化けの皮ごと受け入れて
一方その頃、御影、住吉の二人は駅から急いで離れ、御影の家の前まで到着したところだった。
彼女の家は、閑静な住宅街の中の一軒家。本庄の事情聴取で連れて行った公園とは、駅の逆方面に位置している。
「ちょっ……ちょっと、ま、待って……もう、家、ついたから……。腕、は、離して……」
「あっ、ごめん! 繋いだまま忘れてた!」
息も絶え絶えな御影と、ピンピンしている住吉。御影も女子の中では運動が出来る方ではあるが、二人の体力の差は明白である。
「ふぅ……疲れた……。もう、日向ちゃん、走るの速すぎるよ」
スカートの裾から伸びる引き締まった脚。今は野球に力を入れているが、陸上選手としても十分通用するだろう。
「じゃ、私行くね。もしかしたら、まだ部長達駅の近くにいるかもしれないし」
「でも、ここまで走ってきて疲れたでしょ。うちでお茶でも飲んで行かない?」
「えっと……うん。じゃあ少しだけお邪魔するね」
そのままあれよあれよという間に住吉は御影家の門をくぐり、リビングのソファーに座っていた。
出された紅茶を飲み、クッキーをかじる。だが、これを用意した家の住人はここにいない。何かしないといけないことがあると、お茶の準備をした後に自分の部屋がある二階に上がって行ってしまったからだ。
「……何してるんだろ」
一人きりで他人の家のリビングでくつろぐ気にはなれない彼女は、だんだん御影の様子が気になり始めた。
どうにも降りてくるのが遅い。彼女と接するようになってまだわずかな時間しか経っていないが、それでも人を自分の家にあげておいて、一人きりで放置するなんてことを理由もなくする人ではないと、住吉は感じていた。
何かあったんじゃないか、部屋で倒れていたりしないだろうか。そんな悪い考えが頭をよぎる。
今、この家には御影と住吉の二人しかいない。御影の両親は仕事で留守にしている。もし、想像した最悪の状況が現実のものとなっていたならば、助けることができるのは住吉ただ一人だけだ。
彼女は立ち上がると、大股でゆっくりと御影のいる部屋を目指して階段を登った。
どこが御影の部屋なのか、住吉は教えられていなかったが、階段を登り切ったところですぐにわかった。
二階の廊下にある三枚のドア。その一つに有紗と書かれたプレートが下げられていたからだ。しかも、そのドアはわずかに開いており、中から光が漏れ出している。
住吉はすり足で静かにドアへ近づくと、その隙間から中を覗いてみた。
そこで彼女が見たものは——。
「何……これ……」
壁中に貼られた、ある人物の写真。小学生から現在に至るまで、その成長過程が記録されていた。
住吉が御影に対して感じていた印象。それを根底から覆すような衝撃を与える景色がそこにはあった。
異常とも思えるほどの狂気。それを全身に浴びせられ、彼女は二階まで登ってきた理由が頭の中から飛んでしまった。そう、御影の安否だ。
「見ちゃったんだね。日向ちゃん」
「ひゃっ! うわぁ!」
目の前の光景に意識を取られ、住吉は背後から忍び寄ってくる人影に気がつかなかった。
驚きのあまり、ドンと強くドアに体をぶつけ、そのまま御影の部屋の中に入ってしまった。
「ごめんなさい! ここで見たことは誰にも言わないし、すぐに忘れるから許して!」
「うん。別に怒ってないよ。それに、もう隠しきれないこともわかってたから」
自身の秘密がバレたというのに、御影の表情はいつもと変わらない柔らかなものだった。それが逆に、住吉の目には不気味に見えてしまっているが。
「駅で部長達に捕まってた子いたでしょ。あの子、私の友達なんだ。小学生の頃からずっと一緒の、私の一番の友達」
「じゃあ、ストーカーって……」
「そうだよ、私をつけまわしてるストーカーなんていないよ」
さも当然のように話す御影有紗。そして彼女は机の上に置いていたスマホを手にすると、そのロックを外した。
「ほら、見て。よく撮れてるでしょ。でも、これも本人に見られちゃったんだよね」
住吉に差し出されたその画面の中には、マリンピア神戸で買い物を楽しむ一ノ谷兄妹の様子が映し出されていた。
「……何で、一ノ谷君を……」
膨大な情報を頭の中に流し込まれ、住吉はうまく言葉をつなげることができなかった。もう彼女の脳はパンク寸前だ。
「一ノ谷君はね、私を好きって言ってくれたんだ。それに、結婚してあげるって」
「それっていつの話なの?」
「幼稚園にいた頃だよ」
また新たな情報が御影の口から飛び出てきて、住吉は思わず眉をしかめた。この話とこの部屋を見て、彼女のそれを純愛と呼べるほど心のキャパシティは大きくなかった。
「でもね、一ノ谷君はもう忘れちゃってたんだよ。それでも私は一ノ谷君のことが好き。日向ちゃんもわかってくれるよね?」
「……わからないよ」
「そんなことないよ。言ってたじゃない。一ノ谷君は中学生の頃からの憧れだって。だから同じ高校を目指してきたんでしょ」
「いや、それはたまたまで……」
実際、真尋と住吉は塾が同じだったとはいえ、互いの志望校は知らなかった。
自分の実力の範囲内で志望校を選んだ真尋と、実力以上でも無理をして合格を目指した住吉が同じ神手高校に入学できたのは偶然である。
「でも、一ノ谷君を野球部に戻そうとゴールデンウィークに勝負までしてたんでしょ。何も思ってない人にそこまで本気にはなれないよ」
「それは……そうかもしれないけど……あくまで、憧れの人が燻ってるのが見てられないというか、そんなのだから!」
住吉は顔を真っ赤にさせながら弁明するが、今の段階での彼女の感情は、御影の置かれている立場からしてみれば些細なことだ。
純粋な憧憬と狂気的な偏愛。同じ人物に注がれる異なる感情。だが、当の本人はそのどちらにも気づけない朴念仁だ。
「……それで日向ちゃんは、私が実は一ノ谷君のストーカーだったって、伝えるつもりなの?」
「言わないよ。それは私から伝えたらいけないと思うから。有紗ちゃんが一ノ谷君に言わないといけない。それに、私は有紗ちゃんと正面から向き合える友達になりたいから。有紗ちゃんも一ノ谷君とちゃんと向かい合わないといけないよ」
それから二人は腹を割って語り合った。
全く違う人生を送ってきた彼女らが、一ノ谷真尋というたった一人の男を通じて関わることになった。
高校入学の春という出会いの季節に生まれた新たな関係性。この先、二人が友としていつまでそばにいられるのか、それは神のみぞ知るところだ。