種火を灯す
楽しい時間もいつかは終わる。
店を出た途端に、夜風が体に打ちつける。
桔平や若松を中心にまだ騒がしくはしゃいでいる輪から少し離れ、俺は近くの自動販売機の前で佇む。
(俺が言ってる意味が絶対にわかる日が来ると思うぜ)
頭の中で鷹取の言葉が延々と繰り返される。
物心ついた頃から自分の嫌なところばかり目についた。周りの人達と何か違うような気がして、息苦しさを感じたこともある。
そんな俺でも、いつか恋愛を知る時が来るのだろうか。鷹取には想像できているであろう景色を、俺は見つけられずにいる。
「一ノ谷君、何か買うの?」
一人でふらっと抜け出してきたつもりだったが、まさか御影に見つかっていたとは気がつかなかった。
「まぁ……そうだな」
小銭を投入口に放り込む。少し悩んでからボタンを押し、ガコンと音を立てて缶コーヒーが取り出し口に落ちてきた。拾い上げた指先に確かな温もりを感じる。
「いるか?」
「ありがとう。でも大丈夫」
缶コーヒーを差し出してみたが、笑顔で断られた。御影はココアを買うと、こちらに向き直る。
「ちょっと話せないかな? ほら、みんなも移動するみたいだし」
クラスメイト達の方へ目を向けてみると、一部帰宅する者もいるが、ほとんどが近くの公園に向けて歩き出していた。
「御影は帰らなくていいのか?」
「もう少しだけ居ようと思ってるよ。一ノ谷君と今日はあまり話せてないし」
カシュッとプルタブを開ける音が隣で鳴る。御影は一口ココアを飲んでから、缶をこちらに差し出す。
「一口どうぞ」
「冗談もほどほどにしとけよ。勘違いする奴多いんだから」
俺は御影の横を抜けて歩き出す。視界の外の少し後ろを彼女はついてきているのを感じた。
こうして前を歩けば彼女の顔を見ないで済む。鷹取の失恋話を聞いてから、こうして一緒に歩くのもあいつに悪いような気がしてくる。
「リレー、かっこよかったよ。頑張って走ってる姿、すっごく素敵だった」
「結局、負けちまったけどな」
「結果なんて関係ないよ。一ノ谷君が鷹取君のために……クラスのみんなのために頑張ってたのが伝わってきたから。こういう熱いところもあるんだって、打ち上げでもみんな言ってたよ」
「それは知らなかったな。俺の周りじゃ、転んだ鷹取のフォローでいっぱいいっぱいだったからな」
鷹取は幸いにも、起きてしまった自分のミスに対して深刻になりすぎないタチだったため、むしろ周りの方が話題に触れないように気をつけすぎていたほどだった。……簡単に人の中の柔らかいところに入ってくる桔平や若松を除いては。
「本当だよ。みんな、一ノ谷君のイメージが変わったって」
「教室の隅で何してるかわからない奴だったもんな」
「そんなふうに思ってたの? 調理部であの山田先輩と仲良くできる人なんだって初めは思われてたよ」
……それは俺の評判というよりも、部長の得体の知れなさが本質なのでは?
口に出しかけた疑問を喉に押し込む。
「でも、もうみんな知っちゃった。一ノ谷君は誰かのために頑張れる優しい人だって。それに、ちゃんと正面から見たらかっこいい人だって。それがちょっと残念かな」
「残念って、何がだよ」
横断歩道の信号待ちで、俺は後ろの御影へ振り返る。
思ったよりも近くにいた彼女は、体が触れ合いそうな距離から俺の顔を覗き込んでいた。
「あはは。やっとこっち向いてくれたね」
「……っ!」
普段の笑顔とはひと味違う、何か妖艶さを携えたような笑みに、俺は思わずたじろいでしまった。
住吉達と話している時でも見ることはなかった初めての表情。この意味を俺は今、理解することはできなかった。
「ねぇ、一ノ谷君。今日で一ノ谷君はクラスのみんなと仲良くなれたわけです。でも、もっと前から仲良くできてた人達がいるよね?」
「……まぁ、桔平とか……調理部がそれに当たるかと」
「それでね、できたら一ノ谷君にも歩み寄ってほしいなって」
さらに距離が詰まっていく。
実際に御影がこちらに近づいてきているわけではないのだが、目に見えない圧力のようなものが押し寄せてきている。
冷や汗が背中を伝っていくのを感じた。
「有馬君みたいにさ、私も下の名前で呼んでみてよ。ね、真尋君?」
名前を呼ばれただけ、たったそれだけのことだというのに、胸の奥で火が灯ったような熱さがじんわりと広がっていく。
「……また今度じゃダメか?」
「ダメです。今日こそは逃しません」
御影の小さな手が俺の袖を掴む。
力の差は圧倒的だが、振り払うことを彼女の目は許さない。
「……あ、有紗」
「はい、よく言えました!」
満足げに笑い、真っ直ぐにこちらを見つめる彼女の顔を、俺は直視することができなかった。
「……あ、かんなが呼んでる。私、行ってくるね」
遠くで手を振る本庄の姿が見える。
俺を振り回していた「有紗」が、みんなのよく知る「御影有紗」に戻って輪の中へ溶け込んでいく。
(真尋君)
何度も頭の中で反芻される彼女の言葉。
俺は考えを振り払うように、残り少ないコーヒーを飲み干し、缶をゴミ箱に投げ入れた。
夜風に吹かれても、体育祭で感じた熱も、今ここで生じた熱もなかなか冷ましてはくれない。
ただ澄んだ星空だけが、俺の知らない夏の予感を伝えたがっているようだった。




