33 エリーゼは死にました
「それでは、陛下も、妃殿下も、どうかつつがなくお過ごしください。また近いうちに、御目にかかれましたら光栄です」
引見の時間が終わり、応接間の扉の前まで見送りを受けて、別れの言葉を交わす。
リュミエラは最後に、含み笑いと共に声をかけてきた。
「エリーゼ様、この後は、どうお過ごしになられるのですか?」
「直近の予定は、ジル=ハイコで博士を手伝いながら、学校の教師を務めるつもりです。領主と話し合い、本格的な教育施設を作る計画を立てていまして。余裕ができたら、近隣の街にも広げてみようかと――」
「そうではなく。わたくしが聞いているのは、もっと近い予定です。今日この後、城を出てからのこと」
「城を出た後?」
どうやら真面目な話ではなく、彼女が振ってきたのは世間話のようだ。
「この後、何か楽しいご予定でもあるのかなぁ、と。だってエリーゼ様、瞳がキラキラと輝いていらっしゃるのだもの。気になりまして」
「それは……この先の未来と、夢に、心浮き立っているからでしょうね」
「また上手い誤魔化しを。わたくしには、他にも理由があるように見えますけれど」
「あら、目敏いこと」
ニヤニヤと微笑むリュミエラに、エリーゼは苦笑を返した。さすがは唯一無二の、似た者同士の友である。適当に茶を濁すことはできないよう。すっかり見透かされている。
この瞳が輝いている理由も、この後の楽しい予定も、彼女にはお見通しのようだ。
すべては、中庭で待っている、あの人に由来するということも――……隠したところで、あっという間に感づかれてしまうだろう。
「また次にお会いする時に、お話ししましょう。お互い、その手の話の種をたくさん用意できるように、努めましょうね」
「えぇ、是非とも! ふふっ、楽しみだわ! 甘いお菓子と美味しいお茶を用意して、お待ちしております」
その手の話――とは、言わずもがな、世間の婦女子たちが大好きな、それである。茶会は惚気が飛び交う、女子の会になるに違いない。
笑い合う女二人を見て、ウルリヒは一人、ポカンとしていた。
「それでは、失礼いたします」
「エリーゼ様――いえ、リセ様も、つつがなく」
「リセ様、また手紙をお送りしますね」
挨拶を交わし、今度こそ二人のもとを離れた。
廊下の角を曲がったら、少し歩調を早めて中庭を目指す。
扉を潜って外に出ると、爽やかな風が銀の髪をさらった。日差しはやわらかく輝き、歩み出すエリーゼを祝福する。
瑞々しい緑と、色とりどりの花が咲き乱れる小道の先に、フレーゲルは立っていた。
彼はすぐに、こちらに気が付いたが――……駆け寄ってくることはなく、その場で静かに胸に手を当て、膝をついた。
貴人相手の、わきまえた態度だ。礼儀を意識する心がけも、教えた通りのなめらかな所作も、百点満点。
(――と、言いたいところだけれど。ごめんなさいね、褒めてはあげないわ)
エリーゼは目の前まで歩み寄り、片膝をつく彼を見下ろした。
「フレーゲル。先ほどいただいた手の甲への口づけは、敬愛を表す騎士の口づけですね」
「はい。俺は生涯、エリーゼ様に忠誠を誓うと決めたのです。たとえ遠く離れた場所で暮らそうとも、ずっと、あなただけに心を捧げます」
「そうですか」
フレーゲルは先ほどと同じように、エリーゼの手を取ろうとした。――が、ペシリと振り払って、言葉を続ける。
「でも、残念。エリーゼは死にました。別の口づけをお教えしましょう」
「……えっ……?」
エリーゼはフレーゲルの両頬を両手で包み、グイと上を向かせた。動揺に目をむく彼を置き去りにして、指導を進める。
「恋人への愛の口づけは、こうするのですよ」
そのまま被さるように顔を寄せて、唇を重ねた。
やわらかな熱を分け合い、存分に感触を楽しむ。
そうして、食むように深めていき、責め立ててやる。
――と、それ以上の技巧を仕掛ける前に、フレーゲルがひっくり返って尻もちをついてしまった。
あまりにも盛大にすっ転んでみせたので、思わず吹き出してしまった。
「あっはっは、堪え性のないこと! まぁ、面白いお顔! 茹でダコよりも真っ赤だわ」
「ななななななんてことを……っ!? 笑い事じゃないよ……!! お妃様が俺なんかと、ここここんなキスを……っ!? 浮気じゃないかっ!?」
「何を言っているのだか。リセ・クルーガーはお妃様ではありませんし、恋仲の相手と口づけを交わすのは、浮気ではないでしょう」
「は……? え…………?」
ひっくり返ったまま、彼は目と口を大きく開けて、エリーゼをポカンと見上げた。続く言葉が見当たらず、身動きも取れず、といった様子の彼に、さっさと声を掛けてやる。
「さぁ、呆けていないでお立ちになってください。煌びやかな貴族の遊びを勉強したいのでしょう? この後、王都を案内しながら、たっぷりとお教えします。代わりに、わたくしに、ナンパな馬飼い騎士との恋の仕方を教えてくださいませ」
そう告げて、意気揚々と歩き出すと、フレーゲルは大慌てで這いつくばりながら、後をついてきた。
その姿がキャンにそっくりで、エリーゼはまた、声を上げて笑ってしまった。
王城で、これほど明るい声を上げて笑える日が来るなんて。以前のエリーゼに話して聞かせても、絶対に信じてはもらえないだろう。
未来とは、本当に、どうなるかわからないものだ。
リセとしての新しい未来も、さらなる幸せに恵まれることを祈っておく。この、愛する人の手を握り続けている限り、きっと良い道を歩んでいけるだろう。
フレーゲルを見つめるエリーゼの青い目は、空のように澄み切って、輝いていた。
■
しばらくして、国内にはエリーゼ妃が没したという知らせが流された。
王家の墓地には寄り添うようにして、二つの新しい墓が並んでいる。一つの墓標にはソーベルビアの名前。もう一つには、エリーゼの名前が刻まれている。
『暴虐の限りを尽くした悪王だというのに、先に没した夫を見限ることなく、妃は自らの命を断って、あの世まで添い遂げたらしい。情の深い妃だったようだ』
という美談が、一部の民たちの中では、まことしやかに囁かれているとか、いないとか。
しかし、この二つの墓の一方は、空なのだ。
この、空の墓標の主こそが、王殺しを謀った稀代の悪妃であることを、知る者は少ない。
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