新入部員
「で、君は何でここにいるんだい?」
昨日、御影さんからストーカー被害の相談を受けた俺達調理部の面々は、いつものように家庭科室に集まっていた。
「何でって……御影さんは友達多いし、今頃大人数で食堂にでも行ってるはずですよ。そこに俺なんかがついていくわけにはいかないでしょ」
「ついていけばいいのにー」
「他人事だと思って好き勝手に言わないでください。それなら平野先輩が混ざって来てください」
「無理だよ! 初対面だし」
平野先輩は、俺の作ったチャーハンを食べながら激しく首を振っている。そこまで拒否するなら、初めから言わないでほしい。
……あぁ、ご飯粒が溢れてる。
「で、君は1人でこの教室まで来たわけだ。友達とかいないのかい?」
お? 煽りか?
「……友達くらい……いますよ。ただ、一部のクラスメイトからは何故か怖がられてるみたいですけど」
「一ノ谷君、目つきいいとは言えないもんね。こうやって仲良くなったら、料理もできていい子だってわかるのにもったいないね」
「仕方ないさ。風の噂で聞いたが、中学時代の真尋君は——」
山田部長の言葉を遮るようにして、コンコンとノックの音が聞こえて来た。
「こんにちは。御影ですけど……」
「いらっしゃい。こっちに来て座るかい?」
山田部長は手招きして、教室へ入って来た御影さんを呼び寄せる。その彼女の手には、一枚の紙が握られていた。
「山田先輩、これ書いてきました。確認してもらってもいいですか?」
「ふむ……問題なさそうだし、いいんじゃないかな。では、これは預かっておくよ」
手渡された紙を山田部長は満足気に受け取っていた。何故かそれを見ている平野先輩も、むっふーと効果音がつきそうな表情だ。
……あれ、何も知らないの俺だけか?
「じゃ、今週末は予定を空けておくように。はい解散!」
「ちょっ、何で? 俺何も聞いてない!」
「ん? 言ってなかったかい? ……瀬奈からも伝えてもらってなかったのか」
困惑する俺をよそに、呆れたような顔を見せる山田部長。まったく、いつも勝手な人だ。
「ほら、君も見覚えあるだろう。入部届だ。これで調理部も五人目だよ」
山田部長は、先程御影さんから受け取っていた紙を開いて俺に見せてきた。俺が半ば強引に記入させられたものと同じフォーマットの入部届。そこに書かれていたのは御影有紗の名前。
「えっ、マジですか?」
「マジマジ、大マジ。この部の長として、しも……部員が増えてくれるのは、どんな形であれ大歓迎だからね」
「今、しもべって言おうとしてましたよね。これからも働かせる気満々じゃないですか。それに、御影さんが入部するにしても、ストーカーの件が解決するまでの間じゃ……」
「その辺の判断は御影ちゃん本人に任せてるよ。解決した後も、部に残ってくれるのは構わないしね」
いつも何を考えているのかわからない山田部長。ただ、今の部長はどこか嬉しそうにも見えた。
* * *
週末。清々しいほどの快晴。
だと言うのに俺は……。
「あぁ……疲れた……」
ハーバーランドの海風に吹かれ、俺はMOSAIC内のウッドデッキのベンチで疲れた体に冷えたジンジャーエールを流し込んでいた。
目に映るのは青い神戸の海、緑の六甲山、赤いポートタワー。そして荷物の山。
「いやぁ真尋君、荷物持ちありがとう」
「舐めてましたよ。買い物にこれだけ体力を持っていかれるとは思ってもみませんでした」
「でも、いい経験だろう? タイプの違う女子を三人も侍らせて、ショッピングを楽しんだんだ」
「侍らせてって……連れ回されての間違いでしょ」
ラグビー部の練習で不参加の桔平を除いた調理部4人で訪れたハーバーランド。
新入部員である御影さんの歓迎会というていで集まったわけだが、一度休憩の名目で俺がベンチに座ったことをきっかけに二手に分かれてしまった。
この場に残ったのが俺と山田部長。そして、新しい小説のネタ探しにと、私物のカメラを持ってフラフラと歩き回っている平野先輩と付き添いの御影さん。
昼前には集合するように山田部長から伝えられてはいたが、果たして平野先輩は覚えていられるのだろうか。
「瀬奈は体が小さいが、ああ見えてわんぱくなところがある。もっとも、身近な者にしかそういったところは見せないがね」
……心でも読めるのか、この人は。
「そう言えるのも、私と瀬奈は中学の頃からの長い付き合いだからね。あの子は私についてくるために神手高校に進学を決めたほどだ」
「仲良いんですね」
「仲、か。それはどうだろうね。ただ、あの子には私と同じようにはなってほしくないとは思っているよ。もちろん、君にもね。君達は大切な私の後輩だから」
「そりゃあどうもありがとうございます」
山田部長のこの言葉が本心からのものなのか、それともいつものような軽口なのか判別はできない。
しかし、「大切な後輩」というワードは信じたくなった。俺以外にも平野先輩と御影さん、きっと桔平までも含んだその優しい言葉を使う彼女の表情や態度が柔らかく見えるのは、今着ているのが高校の制服ではなく、私服だからなんて理由ではないだろう。
「本当に君には感謝しているよ。君が調理部に入ってくれたことで、部は存続できている。それに、瀬奈とも仲良くやってくれている」
テーブルを挟んで向かい側に座っていた山田部長だったが、不意に立ち上がり、俺の隣へと近づいてきた。肩が触れるほどではないが、少し動けば体があたるほどの距離だ。
「今日の歓迎会だって、君へのお礼や労いも兼ねているんだ。女子三人に囲まれて、いわばハーレムさ」
「そこまで楽しむ余裕はありませんでしたよ」
「なら、今からでも楽しめばいい。今も私と二人きりだ。側から見れば、カップルだと思われているかもしれないよ」
はて、今日の山田部長は本当に何かがおかしい。休日ということもあって、彼女も浮き足立っているのだろうか。
「無いでしょ、それは」
「……何でそこまですぐに言い切れるんだい?」
「そりゃあ、俺と部長じゃ釣り合いが取れないでしょ。客観的に見て、部長は美人の部類に入ると思いますよ。でも、俺には何も無い。何も持っていない。こんな俺なんかに——」
「黙りたまえ。それ以上言うのは許さない」
部長の声が俺の言葉を遮る。今まで聞いたことがないほどの、冷たく刺すような声に、俺は無意識のうちに俯いていた顔を上げていた。
そこでこの日初めて部長と目が合う。いや、人と目を合わせることなんて、随分なかったかもしれない。
「君が何でそこまで自己肯定感が低いのかは知らない。だが言っただろう、君は私の『大切な後輩』だと」
少し怒ったような、力強い視線。普段の俺ならすぐに顔を背けてしまっていただろう。だが、それを部長は許さなかった。
「まったく……君を見ていると、昔の自分を思い出してしまう。だから決めたよ。私が卒業するまであと一年もないが、それまでの間に君の性格を少しでも良くしてやろう。少なくとも、学校生活が楽しいと思えるようにはね」
そう言うと、山田部長ははにかんでみせた。やけにその顔が輝いて見えたのは、きっとよく晴れたこの日差しのせいだ。