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五月の勝負

「さぁ、勝負だ!」


 快晴のグラウンド。熱気で汗が滴り落ちるような状況で、俺はバッターボックスに立っていた。

 なぜこうなった。

 俺自身も問いただしたいこの状況。この原因となった話は数分前まで遡る。


『学校のグラウンドで待っています。絶対にこれで最後にしますから、どうか来てもらえませんか?』


 確かこんな文言だった。

 住吉さんとぶつかったあの日、勢いのままLINEのIDを交換させられた。てっきり頻繁に連絡をしてくるものだと思っていたが、送られてきたのは今日の勝負に関することくらいだけだった。

 これが終わればもう諦める。そう言われたら、シカトするわけにはいかない。減らせる厄介ごとは減らせるうちに減らさないと、塵も積もれば山となる案件だ。

 正直なところ、乗り気ではない。暑い中外に出るのも億劫で、足取りも重い。嫌だなぁ、嫌だなぁと頭の中で稲川淳二も語り始めた。

 行きたくないと、行かないと終わらないの二つの感情に殴られながら、一歩ずつゆっくりと神手高校に向かい、グラウンドにたどり着いた。

 そこで俺が見たのは——。


「よ! お前、最近いろいろ大変らしいな」


「桔平……何でお前がここにいる……」


 住吉さんとキャッチボールをしている桔平だった。


「いやぁ、それがな、野球部伝いで詳細は教えられないまま呼ばれてさ。なんか、ボール取れるやつがいるだのなんだの」


 それなら、ラグビー部の桔平じゃなくて、他の野球部員を連れてこればよかったのでは?

 この俺の頭に浮かんだ疑問はすぐに解決した。


「私が有馬君を選んだんだよ。一ノ谷君と同じ錨橋(いかりばし)中学出身で、レギュラーの選手だった。でも、同じように高校では野球部に入らなかった。そんな共通点があって、一ノ谷君のことをよく知っている人なら私との勝負を見届けてもらえると思ったから」


 断られたらどうするつもりだったんだろうか。

 いや、桔平ならこういう時は断らず、むしろノリノリでやってくることを俺はよく知っている。ほら見てみろ、鼻歌を歌いながらレガースをつけている。

 ……ということは、勝負の内容はアレしかない。


「一打席勝負……と言いたいところだけど、現役でもなければ、野手でもない一ノ谷君に不利だから、三打席勝負にしよう。三打席の間にヒットを打ったら一ノ谷君の勝ち。全部抑えたら私の勝ちだよ」


 直接勝負。ピッチャーとバッターの一対一の勝負。シンプルだが、野球はここから始まるのだ。

 俺はちょうどいい重さのバットを探して二、三回素振りをする。久しぶりのバットの感触を確かめながら、バッターボックスへ向かった。


「なぁ、桔平」


 打席に入る前に、少し話しかけてみた。桔平は事情も知らないままこの場にいるわけで、今の俺が置かれている立場についてどう思っているんだろう。ふと、そんなことが気になってしまった。


「今日に関しては、俺は真尋の味方になってはやれないぜ。配球は全部住吉が考えてる。ちゃんと真剣に勝負してやれよ」


 淡々と住吉さんの投げる球を受け止める桔平と、それにタイミングを合わせる俺。目を合わせているわけでもなく、心の中を全て曝け出して離しているわけでもないが、何となくお互いが何を考えているのかがわかる。こいつとの付き合いも、なんだかんだ短くないからな。


「俺はさ、真尋が野球をまたやってもやらなくてもどっちでもいいんだよね。現に、俺もラグビー部に入ったわけだしさ」


 パァン! とキャッチャーミットのいい捕球音が鳴る。


「どんな結果になっても、後悔しない道を選ぶ限り、俺はその道が失敗だったとは思わないぜ」


「……ありがとうな。なんか、吹っ切れたような気がする」


 桔平と話していると、悩みが軽くなる。そんな気にさせてくれる。

 気持ちも楽になったところで、俺はバッターボックスに入った。

 ホームベースの外から内へバットでなぞる。俺の打席でのルーティーンだ。


「さぁ、いつでも来い」


 オープンスタンス気味に左足を下げ、肩の力を抜く。

 余裕を持って呼び込んだ一球目。俺は反応することができなかった。


「どうした真尋、入ってるぞ」


「わかってる」


 インハイへのストレート。打てるはずのスピードの球に、俺の目は追いつかなかった。

 続いて、ワインドアップの投球モーションから放たれた、真っ直ぐに糸を引くような綺麗な軌道を描いたボールは、外角いっぱいに決まった。今の俺が手を出せるようなコースではない。

 結局、一回もバットを振ることなく追い込まれ、最後は高めの釣り球に手を出して三振してしまった。たった三球のストレートだけで抑えられてしまった。

 ただ、わかったことが一つある。住吉さんのコントロールの良さだ。ストライクゾーンの四隅に投げ分けだけでなく、出し入れもできるんだろうなと感じるほど、彼女の能力は高い。


「これでワンアウト。あと二打席で私の勝ち」


 右手でボールを転がしながら、彼女はプレートに足をかけ、既に次の打席への準備を終えていた。

 二打席目。少しずつだが、ボールのスピードに目が慣れてきた。

 外角を中心に際どいコースを攻める配球。俺はなんとか食らいついてバットに当て、ファールを打つことで精一杯だった。

 何球も、何球も、バックネットにボールが当たる音が響いた。


「真尋って、中学の頃から粘るのは得意だよな」


「粘ってるんじゃない。ただ、前に飛ばせないだけだ。お前みたいに中軸は打てないんだよ、俺は」


 俺には打撃のセンスはない。守備も特段上手いわけでもない。一番になることはできない。だから複数人の選手が必要になるピッチャーになった。いつも俺は何かから逃げた選択肢しかとらないと、事あるごとに気付かされる。

 でも、そろそろそんな自分は捨てないといけない。周りの環境が変わったように、俺も変わらないといけない。

 深く息を吐き、再び集中する。バットにボールは当たっている。あとはヒットゾーンに飛ばすだけだ。

 住吉さんが投球モーションに入る。見惚れてしまうほどのワインドアップ。スムーズな体重移動で鋭く振るわれる右腕。申し分ない球威でインコースに飛び込んでくる。

 だが、そのボールはさっき見て——。


「なにっ!」


 インコースからさらに体の方へ食い込んでくるシュート。降り出したバットは止められず、根元に当たってどん詰まりのピッチャーゴロになった。

 ここにきて初めての変化球で、完璧に打ち取られてしまった。ビリビリと両手に伝わる痺れる感覚が、どれだけの打ち損じをしたのか教えてくる。


「ツーアウト。……約束、覚えてるよね」


「俺が負けたら野球部に入る。反故にするようなダサい真似はしない」


 俺の今後の高校生活を決める大きな約束。半ば強引に交わさせられたような気もするが、約束は約束だ。

 だが、結論から言えば俺が野球部に入ることはなかった。

 最終打席。初球。アウトローギリギリに投げられたカーブ。見逃せばボールの判定だったかもしれない。

 その球は桔平の構えるミットに収まることはなく、住吉さんの頭上を越え、センター前に転がった。

 最後の最後で、俺の唯一の得意なボールが来た。これが今回の勝因である。

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