2-2 樹海を抜け隊商宿へ
ボルバキアウイルスにより突然変異を起こした、在りし日の生物の成れの果て――それが、ミュータントと呼ばれる異形の怪物だ。
この荒廃した世界において、奴らは人間に仇なす危険な外敵として古来より広く認知されている。
その存在は、AK商会が警備を担っている商都や自給自足が可能な有力コミュニティの周辺からは排斥されて久しいものの、それらを繋ぐ街道沿いに点在する隊商宿や小さな集落にとっては今なお身近な脅威であり、生活を脅かす悩みの種であった。
ましてや人里離れた秘境ともなれば、そこは完全に奴らのテリトリーと言っても過言ではなく。
正にその真っ只中を、Cボゥイを抱えたアイーダ・アルフォンスペアは、用心しながらも大胆かつ迅速に切り抜けていた。
『報告:新たな敵集団を捕捉。十一時方向、距離百二十四メートル』
「これまで通り、交戦は避けて迂回する。アル、引き続き最適ルートの割り出しをお願い」
『了解』
「あー」
そう言ってCボゥイが指差した木の枝の先には、群れからはぐれた猿型のミュータントが一頭。
見た目はほぼかつての『猿』と大差ないが、その体格は一回り以上大型化しており、肉体も強靭だ。
何より目付きが鋭く凶悪で、その爛々と輝く深紅の眼は見る者に否応なく生理的嫌悪感を抱かせる。
幾度か遭遇を繰り返して分かったことだが、この猿型ミュータントは高い瞬発力や跳躍力を持つ他、仲間を呼んで連携行動を取る厄介な相手だ。
ちなみに、今さっきアルフォンスが見つけた敵集団というのも、この個体のグループである。どうやら、この樹海は奴らの群生地らしい。
どこかの群れの哨戒役なのか、それとも単に孤立しているだけなのかは定かではないが、見つかると面倒なことに変わりはなかった。
アイーダは微笑みながらCボゥイの頭を手甲越しの右手で撫でる。
「お手柄よ、Cボゥイ」
「あう」
『疑問:当機に対するご褒美は?』
「子どもと張り合わない」
『無念』
しょぼくれるアルフォンスは華麗にスルーして、アイーダは右手をターゲットに差し向ける。
(単独行動していたのが運の尽き。障害は排除させてもらう)
彼女が意識を集中すると、右手の手甲が桃色の輝きを放ち、バーニアが点火を始めた。
「ファイア!」
アイーダの掛け声と共に、ロケットパンチの如く射出されるエネルギーフィールドを纏った右手甲。
目にも留まらぬスピードで標的へと迫ったそれは、インパクトの瞬間に拳が開いて目標の頭部を掌握する。
「クラッシュ!」
硬い頭蓋をあたかも紙屑のように、右手甲は易々と握り潰す。
首から上を失った猿型ミュータントは糸が切れたように崩れ落ち、枝の上で干し布団のように骸を晒して沈黙した。
『報告:目標の活動停止を確認。他の敵性体に視認、及び察知された様子はなし』
「ひょおお」
一瞬の出来事に驚嘆して興奮している様子のCボゥイ。
ミュータントの惨たらしい死に様は、幼い子供の精神衛生上あまりよろしくないのではと思わないでもなかったが、目下彼の関心はアイーダとアルフォンスのヒーローチックな一挙一動に向いているようなので、ひとまず今は考えないことにした。
戻ってきた手甲の具合を確かめながら、アイーダは一行に告げる。
「往路の距離的に考えて、樹海を出るまであともう少しの辛抱なはず。最後まで気を引き締めて行こう」
『了解』
「あい」
かくして数十分後。
アイーダたちは、何とか日暮れまでに樹海を脱出することに成功するのだった。
〇+
樹海での道中に比べれば、目的の隊商宿には難なく辿り着くことが出来た。
四方を強固な外壁で囲まれたその隊商宿は、中庭の代わりに露天の公衆浴場が備えられており、その周囲を取り巻くようにして二階建ての建築物が築かれている。
一階には食堂や取引所、MACHOを整備する工房の他、管理人や自警団の詰め所が設けられ、二階は全て客室となっていた。
早速宿泊の手続きを済ませたアイーダは、夕食にありつく前に、アルフォンスを連れ駄目元で工房を訪ねてみたのだが。
「ん~、何だろ。通信障害を引き起こしている原因、さっぱり見当も付かないよ」
「そう……」
案の定、この場ではアルフォンスの通信機能の修復は見込めそうもなかった。パーツの交換やセルフメンテナンスといった応急処置ではどうにもならない問題がどうやら発生しているらしい。
すごすごと工房を後にしたアイーダたちは、食堂の隅の方にある一卓を取り囲んで膝を突き合わせる。
「さて、どうしたもんかな。一刻も早く本社に現況を知らせたいところだけど、かと言って機密情報を無関係な第三者のMACHO経由で伝えるわけにもいかないし」
「う?」
『提案:〝バックヤード〟の支配人フラミニア・アントニアを頼ってみてはどうか』
バックヤードとは、ここから本社のある商都よりも近い位置に存在する、自給自足の中立コミュニティの名称だ。
かつてAK商会から独立したWIMPを祖に興った共同体であり、相互扶助を信条とするその慈善活動は商会からも一目置かれている。この世界において、AK商会の影響力を受けることなく存続可能な、有数の支配集団の一つだ。
そして、そこにある養護施設は、アイーダとインゲルの古巣でもあった。
「フラミィ姉さん、ね。やっぱり、それしかないか……」
バックヤードの現支配人フラミニアとはアイーダも顔なじみであり、彼女やインゲルにとって姉的な存在と言っても差し支えない。
加えて彼女は商会からの信も厚く、顔が利く。下手な警備隊員に協力を仰ぐよりずっと頼りになるし、色々と便宜を図ってもらえるのも確かだ。
「仕事のことで泣き付くようなみっともない真似はしたくなかったけれど、四の五の言っていられる状況でもない、か……」
腹を括ったアイーダは、アルフォンスの提案を採用することに決めた。
と、ちょうどその時。
く~
小動物の鳴き声のような可愛らしい音が、どこからともなく聞こえてきた。
見ると、Cボゥイがお腹に両手を当てて、何やらしょんぼりしている。
「あう……」
「……そう言えば、朝からほとんど何も口にしてなかったっけ」
たまたまアイーダが持ち合わせていた食べかけの携帯口糧と水の残りを二人で分け合ってはいるものの、その程度じゃ一時しのぎにもならなかったというのが正直なところだ。
自覚した途端急速に襲い掛かってきた空腹にアイーダも閉口する。
「腹が減っては何とやら、まずは食事にしよっか。これからのことは、後でお風呂に浸かりながらでもゆっくり考えるってことで」
一旦その場はお開きにして、アイーダとCボゥイはメニューと睨めっこを開始する。
「あなたはどれにする? ……って、そう言えば、字、読める?」
「あい」
「お、それは重畳」
(読めるけど話せない、って感じなのだろうか)
そんなことを思いながら、アイーダは再度彼に問う。
「で、何食べたい?」
「……んー」
眉間に皺を寄せ、何やら決めあぐねている様子のCボゥイ。
何か思い付いたようにアルフォンスが口を開く。
『推測:字が読めても、そこに書いてあるものが一体どういったものか、それを判断するための知識や経験が欠如しているものと思われる』
「あ、そういうこと」
改めて、この少年が記憶喪失なのだということを思い知る。
せめて写真でも添えられていれば、何となく見た感じで選ぶということもできるだろうが、予備知識なしの文字情報だけで判断するのは確かに至難の業、と言うより、実質不可能だ。
アイーダは申し訳なさそうに、Cボゥイの頭を優しく撫でた。
「ごめんね、気が利かなくて。今、何か適当な料理を見繕うから」
「あい」
「あ、あの……」
いきなり横から声をかけられ、アイーダとCボゥイは揃って同じ方を振り返る。
そこには、気弱そうな一人の女性がおろおろした様子で佇んでいた。
まず目を引くのは褐色の肌。
ストレートの銀髪をアップにしており、長い前髪の下に隠れた目元はその表情を窺い知ることが出来ない。
大方注文を取りに来た食堂の店員かと思いきや、纏う雰囲気から察するに、どうもそういうことではないらしい。
こちらの返事を待たずに、女性は続ける。
「た、立ち聞きするつもりはなかったんですけど、バックヤードって単語が聞こえてきたものだから、ついお声がけを……」
「……あなたは?」
警戒心剥き出しの冷たい声音で誰何するアイーダに、女性はひっと息を呑む。
それでも彼女は臆することなく、身体を二つに折って用件を告げた。
「お願いです。どうかわたしを、バックヤードまで連れて行ってくれませんか?」




