繋ぐ
太陽がほぼ真上まで昇り、短い影も汗をかきそうな暑さに気が滅入る。
しかしそうは言っていられない。
次の競技は男子リレー。走ってバトンを繋ぐ。ただそれだけのシンプルな競技にも関わらず、体育祭の目玉競技となるポテンシャルは計り知れないものがある。
「そろそろ始まるぞ。ほら、行ってこい!」
桔平に背中を叩かれ、リレー選手か集まる入場口で待機する。既にチームメンバーは揃っており、俺が到着するや否や肩を掴まれ円陣の姿勢をとらされた。
「今日まで俺達は結構頑張ってきたよな。バトンパスとか、練習でうまくいかないこともあったけど、ちゃんと克服してきた。クラスのみんなが見てる手前でかっこ悪いところ見せるわけにはいかないよな。絶対勝とうぜ!」
若松の掛け声で気合を入れ直し、競技開始を今かと待つ。
「なぁ一ノ谷」
隣に立ったのは鷹取。浅黒く日焼けした顔で前を見ていた。
「アンカー、任せたからな」
「あんまりプレッシャーかけるなよ。……お前も御影にいいところ見せるんだろ。頑張れよ」
「……そうだな」
緊張しているのか、鷹取の顔は少しこわばっているように見えた。
だが、俺達はそれ以上の言葉は交わさない。やるべきことをやり、練習の成果を出すだけだ。
それぞれ走者は指定の位置につく。第一走の若松が両腕を挙げて1-5の面々にアピールをしている。緊張など微塵も見せず、盛り上げに徹するその姿は普段と何も変わらない。ただのお調子者ではない。自分の役割を理解して演じている。
他クラスの第一走者もスタートラインに集結し、競技の開始を今か今かと待ち侘びて、集中力を高めているのが側から見ても伝わってきた。それは観客席も同じのようで、先程まであれほど騒がしかったグラウンドが、一斉に静まり返った。
その集中が極限にまで達した瞬間、パンッと乾いたピストルの音が響く。歓声とともに、一斉にスタートする走者達。
その中で若松は体一つ分前へ飛び出していた。流石はサッカー部の有望株なだけはあり、そのずば抜けた身体能力で他の走者を置き去りにしていく。
続いて第二走者は陸上部の北野。普段は長距離走の選手ではあるが、走りは彼の専門分野。若松が作ったリードを保ったままバトンを繋ぐ。
そして第三走者の鷹取が懸命に走る。このリレーメンバーに選ばれた四人の中で最も50m走のタイムが遅いと嘆き、体育祭のために相当な距離を走り込んでいたのを俺達は知っている。北野の指示に従って、懸命に練習に喰らい付いていたのを俺達は知っている。
「頑張れ絢嗣!」
走り終えた若松からも声援が飛び、トラックのコーナーに差し掛かった瞬間だった。
ドン、と鈍い音が確かに聞こえたような気がした。
ジリジリと追い上げてきた走者の肩が触れ、鷹取の体が大きく揺れた。ちょうど死角となる斜め後ろからの衝撃の上、彼の頭の中にはバランスを崩すシチュエーションなど想定されていなかった。
そのまま彼はバトンを手放し、砂の上に倒れ込んだ。
「鷹取……」
観客席からは悲鳴が聞こえ、砂に塗れたバトンは明後日の方向に転がっている。
倒れた鷹取の横を他の走者達が追い抜いていく。一位を目指してきた俺達にとって、絶望的な状況。
だが、彼の目には諦めの色はなかった。
すぐに顔を上げると、擦りむいて血が出た手足でバトンを拾い上げた。
「来い! 鷹取!」
思わず叫んでいた。普段はこんな風に感情を振り動かされるようなことはない。ただ、今日だけは——。
「行け……」
砂と血がついたバトンを迷わず掴むと、声が、念が伝わってきたような気がした。
そこからはほとんど何も覚えていない。
風が顔に吹き付ける音、足音が遠ざかっていく感覚。
自分が今何位で、どこを走っているのかすら詳しくはわからなかった。
ただ、バトンの重みは——想いを繋いだこのバトンの重みだけは心の奥で感じていた。
ゴールラインを駆け抜けた後、俺は息を切らせて倒れ込んだ。力を制御するリミッターが外れ、動く気力もほとんど残っていない。だが、久しぶりに感じる心地良い体の重みだ。
「よう。よく走ったな、スーパースター」
「……誰がスターだ。こうして無様にぶっ倒れてよ」
空を仰ぐ俺の顔を覗き込んできた桔平に軽口を叩き返す。
ほれ、とタオルを投げつけられ、開いた布が顔に覆い被さる。
「久しぶりにお前の全力見れて、楽しかったぜ」
「そりゃあ良かったな。俺も……」
無意識のうちに浮かんできた言葉。今までなら心の内で留めていたであろう言葉を今日は素直に口に出してみることにした。
「俺も楽しかった」
桔平に肩を貸してもらい立ち上がる。それから俺達は特に言葉を交わすことは無かった。ただ笑った。
遠くで若松と北野が怪我をした鷹取を肩に担いでいた。その周りにもクラスメイトが数人集まっていた。みんな笑っていた。
高校生活は三年間という短い時間で終わってしまう。体育祭も終われば日常が戻ってくる。
だがこの熱気、バトンの重みは振り返るたびに思い出す。卒業してからも、きっと。
繋いだ青春の一日を。




