青い春の風
「ずっと好きでした! 俺と付き合ってください!」
「……ごめん。私、君のことはただのクラスメイト以上に思ったことなくて……」
夕陽が差し込む春の教室。高校入学から一ヶ月も経たないうちに刻まれた青春の一ページ。甘くもほろ苦い、失恋の味だ。
「それにほら、私達ってついこの間出会ったばかりでしょ? だからきっと勘違い——」
「勘違いなんかじゃない! 一目惚れしたんだ! 御影さんのこと、初めて見た時から可愛いなと思ってて、それで今日は来てもらった」
彼の渾身の告白も、御影有紗の心を動かすには至らない。彼女はただ、困ったような顔で目線を逸らした。
「と、とにかく君とは付き合えないよ……。今日のことは私も忘れるからさ、何も無かったことにしようよ。もちろん、このことは誰にも言いふらしたりはしない。それは約束するから」
二人きりの教室。目撃者はいない。
有紗は約束を言い残すと、カバンを抱えて足早に教室を飛び出した。
「待ってくれ!」
彼の呼び止める声も虚しく、有紗の背中は遠ざかっていった。
「情けねぇ……こんなところ誰かに見られでもしてたら、俺の三年間が終わっちまうよ。始まったばかりだってのに……」
失恋に肩を落とした男子学生が、トボトボと重い足取りで帰路につく。
恋に敗れ、暗い気持ちになる。これも青春の一ページ。彼と彼女だけの秘密の一ページ。
——とはなかなかいかないもので、四月の終わりにしてはやけに冷え込むこの日、教室へ忘れ物をして戻ってきたのはいいものの、思いがけず目撃したクラスメイトの告白シーンのために中に入れず、山からの吹き下ろしの風に凍えながら教室内の二人から隠れて階段に座っていた男子学生が一人いた。
「あぁ……めんどくさい場面見ちまったな……へ、へくしっ。まさか風邪ひいてないよな……」
* * *
俺は俺が嫌いだ。
こう考えるようになったのは、いつからだっただろう。
小、中学生の時は全力でスポーツに打ち込み、勉強も頑張って県内でも比較的偏差値の高い方に位置する、県立神手高校に入学した。
今まで努力してきた自覚はある。ただ、それが分かりやすく実った記憶はない。常に誰かが俺の目の前を走っていた。それが自分に対する無価値感の原因なのかもしれない。
それに加えてずっと続けていたスポーツも、中学生時代に負った怪我を理由に辞める決断をした。
俺に残っているものなど、もう何もないようにすら思えてやまない。
「よっ、真尋! 朝っぱらからいつも通り暗い顔してるな」
「いつも通りなら別にいいじゃねぇか」
こんなどうしようもない俺、一ノ谷真尋だが、友達と呼べるような仲の人物がいる。それがこの男、有馬桔平だ。少し長めのスポーツ刈りの爽やかな外見だが、少々中身は暑苦しい。
中学生の頃の部活で出会い、この学校でも数少ない同郷の友だ。出会った頃からがたいが良いフィジカル強者だったが、四月からラグビー部に入ったこともあって、さらに筋肉で体が膨張している。
「せっかくの高校生活だぜ? そんな暗い顔してないで、勉強も恋愛もラグビーも楽しんだもん勝ちだっていつも言ってんだろうがよ。だから真尋もラグビー部に入ってくれよ。一緒にラグビーしてくれよー」
「軽い練習くらいなら付き合ってやるけど、部活としてやるのは無しだ。俺もこれを何回言ったんだろうな」
教室の隅で繰り広げられるいつものやりとり。周りのクラスメイトも俺達のことをさほど気にする様子はない。
「お前はいっつもそればっかだな。いいか? ラグビーってのはな——」
日々のトレーニングで俺への精神的な圧力が強くなり続ける桔平を直視できず、思わず顔を逸らしてしまった。
視線の行き場を失い、そのまま教室内を見回してみると、いろんな発見がある。まだ入学して一ヶ月だというのに、既にクラス内にはグループが作られており、その中で最も大きな派閥の中心に御影有紗がいた。彼女の光を吸い寄せるかの如く黒い髪は、光だけでなく、人の目線や人気までも吸い上げてしまうのだろうか。
「って、聞いてるのかよまひ——どうしたお前。御影さんのこと見てたろ? 珍しいな」
「いや、ちょっと待て。たまたま視界に入ったというかだな……」
御影さんのことを見ていたのは事実だっだが、本当に偶然だった。昨日目にした光景がなければ、特に彼女のことを気にすることはなかったはずだ。
「わかったわかった。そういうことにしておいてやるよ。御影さん、結構可愛いしな。学年問わず、人気あるらしいぞ」
これはマズイ。面倒な奴相手に面倒なことになった。
「だからなぁ……はっくしっ」
「おっ、ぶれすゆー。は、いいとして体調大丈夫か? 風邪ひいたか?」
「昨日ちょっと体が冷えてな。全身が筋肉でできてるお前と違って、繊細な体をしてるんだよ、俺は」
そんな軽口を叩きながらも、俺の脳裏にはあの出来事が次々と浮かんでは消えていった。
薄暗い教室。夕陽に照らされた御影さんの横顔と長く艶やかな黒髪。冷たい風。苦笑いを浮かべた御影さん。そして、冷たい風と少し冷えた指先。
異性のことなど自分には縁の無い話だと思っていたが、いざ目にしてしまうと意外にも記憶に残ってしまう。俺も案外ミーハーなところがあるのかと、新たな側面を知ることができた。
「ほら、お前ら座れー。チャイム鳴ってんぞー」
朝のホームルームの開始を告げるチャイムと同時に、俺達1年5組の担任にして英語教師、そして俺が所属する部活の顧問を務めている藤原梓先生がのそりと教室に入ってくる。
ちょうどよかった、これで桔平からの言及が止まる。
「今日の予定は……なんだったかな」
「ちょっとあずちゃん先生大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。学年主任も見てないし、お前らも新卒2年目の若い教師が担任で嬉しいだろ?」
「それ自分で言っちゃうんだー」
クラス中に笑いがどっと広がる。これもいつもの朝の光景だ。
実際のところ、まだ入学してから間もないが、既にクラスメイト達の心を掴んでいた。
スラリとした長身で、ダウナー系に分類されるであろう美人。きっと教師以外の仕事をしていても成功していただろう。
俺はそんな先生に群がるクラスメイトの様子を横目に、一限目の準備をすべくカバンから教科書を取り出して、机の中に押し込んだ。
かさり。教科書越しに、プリントか何かを机の中でくしゃくしゃにしたような感覚が伝わってくる。まだ入学してから一ヶ月も経っていない。置き勉はしていない。
教科書の代わりに腕を突っ込んで、音の出所を弄る。すると、指先に確かにある軽い紙の感触。破らないように慎重に引っ張り出すと、俺が使っているものとは異なるルーズリーフが一枚入っていた。
元々は折り畳まれた一枚であったことが予想されるそれは、もう折り目などわからないほどくしゃくしゃになってしまっているが。
その紙を破らないように慎重に広げると、何やら文字が書いてある。
『今日の放課後 教室に残っていてくれませんか?』
なるほど。青春とやらは、こんな俺にも試練を与えてくるらしい。
ネトコン12をきっかけに書き始めた新作です。
青春をテーマにするのって、なかなか難しいですね。
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