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28 小心者、二人

 名を叫びながら、必死にフレーゲルを追ったが、広場を出たところで姿を見失ってしまった。通りに落ちた黒い体液を辿るも、すぐに途絶えた。


 ついには道行く人に尋ねても追えなくなり、エリーゼは途方に暮れながら、街中を駆けまわった。


(街を出てしまったのかも……!)


 街を出て、もし、そのまま行方をくらましてしまったら――……もう二度と会えないかもしれない。


(もう会えないなんて嫌よ……! 絶対に嫌……!)


 胸に湧いた焦りが力となって、エリーゼの体を動かした。身にまとったマントを胸元で結び直し、また走り出す。

 

 息を切らしてネッサの家に向かい、庭へと転がり込んだ。


 彼女の特別講義は既に終わっていて、生徒たちは解散していた。が、少年トリオが居残って遊んでいて、ネッサはテーブルに頬杖をつき、その様子をぼんやりと眺めていた。


 そんな中、突然、飛び込んできたエリーゼを前にして、彼女は変な声を上げて、思い切りのけぞった。


「おわっ……!? あんた……! 逃げおおせたのかい!?」

「話は後! フレーゲルを見ていませんか!?」

「あの男はお前さんを気にして、街へと出て行っちまったんだよ! それから帰ってこないから……余計な手出しをしたのかもって、嘆いてたところだったんだがね。何が何やら、どういうことだい?」

「とんでもない手出しをして、とんでもないことになって、逃げてしまったの! 街を出たか……森に隠れたのかもしれないわ!」


 裏手の森に目を遣って、エリーゼは即座に駆け出そうとした。が、ネッサが腕を掴んで止める。


「待ちな! あてがないならキャンを連れてきな。人の勘より、犬の鼻の方が役に立つだろうさ」

「……っ! ありがとう、お借りします! ――キャン、お願い、この匂いを辿って!」


 テーブルに置きっぱなしになっていた、フレーゲルの本が視界に入った。素早く手に取り、キャンに嗅がせる。キャンはスンスンと鼻を鳴らした後、森の茂みへと分け入った。

 後を追って、エリーゼも茂みの中へ踏み出す。


 庭で遊んでいたピスカ、プカ、パックは、ズタボロになって帰ってきて、そしてまた忙しなく出ていったエリーゼを見て、ポカンとしていた。


「リセ先生、どうしちゃったの?」

「山道を転がり落ちた人みたいになってた」

「今日の用事って、山菜取りだったのかな?」

「そうさねぇ……一体何があったのやら……」


 本を手にして、森の奥に消えていった後ろ姿に、庭の面々は呆けた息を吐くしかなかった。

 

 




 エリーゼはすばしっこく駆けていくキャンを必死に追う。草を掻き分け、獣道を走り抜け、岩を飛んで川を渡り――……。


 そうして、森の奥の奥まで進んだところで、キャンが足を止めた。のん気な散歩気分で、いつもの笑顔を浮かべて走っていたのだが……目的の人物を見つけた途端に、キャンは一変して、体を震わせたのだった。


 怯えて足を踏ん張っているキャンに代わり、エリーゼが前に出る。


 茂みの先に、フレーゲルと思しき、黒い影がいた。

 地面に両膝をついて、いつも腰元に下げている短剣を両手で握りしめている。


 あれだけ袋叩きにされたのに……真っ黒な異形の体には、もう傷は見当たらない。肉体が再生しているように見えた。

 背から生えた大蛇の群れは、歩み寄るエリーゼに赤い目を向けている。


(……呪いを受けた騎士の、成れの果て……)


 昔、辺境伯家を訪ねた時に、最果ての戦場で見た光景が脳裏をよぎった。


 谷から湧いてくる蛇、もしくは竜に似た魔物の群れ――。彼は今、それを宿している。……いや、それそのものに成り果ててしまっている。


 ()の戦場で、呪いが進む前に自死する騎士たちの姿を見た。彼らは赤く変色した片目を剣で貫き、潰して、死んでいく。それが(おきて)なのだそう。

 

 その儀式と同じように、フレーゲルは短剣の先を右目にあてていた。


「フレーゲル……あなた、」


 声を掛けると、彼はハッとした様子で、赤い光をこぼす目を向けた。


「リセ……? 来るな……! 来ないでくれ!」

「……っ!」


 命じられた瞬間、全身に緊張が走り、足がこわばって動けなくなった。


(あの目……やはり、何らかの魔力を放っている。王族の支配の魔法と似ている……いや、同じ……?)


 エリーゼは静かに受け止め、抗うのをやめた。


 王の隣に立ち、何度も何度も魔法をくらってきた身だ。今更、民のようにパニックを起こすことはない。力の抜き方は心得ている。

 

 深呼吸をしてから、もう一度、フレーゲルに話しかけた。


「フレーゲル。あなたは祓魔(ふつま)の騎士だったのですね」

「……騎士なんかじゃない。俺はおぞましい魔物だ……。人をたくさん殺して、こんな姿になって……それでも、死ぬ勇気が出ない。どうしようもなく、ずるくて邪悪な魔物だ」


 そう言い放った彼の体は震えていた。闇色の顔面は表情をうかがえないが……苦渋に満ちた顔をしているに違いない。


 こんな人間味のある魔物など、いるはずがないだろうに――。


「魔物なんかではない。あなたは、まごうことなき人間です。邪悪で暴虐非道な、真の魔物を夫としていた、わたくしが言うのだから、間違いありませんよ」


 エリーゼは努めて穏やかな声音で、すべてを明かすことにした。


「国王ソーベルビア・バルドという名の、人の姿をした魔物が、わたくしの夫です。あなたが蹴散らしてくださった」

「…………は……? ……国、王……?」

「えぇ。わたくしの本当の名は、エリーゼ・ベルホルト・バルドと申します。王の正妃……それが、本来のわたくしです。今まで隠していてごめんなさい。あなたを巻き込みたくなかったのです」


 フレーゲルは何を思っているのだろう。言葉は返ってこない。身じろぎもせずに、ただ耳を傾けている。


「わたくしは暴君を見限って、倒す機会を得るべく城を出ました。リセ、と名を変えて。……どうして、そんな大それたことをしたと思う?」


 問いかけの言葉尻が震えてしまった。ここから先は、誰にも話したことがない内容だ。家族にも、ネッサにも、リュミエラにすらも、話していない。心の底の底に鍵をかけて、隠してきた想いだ。


 その想いを、震える声をそのままに、明かしてみせた。


「怖くなったから逃げ出したのよ、わたくし。『国の未来と民のために』という立派な大義名分で包み込んで、綺麗に隠していたけれど……本当は、ただ怖かったから逃げてしまっただけなの」


 大義名分も決して嘘ではない。国の未来と民の平和は、もちろん考えていた。――けれど、底の底にあった想いは、純粋な恐怖心だった。


 あの日、自分に対して一線を越えた王の暴力が、たまらなく怖ろしかった。逃げ出したい気持ちがあったからこそ、思いついた策だった。


 高尚な策でも何でもなく、極めて私的な感情に基づいていたのだ。女王などと称され、頂点に近い地位に在ったというのに……結局のところ、位に見合わない卑小な人間だったのだ、自分は。


「認めたくなかったから、心の底に隠して鍵をかけていた。死ぬまで封じておこうと思ったのだけれど……さっき、死にかけたせいで、鍵が開いてしまったわ。しょうもない小心者のエリーゼ……それが、わたくしの本当の姿です」


 何もかも、秘めていたものを、すべて明かした。フレーゲルは未だ短剣を構えているが、顔はこちらに向いている。


 エリーゼは自嘲の笑みを浮かべて、言葉を続ける。


「『地位高き者は己を滅し、義務に生きよ』――初めて会った時、あなたに説教を垂れてしまいましたね。今思うと、わたくし自身、初めからこれっぽっちも遵守できていなかったわ。身分があろうがなかろうが、自分の心を滅することなど、到底できはしない。それが、人という生き物なのでしょう……」


 話をしながら、今、正しく認めた。自分には遵守できない、無理な理念だったのだ、と。

 自分だけでなく、『心』というものを持つすべての人間にとって、土台無理な理念なのではなかろうか――。


「フレーゲル、あなたもわたくしと同じでしょう? 祓魔(ふつま)の騎士の理念より、死を恐れる気持ちの方が大きいのではなくて……?」


 問いかけると、彼は体を震わせた。


「……あぁ、怖いよ……。……叶うのならば、死にたくない……」

「それならば、心に従ってはどうでしょう。剣を下ろして」

「意地の悪いことを言うなよ……! 結局こんな姿になってしまったんだ……! 掟を守るべきだったんだ! もう死ぬしかないだろう……っ!」


 フレーゲルが声を荒げると、同調して背中の大蛇たちも牙を剥いた。


「死ぬ……! 死んでやるんだ……! 騎士の誇りをもって……俺は、今度こそ……っ」


 短剣を握り直し、勢いづいて叫びを発したが――……剣先は赤い瞳の前で止まったまま、ブルブルと震えるばかりだ。

 恐怖に勝てない己の惨めさに(さいな)まれ、彼は苦悶に喘いでいる。


『至らない惨めな自分との対峙』という苦しみは、出口の見えない地獄のようなものだ。エリーゼには、よくわかる。城から逃げ出したエリーゼには、苦痛のほどが、わかってしまう。……とてもじゃないが、見ていられない。


 エリーゼは諦めと、そして覚悟を決めて、フレーゲルの方へ手を伸ばした。


「短剣を、お貸しなさい。それほどまでに苦しむのなら、わたくしが(あや)めてあげる。その後、わたくしも一緒に死んで差し上げます。二人一緒なら、怖れも多少は紛れるでしょう?」


 王に殺されるのが怖くて逃げた身だけれど。フレーゲルと一緒ならば、死も、それほど怖ろしくはない気がした。


 けれど、提案をした直後、フレーゲルは短剣を取り落としたのだった。


「紛れるものか……あなたが死んでしまうのは、もっと怖い……。自分一人で死ぬよりも、ずっと怖いよ……。……あなたには……幸せになってほしいんだ……そんなしょうもない提案……やめてくれよ……」


 短剣を放り出し、力なく崩れ落ちて、フレーゲルは地面に涙を落とした。


 異形の目からあふれ出し、とめどなく落ちていく涙。彼は手で受け止めて、自分を(あざけ)るように笑った。


「……こんな姿でも涙は出るんだ」

「戦場で呪いを負ったのですか……? 右目の眼帯は、怪我ではなかったのですね」

「そうだよ……。……俺も、隠し事をしていた。祓魔(ふつま)の騎士だったんだ。数年前まで……」


 真っ黒な手に溜まっていく透明な涙を見つめながら、彼はポツポツと話し始めた。


「……物心ついた頃から、戦がすべての世界で生きてきた。魔物と、剣と、馬と……それ以外、何もなかった。……でも、たまに巣作りの鳥が、街からゴミを運んでくるんだ。それで、たまたま本を拾ってしまった」


 エリーゼはハッとして、手にしたままになっていた本を見た。彼が大切にしている本……恐らく、これのことだろう。


「字は読めなかったけど、挿絵が綺麗で……眺めてるだけで、すごく楽しかったんだ。隊にいた領主様の末子が、たまに字を教えてくれて、夢中になって読んでた。本の中には知らない世界が広がってて、面白くて、憧れて――……」

「そう……良い出会いだったのですね」

「どうだろうな……。そのうちに、本に書かれてる世界とは全然違う戦場が、おかしな世界に思えてきて……迫る死の儀式が、怖くなってしまった」


 広い世界を知れば、自分がいかに小さな場所に収まっていたのかと、気が付くことになる。大きく視野が広がれば、物事を他と比べて判断できるようになる。――その結果が、今の彼なのだろう。


「それで、俺は……嘘をついて逃げたんだ。……掟を破ったから、こんな呪いに堕ちてしまった。裁かれるべき愚か者だ……。……俺は……どうしたらいい……?」


 人の形を失った体を震わせて、フレーゲルは項垂れた。


 エリーゼはそっと一歩を踏み出し、さらにもう一歩、踏み出し、かけられていた魔法を振りほどきながら、歩み寄る。


「どうしたらいいのか……わからないわ……。わたくしには裁けないし、あなたを責めることもできない。わたくしも同じように、怖れに駆られて逃げ出した、愚か者だもの」


 エリーゼも膝をつき、うずくまって泣いているフレーゲルを抱きしめた。震えと涙が移ってしまって、エリーゼも顔をめしゃめしゃにして声を震わせた。


「痛いのも、苦しいのも、惨めなのも、怖いのも……とてもじゃないけれど、耐えられないわよね。呪いに堕ちてしまったって、仕方ないじゃない。何が良いのか、悪いのか、どうしたらいいのか……わたくしにも、全然わからないわ」


 フレーゲルも縋りつくようにエリーゼを抱きしめた。


 二人はそれ以上、言葉を交わすことなく、ただただ泣きじゃくり、涙を流した。


 だって、こうして抱き合って、泣いて、苦しみを分かち合うことしかできない。それ以外に、何をどうしたらいいのか、これっぽっちもわからないのだから。

 

 今の二人に唯一できることは、途方に暮れて泣きべそをかきながら、手を繋いで帰ることくらいだ。


 日は傾き始めていて、直に夕暮れを迎える。異形の姿に変わり果てても、彼は人間だ。森の奥に潜み続けるなんてことは困難だろう。


 人は、人の暮らしの中にいないと、心を損ねてしまう。そうなれば、彼は本物の魔物になってしまう。


 エリーゼは濡れた顔をマントの端で拭って、フレーゲルの手を握った。


「どうしたらいいか、何もわからないけれど……とりあえず、街に帰りましょう? ご飯を食べて、ゆっくり眠ったら、元に戻っているかもしれないわ」

「……そんな……適当言って……」

「適当なことしか思い浮かばないんだもの……。ほら、キャンも待ちくたびれてる」


 異形の姿に怯えて、遠巻きにしていたキャンだが、気が付くと、そろりそろりと側に寄ってきていた。


 フレーゲルの手を引いて歩みを促し、帰り道へと誘う。


「怖ろしい魔王から守ってくださった、わたくしの騎士様。どうか、家までのエスコートをお願いします」


 そう言うと、彼は赤い目を(みは)って、また大粒の涙を流した。


 二人は固く手を繋いで、泣きべそを晒しながら、国史にも刻まれることがない、密やかな凱旋を果たすことになった。


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