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4 忙しない遺体

「命じてもいないのに死にやがって……! 最後まで私を苛立たせるとは、本当に、とんだ悪妃だな! エリーゼよ!」


 ソーベルビアはベッドに乗り上げ、エリーゼの遺体を覆っている掛け布団をはぎ取った。


 見せしめに家族を処刑し、今まで一度も見たことがなかった泣き顔を拝ませてもらおう、と思ったのだが……こちらの思惑を無視して、勝手に死に、幕引きしてみせるとは。


 しおらしいところを一切、見せず、王相手にも物申す、強き妃のまま世を去った。なんと気位の高い女だろう。虫唾が走って仕方がない。


 死衣装らしからぬ、華やかなドレスは昼間のままだ。亡骸に成り果てたくせに、未だ雅やかな威厳をたたえている。


 ドレスのスカートを引っ掴み、自身の腰元から護身用の短剣を引き抜いた。刃先をあてると、上等な生地がピリと裂け始める。


「喜べ、エリーゼ! あの世への餞別(せんべつ)に、もう一度だけ子種をくれてやろう! お前が不能だと馬鹿にして、お前に死をもたらすことになった、私の種だ! 胎に抱えたまま地獄に落ちるがいい! ははっ、ざまぁない!」


 力任せに、思い切りスカートを引き裂いた。切りつけ、破り、布片をベッドの上に散らして、ドレスに隠されていたエリーゼの下半身を晒していく。


「実に良い眺めだ! あぁ、エリーゼよ、なんと惨めな姿だろう! 妃ともあろう者が、はしたないなぁ!」


 そうだ。最後くらいは、こうやって惨めな姿を晒して死ぬべきなのだ、この女は。王たる自分を差し置いて、『裏の女王』などという通り名でちやほやされ、調子に乗ってきた罰だ。


 そうして君主を気取って(まつりごと)にかまけているうちに歳をとり、腹が劣化して子を宿せなくなった、馬鹿な女め――。


 エリーゼの無様な姿を見下ろして、思い切り嗤ってやった。



 父王が死んでからというもの、まるで自分が後継者であるかのように取り仕切っていたエリーゼが、鬱陶しくて仕方なかった。


 エリーゼは指輪の魔法もなしに、城の人々を自在に操ってみせた。『彼女が正当な王だったらよかったのに』、という囁き声を、いつも、いつも、耳にし続けてきた。


(王は私なのに! 魔石を操る尊き血が流れているのは、この私なのに……!)


 何度、このたまらない気持ちに呻いたことか。どれだけ惨めな思いをしてきたか――……。


 自分の『王』という肩書きを掠め取った、傲慢なエリーゼ。さらには、『男』であるプライドまでも汚そうとしてきた、性悪なエリーゼ。


 そんな、憎たらしい年増(としま)女を抱かなければいけなかった我が身の、なんと哀れなことか。王に課せられた義務の辛さたるや――……。



「お前には何一つわからないだろう、エリーゼ……!」


 ドレスをむしり取っていくうちに、エリーゼの青白い足が見えてきた。

 憎い女をめちゃくちゃにしているという高揚感と、支配欲が満たされる快感が胸に湧き、体の熱が高まってくる。


 思わず舌なめずりをしながら、上がった息で死体と睦言を交わす。


「まぁ、『義務』という部分では、お前も可哀想ではあるな。妃の義務を果たせず、こうして子無しで死んだのだから。互いに翻弄されてきたが、これで仕舞いにしよう」


 夫婦の愛を交わすのは、これで最後だ。冷え切った関係ではあったが……一つ、エリーゼを褒めてやれることがあるとしたら、股ぐらの具合だけは良かった、という部分か。


「ははっ、死んでも変わらないか、試してやる。私を楽しませてみろ」


 アンダースカートもズタズタにしてむしり取り、露出したエリーゼの下履きに手をかける。高鳴る心臓の鼓動を感じながら、下履きを引き裂こうと――……したところで、反射的に手を引っ込めてしまった。


「……っ!?」


 下履きを掴んだ手に、水の感触を覚えたからだ。じっとりと、多量の水分を含んでいる。よくよく見てみると、少し黄色く色づいているような……。


 尿を失禁している――。と、理解した瞬間、全身に湧き上がっていた熱が、瞬く間に冷めていった。


(そうか……死体はこうなるのか……)


 そういえば、父王が息を引き取った時にも、医者たちが後処理をしていた気がする。


「……クソッ……」


 思い切り舌打ちをして、汚い遺体から距離を取った。濡れた手をベッドシーツでごしごしと拭い、寛げていたベルトを締め直す。


 ベッドの周りに落とした花を蹴り飛ばし、エリーゼの安置部屋を後にした。





「……――ハーブティーよ。失礼だこと」


 室内に静けさが戻ってから、たっぷりと間を置いて、エリーゼはむくりと上体を起こした。


「あの愚王……死してなお、わたくしを(おとし)めようとするなんて。そこまでわたくしが憎いか。魔物に成り果てた王め」


 この許されがたい暴力は、もはや人の所業ではない。魔物だ。あの男は一線を越えて、ついには魔物に成り果てたようだ。まさか、これほどまでの蛮行に及ぶとは思わなかった。


 遺体を演じるにあたり、念には念を入れて、股のあたりに尿と見せかけたお茶をこぼしておいたのだが……こういう形で、功を奏することになるとは。


 あの男は汚れを酷く嫌うのだ。尿で魔物に打ち勝ったことは、自分の中だけの武勇伝として覚えておこう。……いや、冗談だ。早く忘れたい。


 頭を抱えてあきれていると、母と侍女が部屋に入ってきた。


「エリーゼ……あぁ、ドレスが……!」

「問題ありません、お母様。無事にやり過ごせましたので。お母様こそ、魔法は大丈夫でしたか?」

「まだ少し体が痺れているけれど、大丈夫、動けるわ」


 王の魔法は時間が経つにつれ解けていく。今回は数人を従える程度だったので、ごく弱い魔法だったのだろう。もう魔力はほとんど消えている様子。


「陛下はお城へ帰ったのでしょう? では、わたくしも着替えて、()()()()()()()へ向かうとしましょう。お兄様の服を貸してください」

「えぇ、準備はできています」


 エリーゼは侍女の手を借りて着替え始めた。


 ズタズタにされたドレスを脱ぎ、簡素なシャツにジャケットとズボンという、男性使用人の格好をする。

 長い銀髪はまとめて結い上げて、帽子の中に隠した。


「棺も調達済みです。すぐにでも墓地へ向かえるわ。エリーゼ、あなたの支度は?」

「荷はもう鞄に詰めてあります。わたくしも、もういつでも」


 この後、死んだエリーゼは王都外れの墓地に埋葬される。――という(てい)で、当人は埋葬作業の使用人に紛れて、そのまま王都を脱出する。


 母曰く、父はソーベルビアの馬車に同席して、見送りに行ったそう。墓地までは兄がついてくれる。


「ありがとう。行って参ります。……お母様、この度は不出来な娘の失態を、どうかお許しください。迷惑をかけてしまって、申し訳ございません」

「妃がへこへこと謝るものじゃないわ。あなたは私の誇りです。どうか、ご無事で」


 母の力強い抱擁を受け止めて、エリーゼは裏口へと歩き出す。兄が率いる埋葬班と合流した。


 夜の闇の中、集まっている面々の顔が、ランプの灯りでぼんやりと浮かび上がる。長くベルホルト家に仕えている、()り抜きの使用人たちだ。


 兄はエリーゼの鞄――大きな箱型の革鞄を、(ほろ)付きの荷馬車に乗せて、潜めた声で号令を出した。


「よし、では出発しよう。皆で棺を荷台へ。エリーゼは先に、奥の方に乗っていて」

「はい。失礼して――」


 手を借りて荷台に乗り込み、奥の端っこで小さくなって座った。続いて棺が担ぎ込まれて、兄と使用人たちが乗り込んでくる。


 足の太い馬二頭が荷台を引き、一行は墓地へと出発した。



 目立たないよう、大通りから外れた道を進み、街はずれを目指す。夜はもうずいぶんと深まっていて、幌の隙間から輝く星空が見えた。


 石畳で舗装されていた道は、次第に、土がむき出しになった道へと変わり、墓標が立ち並ぶ草原にたどり着いた。


 ベルホルト家が保有している区画に下り立つ。

 使用人たちが土を掘り、(から)の棺を納めた。王の激烈な怒りを買った悪妃、エリーゼの墓のできあがりだ。


「さようなら、エリーゼ妃。ひと時の眠りを」


 その辺に咲いていた花を摘んで、盛られた土の上に添えておく。


 ひと時の眠りから覚め、『妃エリーゼ』が復活する時には、きっと城内の様子は大きく変わっていることだろう。――いや、国自体が、変貌しているはずだ。


 そういう大きな作戦を、密かに、リュミエラに託してある。


 兄も同じように花を置き、隣に並んだ。


「これからの名前は?」

「『リセ』と名乗ろうかと思います」

「わかった。父上にも伝えておく。ここから馬車で三日進んだ郊外の街に、祖父の古い知人がいるそうだ。早馬を出したから、連絡は先にいっている」

「ご手配いただき感謝申し上げます。お父様にも、お詫びと感謝の言葉を」

「あぁ、伝えておくよ」


 話しながら、兄とも抱擁を交わした。


 父は宰相、兄はその秘書。二人とも城人(しろびと)だ。この先しばらくは、王と交わした『エリーゼ生存の偽装』に奔走しなければならない。


 家族とはここで別れて、エリーゼは御者と二人で旅をする。御者――といっても、信頼できる上級使用人が扮しているので、問題はないだろう。

 

 エリーゼは幸か不幸か、現在、顔がぼこぼこになっているので、到底、城育ちの貴人には見えない。変装もしているし、関所も簡単に越えられるはず。


 最後にもう一度、自分の墓を眺めた後、エリーゼは荷馬車に乗り込んだ。


「皆を歩きで帰らせてしまうのは、忍びないですが……」

「構わないよ。さぁ、行ってらっしゃい。どうか体に気を付けて。帰城を楽しみにしている」

「ありがとう、お兄様。皆で国の夜明けを見ましょう」


 また会う時まで――。と、別れを交わし、馬車の揺れに身をゆだねた。





 馬車は夜空の下を進んでいき、徐々に王都の街明かりが遠ざかっていく。

 闇の中に浮かび上がる城の輪郭を眺めて、小さな呟きをこぼしてしまった。


「……これでよかった、のよね……?」


 今になって、怒涛の一日を終えた実感が湧いてきた。と、同時に、緊張による興奮がおさまってくると、代わりに、情けない感情が吹き出してきそうになった。


 実は、この、悪妃エリーゼ死亡作戦において、一つだけ、誰にも明かしていないことがある。それが罪悪感となって、気持ちを弱くさせているみたいだ。


「お父様、お兄様、お母様。それから、リュミエラ。ごめんなさい、わたくし、ずるいことをしてしまったわ……」


 遠くの城の影に向かって、小さな懺悔を口にしてしまった。


「って……何を今更、弱気になっているのやら」


 考えるほどに弱ってしまいそうだ……やめよう。慌てて首を振り、気持ちを切り替えた。

 

 エリーゼは心の底の底に、明かせない想いを一つ隠して、鍵をかけた。このことは、生涯隠し通して、次に本当の死を迎える時まで、秘めておこうと思う。


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