5 盲目の側妃
「エリーゼが死んだ」
城に戻ってきたソーベルビアは開口一番、リュミエラにそう告げた。
疲れた顔をして帰ってきた彼を見て、リュミエラはエリーゼの勝利に胸をなでおろした。
(えぇ、存じております。さすがエリーゼ様! 見事に陛下を騙しなさった)
リュミエラは心の内でホッと息をつきながらも、表向きには唖然とした表情を作ってみせる。
一刻前に慌ただしく部屋を出ていった彼を見送って、深夜をまわるこの時間まで、ハラハラしながら待っていたのだ。
エリーゼが無事であるかどうか――という部分を心配していたのだが、ソーベルビアは良いように勘違いをしたようで、やれやれ、と笑みを浮かべた。
「お前を放って出て行ってすまなかったな。心配をかけた。私は大丈夫だ。ベルホルト宰相に偽装を命じておいた。エリーゼは生きていることにするから、何も案ずることはない。お前も気に病むことはないぞ」
「でも……」
「案ずるな、と言っている。何度も言わせるな。大丈夫、王は私だ。今までエリーゼが掠め取っていた権力も人心も、これですべて私の元に戻ってくる。よくよく考えれば、彼女の死は、むしろ喜ぶべきことだ。これで城内の権力構造が正常化するだろう。裏の女王だなんて、馬鹿げた虚構は消えて良かったんだ」
ソーベルビアは、まるで自分自身に言い聞かせるかのように口を回した。
神妙な面持ちで聞き手に徹していると、ふと、彼の手元で何かが煌めいた。
「……? 陛下、何をお持ちになっているのでしょう……?」
「あぁ、正妃のティアラだ。遺体を確認した後、ベルホルト家から回収してきた。お前に授けようと思ってな」
「え……わたくしに?」
「喜べ、リュミエラ。今この時をもって、正妃の位はお前のものだ」
「そんな、わたくしなどが受け取れるものでは……。これはエリーゼ様のものでございます」
「遠慮するな。死者に気後れすることはない」
強引に押し付けられたティアラを受け取ってしまったが、さり気なく、近くの棚の上に置いて手放した。
ソーベルビアは苦笑して、リュミエラの頬を撫でる。
「お前はいじらしくて可愛いな。本当に、エリーゼとは正反対だ。あの女の最後の姿を教えてやろうか。実に無様だったぞ。顔はぼこぼこで見れたものじゃないし、みっともなく下半身を晒して、失禁していた。あの状態で棺に入れられるのを想像すると、笑えてくる」
聞きたくもない。これ以上、エリーゼを貶さないで。――と、胸の内だけで反論する。が、もちろん、口には出さない。
共倒れはいけない、とエリーゼも言っていたし、そもそも勇気もないし……。嫌な話は、適当に聞き流しておく。
「可愛いなどと……お褒めに預かり光栄です。ですが……エリーゼ様が亡くなられたのは、本当に残念でございます。お墓はどちらに……?」
「お前が参る必要はないし、皆の邪推を避けるため、許可は出さぬ」
「……承知しました」
ソーベルビアが日頃『可愛い』と褒める、従順な顔をして、命令を受け入れた。
彼は満足そうに頷き、部屋の奥のベッドへと腰掛ける。
「来い、リュミエラ」
「お疲れでしょうに……お好きでいらっしゃいますね」
うふふ、と、困ったように笑い声をこぼして、彼の隣へと移動した。
リュミエラは既に寝間着のシュミーズに着替えている。この姿の妃をベッドに呼んだということは、そういうことである。夜を共にするつもりらしい。
隣に座ると、すぐに力強い腕に羽交い絞めにされた。じゃれるような口づけは、徐々に深くなっていき、ベッドに上体を押し倒される。
胸を鷲づかみにされて、リュミエラはもがくように体をくねらせた。
「陛下、痛いです……っ。あぁっ……痛い、痛い……っ……もう少し、優しく……あぁっ」
首を振って目を潤ませると、ソーベルビアはさらに息を荒げていった。
あぁ、痛い、そんなに激しくしないで――……なんてね。
(このペース感だと、今夜は早く終わりそうね)
リュミエラは冷静な頭で、事が終わる時間を計算し始めた。
実際は胸など揉まれても何とも感じない。騒ぐほど痛くもないし、もちろん気持ち良くもない。
『王は加虐趣味があるから、「痛い痛い」と言いながら嬌声を上げて、身をくねらせていたら、すぐ満足して早く終わる』、との教えは、エリーゼから賜ったものだ。側妃に上がった時に教えてくれた技である。これまで、ずいぶんと助けられてきた。
(そう、すべてはエリーゼ様の手のひらの上。陛下は転がされているに過ぎない)
そして、自分も喜んで彼女の手のひらに乗っている。
すべてはエリーゼの手のひらの上。今までも、これからも。彼女の手のひらの上で、この国はつつがなく回っていく。これ以上に素晴らしいことはない。
(……今回の暴行事件と、エリーゼ様の策には驚いたけれど。うん、きっと大丈夫よね)
エリーゼは強い人だ。唯一無二の、完璧な存在だ。きっと何もかも平気なのだ。
自分は何も心配することはない。主たるエリーゼの言う通りにしておけば、すべて上手くいく。
『新しい王を連れて来い』という、彼女のとんでもない命令も……緊張はするけれど、きっと何てことないに違いない。
もし失敗しても、彼女は生きているのだから、泣きつけば助けてくれる。
(早く新王が立って、エリーゼ様が帰ってきたらいいなぁ)
正妃のティアラはエリーゼのものだ。自分はその輝きを、一歩後ろに控えた位置から見上げているのがいい。
その位置が、側妃の位置が、一番しっくりくるから。
城内のいざこざの矢面に立たされることなく、落ち着ける位置。心が軽くいられる位置。気楽で、安全で、守ってもらえて、可愛がってもらえる位置なのだ。
大好きなエリーゼに、思い切り愛してもらえる位置――。
けれど、そのエリーゼが無事に城へと帰るためには、自分もやらなければならないことがある。本音を言えば、少々面倒な気持ちもあるが……彼女に嫌われてしまうのは嫌だから、頑張ろうと思う。
指示通りに動けば問題はないはず。彼女のやることは、いつだって間違いないのだから。彼女を信じている。
自分はエリーゼの手のひらの上で、くるくると操られる人形でいればいい。
ソーベルビアに代わって新王が立ち、帰ってきたエリーゼが正妃として隣に立つ。そして自分は、一歩下がった位置で、今までと同じ側妃の位におさまる。
その位置が、一番心地が良いから。