神手高校調理部
その日の昼休み。俺は普段からよく使っている家庭科室の扉を開けた。
「やぁ。今日も元気に部活動の時間と行こうじゃないか、真尋君!」
「部長……まだ昼休みですけど。一般的な部活の活動時間は放課後ですよ」
コンロの前に陣取り、俺に手招きをする先輩。俺が所属する調理部の部長、三年生の山田奏先輩だ。長身で目鼻立ちが整った、女子校にいたなら王子様的な人気が出るであろう人物だ。
「いいんだいいんだ。細かいことは気にしないことが我が調理部の方針だよ。それに、何か言われたら私が生徒会長に掛け合って使用の許可くらいささっと取るさ」
「初めて聞いたんですけどね、その方針」
俺はカバンから弁当を取り出し、机へ置く。一方で向かいの席に座る山田部長の前に置かれているのは、一膳の箸だけだ。
「さぁ、真尋君。今日の私のリクエストはオムライスだよ」
冷蔵庫から材料を持ってくる部長だが、作るのは本人ではない。俺だ。
怪我の影響で運動系の部活に入ることを躊躇い、フラフラと校内を彷徨っていた俺を半ば強引に調理部へと引き入れたのがこの山田部長だった。
当時の調理部は部員が彼女と二年生の平野瀬奈先輩のみであり、新入生が入らないと廃部となる危機にあった。そんな事情もあり、俺が入部し、桔平もラグビー部と兼部という形で籍を置くことで調理部は今もこうして存続できているというわけだ。
「俺ばっかが作ってますけど、たまには部長も作ってみません? 調理部の活動ですよ」
「私は食べるのが専門だからね。それに、私が料理を振る舞うのは、生涯の伴侶だけと決めているのだよ」
「ふざけたこと言わないでください」
この問答に意味などはない。俺が作り、部長が食べる。この流れが日常になったのはいつからだっただろう。
「まぁ、別にいいんですけど。料理、嫌いなわけじゃないんで」
俺はいつものように手を洗い、調理に取り掛かる。別段料理の腕があると思ったことはないし、絶品だと称されるようなものは作れない。それでも、ある程度食べられるもので満足してもらえるのなら、気が楽だ。
昼休みに炊けるようにあらかじめ部長が準備していた米を使ってチキンライスを作り、薄焼き卵で包む。昔ながらのタイプのオムライスだ。
「できましたよ」
「流石だね。私が見込んだだけはある。だがしかし、一つだけ気になったことがあるんだが、聞いてもいいかい?」
「何でもどうぞ」
俺はオムライスの乗った皿を山田部長の席に置き、その向かいに座った。
「君、今日何かあったかい? 様子は……いつもと同じく無愛想だが、雰囲気が違う。考え事でもしているのかな?」
「しれっと失礼な事言いますね。……別に悩みとかはありませんよ。強いて言うなら、今日の放課後に妙な呼び出しがあるくらいです」
冷凍唐揚げを頬張りながら、俺は朝に机の中に入っていた紙を山田部長に差し出した。
「へぇ、手紙かぁ。しかも女の子からだ。ま、この手の問題はその道の専門家に来てもらったほうがいいね」
「専門家?」
「ほら、いるじゃないか。うちの部には人の心情を文字で描写するのに長けた娘がさ」
山田部長が先ほど俺が入ってきた扉の方へ視線を向ける。すると、ドタドタと廊下を走る音が家庭科室に近づいてきて、勢いよく扉が開かれた。
「部長! お待たせしました! 不肖平野瀬奈、現着です!」
小柄な体でアホ毛とウェーブのかかった髪をピョコピョコと揺らしながら登場した平野先輩は、とてもじゃないが高校生には見えない。制服も丈に合っておらず、袖から僅かに指先が見える程度だ。
そんな平野先輩であるが、インターネット上では名の知れた人物だったりする。主要小説投稿サイトの異世界恋愛部門で総合ランキングの上位に入る作品を生み出し、書籍化も果たしている新進気鋭の小説家——「七瀬ぺたん子」にして、神手高校文芸部の大エース様である。本人は山田部長と共に、調理部でのんびりしながら小説を書きたいとぶつぶつと言っているが、その才能を文芸部は逃してはくれないようだ。結局は桔平と同じく兼部して、どちらの部活動にも顔を出している。
「どんな恋愛話も、私が解決して見せますよー! BL、GL、TLなんでもどんとこいってもんです! ……ただ、私自身には恋愛経験なんてないんですけどね……」
「そうすぐに落ち込むんじゃないよ。ほら、これを見たまえ」
山田部長は俺から受け取った紙を、隣に座った平野先輩に手渡した。
「へぇ……女の子からの手紙ですか……一ノ谷君、意外とモテてるんだねぇ」
「俺がモテるなんてあり得ませんよ。仮に俺程度でも誰かに好かれる世の中なら、少子化はとっくに解決してるでしょうね。……それ、一応俺のなんで返してもらいますよ」
「あっ、何するの? 返してよいじわるー」
俺は平野先輩から紙を取り上げると、ギリギリ手の届かない位置でひらひらと闘牛士のように左右に振ってみた。
……何だか楽しい。
「返すもなにも、これは俺の机の中に入ってたものですし。まぁ、人間違いっていう可能性はありますけどね」
「でも、君の机に女の子が書いた手紙が入っていたことは事実だ」
俺は今一度、あの紙に目を落としてみる。少し丸みを帯びた丁寧な文字。少なくとも、俺や桔平がいくら丁寧に書いたとしてもこんな文字にはならない。
「これが女子の字だっていう証明はできませんし、人間違えっていう可能性も払拭できませんよ。それに、書いた人までグルのふざけた嫌がらせとかならどうするんですか」
「まず、人間違えの可能性から除いていこう。君達が入学してもう一ヶ月になる。その間、君のクラスでは席替えはなかった」
「何で知ってるんですか、そんなこと」
「梓ちゃんに聞いた。『私が生徒の顔と名前を覚えるまで、勝手に席を変えられると困る』って言ってたよ。一ヶ月も変わらない席で、手紙を渡そうなんてことを考えて用意までした子が、別の場所と間違えるなんてドジをするとは考えにくい。仮説に過ぎないがね。瀬奈はどう思う?」
俺が揺らす紙に手が届かないことに痺れを切らし、次は長い袖ではたき落とそうと振り回していたところで話を振られ、アホ毛を回転させながら平野先輩は答える。
「そうですねぇ……ラブコメの思考なら下駄箱にラブレターを入れるのが鉄板なんでしょうけど、うちの高校、下駄箱置いてませんし」
神戸には下駄箱のある学校は少ない。この神手高校も例に漏れない。
「これがイタズラだとして、後輩をいじめる子がいるなら、私の小説の中で酷い目に合わせてやります」
それは効果があるのか? 読んでもらわないとダメージが入らないぞ。
いや、ネットの影響力はバカにならないか……。
「君は心配するな。いざとなれば私達がついていこう。……それと、最後にその手紙を書いたのが女の子だという証明だったね」
山田部長はオムライスを平らげ、お茶を一口含む。
「だって、その方が面白いじゃないか」