3-2 裸の付き合い
吹き抜けの公衆浴場は、満天の星を一望できる、とても開放感のある造りをしていた。それでいて、浴場に面したロの字型の壁面に窓の類は一切設けられていないため、プライバシーは十分に保たれているといった按配だ。
幸いなことに、今は浴場の利用客も、その数はまばらだった。依頼主から一転して警戒対象となったアリシアの姿もない。
(これは好機ね)
脱衣所から浴場全体を注意深く観察し終えたアイーダは、とりあえず危険はないと判断し、外で待たせていたアルフォンスにCボゥイを連れて入室するよう伝える。
一見、男女の見分けが付かない幼子の身体とは言え、明らかに他とは異なる彼の股間を誰かに見られでもしたら厄介だ。人目を忍ぶに越したことはない。
「さあ、起きて、Cボゥイ。おねんねの前に、お風呂できれいさっぱりしよう」
「……あい」
眠そうに目をこすると、Cボゥイはアルフォンスが下に降ろすのを待つことなく、彼の腕からひょいと器用に飛び降りて見せる。
そして続け様に、見様見真似で着ていたシャツを脱ぎ出した彼を、アイーダは慌てて押しとどめた。
「待って、Cボゥイ」
「う?」
「お風呂に入る時は、マナーと言うか、ある決まりがあるの。わたしが手本を見せるから、同じように真似してもらえる?」
「あい」
素直に頷いて言うことを聞いてくれたCボゥイの頭を撫でつつ、アイーダは自身の制服のボタンへと手をかける。
上着から始まって、ベルト、ズボン、ブラウス、靴下、ブラジャー、ショーツ、最後に、髪留め。
アイーダの身を包んでいた衣類が一点ずつ取り外され、やがて彼女の魅惑的な裸身がCボゥイの眼前に惜し気もなく展開される。
透き通るような色白の肌。
量感のある乳房は重力に負けて垂れ下がることなく張りがあり、その頂を飾る色素の薄い乳首はツンと上向いて形がよい。
彫刻のような括れのあるウエストに比して、引き締まっていながらも大きめなヒップや肉感のある太腿は健康的な魅力で満ち溢れている。
一糸纏わぬその御姿に、Cボゥイは眠気など完全に吹き飛んだ様子で、ただただぽかんと見惚れているようだった。
「ほー……」
「……そんなにじっと見つめられると、流石に恥ずかしい」
居心地が悪そうにもじもじと身を捩りながら、アイーダはゴムで髪をまとめ上げ、備え付けのタオルで前を隠す。
「ほら、Cボゥイもやってみて」
「あい!」
元気いっぱいに返事をしたCボゥイは、威勢よくシャツを脱ぎ捨て、アイーダと同じようにタオルで前を隠して見せる。
「そう、上手上手」
「へへー」
褒められて、にへらと相好を崩すCボゥイ。
彼はタオルを押さえる手を左右入れ替えると、空いた方の手でアイーダの手を取り、浴場へと彼女を誘った。
初めての入浴体験に浮かれている様子のCボゥイの手を取りつつ、アイーダはアルフォンスを振り返る。
「それじゃ、アル。お留守番よろしく」
『了解:不可視モードで警戒待機する』
そう告げるなり、彼のボディは周囲の景色に溶け込むようにして、その場から完全に姿を消した。
この光学迷彩システムもまた、バオル特有のハイスペックな機能であることを、ここに付け加えておく。
〇+
浴場に足を踏み入れるなり大きな湯船に直行しかけたCボゥイを巧みに御しつつ、アイーダは彼を隅っこの洗い場へと連れて行った。
Cボゥイをバスチェアに座らせると、アイーダは壁面に設置されたシャワーノズルへと手を伸ばす。
「少しの間、目を瞑っててね」
「ん!」
Cボゥイがぎゅっと目を閉じたのを確認したアイーダは、彼の頭の天辺から爪先にかけて、全身満遍なくシャワーを浴びせ、ざっと汚れを洗い流していく。
そして、頭髪を十分に湿らせたらシャワーを止め、備え付けのシャンプーを適量手に取り、Cボゥイの洗髪に取り掛かった。
「お? お?」
好奇心からか、Cボゥイは言い付けを破って瞼を開いてしまう。正面の鏡に映った彼の姿からそのことに気付いたアイーダは、透かさずその軽挙を窘める。
「目に入ると沁みるから、まだ開けちゃダメ」
彼女の声色に怒気は全く含まれていなかったのだが、Cボゥイはまるで叱られたかのように、はっとした様子で再び固く目を閉ざす。
(……言い方、きついのかな……?)
軽く自己嫌悪に陥りつつも、そんなことおくびにも出さないアイーダの髪を洗う手は休むことなく。
微妙に気まずい沈黙の中、程なくしてCボゥイの洗髪は完了した。
「ぷふー」
シャワーで泡を洗い落とし、さっぱりした様子で目をぱちぱちさせているCボゥイを尻目に、アイーダは淀みなく次の行動へと移る。
自分用のタオルに備え付けのボディーソープを適量垂らし、それをごしごしと泡立てると、
「もう目は開けてて大丈夫。その代わり、今度はしばらくじっとしててね」
「う?」
頭上に疑問符を浮かべるCボゥイに構うことなく、アイーダは泡立ったタオルで彼の華奢な身体を洗い始めた。
首、肩、腕、背、お腹と、上から順にこしこしと優しく磨き上げていく。
「〜〜〜〜」
時折くすぐったそうにしながらも、言われた通り大人しくアイーダに身を任せていたCボゥイであったが――
「ひゃッ!?」
彼女のたおやかな手が股間に伸びるや否や、彼は奇声を上げてその場で飛び上がった。
これにはアイーダも目を丸くする。
「ご、ごめん。どこか痛かった?」
「うう」
そうではない、とでも言いたげに、困惑顔でCボゥイは首を横に振る。自分でもよく分からないらしい。
(……でも、よくよく考えてみれば当然か。形は違えど、デリケートゾーンであることに変わりはないわけだし)
己の配慮不足を反省しつつ、アイーダは手に持っていたタオルを、そっとCボゥイに差し出してみた。
「……自分で、洗ってみる?」
「……ん」
Cボゥイはそれを受け取ると、洗い残しの下半身を自分で丹念にこすり始めた。アイーダに上半身を洗ってもらったことで、要領は既に掴んだらしい。
やがて、彼は自分の身体を洗い終えると、何を思ったか、泡塗れでタオルを手にしたまま、とことことアイーダの背面に移動を始めた。
「……Cボゥイ?」
「ん、しょ、ん、しょ」
覚束ない手付きでアイーダの背中にタオルを押しつけ始めるCボゥイ。どうやらお返しに洗ってくれるつもりらしい。
(……何だか、こそばゆいな)
たどたどしい幼子の孝行を微笑ましく思いつつ、一方でアイーダは、この状況に既視感と言うか、ある種の懐かしさのようなものを覚えていた。
(……そう言えば、昔はインゲルともよくこうやって洗いっこしたっけ)
今となっては戻れない過去を思いがけず想起し、しばし感傷に浸るアイーダであったが。
『アイーダ』
不意に、ここにはいないはずのアルフォンスの機械音声が耳朶を打ち、アイーダははっとなって我に返る。
「……何かあった?」
『肯定:アリシアが浴場に接近中』
姿を消したまま、アルフォンスは手短に状況を知らせる。
『脱衣所到達までの予測時間、およそ五十八秒。我々との接触までの目安は三分以内と推定』
「……おちおち入浴もできないとはね」
束の間の休息に水をさされ、知らず深い嘆息がこぼれ出る。
偶然か、はたまた必然によるものか。
いずれにせよ、アリシアの真意が分からない以上、不用意にこの場に長居するつもりはなかった。
「ごめんね、Cボゥイ。おっきいお風呂はまた今度だ」
「う?」
よく分かっていない様子のCボゥイの全身の泡を急いで流し、自身もシャワーでざっと汗を洗い落とすと、アイーダは濡れたタオルで前を隠しながら、浴場の出入り口を足早に目指した。
「あ、皆さん」
折しも出入り口付近に差し掛かったところで、同じようにタオルで胸元を隠したアリシアとばったり鉢合わせることになった。
「奇遇ね。アリシアさんもこれからお風呂?」
素知らぬ顔でそう尋ねたアイーダに、アリシアははにかむような笑みを返す。
「長期滞在して分かったことなのですが、この時間帯は利用客が比較的少ないので、あまり人目を気にせずに済むんですよね。こういうのも怪我の功名の内に入るんでしょうか?」
「ど、どうだろう……」
返答に困る自虐ネタに引きつった愛想笑いを浮かべつつ、アイーダがそそくさとアリシアの傍を通り抜けようとした――
その時。
「……あら? シィちゃん、それ……」
何かに目を留めたらしいアリシアが訝しげな声を上げる。
ちなみに、シィちゃんとは言うまでもなくCボゥイのことだ。互いの自己紹介の際、流石にCボゥイのままでは色々とまずいので、『シィ』という仮の呼称と、成り行きで保護した孤児という偽りの身の上を彼女には伝えていた。
閑話休題、アリシアが頓狂な声を発した理由はすぐに判明する。
と言うのも、彼女はCボゥイの股間を凝視しており、見ると、そこには濡れたタオルが身体にぴったり張り付いたことで、生地越しにもっこり浮き出た彼の小さな象さんが、無言でその存在感を主張していたからだ。
(まずい)
思わず脳裏に浮かぶ三文字のその言葉。顔には出さないものの、アイーダの心臓は内心ばくばくだった。
(ここはどうにかして誤魔化さないと……)
わずかな逡巡の末、彼女が取った行動は――
「――だめじゃない、シィ。そんなところにおもちゃを挟んだりしちゃ」
そう言って、背後からCボゥイの股下にそっと手を伸ばしたアイーダは、皮を被っている彼の息子の先端をおもむろに掴み、きゅっと後ろに引っ張った。
「はうッ!?」
これにはびっくり仰天のCボゥイ、反射的にぎゅっと内股になり、結果として自らの息子を太腿の間に挟み込む形と相成る。
同時に、驚いた彼が両手で陰部を押さえたことで、前を隠していたタオルがぺらりと上半身から剥がれ落ち、股間の上に移動した両手に引っ掛かって暖簾のように垂れ下がった。
「そ、それじゃあアリシアさん、どうぞごゆっくり」
「は、はあ……」
咄嗟のアドリブで姑息な隠蔽工作を図ったアイーダは、アリシアにあれこれ考える隙を与えぬよう、畳み掛けるように言って彼女の前から立ち去った。
そして、自分たちが借りているロッカーの前まで移動すると、横目でアリシアが浴場に入って行ったことを確認し、いつの間にか止めていた息をそっと吐き出す。
「……ふう、危なかった」
「う~」
何やら可愛らしい唸り声が聞こえるので、アイーダがそちらに目を向けると、いまだに股間を手で押さえたままのCボゥイが、恨めしそうな涙目で彼女を見上げていた。
今頃になって、自分が仕出かしたデリカシーのない行動にアイーダは思い至る。
「……ごめん」
「う~」
絶対に許さないぞと言わんばかりにつぶらな瞳で睨め付けてくるCボゥイ。
(……これは、機嫌が直るまで結構かかるかもしれない)
自業自得ゆえ、関係回復まで長期戦になることを覚悟したアイーダだったが。
『報告:フルーツ牛乳とコーヒー牛乳を一本ずつ購入。早い者勝ち』
「あー♪」
アルフォンスが気を利かして買ってきた風呂上がりの冷たい飲み物に、Cボゥイがぱあっと目を輝かせる。
フルーツ牛乳を受け取り、すっかりご満悦な様子で飲み始めたCボゥイの無邪気な姿を視界に収めながら、アイーダは相棒の機転に感謝の意を伝えた。
「ありがとう、アル。助かった」
『忠告:アイーダから微量のストレス臭を検知。デオドラントケアを推奨』
アイーダは無言でアルフォンスの脇腹に肘鉄を食らわせた。




