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6 ナンパな馬飼い

 王都を出て、無事に関所を越えることができた。旅程自体は滞りもなく順調だったのだが、エリーゼ個人としては過酷な道中であった。


 怪我と疲れが祟って熱を出し、荷台で屍と化すことになったのだった。つい先日、死体を演じるという不謹慎な事をしでかした身なので、罰でも当たったのだろうか……。


 そんなことを思いながら、ぐったりと馬車に揺られて三日が経った。

 それでも、目的の街が見えてきた頃には、動ける程度に回復してみせたのだから、この身体は優秀だ。


 荷台の(ほろ)の隙間から顔を出し、進行方向に広がる街を眺める。


(新興の街、ジル=ハイコ。綺麗なところね)


 森の中に(ひら)かれたこの街は、ジル=ハイコと呼ばれている。ハイコ領主家が統治している、比較的新しい街だ。


 さらなる発展を目指して、現在進行形で開拓中、と聞き及んでいる。そんな土地柄か、若者の流入が多く、活気に満ちていて栄えている。


 街の大きさも人口も申し分なく、商人など、人の出入りも多いので、潜伏するには都合が良い。木の葉を隠すなら、森の中へ。――とは、よく言ったものだが、自分のような訳ありの人間も、きっとこの街なら上手いこと包み隠してくれるだろう。



 森林街道を通り抜け、昼をまわった頃には街の中心地へと到達した。


 馬の駅――馬車の馬を休ませたり、交換したりする厩舎(きゅうしゃ)広場に入り、荷馬車はゆるやかに停まった。御者は後ろの荷台にいるエリーゼに、潜めた声で問いかける。


「エリーゼ様、本当にお一人で行かれるのですか? 今更ではありますが、ベルホルト家のご親類の家を頼られては……?」

「高位の者たちほど、陛下を恐れて口を滑らせる可能性がある。我が家と繋がりのある者たちも、例外じゃない」

「しかし、尊き身分のお方が街暮らしなど……」

「エリーゼ()はもう死んだのだ。今のわたくしは城人(しろびと)ではなく、平民の街娘です。一人で行くわ。ここまでありがとう。お父様によろしく」


 荷台から降り、続いて鞄を下ろそうとしたが、病み上がりの腕には重たく感じられて四苦八苦してしまった。


 見かねた御者が手伝いに下りてこようとしたが――……その前に、誰かの手がヒョイと伸びてきて、重い鞄を片手で軽々と持ち上げた。


「細っこい腕だなぁ。見てられないや。少年、体を鍛えるには肉を食べるといいぞ! あとは卵と魚と牛の乳。たくさん食べると背も伸びるし、女の子にモテるぞ~。俺のようにな!」


 わっはっは、と笑いながら荷下ろしを手伝ってくれたのは、駅の馬飼いだ。朗らかな声に似つかわしい、日差しのような明るい笑みを浮かべていた。


 黒い髪に鮮やかな緑の目をしていて、笑顔の口元からは犬歯が覗いている。若い大柄の男。

 

 ずいぶんと陽気な雰囲気の馬飼いだが……右目には黒革の眼帯をつけていて、そこだけが厳めしく、浮いている。


 つい、不躾に見入りそうになってしまったが、すぐに気持ちを切り替えて礼を言った。


「どうもありがとう」

「ん……? んん……!? もしかして、君、女の子?」


 人の顔をジロジロ見るのはマナー違反だ、と、思って、こちらは控えたというのに……この青年はというと、エリーゼの顔を遠慮もなしに覗き込んできた。


「違います。男です」

「いいや、声が女の子だ。どうりで細っこいわけだ。この街の人? どこに住んでるの? なんで男の格好してんの?」


 女だとわかった途端に、青年の笑顔が三割増しくらいに輝きを増した。


(これは、いわゆるナンパというものかしら)


 四歳にして妃という身分に内定してしまった自分には、縁遠い事象だったが、一応ナンパと言う俗語は知っている。

 ここは毅然(きぜん)とした態度で突っぱねるべきだろう。


「せっかく綺麗な顔をしてるのに、怪我で台無しじゃないか。どうしちゃったのさ、それ。可哀想に。そうだ、手当てをしてあげようか? 俺の家においで」

「遠慮しておきます」

「……家に誘うのはさすがに駄目か。早まった」


 青年は渋い顔でボソッと独り言を呟いた後、咳ばらいをして、また笑顔で話しかけてきた。


「ええと、じゃあさ、ちょっとお茶でもどうだろう! 肌の怪我にはフルーツを食べるといいよ。美味しいジュース屋を知ってるから、この後、俺と一緒にどうだい?」

「失礼。鞄を返してくださる?」

「あぁっ、ちょっと! 待ってよ! ねぇってば! お嬢さ~ん!」


 馬飼いの手から鞄を奪って歩き出したが、彼はしつこくつきまとってきた。 

 

 妃たるもの、目の前でどんなことが起きようと、いついかなる時も冷静かつ優雅に対応すべし。――と、城内では自分を律してきたのだけれど。街暮らしでは、そうも言っていられない時があるのだな、と、今、学んだ。


 ついつい胸の奥に、『イラッ』という、はしたない音を立ててしまったのだった。


(この馬飼い……なんと鬱陶しい殿方でしょう)


 こちらは、とんでもない事件の後の長旅、かつ病み上がりの身なのだ。面倒事にかまけている余裕などはない。


『女に絡んでいないで、真面目に仕事をしろ』、と、命令を下してやりたいところだが……妃の自分は死んだのだ。上から目線の注意は控えて、もう少し軽やかに制しておこう。


「男装している女は訳あり――という常識をご存じでなくて? そういう人には深入りしない、というのがマナーですよ。そっとしておいてくださいませ」

「何だよ、ノリ悪いなぁ。愛嬌のない娘はモテないよ」

「モテなくて結構。既婚です」

「何っ……!?」


 馬飼いは途端にどんよりと顔を曇らせて、何やら呻いていた。


「……なら、指輪しとけよぉ……。俺のナンパの労力がぁ……ぐぬぬぬ」


 聞かなかったことにして、ツンと前を向き、男を置いて歩き去った。……いや、去ろうとしたのだが。捨て台詞のように吐かれた悪態を、耳が拾ってしまった。


「別れの挨拶もなしかよ……。そんなツンツンしてたら、旦那に嫌われるから気を付けな。既婚者なんてご身分、あっという間にバツがついて、谷底に落ちるぜ?」


 思わず足を止めてしまった。


 軽いノリの、軽い言葉の、しょうもない悪口。

 普段ならば、フンと鼻息一つで蹴散らしてしまえるような、取るに足らない悪態だ。が、今のエリーゼには、毒牙となって心に刺さってしまった。


 そうだ。その通り。夫に嫌われて、バツがついて谷底に落ちたのだ、エリーゼは。表面的には、まったくその通り。あなたの言う通りだ。


 だが、その事実の重さは、あなたには決してわかりはしないだろう。


 王の不興を買い、暴力を受けて、家族が処刑されそうになって、幼児の頃から懸命に努めてきた『妃』という身分を手放して、城を出てきたのだ。

 

(……世にも軽々しい忠告を、どうもありがとう)


 心の中で密かに毒づき、馬飼いの方を向く。氷のような冷たい微笑を浮かべて、返事をした。


「そうですね。ちょうど先日、夫に殴られたばかりなので、よく存じております。奥歯が折れて、頬の内側がざっくりと切れてしまったので、あいにく今はツンとした表情しか作れませんの。ごめんあそばせ」


 さらりと言い放つと、青年は表情を引きつらせた。


「えっ……嘘、大丈夫……? 悪かったよ、今のなし! ねぇって……! 病院紹介しようか!?」


 エリーゼは無視して歩き出したが、彼は身振り手振りを交えながら、慌てた様子でついてきた。

 取り繕おうとしているのか、ペラペラと軽い口をまわす。


「そんな旦那、別れなよ! ここにもっといい男がいるよ!」

「まだ別れません。()じゃないので」

「何それ、未練たらしいなぁ! それでボコボコにされてたんじゃ、元も子もないじゃない。暴力旦那は最低だけど、別れないで執着する方にも問題あると思うよ? あとは、そう、そんな男を選んだ、あなたの見る目もない」


 先ほど、『上から目線の注意は控えて、軽やかに制しておこう』と、自分に言い聞かせたばかりだが、逆にこの男から、上から目線の注意を受けることになるとは。


 彼が喋るほどに、ふつふつと苛立ちが胸に湧いてくる。

 続く言葉を聞いた時、いよいよ手が戦慄(わなな)いてしまい、鞄を地面に取り落としてしまった。


「次はもっといい男を選びな! もっと、こう、真実の愛を交わして、幸せになれそうな相手をさ――……」


 ドサッ、と、鞄が墜落した音を聞いて、馬飼いは言葉尻を小さくした。


 エリーゼはやり場のない腹立たしさに拳を震わせる。


 もっといい男を選べ? あいにく、四歳で王家に勝手に決められた相手だ。

 愛? 幸せ? そんなもの、地位ある身分に生まれた時点で、持ち合わせていない。


(って、落ち着くのよ、エリーゼ。この男は平民……城人の事情など、露ほども知らない相手なのだから)


 彼は困惑した面持ちで、エリーゼが落とした鞄を持ち上げようとしたが、その手をパシンと払い除けた。


 さっさと自分で持ち上げて、ツンと前を向いて歩き出しながら問いかける。

 

「あなた、王国憲章をご存じですか? 申してみなさい」

「えっ? ええと……『しっかり生きよう』? だっけ……?」

「『地位高き者は己を滅し、義務に生きよ』、です。義務を負って生きる人の中には、人生を選べない人もいる。皆が自由気ままでいられる訳ではない。わたくしのこの怪我は、義務をまっとうしようとした末の、名誉の負傷です。他人に哀れまれるいわれはないし、茶化されるのも御免だ。慎みなさい!」


 街暮らしでは封印しようと思っていたのに、無意識のうちに、力の入った声を出してしまっていた。


 城人(しろびと)たちが皆、ひざまずく、凛と響く女王の声――。馬飼いは気圧されたように口をつぐみ、少し間を置いてから、もごもごと謝罪を口にした。


「あの……すみませんでした。何か色々、勝手に言い過ぎて……。ええと……中央広場の大病院は混んでるけど、良い医者がいるので、もし、よかったら……」

「ありがとうございます。そのうちに。では、失礼」


 彼はまだ何か言いたげだったが、他の馬飼いたちに声を掛けられて、そちらへ歩いて行った。


 馬飼いたちの朗らかな声は、歩き去るエリーゼの耳にも届いた。


「フレーゲル、いつまでサボってんだ」

「またナンパ失敗か~? ははっ、何連敗だよ」

「お前、馬鹿だけど顔は悪くねぇのにな。あぁ、いや、顔も駄目か。その野暮ったい眼帯、外しちまったら?」


 同僚らしき馬飼いたちの気安い声に、先ほどのナンパ男――フレーゲルと呼ばれた男が反論していた。


「……うるさいなぁ。男らしくて格好良いだろ。色男に箔が付くってもんだ」

「戦地じゃあるまいし。街じゃ流行んねぇぞ」

「ほっとけ。って、こら触るな! やめろ!」


 馬飼いフレーゲルが仲間たちに笑われているのを聞きながら、エリーゼは澄ました顔で馬の駅を後にした。




 

 颯爽と歩き去った、不思議な男装の麗人を見送り、フレーゲルはしばらく呆けてしまった。


 顔にあんな怪我を負って、普通の女の子だったら、きっと恥じて気後れするだろうに……あの人は真っ直ぐに前を向いて歩いていた。


 名誉の負傷と言い切った彼女は、凛としていて格好良かった。と、思う。


「……俺も、そう言って胸を張れたらいいのにな……」


 同僚たちに引っ張られてずれた眼帯を、しっかりと右目の上に戻す。

 呟き声は誰にも届かずに、乾いた風がさらっていった。


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