失敗に終わった。
次の聖女候補を見つけなければなるまい。
その前に、王都が壊滅の危機を乗り越えられれば、の話ではあるのだが。
そして聖女不在のまま、結界の綻びは決定的となり、王都は「魔物の行進」の大群を迎えた。
※
王都に狂ったように暴れる魔物が溢れかえっていた。人々は逃げ惑い、逃げ遅れた者は魔物によって無惨に惨殺されるのだった。
幸い、騎士爵の家で最低限の剣術を覚え、魔法もある程度使いこなせる俺は、自分の身を守ること自体に不安はなかった。
それに大聖堂の建物は堅牢で、小規模ながら屈強な聖騎士たちも控えている。
神官たちは大聖堂に立て籠もり、事態の収束をじっと待つのだった。
その王都の混乱の最中、リュシアが、自分こそが本物の聖女だと名乗り出た。
そして、補佐神官として、支援するよう、俺に声をかけてきた。
「あんたがあのポンコツの魔法をどうにかしたんでしょう?」
リュシアは見抜いていた。エリシアが俺と接触してから、まともに魔法を使えるようになったことを。そして、エリシアが魔法を成功させるときには、必ず俺がそばにいてエリシアを見守っていたことを。
「私は高度な術式も扱えるわ。魔力量さえ増やせれば結界の補修だってできる。聖女になれるのは私だけなのよ」
確かに、エリシアに次ぐ聖女の資質があるとすれば、リュシアだろう。
魔法制御は抜群に上手い。魔力量、質とも平均以上で、神官であれば最上位クラスだろう。
そこに俺が「魔力強化」で補助すれば、それなりの結界は張れるだろう。
しかし——王都の結界を補修するほどの魔力量にはまったく足りない。俺が全力の強化をかけたとしても必要な魔力量の一割にも満たないだろう。
魔力量だけではない。強い結界を構築するには、魔力量や魔法技術だけでなく、人々を何があっても守ろうという慈愛の念が絶対に必要なのだ。それは人々の祈りを女神に届け、女神の寵愛を受ける聖女には必須の条件なのだ……。
俺の見立てでは、リュシアは人々への慈愛よりも、自身の功績と名誉を重んじている。そんな人間に女神が微笑むはずがない。
そう考えながら思う。
聖女不在の時期が長くなってしまったのは、それだけ聖女という存在は稀有だからだ。一時代に二人も聖女になりうる存在などあろうはずもない。
そして、仮にこの現代で聖女になりうる者がいるとしたら……。
人々を治療して、喜ぶ患者を見て嬉しそうに微笑むエリシアの様子が脳裏に浮かぶ。
この現代で、聖女になりうるのは、なぜかあのポンコツだとしか思えなかった。
しかし、仮に本物の聖女になれなかったとしても、リュシアは名門貴族の出自だ。取り入って、俺の地位を確保するには悪くない選択なのではないか?
……だめだ。悪くない案のはずなのに、この状況ではむしろ最善の案のはずなのに、どうしてもその選択が正しいと思えない。
「申し訳ないですが、リュシア様……。あなたには無理だ」
「は?」
「あなたをサポートすることはできません」
見る間にリュシアの顔が怒りと蔑みに歪む。
「あんたも所詮頭の悪いザコ神官なのね。
いいわ。大聖堂を守るくらいの結界なら一人で構築できるわ」
……やはり俺が補佐すべきなのは、この女ではない。
※
俺は気づくと大聖堂から飛び出していた。
俺は間違った選択をしている可能性が高いこともわかっていた。何度も、足を止めようという考えがよぎった。
「魔女」エリシアを支援していたこともバレて、「魔物の行進」の発生に加担したとして断罪されるかもしれない。
それ以前に王都がこのまま壊滅し、俺自身も「魔物の行進」の中で命を落とす可能性も高い。大聖堂に留まっていたほうが助かる可能性が高いのは明白だ。
現に、大量の魔物の咆哮と地鳴りや、人々の悲鳴が近くにまで迫ってきている。
それでも、牢の中で一人泣いて過ごしているであろうエリシアを思うと、こうする以外に、俺に選択肢があるようには思えなかった。
目的の王城に辿り着いた。
どう侵入するかあれこれ思案していたが、杞憂だった。
王城はすでに空になっていたのだ。国王も王太子も早々に王都を見限り、王城の騎士たちを引き連れて避難したようだ。王都の民たちがどうなろうが知ったことではないらしい。
俺にとっては僥倖だった。
俺は何の妨害もなく、王城に侵入し、地下への通路を探した。重大な「罪人」たちは王城地下に幽閉されているはずだった。
王城の内部構造など知る由もなかったが、地下への通路はほどなく見つかった。
投獄犯たちは置き去りにされて騒ぎ立てていたので、その騒ぎの方に向かえばいいだけだったのだ。
「出せ、ゴラァ!」
俺の姿を見るなり、凶悪犯たちは声を荒げた。
出すわけがないだろう。
王族たちも、魔物の注意を罪人たちに向けさせることで、時間稼ぎができると考えていただろう。俺もその意図通り利用させてもらう。
地下牢の通路を進み、エリシアを探す。そのエリシアは地下牢の最奥の房にいた。
独房の格子の向こうで、エリシアは隅に座って膝に顔を埋めていた。
「エリシア様!」
エリシアが顔を上げて、俺を見る。
「レイン……」
その目は、感情が無くなってしまったかのように光を失っていた。
「ここを出ましょう。魔物たちが迫ってきています」
エリシアは興味がなさそうにまた膝に顔を埋めた。
「……もういい。疲れちゃったわ」
「何ですって?」
「私の人生、何をやってもうまくいかないんだわ」
そう言って、エリシアはすすり泣きを始めた。
構わず、俺は独房の鍵の解錠を試みる。
「解錠」
これも、聖女や俺自身が断罪されかけた場合に備えて習得したスキルだ。まさか本当に使う機会があるとは思っていなかったが……。
「開きました。行きますよ」
「ここから出たって私が帰るところなんてないわ」
「いいから早く立ってください。今すぐ逃げないと」
「でも……。皆、私がいると迷惑になるのよ。レイン、あなただって……」
「泣き言を言うな、ポンコツが! こっちは人生を捨てる覚悟でおまえを助けに来たんだ! 王太子や大司教や王国中のやつら全員がおまえを非難しようと、俺だけはおまえを信じているから来たんだよ!」
怒鳴る俺に、エリシアは唖然としている様子だった。
俺はハッとして、冷静さを取り戻す。
「大変失礼いたしました。少し興奮してしまいました。王都の状況が大変なことになっておりまして、エリシア様のお力がないと事態の収拾がつきません。どうか、一緒に来ていただけませんか?」
エリシアがなぜか、ぷっと吹き出した。
※
俺とエリシアは地上に戻り、王城の城門を出ようとした。
しかし、城門のすぐ先まで大量の魔物たちが迫っていた。大きな咆哮はまるで死を呼び込もうとする呪いの叫びのように聞こえた。
俺が想像していたよりも遥かに多く、強力な魔物ばかりだった。
先頭にいるのは、ワーウルフの群れ。その後ろには、大猪のような魔獣、巨大な毒蟲、瘴気をまとったワイバーンが幾重にも連なり、王城の城門から伸びる王都の大通りを埋め尽くしている。
咆哮と羽音と人々の悲鳴が混ざり合い、王都はすでに半ば地獄と化していた
「『魔物の行進』がここまでのものだとは……」
思わず俺は呟く。
そして、俺は今世の終わりを悟った。
せっかくエリシアを助けたのに……。遅すぎたのか……。やはり俺は選択を間違えていたのか。
あるいは、もう少し俺が早くエリシアと出会っていれば……。いや、施療院での治療よりも、結界の補修をエリシアにさせていれば……。せめて王太子を説得して捕縛されるのを防いでいれば……。
後悔がとめどなく溢れ出る。本物の聖女がいることを知りながら、俺の保身しか考えていなかった俺のせいだ。俺が正しい判断を一つでもしていれば、王都はここまでの惨状にはならなかったはずだ。
「結界魔法を試します」
突然、エリシアがそう言った。表情は真剣だった。
「そんなことをして何になるんです……」
結界は高度な術式が必要で、安定化させるには魔法陣に魔力を定着させる必要もある。魔力量が多いだけのポンコツに結界の再構築などできるはずがない。いくら俺がいても、どう補助したらいいのか見当もつかない。
それに、今さら結界を張って一時的に自分たちの身を守ったところで、すでに王都に侵入してしまっている大量の魔物の討伐は誰がしてくれるのだ? 王国騎士団も王族たちとすでに王都を去ってしまっているのだ。結局、俺たちも王国民も、虐殺されて終わりだ。
「私は、私を信じてくれている人のために最後まで全力を尽くしたいだけ」
すでに諦めた俺を尻目に、エリシアが詠唱を始める。きっと必死に覚えたのだろう。それでも相変わらず拙い詠唱だ。
……いいだろう。今世の最後に、王都に残された最後の聖女のために、俺の補助魔法を捧げよう。
「詠唱補正」
エリシアの詠唱が正しい美しい旋律になる。
「魔力調……」
……何だ、これは。
エリシアから、「魔力調律」がまったく追いつかないほどの溢れんばかりの魔力量が放出されていた。
それは俺が推測で推し量っていた彼女の魔力量を優に超えていた。
——こんな魔力が俺ごときの補助魔法で制御し切れるわけがない。
それはもはや「魔法」と呼ばれるようなものですらなかった。
純粋な聖属性魔力エネルギーが暴発し、巨大な光の衝撃波が一気に広がった。
激しい衝撃の中、俺は意識を失った。
※
目を開けると、美しい女性がいた。
女神だと直感した。
俺はまた生を終えたのだ。
「レイン……」
どこか聞き慣れた声のように思えた。
「女神……様?」
そう俺が言うと、女神が声を上げて笑った。
……エリシア?
「よかった……」
そしてエリシアは今度は泣き出した。
俺は起き上がり、周りを見回した。
意識を失う前と同じく、俺はまだ王城の城門の前にいた。
しかし……魔物の姿がない。
「何があったんだ……」
俺は独り言のように呟く。
「魔物は消滅したの」
泣きながら、エリシアが言う。
「は?」
あれだけの魔物が突然消滅するなどということが……
いや、ありうるか。
エリシアの放った魔法は、結界魔法などではなかった。あれはただの聖属性魔力エネルギーだ。あまりに高出力で、邪悪な魔物は対消滅させられたのだ……
聖属性魔力は魔物の核を構成する瘴気と相殺反応を起こすことが知られている。それが高い出力の聖属性魔力であれば、いわゆる「対消滅」と呼ばれる現象を引き起こしうる。ただ、聖属性魔力エネルギーだけで対消滅を起こすほどの高出力の魔力は、現実的には存在しえないと考えられていた。
しかし……現実にはそれが起きてしまったのだ。
これは後ほどわかったことだが、エリシアの聖属性魔力エネルギーは、そのまま広がっていき、ほとんど崩壊していた結界に吸収され、結果、結界が補修されていたのだった。
なんて規格外のポンコツ聖女だ、というのが俺の率直な感想だ。女神が「寵愛」どころか、「溺愛」しているとしか思えない。
そして、認めよう。このポンコツ聖女に、俺は大きく自分の考えを変えられた。
俺は前世から一貫して、自分の地位を確立するために聖女補佐神官になることを目指していた。
しかし、ここまでに奇跡を目にして、自分の地位などどうでもいいことに思えた。そんなことよりも、大きな慈愛によって、世界を救済する聖女を助けると考えることのほうが、楽しくて仕方なくなっていたのだ。どうせ失うはずだった命を、その聖女に救われたのだ。聖女のために命を使うのが筋というものだろう。
そして思う。以前は、人々が信じるから、聖女が「聖女」になるのだと考えていたが、それだけではやはり本物の「聖女」などではない。ましてや、大司教や王太子が認めた聖女が「聖女」なのでもない。
人々の祈りを受けとめ、女神へ届け、女神からの祝福を世界に返すものこそ聖女なのだ。だからこそ、真摯に祈りを届けようとするエリシアという聖女を、女神は愛しているのだ。
頼りなさは拭えないが、それでもエリシアは本物の聖女なのだろう。
俺は今世で、やっと本物に会えたのだ。
エリシアのようなポンコツにまさかそんなことを思わされるとは思ってもいなかった。
俺は思わず笑ってしまう。
「何がおかしいんですか?」
エリシアが不審そうに尋ねてくる。
「あなたがおかしいんですよ、エリシア様」
これから、王都の復興には時間を要するだろう。
生き残った王国民が、逃げた王家の人間を受け入れるとは思えない。
王国民を見捨てて逃げた国王や王太子などより、王国を救った聖女エリシアのほうが支持されることは疑いようがない。
そう考えるだけでも溜飲が下がるというものだ。
あの堅牢な大聖堂もきっと無事ではないだろう。あの異常な「魔物の行進」を前に、リュシアの結界程度ではとても保たなかっただろう。
「国王様や王太子様はご無事でしょうか。聖教会も心配です」
エリシアが呟いた。
この期に及んで、あの愚かな王族や聖教会の者たちを心配するとは……。エリシアらしい。
「わかりませんが、俺たちは俺たちのすべきことをすべきだと思います。あなたは王族や聖教会のための存在ではないのです。あなたは人々のための存在なのです」
エリシアはよくわからない、という顔をする。わかりやすい人だ。
「わかっていますよ。あなたは誰であろうと助けたいのでしょう?」
エリシアは今度は微笑んで頷いた。
俺も覚悟を決めるか。
「仕方ない。あなたに一生ついていきますよ」
「えっ……」
なぜかエリシアが顔を赤らめる。
「あの……はい、私もレインがいないとだめみたい。よろしくお願いします」
何を思ったのか、エリシアは丁寧にお辞儀をした。
その様子が何かポンコツのエリシアらしく、俺は笑ってしまう。
そんな俺を見て、困ったような照れたような様子を見せるエリシアが、妙に愛おしくも感じるのだった。
今世こそうまくやるつもりだったのに、どうやら俺は、また厄介な聖女の補佐神官をするハメになるようだ。




