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これは水じゃない。

作者: 蒼春

夏のホラー2025応募作。



 おいおい、待ってくれ。俺はホラー得意じゃねぇんだって、勘弁してくれって。そんな風に嘆いても、目の前の認めがたい現実は変わらない。俺はがっくりと項垂れると、言葉としてこのやるせなさを吐き出すため、スッ――と息を吸った。


 家の水道をひねったんだが、これは·····。


「どぉおーみても水じゃねぇぇーだろうがぁぁあ!!」


 白い、小さな、腕。

 ボロいアパート全体に、俺の悲鳴が木霊した。




 食べ終えた後のコンビニ弁当の容器、洗わずに汚れが付いた包丁。台所にある、水垢の汚れがこびりついた壁面のシンクに広がるのは透明な水―――ではなく。白い軟骨のような感触の小さな腕であった。しかも、レバーを上げた瞬間、からからからから·······と謎に小気味よい音を立てて出てきたのも余計に恐怖を煽る。


 マジで無理。本ッッッ当に無理。

 なんかあれだな、某もののけプリンセスのアニメ映画に出てくる木の精っぽい。


 脳が勝手に現実逃避を始めるが、アホな思考への逃避行の前にこれの対処をせねばなるまい。


 え、対処っつったら触んなきゃだめなの?いや無理。断固拒否。NONONONO······!!


 ぴくっ、からん。


「あ゛あ゛ああぁぁぁぁぁあああ?!!」


 腕のうちの一本の指がぴくりと動き、周りの腕に当たって微かに音を立てた。それに過剰なほどに反応してしまい、しばらく恥ずかしさに悶えた。動くなんて聞いてねぇよクソがぁぁ。

 挙げ句、このボロアパートの大家さんが「うるさいぞー近所迷惑だぞー」とゴンゴンゴンゴンと扉を叩く、いや殴るから余計にビビって「すすすすすすみませんんん!!!」と噛みまくりながら叫び返してしまう。


 一度深呼吸して落ち着いてみようと意識してみると、先程よりは心を安らげることができた。

 さて、マジでどうすれば良いんだ。腕を組み、うーむと考える。

 つまんで捨てる?いやそもそも触れるのか?というかどこに捨てるんだ。


 うんうんと唸っても解決策はでてこない。どうしたものか、と本気で頭を抱えそうになった頃。

 さらさらさら·······と、大量の腕は、砂のような細かな粒となって消えていった。


 これは、死へのカウントダウンのはじまりであった。





 それからというもの、毎日のように人ならざるなにかが、姿を現すようになった。

 蛇口から出た腕のような意味のわからないものもいれば、めちゃめちゃおしゃべりな子どもの霊や猫又なのか尾が分かれた猫の妖怪もいた。様々で多種多様なお化けがいたが、一番衝撃的だったのはヤクザの幽霊だ。


『よォ、テメェ持ってるもん全部出してみろよ。金でも壺でも薬でもいいぜェ?』

『おおお俺貧乏なんで金なんてそんな······!薬だって家にあるのはロキソニンだけです······!!勘弁してください······!』

『ロキソニンみてぇな日和ったもんじゃねェよ。エスって言ったら分かるかァ?そーゆーのだよォ、そーゆーの。』

『ないです······!後はもうアレグラとかムヒしか······!!』

『チッ、風邪薬とかばっかじゃねぇか。つまんねぇなァ』


 外見と口調と話す内容からしめいかにもやべぇヤクザで、人生初のカツアゲ?で恐怖により漏らしかけたのは記憶に新しい。ほんとに薬物とか持ってないし、やってもいない。あれは酷すぎる。多分当たりはしないけども殴られかけたし、顔とか怖いし髪もバチバチにブリーチしてるしで睨みだけで殺されるかと思った。


 そんなこんなでビビりながらも、まあそれなりにお化けたちと上手く付き合えている。



 そう、思っていた。




「ん?なんでまだ風呂に水が溜まってんだ?······冷たっ!?·······あー、昨日のを捨て忘れたのか」


 風呂を洗おうと風呂場に足を踏み入れると、昨日入浴した後の湯がまだ残っていた。風呂場はピンク汚れや黒カビで清潔とは言い難く、そんなことはないだろうが人なんて泊まらせられねぇなと嘆息する。すん、と鼻を鳴らすと、鉄のようなものと何かが腐ったような不快な匂いが薄っすらと感じられる。少し顔を顰めると、肺に取り込まれた匂いを全て排出するように鼻から息を吐き出した。

 普段は翌日の洗濯に使用したら捨てるのだが、どうも忘れていたらしい。昨日は少しドタバタしていたからだと、言い訳がましく結論づける。


 その時だ。


 ひたり、と、左の足首を冷たく小さな手が掴んだ気がした。そのまま、ぐいっと驚くほど大きな力で後ろへ引っ張られる。そのせいでとっさに受け身を取った腕と鼻頭を、風呂釜の縁に強打し鈍痛が走った。すぐさま後ろを振り向くも、小さな人影がゆらりと蜃気楼のように消えるのを見ることしか出来なかった。

 がっしりと前髪を鷲掴みにされる感覚で現実に引き戻される。掴まれたところから、ぶちり、と毛髪が抜ける嫌な音がする。痛みのせいで目尻に浮かんだ涙でも、目の前の最悪の事象を瞳に映すことを阻むことは出来なかった。

 今まで見たことのないモノだった。手。手首から先しかなく、その手が髪を加減など無しに引っ掴んでいる。やがて、ゆさ、ゆさ、と左右に上下に頭を揺らし始めた。


「痛いっ······!!やめてくれ·······っ!!」


 耳に入っていないのか、そもそも耳が無いから聞こえないのか、そんな言葉など何の意義もないとばかりに激しく揺らす。

 そして何を思ったか、髪を掴んだまま垂直に頭を振り下ろした。腹に風呂の縁がめり込み、冷たくなっている湯船に顔面が勢いよく浸かる。突然のことに目を白黒させ、腹を圧迫されたことの苦しさもあり、がはっと咳き込む。肺から息がなくなっていく。ますます焦る。手を髪から引き剥がそうともがくが、向こうは実体のない化け物だ。傍から見れば、風呂に顔を突っ込んで髪を掻き毟り、一人で暴れている謎の人だ。


 無防備の背中を、少しの容赦も情けもない蹴りが立て続けに襲った。弱い者をいたぶるような、それでいて激情のままに振るっているような暴力。これはあのヤクザだろうか、時々「クソがァ!」や、「死ねェ!」などと暴言を吐いている。息苦しさと痛みで瀕死の状態であり、もう助からないことが自分で分かった。


 ああ、やっぱり。人を殺すから罰が当たったんだな。


 全身から力が抜けていき、その瞬間一人の男の命が消えた。





『―――次のニュースです。K県S市のアパートに住む篠崎(しのざき)稜斗(りょうと)さん(28)が自宅で殺害される事件がありました。篠崎稜斗さんは浴場の風呂で溺死しており、背中には何者かから暴行を受けた痕があったそうです。ですが、篠崎稜斗さんは殺害される前日、篠崎稜斗さんの勤務する会社の同僚である岩田(いわた)篤司(あつし)さん(28)を殺害していたことが調査により明らかになっています。篠崎稜斗さんは過去に二回殺人を行っており、いずれも未解決のままだった殺人事件の犯人であることも分かりました。警視庁はこの事件の捜査を進めてい―――』

「やだなぁ。殺人犯が殺されるなんて、他人事じゃないのが恐いぜ。」


 殺した人間の家のテレビに映るニュースを、遺体をバラバラにしていた男はちらりと見遣ると、はははっと軽く笑った。


 もう既に、()()が己の首を絞めにかかろうとは知らずに。

彼らはいつも、僕たちの悪行を見ている。

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